2022年4月18日月曜日

成長しないのは競争がないからです

  グローバル競争に勝つため「競争」を盛んにする――小泉さんと安倍さんが新自由主義を導入したときの謳い文句です。新自由主義の根本理念を『競争』と考えて現在の日本を検証してみようと思います。

 

 まず政治ですがこれはまったくの「無競争」です。安倍一強といわれたように2009年から2012年の民主党政権を除いて自民党の一党独裁がつづいています。二大政党制を前提に小選挙区比例代表並立制が1996年以降わが国の選挙制度となっていますがこれは今や時代遅れになっています。冷戦期のように、あるいはそれ以前の権力と反権力が際立って権力闘争した時代なら有効な制度だったでしょうが、冷戦後の21世紀は価値観が多様化して二大政党ではそれをくみ上げることが不可能になって政治状況は混乱しています。長らくこの制度で安定した統治を維持してきた英国や米国でも破綻に瀕しているのですから早急に制度改革する必要があります。そして立憲民主党はリベラル――反権力の批判政党としての旗色を鮮明にして「3割政党」に徹すれば党勢回復できるでしょうが今のままなら野党多党化の潮流に埋没してしまうにちがいありません。なぜならいつの時代にも3割の批判勢力は存在するもので、しかしその勢力は3割以上になることはほとんど望み薄です。しかしその3割を固めれば政権奪取も不可能ではありません。なぜなら自民党だって国民の「25%」の支持しか得ていないのですから。

 政治の無競争は政権党依存を常態化し保守化(既得権の固定化)しますから成長にいい影響があるとはいえません。

 

 次に企業ですが、まず「労使関係」から見れば明らかに「無競争」です。現在の資本主義は「経営者資本主義」です。資本から経営を全権委託された経営者が統治しています。1950年前後には60%近い組織率のあった労働組合は今や17%弱にまで組織率を落としています(組合員数は1千万人に過ぎません)。20世紀までは「労使の緊張関係」が保持されていましたから「春闘」も機能し経営者と労働者(組合)は競争関係にありました。しかし21世紀に入ってから労働は弱体化、経営者の独走がつづいています。今経営者は「もの言う株主」に向き合って経営しています。労働者に向き合っている時は雇用の長期安定が求められましたから「長期投資」へ向かざるを得ませんでした。短期収益を求めるもの言う株主志向のもとでは投資も短期志向になりやすく「成長」には決して良い影響は与えないと言えます。

 その投資資金ですが、優良な大企業は無借金経営が普通になって自己資金で投資を賄うことが多くなってきました。これは経済のグローバル化に備え「国際競争力」を高めるという名目のもと実施された「法人税減税」と「労働分配率の低下」のお陰で「内部留保」が大幅に増加した結果です。法人税率は1980年代中ごろの43.3%を頂点に現在は23.3%と約半減しました。もし政府の目論見通り投資と賃金アップによって競争力が向上していたら企業の収益は向上し国の成長力も増しているはずですがそうはなっていません。株主還元と内部留保拡大に留まっている結果から見れば「競争力」は向上しなかったことになります。

 さらに投資に関していえば銀行借入が減少したことと借入金利が極端に低下したことで銀行との「緊張関係」が緩んで「競争」状況が低下しました。銀行の審査をクリアするためには市場の長期的見通しと借入利率に見合う確かな投資収益力で合意することが必要でした。貸出金利の基準(日銀長・短期プライムレート)は1990年8.25%から2021年1.475%まで低下しています。企業貸出金利はこれに各銀行の営業利率が加えられますからこれより何パーセントか高くなるのですがそれにしてもこの7%近い金利の低下はそれだけ成長率が低下したとみても間違っていないでしょう。当然のことながら企業の銀行に対する緊張感――利率に見合う投資収益の獲得という責任感――も低下しているわけで企業と銀行の「競争」関係は著しい劣化を来していると言えます。

 銀行の競争力はゼロ金利によって劣化したことは明らかです。これには多言を要さないでしょう。しかし金融は経済社会の血液です。金融の「不活性化」は日本経済に多大な悪影響を与えているにちがいなくある意味で「ゼロ金利政策」が「ゼロ成長」の最大の元凶といえるかもしれません。

 

 労働者――社員の競争状況は高まったでしょうか。非正規雇用率は1995年20%強から2020年40%弱と倍増しました。派遣やパートの非正規にまかされる仕事は定型の繰り返し仕事だと仮定すると「競争的仕事」が約2割減ったとみるができます。成果主義などの業績反映制度を採用した企業が多いといわれていますが果たしてそれが競争力アップにつながっているかについては懐疑的な見方をする人も少なくないのが実情です。問題なのはたとえばバス会社が本業の運転業務に、郵政が本業の配達業務をアルバイト化するなど本業の非正規化が目立つことです。一つの見方として本業の繰り返し・定型業務の中に成長の芽がひそんでいることもあると考えると「競争的業務」の範囲の狭まりは結果的に社員の競争力劣化を招いている可能性も考えられます。

 官僚も同じ労働者ですがこの分野は「内閣人事局」の設置で明らかに「劣化」しました。官僚同士の切磋琢磨があって競争が激しかった上級官僚が政権の顔色を窺うようになって政権幹部の意向に沿った政策に偏る傾向がみられ官僚の政策立案能力は劣化したとみることができますから、官僚の競争力は相当弱まったといえるでしょう。コロナ行政で後追いが多かったのはその証明のひとつです。

 

 子どもの学力はどうでしょうか。高校進学率は2010年には95%を超え大学進学率も1960年代の10%未満から2010年には50%を超え今後は生徒数の減少もあって全入時代になる見通しです。大学入試制度が2022年センター試験から共通テストに変更されましたが「偏差値」重視に変りありません。共通テストで高得点を獲得するためには「入試専門技術」を獲得することが必要でそのためには小学校から塾・予備校や家庭教師の訓練を受けることが必須になっています。これには高額の教育資金が必要で結局子どもの学力(大学入試に必要な)は親の「経済力」に左右されることになります。明らかに自由な競争から遠ざかっています。進学コースが単線型であることも考えると子どもの学力は危険な状況に陥っています。

 学問の自由はどうでしょうか。一昨年学術会議会員任命に総理大臣が拒否権を用いたように学問の自由は行政にいちじるしく侵犯されています。国立大学の運営費交付金の減額や競争的研究費配分問題など文科省など行政の関与は増すばかりで学問の自由度は年々低下の一方です。日本の教育への公的支出はOECD34ヶ国中最低ですし日本の教育力劣化は悲劇的状況にあります。

 

 「都市と地方」も健全な競争があってこそ均衡ある国家の発展があるのですが地方は疲弊する一方で「地方創生」という政治の掛け声は虚しく響くばかりです。

 

 最後に国の統治システムについて考えてみますと「三権分立」のうち『行政の暴走』が顕著です。三権のバランスが崩れると統治の安定性が損なわれますから今の均衡を欠いた状態は非常に危険な状況と言わざるをえません。

 

 「新自由主義」が標榜する「競争による成長力の向上」という理念がこの30年にどれほど実現されたかについてざっと点検してみましたが、明らかにバブル以前より「競争力」は劣化しています。 

 「失われた30年」。わが国から競争が無くなった――これが成長できなくなった原因です。

 

 

 

 

 

 

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