2016年8月29日月曜日

暑熱の夏に爽やかな話題を

  
 リオ五輪が終って日本は過去最高の金12個、銀8個、銅21個合計41個のメダルを獲得した。中でも日本柔道の活躍は目ざましく男女合わせて12個のメダル、特に男子柔道は参加7階級ですべてメダルを勝ち取るという花々しい成果を上げた。井上康生監督は金メダルゼロに終わったロンドン五輪からわずか4年で再建に成功指導者としての資質が称賛されている。しかし忘れてならないのは日本柔道連盟の組織改革があったことだ。
 2013年1月に女子柔道強化選手の暴力告発事件があり、3月には全日本柔道連盟が日本スポーツ振興センターからの助成金を不正受給していた問題が発覚。現場の指導者や選手からも不正の実態を裏付ける証言が相次ぎ、全柔連会長である上村春樹氏の責任が問われた。事態改善のために設置された第三者委員会の提言と日本オリンピック委員会(JOC)からの改善勧告に従い4月に全日本柔道連盟会長上村春樹氏の引責辞任と組織刷新が行われた。その結果暴力、暴言、パワハラ等の諸問題を、開かれた全柔連と柔道界、公明で透明性の確保された組織に改変することで再発防止と日本柔道の再興に努めることになった。
 当時テレビに映し出されたシゴキそのものの暴力、暴言をふるう指導者の姿を見て、これでは選手は萎縮するし、このような練習方法では実力養成が図れるはずもなくオリンピックで敗退するのも当然だろうと感じたのを覚えている。今回のリオ五輪で好成績を上げられたのは、組織改革によって上からの理不尽な締め付けもなく、井上監督をはじめ現場のスタッフが自分たちの思い通りの強化策が実行でき、選手たちも納得のいく練習に取組めたからに違いない。インタビューに答える選手たちの明るく快活な態度に前回のロンドンとは比べものにならない伸びやかさを感じた。2020年の東京ではきっと今回以上の成績を上げるであろうことを期待させた。
 それにしても篠原信一という人は不運な人だ。有名な「誤審問題」でシドニー五輪100kg超級の金メダルを逸したし、ロンドン五輪では金メダルゼロの責任を監督として取らされる羽目に追い込まれた。しかし2013年の問題噴出は篠原氏ら現場の若い指導者たちが画策したのではないかと憶測している。日本柔道界の切り札―井上康生をかつぎだしたからには日本柔道界の根本的な改革を実現し飛躍的な実力向上を図ってリオでメダルを量産する体制を築かなければあと20年~30年日本柔道の再生は無いのではないか。そんな切羽詰った状況に彼らはあった、そう思う。二大派閥が勢力争いを繰り広げる腐敗した権力構造の下で蓄積した積年のウミを吐き出さなければドン底まで落ち込んだ日本柔道の再興は計れない、選手と指導者一丸となった必死の取り組みがリオの華々しい活躍に結実したのだ。
 激戦を終えてインタビューに答えた井上康生監督の涙の裏にはこんな若き指導者たちの苦闘があったのではないか。そんな思いが去来した日本柔道の活躍であった。
 
 京都府は24日、亀岡市で計画している球技用スタジアムの建設予定地を変更すると発表した。絶滅が危惧されている桂川右岸に棲息する希少淡水魚「アユモドキ」を保護するために従来JR亀岡駅の北約500㍍に建設する予定だったものを、亀岡駅の北部分に隣接する区画整理地に変更する。スタジアム建設が発表された当初から環境団体が計画変更を提言していたが府がこれに同意したもので、「公共事業のあり方に一石を投じるもので、いい例ができたのではないか」と山田京都府知事は語っている。
 
 環境がらみでは「鵜殿の葦」も問題になっている。新名神高速道路の二期工事で高槻市鵜殿(うどの)地区にルート設定されていたが東儀秀樹氏ら雅楽団体が反対運動を起こしいまも協議中である。「鵜殿の葦」は雅楽器の篳篥(ひちりき)のリード部分の原材料となっており、これがなくなると篳篥が作れなくなる。正確に言うと他の地の葦では昔からの伝統的な音色が変わってしまうらしいのだ。鵜殿地区の淀川沿いに葦の群生地があり今の建設計画通り工事が行われると、この群生地で古来から行われてきた年1回の「野焼き」ができなくなり葦の生育を妨げることになる。東儀氏らの問題提起を受けてNEXCO西日本は「鵜殿ヨシ原の環境保全に関する検討会」を設置、平成25年1月以来7回の協議を重ねている。そろそろ結論が出るだろうが、このような問題がこのような形で慎重に協議されるようになった我国の在り様に『国の成熟度』を感じる。
 
 政治も経済も大きな転換点を迎えている昨今だが、歴史や環境などこれまで蔑ろにされてきた多様な価値観に少しづつ目が向けられるようになってきた。嬉しい傾向だ。
 

2016年8月22日月曜日

想 滴々 (28・8)

 早朝の散歩が習慣になって随分久しい。暑苦しいマンションのドアを開て戸外のヒンヤリとした空気に触れたとき、この習慣の有りがた味をシミジミと感じる。しかし真夏の散歩の本当の素晴しさはこのあと数分歩いた児童公園(最近は街区公園というらしい)にる。植栽の多いこの公園に近づいただけで澄んだ冷気を感じるが、入って逍遥道の両脇に繁茂した樹木の下を歩きはじめるととはまったく異質の清浄な大気に包まれる。ヒヤリとした気温の差ばかりでなく空気の粒が微細になって含まれている水気が透明な感じがする。土と木と光が混じり合ってかすかに匂いさえする。フィトンチッドという森の成分のせいなのだろうか。濃い緑の常緑樹の葉と明るい落葉樹がこもごも重なっている隙間から木洩れ陽が揺れる葉っぱを透かしてキラキラと眩しい。鴉のガサツな啼き声がキッカケになってあちこちで小鳥が鳴き声を上げる
 ここ数年小鳥の種類が増えた。カラスと野鳩とムクドリばかりであった公園にうぐいす、ツグミシジュウガラなど(小鳥のことはほとんど知らないので一度バードォッチャーの友人にレクチャーしてもらおうか)十種類は下らない小鳥が飛来するようになった。特に雀が目に付く。そう言えば近くの知り合いの農家の方が休耕田の地味を痩せさせないために植える牧草の種を雀にほとんど食われたと嘆いていたのを思い出す。道路から二米ほど内側(人通りから遠いところ)を食われてしまったのだ。
 この辺りには数年前まで田んぼや畑が相当残っていて毎年今頃になると生き生きとした青稲から内に育んだ若いの匂いを漂よわせていた。いつから休耕田が目立ち始め、今年は稲の育っている田んぼは数えるほどに減ってしまった
 ひょっとすると雀が増えたのはこのせいなのではないか。田んぼや畑は除草剤などの農薬散布される。農薬は雑草ばかりでなく微な生き物も根絶やしにする。雀や野鳥の餌も激減したに違いない。そのせいで雀の飛来が減少したそれが田んぼが減って農薬が散布されなくなって、エサが復活して、雀が帰ってきた。
 こんな生態系の変化が町外れの「市街化調整区域」で起っていたのかも知れないとすれば雀の復活は高齢化と減反政策の思わぬプレゼントということになる。喜ぶべきや否や。
 
 毎週月曜日に掲載される「景気指標」をみて景気の悪さが生半可でないことを感じている。「所定外労働(残業)時間前年比」がここ二年、ずぅっとマイナスなのだ(13年平均+4.8%、14年+2.0%)。我国の賃金体系は残業代で生活に余裕まれるようになっているから残業代が支給されないと苦しくなるのは否めない。しかしこの数字はもう少し違った見方もできる。
 「常用雇用指数」が2.0を超えており「有効求人倍率」も1.3超完全失業率は3.1~3.3をキープしている。これはほとんど完全雇用の状態で雇用者総数は僅かずつだが増加し、1件の求人に1.3人以上が応募する人手不足になっている、と読み取れる。ところが「現金給与総額の前年比」は0.2~0.3給料総額はほとんど増加していないから給料の低い人たちの雇用非正規雇用のアルバイトや派遣社員の増加という形で数字上の『雇用改善』になっているのだ。
 非正規雇用の人たちは原則として残業はないから、上の残業時間は一部の忙しい会社ではそれなりに残業しているが、そうでない会社や非正規雇用の増加が残業時間数減少の見せかけを低くしていると見るのが実態なのだろう。つまり多くの会社の正社員の残業時間が相当減っていて実質的な給料減を招いているのではないかということを覗わせるのだ。このような全体的な賃金の減少は「消費支出前年比」に表れており、ここ1年の平均がマイナス1.9―すなわち前年より2%近く支出を減らしていること分かる。
 もうひとつ気になる数字がある。「新設住宅着工」が4月から100を超えている。反対にマンション契約率は首都圏近畿圏とも70%近辺で低迷している。マンション契約は今年初めに暴露された「不正杭打ち事件」以来急激に減少していまだに尾をひいている。一般住宅の建築が増えているのはマンションから戸建てに変更した人がいることを意味しているそれだけではない事情がこの数字の裏側に潜んでいる。相続税対策としての賃貸マンション建築がブームになっているのだ。賃貸マンションを建築すると相続時の土地・建物の評価額減額されて相続税が安くなる税制を活用したマンション建築がそれであるブームの後押しをしたのが「ゼロ金利政策」で超低利で資金調達できるこの時期に相続対策をしておこうという資産家が現れても不思議はない。しかし住宅数自体は既に過剰時代に突入しているからこうした動向が今後我国の住宅政策過剰な負荷にならないかから案じられる。
 市民の多くが不安な生活状況にある一方で一部の富裕層が恵まれた税制に保護されている。アベノミクスで幸せになった人はどれくらいいるのだろうか。
 
 米ワシントン・ポスト紙15日、オバマ政権が導入の是非を検討している核兵器の先制不使用政策について、安倍晋三首相が「北朝鮮に対する抑止力が弱体化する」として、反対の意向を伝えたと報じた。この件について政府はいまだに何の反応も示していないが、数日前の広島や長崎での「非核の誓い」は一体なんだったのだろう
 
 今年の「五山の送り火」は豪雨のうちに行われた。こんな激しい雨に見舞われた「大文字」は記憶無い。沛然と降るを目にしながら昔の人なら「五山の送り火」の祟りを恐れたことだろう
 
 

2016年8月15日月曜日

終戦の日に

 もし「原爆投下」がアメリカの国家としての明確な意思のないままに、確たる責任者が不在な体制で投下されていたとしたらこんな悲劇的なことはない。しかし『真実』は、アメリカは国家としての『決断』を正統化できないかたちで「原爆投下」したのである。
 
 アメリカの「原爆投下指令書」は1945年7月25日に出されているがハリー・S・トルーマン大統領がこれを承認したという文書は存在していない。ヒロシマに原爆投下されたのは1945年8月6日午前8時30分であるがこのときトルーマンは戦争終結と戦後処理を協議したポツダム会談からの帰途にあって投下は事後承認するしかなかった。
 トルーマンの原爆担当の側近であったヘンリー・スティムソン陸軍長官は8月8日の日記にこう記している。「トルーマンに広島の被害写真を見せた。『こんな破壊行為をなした責任は大統領の私にある』と軍の狙いを見抜けなかった大統領の責任を強く感じていた」。そのトルーマンは8月9日の友人への手紙にこう書いている。「日本の女性や子どもへの慈悲の思いは私にもある」「人々を皆殺しにしてしまったことを後悔している」。そしてトルーマンは8月10日これ以上の原爆投下を中止した。「新たに10万人、特に子どもたちを殺すのは考えただけでも恐ろしい」と激しい後悔を胸に。
 ところが国民への演説でトルーマンはこう訴えかけた。「戦争を早く終らせ多くの米兵の命を救うため原爆投下を決断した」。無辜の市民の上に投下した責任を追及されることを避けるために後づけで考え出された言葉である。軍の最高司令官としての責任を逃れるために作られた「物語」はこうして始まった。後日、広島で設けられた原爆被害者との面会の席でもこんな言葉で語りかけている。「原爆投下の目的は米人と日本人それぞれ50万人の犠牲者を出さずに戦争を終らせるためだった」と。
 
 では何故こんな悲劇が生まれたのか。
 アメリカの原爆開発計画はルーズベルト大統領が「マンハッタン計画」として22億ドルの予算で設立した。アメリカ軍の原爆計画責任者はレスリー・グロビス准将が当たる。ところがルーズベルトは1945年4月12日に脳卒中で急死する。そこで急遽副大統領であったハリー・S・トルーマンが大統領に就任することになった。4月12日のトルーマンの日記に「重大局面での急な大統領就任に重圧を感じる」「戦争について何も知らされていないことを不安に感じると同時に軍が自分をどのように評価するか危惧している」と不安な気持ちを率直に述べている。
 4月25日グロビスは原爆計画をトルーマンに説明する。そのとき「原爆を戦争に勝利するための決定的な兵器と位置づけた」24頁の報告書を提出したがトルーマンはこれを読まなかった。彼はこうした長い報告書の類はいつも避ける傾向にあった。このためトルーマンは原爆の威力や殺傷能力などの詳細を知らないままにこの後大統領職を続けることになる。トルーマンは説明を受けるだけで明確な指示を出さなかったのでグロビスは計画の黙認と理解、計画を続行して進捗状況を後で報告すればよいと判断した。
 グロビスは「目標設定委員会」で最初の1発目は7月中に、次の1発は8月1日に準備するように指示する。更にグロビスはつづけて17発を準備するよう計画している(計画責任者であるグロビスは原爆の威力を誰よりも知っていたはずである。その彼がこんな無謀な計画をしていたことに恐怖を感じずにはいられない)。投下時期については8月が最適と気象担当官が報告、投下場所については「原爆の最大の破壊効果を知るためには、人口が集中し直径が5km以上ある都市で8月までに空襲を受けず破壊されていない都市」が望ましいと物理学者が報告した。
 これに基づき17の都市が候補に上がる。最も最適と考えられていたのは広島と京都であった。広島は「周囲が山に囲まれていて爆風の収束作用が強まり大きな効果が挙げられる」とし、京都は「住民の知的レベルが高いのでこの兵器の意義を正しく認識するだろう」と評価している。
 グロビスは「最初の原爆は破壊効果が隅々まで行き渡る都市に落としたかった」と考え京都駅を中心とした直径5kmの一般市民の住む地域を選定していた。これにより原爆の意義が最大限に証明できると考えていたからである。
 
 トルーマンの側近、スティムソンは6月6日の日記に「気掛かりなのはアメリカがヒトラーをしのぐ残虐行為をしたという汚名を着せられはしないかということだった」と書いている。更に彼は「空襲が無差別攻撃になるのではないかという危惧」も抱いていた。
 ステイムソンとグロビスは投下地域の決定について度々協議している。京都にこだわるグロビスは「京都には軍事施設がある」という報告書を作成しているがそれは京都駅周辺にあった紡績工場を軍事施設と偽ったものであった。京都に一度訪れたことのあったステイムソンはトルーマンとの協議で京都を外すよう進言、トルーマンもこれを了解する。
 
 7月16日ニューメキシコ州で原爆実験が成功する。グロビスは「戦争が終るまでに原爆を使わなければならない」と焦った。22億ドルという巨額な予算を使った計画の責任を追及されることを恐れたのだ。
 「原爆投下計画」が広島を第一目標に選定して進行する。グロビスの計画書は広島を軍事施設や軍の司令部もある「軍事都市」であると意識的に事実を捻じ曲げ市民の犠牲はないと騙すような内容になっている。トルーマン7月25日の日記には「決して女性や子どもをターゲットにした市民の上に投下することのないようにと言った」と記してある。
 投下は原爆投下のために召集された特別チーム、509混成軍団が担当した。広島に投下したレイ・ギャラガーは「司令官に広島の町を徹底的に破壊せよと命じられた」「緊張で食べた食事の味が分からなくなった」と迫ってくる投下の心境を語る。8月6日の投下については「二度と見たくない光景だった」「地上の人々に心を向けることはなかった」と苦しさを述べている。
 
 戦争終結と戦後処理について戦勝国が協議している時期に何故原爆は投下されなければならなかったのか。議会の追及を避けるという「自己保身」のために、子どもや非戦闘員を犠牲にする「兵器の効果を試すために投下された原爆」。それを正当化するための「戦争を終らせるために、これ以上の犠牲者を出さないために」という『物語』。原爆の被害がどれほど残酷なものであるかを正確に認識されないままに原爆が世界に拡散している。
 
 『文民統制』の危うさを思い知らされた。「大統領は作戦を止められなかった。一旦始めた計画を止められるわけがない」というグロビスの言葉は「悪魔の囁き」だ。
 アメリカの蛮行は決して赦されるものではない。しかしこのような極秘文書が国家の仕組みとして保管されていること、そしてその文書を第三国に当然として「公開」する『透明性』。民主主義国家アメリカが蒙昧な「ポピュリズム国家」に成り下がらないことを切に祈る。
この稿は8月6日に放映された「NHKスペッシャル『決断なき原爆投下―大統領71年目の真実』に基づいています

2016年8月8日月曜日

そら知らなんだ

 長年知らないままに放って置いた身近な疑問が最近になってあっけないほど簡単に分かってきた。知っていて損はないから二三お披露目しよう。
 
 龍が想像の産物であることは知っていたが「顔はラクダ、角はシカ、掌はトラ、胴体はワニもしくはヘビ」であるとは知らなんだ。
 注連縄(しめなわ)が「二匹の蛇が交尾している様子を表したもの」であるとはこれも知らなんだ。蛇は交尾の時十五、六時間も絡まりあっているらしい。その激しい性のエネルギーが多産につながり豊穣のシンボルになった。ちなみに綱にぶら下がっているカミナリのような紙は「紙垂(しで)」といい、落雷があると豊作になることから注連縄との相乗で五穀豊穣の願いとなった。
 動物つながりで長年疑問だったのが「プレイボーイ誌」のシンボルマークの「うさぎ」だ。日本人の感覚からすると可愛くて可憐なイメージなのに何故「成人向け娯楽雑誌」に使われているのか。ウサギは年に3、4回繁殖することからアメリカ人にとっては「エッチな動物」とみられているらしい。そこからエッチな雑誌のシンボル・キャラクターになったのだ。
 では、お色気映画はなぜ「ブルーフィルム」というのか。我々日本人なら「桃色」とか「ピンク」が性的なイメージにつながるのだが、アメリカでは「ブルー(青色)」がそれに当るらしい。そこでエッチな映画イコール「ブルーフィルム」となるわけである。
 
 このように答えがはっきりあるものは本を読んだり昨今ならウィキペデイアで調べればいいのだが、答えや内容が曖昧なままに流通しているものには始末の悪いものもある。なかでも『中国の脅威』は極めて始末が悪い。
 
 安倍政権が今回の参議院選挙で大勝したがその勝因は『中国の脅威』以外に見当たらない。世論調査の多くに「他の政権よりましだ」とか「安倍さんの人柄」「清潔さ」などというどうにでもとれる感覚的心情的判断要素が含まれているがそれらを除けば「アベノミクス」と「中国の脅威への国の対応」以外に評点が見当たらない。そのうち「アベノミクス」は安倍政権の成果の強弁にもかかわらず数字が厳然と失敗を表している。賃金は上がっていないし雇用は「非正規雇用」の増加でカモフラージュされているが実態は極めて劣悪である。円安株高のメッキはとうに剥がれているし格差の拡大は深刻な状況に至っている。これではアベノミクスは完全に失敗と言わざるを得ない。
 では『中国の脅威』に備えて安保法制を変革したことは国民にとっていいことだったのだろうか。中国韓国の対日姿勢に軟化が見られるとしてその成果を評価する向きもあるが、では「バングラデシュ・テロ」で日本人が7人も死亡したことをどう見るのか。一連の安保法制変更以前はアジア・アフリカ諸国の対日感情は極めて良好だった。テロ組織の標的からも日本人は外されていたといわれている。国民の安全を守るという建て前で行われた一連の安保法制変更がこれでは全く逆の結果を招いているのではないか。
 その辺の評価は立場によって様々であるから深くは追求しないが再考の余地はある。ここで考えてみたいのは『中国の脅威』とは何かということである。
 
 中国外交の本音は台湾の回復と海洋進出だろう。台湾問題は双方の複雑な歴史的背景があるから短時日には決着は見られないだろうしここで問題にしている「中国の脅威」とは直接にはつながらない。しかし南沙諸島の人工島建設にまつわる「中国の赤い舌」問題は我国や台湾、東南アジア諸国に囲まれた中国の海底資源や漁業資源などの経済的利益と国防上の必要性から中国にとってはどうしても譲れない死活問題なのだ。勿論経済的排他水域などの海洋法に基づく権利関係は中国に不利な法体系(中国の納得していない)になっているが、しかし国際関係が純粋な法律論だけで片付くほど単純でないし、かといって現代社会において戦力の強弱で力づくの解決が図れるはずもない。となれば関係諸国の気長な交渉と国連などの調整に委ねるほかあるまい。いずれにしても中国が武力で以て沖縄を侵略することなど考えられないし南沙諸島に関連して当事国を攻撃する可能性も考え難い。
 では「中国の脅威」とは何か。正体不明というのが本当だろう。何となく有りそうな「国際紛争」的可能性の総体としての『不安』とでもいうべきか。しかしもしこの可能性を中国が実行した場合に国際社会が下す経済制裁を考えれば輸出主導で発展している中国経済は死に瀕することは間違いない。格差が拡大して国民の不満が充満している中国が国民のガス抜き以上の危険な賭けに出るなどということはとても考えられない。
 結局米ソの東西対立が消滅した後の流動化した「Gゼロ」世界で仮想敵国があった方が国内統治がし易いと考える勢力と仮想敵国があった方が得をする勢力が描いた「共同幻想」が『中国の脅威』と考えるのが妥当なのではないか。で、「中国の脅威」で得をするのは誰か。それは中国の軍需産業であり日米の軍産複合体も同様かも知れない。
 
 注連縄の意味が分かったこれからは神社にお参りするときどんな顔をして鳥居を潜ろうか。
「中国脅威論」の項は毎日新聞28.7.31掲載の『時代の風』藻谷浩介氏の記事を参考にしています)

2016年8月1日月曜日

まちの健康院

 「年寄りの達者 春の雪」というとことわざがある。年をとってからの健康は春の淡雪のようにすぐ消えてゆくということであろうか。それだから大事にしなさいよ、という戒めも感じる。実際年を食ってみないと分からないが、人間75歳にもなると「完全な健康」とは程遠い身体状態になってしまう。よく眠れなかった、足がだるい、すぐ息切れがする、病気でもないのに目まいがする、疲れやすいなどなど数え上げればきりがない。福沢諭吉はこれを『帯患健康』といっている。しかし自分の体との付き合いも長いから、こんな場合は酒をちょっと控えた方がいいとか、毎朝の歩きを少々増やしてみようかなどと「対処法」も身についてくる。だから大概の場合はなんとか切り抜けてきたのだが、どうにもスッキリしないことが年とともに増えてくる。でも医者にかかるほどでもない、いや病院へいってコレコレの病気ですと烙印を押されるのが億劫だという向きもある。また宣告された病気に納得がいかないことや、いやそれだけじゃないでしょう、ほかにも何かあるんじゃないですかと疑問を感じるときもある。とにかく簡単に『病名』がつけられるほど年寄りの体は単純ではないし「鋭敏」でもない。なにしろ75年も使っているのだから『経年劣化』も進んでいる。かと言って「齢のせいです」で片付けられるのも癪にさわるし、というのが正直な気持ちなのだ。
 
 先日理容院の女性が「どこが痛いのしんどいのというから病院へ行ったらええやん」というと「病院行っても治らへん」と頑固なんですよ、とお母さんの愚痴を言っていたがそれでいいのだと思う。聞けば5年間も認知症の連れ合いの世話をして3年前に亡くして、88歳になった今も矍鑠としておられるという。愚痴を聞いてくれる子供がいて、構ってくれるのをいいことに逆らって「勝手にしたらええやん」と怒る姿に安心して、それで自分なりに対処法を試みて元気に暮らしている。いうなれば「生きる達人」になっているのだ、お母さんは。
 年をとって体に一番悪いのは『ストレス』である。いかにストレスをためないかが健康の第一条件である。加えて体の状態に臆病になること、これが肝腎である。口では偉ソウなことは言っても健康な年寄りは大概身体には注意深く配慮しているものでおかしいと感じたら自分なりに対応するか病院へ行く(男性は臆病だからしばしば病院へ行く傾向にある)。ストレス無用な振る舞いが「頑固」と見られるのだろうし「勝手気まま」と詰(なじ)られもする。昔はよく「勝手ツンボ」などと云ったものだが最近は聞かなくなった、多分差別用語なのだろうが、イヤなことは聞かなかったことにするのがストレスをためない秘訣なのだろう。
 私は電灯の消し忘れがよくあった。言い訳をすればいろいろ理由があるのだが「また付けたらええやん」と斬り捨てられる。そんな繰り返しが「強迫観念」になって何時からか妻や娘の付けたデンキなのに自分が消し忘れたと勘違いして消してしまうようになった。「付けてるのん!いらんデンキは消さんと!」。こんなことが何回も重なった。ひとから「強迫観念」が認知症のきっかけになると聞いていたので妻と娘にそのことを言った。理解してくれた。ストレスの元は思わぬところに潜んでいる。
 
 神奈川県が健康で長生きを目標に『未病』対策をすすめている。健康と病気の中間の状態を未病というのだが、例えば病気でもないのに目まいがしたり息切れ、疲れやすいという症状は「貧血」のせいでヘモグロビンが減少して脳や心臓、全身の筋肉に酸素が行き渡らなくなって引き起こされる「未病」の症状だ。予防医学協会の協力を得て「未病センター」を県内に10ヶ所整備して①バランスの良い食事②日常の運動・スポーツ③社会参加と交流を3つの柱に活動している。健康状態の「見える化」で本人の自覚を高めようと、血圧、体脂肪、脳の認知機能などの測定器を設置している。また腕時計型の計測器を利用して脈拍数と身体の動き、睡眠時間などを連続で記録して健康状態を数値化する試みもしている。計測された結果に基づいて、食事メニューを見直す、飲酒量を減らす、歩く時間を延ばすなどして改善の効果も確認できているという。生活習慣の乱れを察知して適切に改善することが未病対策の基本だと専門家は強調する。
 
 私の「未病対策」はまちの鍼灸整骨院のマッサージだ。吉本隆明がいうように年寄りの病は整形と精神科で大概は用が足る。精神科はストレス対策で未病の兆候はえてしてコリや痛みというかたちで表れるからマッサージが有効になる。他人にからだをさわってもらうだけで心が安らぐことがあるからそうしたケアを提案している治療法もある。コリや痛みや違和感を覚えたときにマッサージで緩和する、それらが蓄積して未病からほんものの病気に進行するのを未然に防ぐというわけだ。そしてマッサージ師さんに相談して再発に備えたストレッチや体操を指導してもらって毎朝のトレーニングに取り入れる。そんな生活をここ数年つづけて健康体を維持している。彼らは東洋医学に精通しているから西洋医学とは異なった視点から説得力ある診断と治療を施してくれる。病気になる前の半健康体を診断・治療してくれる『まちの健康院(病院ではない)』として鍼灸整骨院を利用している。
 
 (西洋医学は)終末の神の国において生きつづける直線的な不死の思想を生んだ。しかし我々は「草木国土悉皆成仏」という法華経の教えを生活に取り入れ、死は新たな生命を輝かせるために必要なものであり、死は新たな生命を生み出すための喜びなのであると教えられた(安田喜憲著『環境文明論』を参考にしています)。
 帯患健康を維持しながら長寿の喜びを享受し、死を遠ざけるのではなく生の延長として死を受け容れる覚悟を育む。そうした生き方をしない限り、何千万円という高額な医療費をかけて衰えきった生命をたとえ3年間永らえても、QOL(クオリティ・オブ・ライフ生活の質)が劣化したままでは真実の幸せとはいえないのではないか。
 
 死をどのように受け容れられるか。長寿の宿題である。