2021年4月19日月曜日

連載800回を迎えました

  2006年4月13日の「二番札の知恵」が第1回でしたから15年で800回、ということは毎年53篇週1回のペースをつづけてきたことになります。毎週月曜日の朝8時にはアップするよう心がけてきましたから一応その決まりは守れているわけで、少しくらいなら誇っていいのではと嬉しく思っています。

 思い返すと2006年は私にとってエポックメーキングな年になっていて、1月11日に「禁煙」し、「コラム」連載をスタ-トした同じ4月に「テニス」を始めています。9月26日からは「公園のゴミ拾い」を開始しており、この縁で翌年から「野球場の管理」――といっても鍵の開け閉めをするだけのことですが――をするようになります。禁煙は今の私の「健康」の基礎になっていますしテニスをやって体力の衰えを思い知らされそれを補うためにインターバル速歩と軽運動、ストレッチ、食生活の改善に取り組んだ結果今の「体力」を獲得することができました。ゴミ拾いはこの公園のできた当初(昭和50年代中頃)から清掃を続けてこられた近所のご老人から後継を依頼されて仕方なく始めたのですが、今ではこれがあるから無理をしてでも早起きも運動もつづけていられるようなもので、「毎朝ご苦労さまです」と褒めてくれるひとがいますが感謝するのはむしろ私の方なのです。

 

 老いて「後期高齢者」と呼ばれる年齢になって、にもかかわらず人生で一番健やかで意欲をもって生活を送れているのは「健康」「ボランティア」「社会参加」「生涯学習」をバランス良く行なっている結果だと思います。健康は禁煙が引き金になって早寝早起き、早朝の運動、妻手作りの食事等の相乗効果のお陰です。公園のゴミ拾いはご老人との約束を守るためにやっているのですがひとから見ればボランティアと言えないこともないのでしょうか。野球場の鍵開けはゴミ拾いのついでにやっているようなものですが、利用者の少年野球の指導者や中学校の部活の顧問先生、生徒たちとの交流もあって社会参加の側面もあり、老人の生活に欠落している「社会とのつながり」を補ってくれて「社会的孤立」におちいらず精神的安定をもたらしてくれていると思います。コラムの連載はアンテナを張って社会の動きに対する感度を劣化させない必要があり、感受性と解析力を磨くための「読書」も必須ですから「コラム―読書」の「インプット」「アウトプット」のほど良い循環が生涯学習を充実させてくれているのだと思います。

 

 読書は体力充実のお陰で飛躍的に上達しました。幼年期の大病のせいで虚弱体質だった私は根気がつづかず三十分も集中力が保てませんでしたからトルストイやドストエフスキーの長編ははなから手に取ることもできませんでした。それが今では長時間読みつづけられるようになり藤村の『夜明け前』やドストエフスキーの『白痴』も読破することができました。

 読書については学生時代にエーリッヒ・フロムの『自由からの逃走』とピーター・F・ドラッカーの『ゆたかな社会』に出会ったことは僥倖だったと感謝しています。ヒトラーのナチスに隷属していったドイツ国民の社会心理的な心の闇を描いた『自由からの逃走』、格差と貧困がアメリカ資本主義の根底に潜む病理であることをえぐった『ゆたかな社会』の二冊は今の社会を理解するためにも有効な人文社会系の古典ですが、同志社大学で学んだこと、DSB(同志社学生放送局)の先輩、同期、後輩たちとの切磋琢磨で鍛えられた成果として知性を磨く柱となってきました。知性の鍛錬という意味では博報堂という広告会社に就職したことも重要だったと思います。隆盛期を迎えていた広告会社には東大京大をはじめ有名私立大学からの俊才が集まっており刺戟的な空間をつくっていました。博報堂で過ごした時間は今にいたる五十年の知的生活の基礎を築いてくれたという意味で有りがたい十年でした。

 当時の社会は博報堂に限らず多くの会社(官庁も含めて)に「若者(新入社員)を育てる」という企業風土がありました。生涯雇用と年功賃金制度という日本型雇用慣行のもとに社員教育制度が企業の基本的構成要素となっていたのでしょうが、この制度は今になってみれば非常に有効だったと評価できるのではないでしょうか。1990年代のバブル崩壊を経て、グローバル経済を勝ち抜く方策として「成果主義」が取り入れられ社員教育を大学に委ねる方向にモデルチェインジしてきましたが、結果をみれば先進国で唯一「ゼロ成長」国に陥るという醜態をさらしています。固定費が企業経営の足かせとなってグローバル競争に勝てないという理屈で日本型雇用慣行が崩されたのですが、ここまでのところ企業も国民も国も成長の成果を享受できないできているということは大いに検討されるべきではないでしょうか。百年二百年と歴史のある西欧諸国を後追いしても彼らを凌駕する可能性は低く、「失われた二十年」を検証してグローバル化に適した日本型の経営方式、修正した日本型資本主義体制を構築すべき時機に至っているのではないかという危機感を覚えています。

 

 振り返ってみれば私の人生は幸運であったと思います。チャンスにも恵まれていました。ところがそのほとんどを無駄にしてきたことが悔やまれます。なかにはそれが幸運ともチャンスとも気づかずに見過ごしていたのは意識していなかったけれど傲慢さがあったのだと悔恨の情に堪えません。そんな私に六十才半ばになって同志社の先輩が当時関係していた建設関係の業界紙に何か書いてみないかと薦めてくれたのです。それがこのコラムとなって今日につづいているのですからチャンスはどこに転がっているのか、いつ来るのか分からないものです。私は今年八十才になりますが健康を保ち知力と気力を充実させて千回まで連載をつづけることができればそれこそ人生最大の幸運と喜べるのではないでしょうか。今のペースなら八十五才になりますが可能性にチャレンジです。

 最後になりましたが妻との結婚は数少ないチャンスを生かした幸運でした。感謝して偕老同穴を全うしたいと願っています。

 

 こんな拙い、独断と偏見に満ちたコラムを愛読して下さった皆さま、本当にありがとうございます。これからも時々でもいいからご笑覧願えれば望外の喜びです。

 

 

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