2022年4月25日月曜日

ちむどんどん

  NHKの朝ドラ「ちむどんどん」がはじまりました。沖縄料理に夢を賭ける女性を主人公にしたドラマで題名になっている沖縄方言の「ちむどんどん」は「胸がわくわくする気持ち」を表している言葉だそうです。

 第4回に比嘉家で飼われていた豚のアババが食事に供される場面があり心打たれました。自分たちが愛情込めて飼育していたアババが知らないうちに「つぶされて(殺されて)」いたことにショックを受ける主人公たちに幼いころの自分が重なったのです。終戦直後は厳しい食糧不足でしたからタンパク質不足を補うために多くの家庭で家畜を飼っていました。我が家にはブルマウス種の鶏と兎がいました。鶏は産卵主体の白色レグホーンが主流で肉鶏のブルマウスは町内ではうちだけだったように思います。レグホーンが全身白色でスマートなのに比べてブルマウスは黒灰色に白い斑点のある羽色とムックリと寸詰まりの体形に愛嬌があって可愛くて仕方ありませんでした。ある晩の食卓に鳥料理がのりました。にく料理は珍しかったので喜んで食べましたが肉はちょっと硬かったのであまりおいしくなかったのを覚えています。翌朝鶏小屋へ行くとブルマウスがいません。どうなったのか大人たちに聞いてもはっきりしません。時間が迫っていたのでソコソコにして学校へ行きましたが鶏のことが気にかかって満足に先生の話は耳に届きませんでした。走って帰って庭中を探し回りましたが見つかりません。どこいったんやと泣いているとイナダのおばちゃんが来て「あんたに滋養つけさそうと思うておとうちゃんが昨日つぶさはったんよ」と教えてくれたのです。病弱でガリガリに痩せていた私は食糧事情の悪い中でもできる限りいいものを与えられていましたが肉だけはめったに手に入れることができなかったのです。事情が分かっても納得がいかず父を恨みました。肉が硬かったことが妙に心を刺しました。

 ウサギにはこんな思い出があります。ウサギは出産のとき暗闇にしてやらねばなりません。親兎が安心して出産するために他の獣の目を避けるためです。おとなたちにそう教えられていたのですがどうしても赤ちゃん兎が見たくて被ってあった布カバーを持ち上げて中を覗き込んでしまったのです。すると親兎があかちゃん兎をガブリと噛んで殺したのです。一瞬のことでした。あまりのことに度肝を抜かれた私は大声をあげて泣き喚きました。このショックはその後もしばらく消えず私を苦しめました。

 食物に関してはこんな思い出もあります。戦争中はどこの家でも庭や空き地で野菜を植えて僅かな収穫で飢えをしのいでいました。我が家は鉄工所でしたのでやや広い空き地があって芋を栽培しました。ところが鉄の削り屑や錆び粉が混じっているので地味が痩せていて生育が悪く「水いも」しかできないのです。食糧難でしたから勿論食べましたがやせて水っぽいお芋さんはとてもまずいものでした。今のホクホクした甘味たっぷりのとはまったく別のものです。今でも私が芋嫌いなのはその思い出を引きずっているからです。

 

 小学校4、5年ころ――1950年代はじめ我が家に「電気洗濯機」がきました。東芝の攪拌式で手回しの絞り機付きでした。新しもの好きの父が母のために買ってあげたのです。祖父と父と職人さんの内3、4人が住み込みでいましたから家族分も合わせると洗濯物は相当量あり洗濯板でゴシゴシやっている母を可哀そうに思ったのでしょう。もちろん地域で初めてでしたから近所の方たちが見学に来てしばらくは母も誇らしかったにちがいありません。ところがこれが嫁姑の諍いのもとになるのです。発売したばかりの商品で相当高額だったのでしょう、会社の経理をやっていた叔母から購入価格が祖母の耳に入りあまりの高価さに「贅沢過ぎる」と父を叱っただけでは収まらず母に嫌味タラタラで八つ当たりしたのです。母も「私はねだっていません」と意地を張ったものですから我が家はしばらく険悪な空気の日がつづきました。

 趣味人で道具に凝る方だった父は戦前から写真道楽で暗室までもっていましたし大型の舶来の電蓄を備えてクラシックのアルバム――CDどころかLPレコードもない時代ですから30分40分の交響曲は4枚組のアルバムになるのです――で洋楽を楽しんでいました。この電蓄は終戦直後から始まった町内会の盆踊りで大音量を響かせ活躍したものです。

 

 鉄工所の戦後すぐのヒット商品は「ナンバ粉のパン焼き器」です。米も小麦粉もないころでしたがナンバ――南蛮黍粉は割りと手易く手に入りダンゴなどにして食用にしていましたがパサパサしてあまりおいしいものではありませんでした。そこでパンにして食べるとこれがソコソコいけると分かってアルミ製のパン焼き器を考案したのです。アルミ鍋の真ん中に口広の徳利状の水入れがあってここから水蒸気を吐き出してパン状にするものですがこれが売れたのです。電熱器も売れました。粗いセラミックの発電盤にニクロム線を巻いて発電する原始的なものでしたが機能的には十分でした。

 

 昭和25、6年ころから本業の「力織機」に経営資源を注力して西陣織の復興発展に少なからぬ貢献をしました。歯車を「鉄製」にしたこと、ジャガード(紋様をパンチカードで自動入力する機械)を織機に組み合わせた斬新性が日本初ということで「市村式力織機」は一世を風靡するのです。お陰で家業は隆盛を極め力織機では日本で三本の指に入るほどの成長を遂げたのです。

 ところが1971年「日米繊維問題の政府間協定の了解覚書」が仮調印されます。これは「貿易摩擦」――高度成長を遂げた日本経済が脅威となってアメリカ経済を圧迫するようになります――の繊維産業に関する解決案となる覚書です。最初にやり玉にあがった摩擦が繊維製品で、もめにもめた末にわが国の「自主規制」という形で決着を見たのです。その際規制によって生ずる余剰生産力分の繊維機械(織機など)を「買い上げる」ことになり、それに相当する約2千億円分の機械が「打ち壊し」されることになるのです。

 競争力の衰えたアメリカの繊維産業を護るために何故日本の繊維機械が破壊されなければならないのか。テレビに映し出される破壊の様子は無残そのものでした。

 

 今ウクライナの人たちは「プーチンの殺戮と破壊の暴虐」を受けています。まったく『理不尽』です。しかし国家というものは時に理不尽な『暴力』を振るう存在であることを知るべきで、それは『外』だけでなく『内』に向かうこともあるのです。中国の民族弾圧は内に向いたものですし、日米繊維交渉の「繊維機械打ち壊し」も形を変えた国家による『暴力』以外の何物でもありません。

 

 『ちむどんどん』は今後どんな展開をするのでしょうか。「本土復帰50年」は今でも「ちむどんどん」なのでしょうか。

2022年4月18日月曜日

成長しないのは競争がないからです

  グローバル競争に勝つため「競争」を盛んにする――小泉さんと安倍さんが新自由主義を導入したときの謳い文句です。新自由主義の根本理念を『競争』と考えて現在の日本を検証してみようと思います。

 

 まず政治ですがこれはまったくの「無競争」です。安倍一強といわれたように2009年から2012年の民主党政権を除いて自民党の一党独裁がつづいています。二大政党制を前提に小選挙区比例代表並立制が1996年以降わが国の選挙制度となっていますがこれは今や時代遅れになっています。冷戦期のように、あるいはそれ以前の権力と反権力が際立って権力闘争した時代なら有効な制度だったでしょうが、冷戦後の21世紀は価値観が多様化して二大政党ではそれをくみ上げることが不可能になって政治状況は混乱しています。長らくこの制度で安定した統治を維持してきた英国や米国でも破綻に瀕しているのですから早急に制度改革する必要があります。そして立憲民主党はリベラル――反権力の批判政党としての旗色を鮮明にして「3割政党」に徹すれば党勢回復できるでしょうが今のままなら野党多党化の潮流に埋没してしまうにちがいありません。なぜならいつの時代にも3割の批判勢力は存在するもので、しかしその勢力は3割以上になることはほとんど望み薄です。しかしその3割を固めれば政権奪取も不可能ではありません。なぜなら自民党だって国民の「25%」の支持しか得ていないのですから。

 政治の無競争は政権党依存を常態化し保守化(既得権の固定化)しますから成長にいい影響があるとはいえません。

 

 次に企業ですが、まず「労使関係」から見れば明らかに「無競争」です。現在の資本主義は「経営者資本主義」です。資本から経営を全権委託された経営者が統治しています。1950年前後には60%近い組織率のあった労働組合は今や17%弱にまで組織率を落としています(組合員数は1千万人に過ぎません)。20世紀までは「労使の緊張関係」が保持されていましたから「春闘」も機能し経営者と労働者(組合)は競争関係にありました。しかし21世紀に入ってから労働は弱体化、経営者の独走がつづいています。今経営者は「もの言う株主」に向き合って経営しています。労働者に向き合っている時は雇用の長期安定が求められましたから「長期投資」へ向かざるを得ませんでした。短期収益を求めるもの言う株主志向のもとでは投資も短期志向になりやすく「成長」には決して良い影響は与えないと言えます。

 その投資資金ですが、優良な大企業は無借金経営が普通になって自己資金で投資を賄うことが多くなってきました。これは経済のグローバル化に備え「国際競争力」を高めるという名目のもと実施された「法人税減税」と「労働分配率の低下」のお陰で「内部留保」が大幅に増加した結果です。法人税率は1980年代中ごろの43.3%を頂点に現在は23.3%と約半減しました。もし政府の目論見通り投資と賃金アップによって競争力が向上していたら企業の収益は向上し国の成長力も増しているはずですがそうはなっていません。株主還元と内部留保拡大に留まっている結果から見れば「競争力」は向上しなかったことになります。

 さらに投資に関していえば銀行借入が減少したことと借入金利が極端に低下したことで銀行との「緊張関係」が緩んで「競争」状況が低下しました。銀行の審査をクリアするためには市場の長期的見通しと借入利率に見合う確かな投資収益力で合意することが必要でした。貸出金利の基準(日銀長・短期プライムレート)は1990年8.25%から2021年1.475%まで低下しています。企業貸出金利はこれに各銀行の営業利率が加えられますからこれより何パーセントか高くなるのですがそれにしてもこの7%近い金利の低下はそれだけ成長率が低下したとみても間違っていないでしょう。当然のことながら企業の銀行に対する緊張感――利率に見合う投資収益の獲得という責任感――も低下しているわけで企業と銀行の「競争」関係は著しい劣化を来していると言えます。

 銀行の競争力はゼロ金利によって劣化したことは明らかです。これには多言を要さないでしょう。しかし金融は経済社会の血液です。金融の「不活性化」は日本経済に多大な悪影響を与えているにちがいなくある意味で「ゼロ金利政策」が「ゼロ成長」の最大の元凶といえるかもしれません。

 

 労働者――社員の競争状況は高まったでしょうか。非正規雇用率は1995年20%強から2020年40%弱と倍増しました。派遣やパートの非正規にまかされる仕事は定型の繰り返し仕事だと仮定すると「競争的仕事」が約2割減ったとみるができます。成果主義などの業績反映制度を採用した企業が多いといわれていますが果たしてそれが競争力アップにつながっているかについては懐疑的な見方をする人も少なくないのが実情です。問題なのはたとえばバス会社が本業の運転業務に、郵政が本業の配達業務をアルバイト化するなど本業の非正規化が目立つことです。一つの見方として本業の繰り返し・定型業務の中に成長の芽がひそんでいることもあると考えると「競争的業務」の範囲の狭まりは結果的に社員の競争力劣化を招いている可能性も考えられます。

 官僚も同じ労働者ですがこの分野は「内閣人事局」の設置で明らかに「劣化」しました。官僚同士の切磋琢磨があって競争が激しかった上級官僚が政権の顔色を窺うようになって政権幹部の意向に沿った政策に偏る傾向がみられ官僚の政策立案能力は劣化したとみることができますから、官僚の競争力は相当弱まったといえるでしょう。コロナ行政で後追いが多かったのはその証明のひとつです。

 

 子どもの学力はどうでしょうか。高校進学率は2010年には95%を超え大学進学率も1960年代の10%未満から2010年には50%を超え今後は生徒数の減少もあって全入時代になる見通しです。大学入試制度が2022年センター試験から共通テストに変更されましたが「偏差値」重視に変りありません。共通テストで高得点を獲得するためには「入試専門技術」を獲得することが必要でそのためには小学校から塾・予備校や家庭教師の訓練を受けることが必須になっています。これには高額の教育資金が必要で結局子どもの学力(大学入試に必要な)は親の「経済力」に左右されることになります。明らかに自由な競争から遠ざかっています。進学コースが単線型であることも考えると子どもの学力は危険な状況に陥っています。

 学問の自由はどうでしょうか。一昨年学術会議会員任命に総理大臣が拒否権を用いたように学問の自由は行政にいちじるしく侵犯されています。国立大学の運営費交付金の減額や競争的研究費配分問題など文科省など行政の関与は増すばかりで学問の自由度は年々低下の一方です。日本の教育への公的支出はOECD34ヶ国中最低ですし日本の教育力劣化は悲劇的状況にあります。

 

 「都市と地方」も健全な競争があってこそ均衡ある国家の発展があるのですが地方は疲弊する一方で「地方創生」という政治の掛け声は虚しく響くばかりです。

 

 最後に国の統治システムについて考えてみますと「三権分立」のうち『行政の暴走』が顕著です。三権のバランスが崩れると統治の安定性が損なわれますから今の均衡を欠いた状態は非常に危険な状況と言わざるをえません。

 

 「新自由主義」が標榜する「競争による成長力の向上」という理念がこの30年にどれほど実現されたかについてざっと点検してみましたが、明らかにバブル以前より「競争力」は劣化しています。 

 「失われた30年」。わが国から競争が無くなった――これが成長できなくなった原因です。

 

 

 

 

 

 

2022年4月11日月曜日

日本型は間違っていたのか

  日本人はどうして自国のことを冷静に判断しないのか、最近つくづくそう思うのです。「自主憲法」を制定しようとか独立国にふさわしい軍備を装備しようとか、勇ましいことを強面で発言するひとが、アメリカの軍事基地(専用)が国土に十箇所以上もあることに屈辱を感じないし、盛んに批判されてきた「日米地位協定」の不平等に関しても正面切ってアメリカに文句も言えないのはどうしたことでしょうか。大体首都の上空を自国の航空機が自由に飛ぶことさえできないでいることにどうして我慢できるのでしょうか。

 

 なぜこうも自信がないのかといえば、わが国の実力を冷静に判断していないからです。ひとつ例をあげれば人口1億人以上の大国で1人当りGDPが2万ドル以上の国(富裕国の基準)はアメリカと日本だけだということさえ自覚できていなのです。現在(2020年)世界には人口1億人以上の国が14ヶ国(約9800万人のベトナムを加えれば15ヶ国)ありますが2万ドル以上の国は日米2ケ国だけです(アメリカ6万3358ドル人口3億3千万人、日本4万89ドル人人口1億2600万人)。3位が中国(人口1位約14億4000万人)の1万511ドル、4位がロシア(9位約1億6000万人)の1万115ドルですからいかにわが国がスゴイかが分かるでしょう。人口の多い順に富裕国をみていくとドイツ4万6216ドル(人口約8400万人)、イギリス4万394ドル(約6500万人)、フランス4万299ドル(約6500万人)、カナダ4万3295ドル(約3800万人)、韓国3万1638ドル(約5100万人)になっています。

 人口が多くなればなるほど統治システムがすぐれていて経済的活力が旺盛でないと国民を豊かにすることは困難になりますからアアメリカがズバ抜けていることに納得がいきますが、壊滅的な戦争からわずか70年でここまで豊かになったわが国も優秀であることに疑いをはさむ余地はありません。ドイツがわが国の約3分の2くらいの人口でほぼ同じ豊かさですから甲乙つけがたい、イギリスは人口が約半分で統治が容易ですからわが国は頑張っていると誇っていいのではないでしょうか、なにしろ相手は資本主義発祥の国なのですから。

 要するにG7といわれる先進国クラブのなかでもわが国は抜きんでて優秀な国と威張ってもいい国だということなのです。

 

 14億人の中国、13億8千万人で2020年代後半には中国を超えるだろうと言われているインドは統治システムの構築が途方もなく困難だということは両国の為政者は分かり過ぎるほど分かっているでしょう。そもそも10億人を超える国民国家などというものが存在し得るものかという根本的な問題さえあります。中国が新疆ウイグル、チベット、内蒙古問題や香港、台湾など民族に関わる問題に苦慮しているのは当然のことで、国民の豊かさや民族融和という視点からは幾つかの国家に分離するかゆるやかな共和制を指向した方が良いということは彼ら自身がよく分かっているはずです。インドは中国よりもっと複雑でこの国がこれからどんな方向に進んでいくのか想像もできません。インドネシア、パキスタン、バングラデシュ、フィリピン、ベトナムと人口大国のひしめくアジアが今後どのような方向に進むのか、進めるのか、世界の安定と平和にとって重要な問題です。さらに人口爆発に迫られているアフリカはもっと困難な状況にあります。

 

 このように好むと好まざるとにかかわらず21世紀はアジアとアフリカの時代です。おおざっぱにいえばどの国も政治的経済的に後発の国々ですしアメリカ、ヨーロッパとは異なった歴史をもっています。地理的に近く歴史的にも関係のふかいわが国こそこれらの国のリーダーシップをとるにふさわしい国なのではないでしょうか。彼らもまたアメリカやヨーロッパよりもわが国に親しみをもっているはずです。そのわが国がいつまでもアメリカの尻にくっついて、アメリカのご機嫌をうかがっているばかりでいいのでしょうか。機能不全に陥っている「戦後体制」――国連やIMFや世界銀行などのシステムを改革していく先頭に立たなければならないのではないでしょうか。そのためには小さな国、弱い国、貧しい国の立場に立つことが必要です。アジアで唯一の先進国クラブの一員という地位に安住していてはいけないのです。

 

 さて、ではそこで、なぜわが国はそんな「豊かな国」になることができたのでしょうか?そして、なぜ今、豊かな国でなくなりつつあるのでしょうか?

 これについては「失われた20年」とか30年といわれて専門家があれこれ分析していますが結論はでていません。はっきりしていることは、高度成長を謳われ年率10%(1966年~70年)という驚異の成長を遂げた後も4%から5%近い成長を続けた日本経済が1990年代に入って「バブル崩壊」したあと「ゼロ成長」におちいってそこから抜け出せずにいるということです。ではバブル崩壊を挟んで何が変わったのでしょうか。

 

 バブル崩壊で積み上がった不良債権処理という使命を課せられた小泉政権(2001年4月~2006年9月)は当時世界的潮流となっていたサッチャーとレーガンの「新自由主義」に活路を求めました。構造改革、規制緩和、民営化に象徴される新自由主義はそれまでの「日本型経営――終身雇用と生涯賃金」を徹底的に否定し「競争社会」に日本を改造することを目ざしました。バブル崩壊とともにはじまった「デフレ」と2008年のリーマンショックは日本経済に壊滅的な傷を負わせ、ついに安倍首相の信認篤い黒田日銀総裁による前例のない「異次元の量的・質的金融緩和」を行なわせたのです。

 

 バブル崩壊から30年経って「日本型経営システム」は完全に崩壊し「非正規雇用」が全労働者の4割を超えました。あらゆる分野で民営化が進められ「ゼロ金利」がつづいています。この間「1人当りGDP」は4万4210ドル(1995年、世界の2位)から4万89ドル(2020年、24位)に減少、サラリーマンの所得はほとんど上がっていませんが「格差」は拡大しました。

 

 「日本型経営システム」は「新自由主義」よりも劣っていたのでしょうか。

 

 

 

 

 

2022年4月4日月曜日

BRICs(ブリックス)は今

  BRICsがはなばなしくマスコミを賑わしたのはもう20年も前のことです。B(ブラジル)R(ロシア)I(インド)C(チャイナ―中国)――のちにS(南アフリカ)を加えた5ヶ国でBRICSとなりました――の4ヶ国を新興経済国として21世紀の世界経済を牽引すると予想したゴールドマン・サックス社2003年のレポートは、2050年にはBRICsがGDP上位6ヶ国に入る可能性もあるとさえ予測していました。広い国土と多くの人口、そして豊かな天然資源が成長の原動力になると考えたのです。(以下ではSを加えたBRICSで話を進めます)。

 

 世界人口の4割を超える(2020年42%)BRICSは、2000年には世界経済(GDP)の僅か8%にすぎなかったのですが2020年には25%(24.5%)を占めるまでに成長しました。この間2.5倍成長した世界経済のなかでBRICSは7.5倍も成長を遂げたのです。なかでも中国は12倍で突出しておりつづいてインド5.6倍ブラジル2.2倍ロシア5.3倍南アフリカ2.2倍を示しています。これによって中国は3.5%に過ぎなかった世界に占める割合を17.5%までに存在感を高めました(他の4ヶ国は合計で4.5%から6.9%に上昇しました)。しかし上位6ヶ国はアメリカ、中国、日本、ドイツ、イギリス、インドの順で変わっていません。世界経済の力関係はがっちりと固まっていてそれを突き崩すのはおいそれといかないということでしょうか。あと30年で先進国が衰え新興国の活力が益々高まらないとBRICSの上位独占は実現できませんが日本はよほどがんばらないと下位下落は確実な状況です。

 

 BRICSの上昇気運が明らかなことはデータ通りですがここにきて気がかりな傾向もあります。中国の成長度合いが鈍ってきたのです。1990年代後半から10%を超える驚異的な成長を示していた勢いが2010年の10.61%を最後に急激に落ち込み6%台を維持するのも困難になっています。成長の原動力であった潤沢な労働力が2027年から労働人口減少期に入り、高齢化率も2010年以降は10%台に、2025年には高齢社会に突入し2035年には65歳以上人口が20%を越え超高齢化社会になることが予想されています。

 さらに問題なのは国民の豊かさです。1人当りGDPを豊かさの指標にしてBRICSを見てみると2020年時点で中国1万511ドル(世界の64位)ロシア1万115ドル(66位)ブラジル6千823ドル(88位)南アフリカ5千625ドル(95位)インド1千930ドル(150位)になっています。円換算(1ドル115円として)で年収になおしてみると中国120万円ロシア116万円ブラジル78万円南アフリカ65万円インド22万円になります。アメリカは729万円日本461万円ですから彼らの生活水準が想像できるでしょう。世界標準の豊かさの最低水準は2万ドル(230万円)といわれていますから中国でさえ標準の半分に過ぎません。成長には1万ドルの壁があると考えられておりこれを「中所得の罠」と言いますが、BRICSがこの壁を破って富裕国の仲間入りを果たすにはまだまだ乗り越えなければならない多くの課題が横たわっているのです。

 ロシアが「プーチンのウクライナ侵略」という理不尽な戦争を起こしました。中国は南沙諸島を埋め立て人工基地を建造して東シナ海、太平洋への海洋進出を企図しています。いづれも戦力による「現状変更」です。2大強国の「力による現状変更」の底には強国でありながら国民の豊かさを実現できない「ジレンマ」があるのではないでしょうか。

 

 2020年の1人当りGDPで2万ドル以上の国は世界の国地域195ヶ国のうち約45ヶ国にすぎません。1万ドル以下の国は128ヶ国もあり最貧国と呼ばれる国が28国もあるのです。世界の飢餓人口(1日1.9ドル以下で生活する人たち)は2020年は前年より1億1800万人増えて8億人前後存在していると推計されています。

 こうした情勢の上に「人口爆発」という重大な問題を世界は抱えています。2020年の世界人口は77億9500万人ですが2038年には90億人、2056年には100億人を超えるのではないかと予測されているのです。

 驚異的な成長を遂げた中国でさえ解決できなかった「豊かな国」への飛躍。アジアにはインドネシア2億7千万人、パキスタン2億人、バングラデシュ1億64百万人、フィリピン1億人、ベトナム97百万人と多くの人口を抱えた国がひしめき合っていますし人口爆発は発展途上のアフリカで最も爆発するのです。アジアとアフリカをどうすれば豊かにできるか?21世紀最大のテーマです。

 

 これだけ難問山積の世界情勢を今のまま何の改革もせずに乗り越えられるでしょうか。

 問題の根本は「資源の有限性」です。考えてもみて下さい、石油も食糧も工業資源にも限りがあるのです。それなのに世界のすべての国を富裕国に――1人当りGDPを2万ドルにすることなど誰が考えたって無理なことは分かるではありませんか。地球があと6つか7つあっても無理な相談です。

 もうひとつは資源の配分を「制限のない競争」にまかせている今の制度です。先にもみたようにBRICSはこの20年間に7.5倍も成長したのに上位6国の順位がまったく変動していないのは上位国の競争力が強力だからです。強力なまま固定していてそれを突き崩すほどの競争力はよほどのことがない限り現状の制度では無理なのです。企業や国の競争に制限を加えるか、競争以外の方法で配分するように制度変更するかしないと成長を世界に行き届かせることはできないのです。

 

 世界のすべての国を2万ドル以上の「豊かな国」にすることが不可能なら『豊かさの尺度』を変えるという方法があります。経済的な豊かさはほどほどにしてそれ以外の尺度を「豊かさ基準」に設定しその尺度を世界の人たちが納得するようになれば今以上に多くの人たちが豊かさ――「幸せ」を共有するようになるでしょう。

 競争による豊かな国の偏りを是正するには、資源の配分を強力な競争力を持った企業や国に有利な「制限のない競争」を『緩める』か『廃止』する――そんな制度をつくることです。言葉を変えれば『新しい資本主義』をつくるのです。

 

 忘れてはならない重大な問題があります。人口が多くて豊かになれない国の多くは『核兵器』をもっているということです。中国もロシアもインドもパキスタンも核保有国です。これまでは「抑止力」などという意味不明な言葉で核兵器の破壊力に目をふさいできましたが、今度のロシアの暴挙でそれが理性を盲信した「絵空事」でしかないことを思い知らされました。

 貧しい国、弱い国への思いやりを忘れ、己の「豊かさ」を当然の権利とした先進国の「驕り」が「核兵器の暴発」を誘導する危険性をはらんでいることを教訓とするべきです。