2016年8月15日月曜日

終戦の日に

 もし「原爆投下」がアメリカの国家としての明確な意思のないままに、確たる責任者が不在な体制で投下されていたとしたらこんな悲劇的なことはない。しかし『真実』は、アメリカは国家としての『決断』を正統化できないかたちで「原爆投下」したのである。
 
 アメリカの「原爆投下指令書」は1945年7月25日に出されているがハリー・S・トルーマン大統領がこれを承認したという文書は存在していない。ヒロシマに原爆投下されたのは1945年8月6日午前8時30分であるがこのときトルーマンは戦争終結と戦後処理を協議したポツダム会談からの帰途にあって投下は事後承認するしかなかった。
 トルーマンの原爆担当の側近であったヘンリー・スティムソン陸軍長官は8月8日の日記にこう記している。「トルーマンに広島の被害写真を見せた。『こんな破壊行為をなした責任は大統領の私にある』と軍の狙いを見抜けなかった大統領の責任を強く感じていた」。そのトルーマンは8月9日の友人への手紙にこう書いている。「日本の女性や子どもへの慈悲の思いは私にもある」「人々を皆殺しにしてしまったことを後悔している」。そしてトルーマンは8月10日これ以上の原爆投下を中止した。「新たに10万人、特に子どもたちを殺すのは考えただけでも恐ろしい」と激しい後悔を胸に。
 ところが国民への演説でトルーマンはこう訴えかけた。「戦争を早く終らせ多くの米兵の命を救うため原爆投下を決断した」。無辜の市民の上に投下した責任を追及されることを避けるために後づけで考え出された言葉である。軍の最高司令官としての責任を逃れるために作られた「物語」はこうして始まった。後日、広島で設けられた原爆被害者との面会の席でもこんな言葉で語りかけている。「原爆投下の目的は米人と日本人それぞれ50万人の犠牲者を出さずに戦争を終らせるためだった」と。
 
 では何故こんな悲劇が生まれたのか。
 アメリカの原爆開発計画はルーズベルト大統領が「マンハッタン計画」として22億ドルの予算で設立した。アメリカ軍の原爆計画責任者はレスリー・グロビス准将が当たる。ところがルーズベルトは1945年4月12日に脳卒中で急死する。そこで急遽副大統領であったハリー・S・トルーマンが大統領に就任することになった。4月12日のトルーマンの日記に「重大局面での急な大統領就任に重圧を感じる」「戦争について何も知らされていないことを不安に感じると同時に軍が自分をどのように評価するか危惧している」と不安な気持ちを率直に述べている。
 4月25日グロビスは原爆計画をトルーマンに説明する。そのとき「原爆を戦争に勝利するための決定的な兵器と位置づけた」24頁の報告書を提出したがトルーマンはこれを読まなかった。彼はこうした長い報告書の類はいつも避ける傾向にあった。このためトルーマンは原爆の威力や殺傷能力などの詳細を知らないままにこの後大統領職を続けることになる。トルーマンは説明を受けるだけで明確な指示を出さなかったのでグロビスは計画の黙認と理解、計画を続行して進捗状況を後で報告すればよいと判断した。
 グロビスは「目標設定委員会」で最初の1発目は7月中に、次の1発は8月1日に準備するように指示する。更にグロビスはつづけて17発を準備するよう計画している(計画責任者であるグロビスは原爆の威力を誰よりも知っていたはずである。その彼がこんな無謀な計画をしていたことに恐怖を感じずにはいられない)。投下時期については8月が最適と気象担当官が報告、投下場所については「原爆の最大の破壊効果を知るためには、人口が集中し直径が5km以上ある都市で8月までに空襲を受けず破壊されていない都市」が望ましいと物理学者が報告した。
 これに基づき17の都市が候補に上がる。最も最適と考えられていたのは広島と京都であった。広島は「周囲が山に囲まれていて爆風の収束作用が強まり大きな効果が挙げられる」とし、京都は「住民の知的レベルが高いのでこの兵器の意義を正しく認識するだろう」と評価している。
 グロビスは「最初の原爆は破壊効果が隅々まで行き渡る都市に落としたかった」と考え京都駅を中心とした直径5kmの一般市民の住む地域を選定していた。これにより原爆の意義が最大限に証明できると考えていたからである。
 
 トルーマンの側近、スティムソンは6月6日の日記に「気掛かりなのはアメリカがヒトラーをしのぐ残虐行為をしたという汚名を着せられはしないかということだった」と書いている。更に彼は「空襲が無差別攻撃になるのではないかという危惧」も抱いていた。
 ステイムソンとグロビスは投下地域の決定について度々協議している。京都にこだわるグロビスは「京都には軍事施設がある」という報告書を作成しているがそれは京都駅周辺にあった紡績工場を軍事施設と偽ったものであった。京都に一度訪れたことのあったステイムソンはトルーマンとの協議で京都を外すよう進言、トルーマンもこれを了解する。
 
 7月16日ニューメキシコ州で原爆実験が成功する。グロビスは「戦争が終るまでに原爆を使わなければならない」と焦った。22億ドルという巨額な予算を使った計画の責任を追及されることを恐れたのだ。
 「原爆投下計画」が広島を第一目標に選定して進行する。グロビスの計画書は広島を軍事施設や軍の司令部もある「軍事都市」であると意識的に事実を捻じ曲げ市民の犠牲はないと騙すような内容になっている。トルーマン7月25日の日記には「決して女性や子どもをターゲットにした市民の上に投下することのないようにと言った」と記してある。
 投下は原爆投下のために召集された特別チーム、509混成軍団が担当した。広島に投下したレイ・ギャラガーは「司令官に広島の町を徹底的に破壊せよと命じられた」「緊張で食べた食事の味が分からなくなった」と迫ってくる投下の心境を語る。8月6日の投下については「二度と見たくない光景だった」「地上の人々に心を向けることはなかった」と苦しさを述べている。
 
 戦争終結と戦後処理について戦勝国が協議している時期に何故原爆は投下されなければならなかったのか。議会の追及を避けるという「自己保身」のために、子どもや非戦闘員を犠牲にする「兵器の効果を試すために投下された原爆」。それを正当化するための「戦争を終らせるために、これ以上の犠牲者を出さないために」という『物語』。原爆の被害がどれほど残酷なものであるかを正確に認識されないままに原爆が世界に拡散している。
 
 『文民統制』の危うさを思い知らされた。「大統領は作戦を止められなかった。一旦始めた計画を止められるわけがない」というグロビスの言葉は「悪魔の囁き」だ。
 アメリカの蛮行は決して赦されるものではない。しかしこのような極秘文書が国家の仕組みとして保管されていること、そしてその文書を第三国に当然として「公開」する『透明性』。民主主義国家アメリカが蒙昧な「ポピュリズム国家」に成り下がらないことを切に祈る。
この稿は8月6日に放映された「NHKスペッシャル『決断なき原爆投下―大統領71年目の真実』に基づいています

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