2022年4月11日月曜日

日本型は間違っていたのか

  日本人はどうして自国のことを冷静に判断しないのか、最近つくづくそう思うのです。「自主憲法」を制定しようとか独立国にふさわしい軍備を装備しようとか、勇ましいことを強面で発言するひとが、アメリカの軍事基地(専用)が国土に十箇所以上もあることに屈辱を感じないし、盛んに批判されてきた「日米地位協定」の不平等に関しても正面切ってアメリカに文句も言えないのはどうしたことでしょうか。大体首都の上空を自国の航空機が自由に飛ぶことさえできないでいることにどうして我慢できるのでしょうか。

 

 なぜこうも自信がないのかといえば、わが国の実力を冷静に判断していないからです。ひとつ例をあげれば人口1億人以上の大国で1人当りGDPが2万ドル以上の国(富裕国の基準)はアメリカと日本だけだということさえ自覚できていなのです。現在(2020年)世界には人口1億人以上の国が14ヶ国(約9800万人のベトナムを加えれば15ヶ国)ありますが2万ドル以上の国は日米2ケ国だけです(アメリカ6万3358ドル人口3億3千万人、日本4万89ドル人人口1億2600万人)。3位が中国(人口1位約14億4000万人)の1万511ドル、4位がロシア(9位約1億6000万人)の1万115ドルですからいかにわが国がスゴイかが分かるでしょう。人口の多い順に富裕国をみていくとドイツ4万6216ドル(人口約8400万人)、イギリス4万394ドル(約6500万人)、フランス4万299ドル(約6500万人)、カナダ4万3295ドル(約3800万人)、韓国3万1638ドル(約5100万人)になっています。

 人口が多くなればなるほど統治システムがすぐれていて経済的活力が旺盛でないと国民を豊かにすることは困難になりますからアアメリカがズバ抜けていることに納得がいきますが、壊滅的な戦争からわずか70年でここまで豊かになったわが国も優秀であることに疑いをはさむ余地はありません。ドイツがわが国の約3分の2くらいの人口でほぼ同じ豊かさですから甲乙つけがたい、イギリスは人口が約半分で統治が容易ですからわが国は頑張っていると誇っていいのではないでしょうか、なにしろ相手は資本主義発祥の国なのですから。

 要するにG7といわれる先進国クラブのなかでもわが国は抜きんでて優秀な国と威張ってもいい国だということなのです。

 

 14億人の中国、13億8千万人で2020年代後半には中国を超えるだろうと言われているインドは統治システムの構築が途方もなく困難だということは両国の為政者は分かり過ぎるほど分かっているでしょう。そもそも10億人を超える国民国家などというものが存在し得るものかという根本的な問題さえあります。中国が新疆ウイグル、チベット、内蒙古問題や香港、台湾など民族に関わる問題に苦慮しているのは当然のことで、国民の豊かさや民族融和という視点からは幾つかの国家に分離するかゆるやかな共和制を指向した方が良いということは彼ら自身がよく分かっているはずです。インドは中国よりもっと複雑でこの国がこれからどんな方向に進んでいくのか想像もできません。インドネシア、パキスタン、バングラデシュ、フィリピン、ベトナムと人口大国のひしめくアジアが今後どのような方向に進むのか、進めるのか、世界の安定と平和にとって重要な問題です。さらに人口爆発に迫られているアフリカはもっと困難な状況にあります。

 

 このように好むと好まざるとにかかわらず21世紀はアジアとアフリカの時代です。おおざっぱにいえばどの国も政治的経済的に後発の国々ですしアメリカ、ヨーロッパとは異なった歴史をもっています。地理的に近く歴史的にも関係のふかいわが国こそこれらの国のリーダーシップをとるにふさわしい国なのではないでしょうか。彼らもまたアメリカやヨーロッパよりもわが国に親しみをもっているはずです。そのわが国がいつまでもアメリカの尻にくっついて、アメリカのご機嫌をうかがっているばかりでいいのでしょうか。機能不全に陥っている「戦後体制」――国連やIMFや世界銀行などのシステムを改革していく先頭に立たなければならないのではないでしょうか。そのためには小さな国、弱い国、貧しい国の立場に立つことが必要です。アジアで唯一の先進国クラブの一員という地位に安住していてはいけないのです。

 

 さて、ではそこで、なぜわが国はそんな「豊かな国」になることができたのでしょうか?そして、なぜ今、豊かな国でなくなりつつあるのでしょうか?

 これについては「失われた20年」とか30年といわれて専門家があれこれ分析していますが結論はでていません。はっきりしていることは、高度成長を謳われ年率10%(1966年~70年)という驚異の成長を遂げた後も4%から5%近い成長を続けた日本経済が1990年代に入って「バブル崩壊」したあと「ゼロ成長」におちいってそこから抜け出せずにいるということです。ではバブル崩壊を挟んで何が変わったのでしょうか。

 

 バブル崩壊で積み上がった不良債権処理という使命を課せられた小泉政権(2001年4月~2006年9月)は当時世界的潮流となっていたサッチャーとレーガンの「新自由主義」に活路を求めました。構造改革、規制緩和、民営化に象徴される新自由主義はそれまでの「日本型経営――終身雇用と生涯賃金」を徹底的に否定し「競争社会」に日本を改造することを目ざしました。バブル崩壊とともにはじまった「デフレ」と2008年のリーマンショックは日本経済に壊滅的な傷を負わせ、ついに安倍首相の信認篤い黒田日銀総裁による前例のない「異次元の量的・質的金融緩和」を行なわせたのです。

 

 バブル崩壊から30年経って「日本型経営システム」は完全に崩壊し「非正規雇用」が全労働者の4割を超えました。あらゆる分野で民営化が進められ「ゼロ金利」がつづいています。この間「1人当りGDP」は4万4210ドル(1995年、世界の2位)から4万89ドル(2020年、24位)に減少、サラリーマンの所得はほとんど上がっていませんが「格差」は拡大しました。

 

 「日本型経営システム」は「新自由主義」よりも劣っていたのでしょうか。

 

 

 

 

 

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