2020年12月28日月曜日

道真と貫之

  今日見れば鏡に雪ぞふりにける老いのしるべは雪にやあるらむ。これは紀貫之の和歌です、鏡に映る我が面の白髪を雪に見立てた老いの嘆きの詠です。貫之は872年に生まれて945年73才で没していますから私はもうすでに彼よりずっと年古()っていることになり総髪白化して彼に倣えば全山雪に覆われた雪山というあり様になってしまいました。貫之は当時とすれば随分長寿だったと思われ今に引移せば九十代にはなるのでしょうか。私はたいして苦労していませんが貫之は大変な変革期に生きていますからその苦労は一方ならずだったと思います。

 

 最近貫之と菅原道真に関する本を何冊か読む機会がありはじめて気づいたのですが、ふたりはわずか27歳しか違わないのです。道真の生没は845年と903年ですからそういう計算になりその58年の生涯が波乱万丈であったことは多くの人が知っている通りです。宇多、醍醐の両帝に重用され右大臣にまで上り詰めた人生の頂上から(藤原)時平の讒言により大宰府に配流され非業の死を遂げた道真の怨霊は都に大災厄をもたらし京(みやこ)人の心胆を寒からしめました。その霊を鎮め崇めるべく「天神さん」として御霊神と奉られ今日まで学問の神様として信仰されています。

 

 道真と時平の確執はこんな見方もできるのではないでしょうか。

 飛鳥、奈良、平安の三世紀(七世紀から九世紀)をかけて先進文明国・中国に追いつけ追い越せと律令制と仏教と漢字漢文の移入に成功した我が大和の国は政治社会制度と文化の両面で国家体制の完成を見たのです(と当時の人は考えたのでしょう)。そこで七世紀から隋と唐へ派遣していた遣唐使を廃止(894年)するのですが、それを断行したのが道真であったのは歴史の皮肉かもしれません。なぜなら国家体制の完成は国内的には朝廷の勢力範囲が確定・安定したことも意味するわけで、この時期になると軍事力よりも統治能力が重要になってきて、武闘派から官僚派に権力が移動することになります。大伴氏紀氏が二大軍事勢力で菅家は紀氏と強いつながりがありましたから、道真は没落する武闘派にとって最後の砦とみられていたでしょう。しかし賢明な道真は宇多・醍醐帝の強力な「ヒキ」を固辞して台頭する官僚派・藤原氏との権力争いに距離を置こうとするのですが結果的に時平と右左大臣を分け合うような存在に押し上げられるのです。結局時平は讒言という引き金で「クーデター」を起こして道真を追放(901年)、権力を握ることに成功したのです。

 

 こうした政治情勢は官吏登用制度にも変化をもたらしました。文字を持たなかったわが国は仏教公伝(583年伝来)の経典を通じて漢字(漢文)を移入します。まず公的文書を漢字漢文で作成するようになった社会上層部の人たちは、次いでやまと言葉の記録にも漢字漢文を用いるようになります。そこで困ったのが漢文には「テニヲハ」――助詞助動詞がないことと、何といっても「語順」の違うことでした。使い勝手の悪い漢字と漢文をなんとか日本化しようと悪戦苦闘したひとつのエポックが『万葉集』の編纂・成立(780年)です。漢字伝来から約二百年かけて漢字の「音韻」をやまと言葉にあてた「万葉仮名」という形で「漢字の日本化」に成功したやまとの人たちが、漢字(の借字)の草書体を「ひらがな」として発明、やまと言葉を正確に記録できる「日本語の文字」が完成するのは平安時代――九世紀中ごろでした。その「仮名文字」が公式な文書としてはじめて用いられたのが貫之らが選集した『古今集(905年)』だったのです。

 律令時代、お手本の中国の文献を読み解くために漢字漢文の知識能力は必須でした。氏素性よりも漢字漢文能力を試験で選抜されることが官吏登用の正道でしたからある意味で平等だったのです。しかし道真追放後は藤原氏の専横が朝廷を支配するようになり「門閥政治」が横行、一昔前まで有力な出世の道具だった漢字漢文の能力がほとんど価値をなくなってしまったために貫之たち知識人も殿上人の資格もない下級貴族の地位に甘んじなければならなくなるのです。そうした窮境から彼らを救ったのが文化人天皇の宇多・醍醐の両帝でした。延喜五年(905年)奏上された古今集の仮名序にはこの事業に賭けた貫之らの並々ならぬ覚悟がみなぎっています。

 「やまとうたは、人の心を種として、よろづの言の葉とぞなれりける」ではじまるこの仮名序には、歌の効用への切迫した信頼が緊張感ある文章でつづられています。無用化した武力にかわって「歌の力」で人の心を動かしたいという希求には、摂関政治に蹂躙される社会への切実な反逆心が潜ませてあったかもしれません。しかし、それよりも、古今集のもつ「革新性」は「文字革命」であったことではないでしょうか。借り物の「漢字」というやまと言葉になじまない文字で長い間不本意な時間を過ごしてきたわが日の本にようやく「日本語の文字」として発明された「仮名文字」が史上はじめて『公的な文字』として使用されたことはその後を考えればこれほどの『文化革命』はなかったのではないでしょうか。もちろんそれを主導したのは宇多・醍醐帝でありますが貫之たちのサポートがあって成就した事業ですから両帝と貫之たちの共同事業であったと言ってなんら憚ることはないでしょう。

 

 後年貫之と古今集は正岡子規によって罵詈雑言を浴びせられます。「貫之は下手な歌よみにて『古今集』はくだらぬ集に有之候」。これは子規の「歌よみに与ふる書(明治三十一年)」の言葉ですが、ここで子規は古今集と貫之を徹底的に批判・否定します。それは新時代を迎えあらゆるものが新規を遂げようと改革・改新を努めるなかで和歌のみが御歌所などという旧態依然の守旧派が牛耳って一向に時代の変革に向き合おうとしない風潮に業を煮やした若者――当時子規三十二才――の和歌革新を願った悲痛な叫びだったのだと解すれば納得いきますが、しかし余りに皮相的な批判だったように思います。千年という時を経て伝統という「同調圧力」にさらされ感情と感覚の類型化・固定化をつづけてきたのですからそれを破壊するためには子規のような「暴力」が必要だったのでしょうが、今にして思えば子規の行なったことは「和歌(文学)革命」なのに対して「古今集」のそれは『文化革命』だったのですからどちらが歴史的に大きな影響を及ぼしたかはいうまでもないと思います。

 もうひとつの子規の悪影響は「万葉集礼賛」です。まがりなりにも二つの歌集を読んでみると万葉集はむつかしすぎるのです。言葉が古いから古語辞典か解説書を参考にしないと理解できません。そこへいくと古今集は今の私たちの感情や季節感の「源流」ですからことばの調べも近く感じられます。古今集を徹底的に排除する子規には同調できません。

 

 SNS時代の今ですが先人の並々ならぬ苦労が発明した「日本語」をわずか数語の類型文で感覚や感情を表現することを満足している若ものが「いたましい」と思うのは老爺の僻事(ひがごと)なのでしょうか。

この稿は大岡信の『紀貫之』を参考にしました

※ 本稿で今年の締めといたします。来年が善き歳となりますように。

 

2020年12月21日月曜日

そのとき西郷隆盛は四十一才だった

  菅政権の人気が急落しています。予期されたこととはいえ政権発足百日間のハネムーン期間も過ぎないうちのこの事態は学術会議会員の任命拒否問題やコロナ対応の不手際が大きく影響しているのでしょう。しかしこうした状況が遅かれ早かれ出来(しゅったい)するであろうことは当初から予想されていました。なぜならコロナ禍という前代未聞の異常事態のなかで「たたき上げ」政党人が国のトップに立つことがおよそ不適当であることは自明であったからです。

 

 「たたき上げ」を広辞苑で索()いてみると「①たたいて作り上げる②努力して技術や人格を作り上げる。苦労して一人前にする③財産を使い果たす」とあります。今まで経験したことのない事態に直面して新しく切り拓くというのとは真逆の、確定している技術や人格を目標に刻苦勉励してたどりつくといったイメージです。では菅さんはその人物像をどのようにみられているのでしょうか、当選同期の平沢勝栄氏はこんな風に語っています。「裏方に徹する、絶対に裏切らない、口が堅い、ひたすら尽くす。いろいろな人の意見を聞く。自分ではしゃべらず、徹底して聞き役になる。官房長官に打ってつけです。(略)政治家としてさらに大きく伸びると役人が見ているからだと思う」。官房長官として打ってつけ、と評価されていた人物がひょんな拍子にあれよあれよとトップに担ぎ上げられてしまった。急ごしらえだからこれといった「国の未来像」が固められていたわけではないから、先の総理がキャッチフレーズ内閣で、夏休みの子供のように親(国民)に褒めてもらおうと(国民)受けのいい計画を立てて結局なにも達成できなかった弊を改めようと、できることからコツコツと「国民のために働く内閣」と銘打って、携帯電話料の引き下げや不妊治療の保険適用を打ち出したが、肝心かなめの「コロナ対策」に決定打を打ち出せないでいるうちに国民に見放されてしまった。今の状況はこんなところでしょう。

 

 政治にはふたつの側面があると思います。国民の先頭にたって国をあるべき方向にひっぱっていく、有効な政策を提示して国民をリードしていく、そんな一面と「権力闘争」を戦い上っていく「政治屋」の一面です。たたき上げの政党人というのは、政策を磨き上げる「社会科学能力」の研鑽よりも政治権力のヒエラルキーの階段を親分の下でじっと我慢して一段づつ上っていく、そんな典型的な政治屋タイプの人たちが多いのではないでしょうか。そうした人たちは変革期には向いていなくて比較的政治状況が安定している時期に頭角を現すタイプといえます。

 コロナ禍のこの一年で分かったことは、既成の古い政治家よりも経験は浅くても未曾有の状況に柔軟に対応できる若い世代――大阪の吉村知事や北海道の鈴木知事のような若い人たちの力が必要なのだということでした。今の状況を歴史に学ぶとすれば「明治維新」が思い浮かびます。明治維新も若い、しかも下級武士階級の人たちが活躍しました。なかでも維新の三傑といわれる中心人物――西郷隆盛、大久保利通、木戸孝允の三人はそれぞれ明治初年(1868年)に41才、38才、35才でした。ということはおよそ二十代後半から三十代になるかならないころから倒幕に薩長連合に活躍したことになります。三百年近くつづいた徳川幕府という封建体制を転覆して欧米先進国に匹敵する国に日本を改造するという大改革を成し遂げたのが三十代四十代の若い世代であったということは、今の私たちは大いに学ぶべきなのではないでしょうか。

 

 「新型コロナウィルス感染症」とはいったい何ものなのでしょうか。医学的にではなく社会的文化的にどう考えて取り組めばいいのかということです。コロナの予防法は「移動の禁止または制限による接触の減少」が最良の方法とされています。感染経路について空気感染はしない、「飛沫感染」だとされているからです。もしそうならこれは近現代の人類の歴史と真っ向から対立する感染症になるのではないでしょうか。

 大航海時代があって、蒸気機関の発明がそれを加速して人類は移動範囲を急拡大して、存在する「場」を拡張してきました。資源と人口を有効に活用する「資本主義的市場経済」という制度を創出した人類は「生産性」を飛躍的に向上して人類悲願の「飢餓からの解放」を着々と達成しています。21世紀に入ってから極端な貧困層(1日1.90ドル以下で暮らす人たち)は大幅に減少し2015年現在世界人口の10%以下の7億3600万人以下に減少しているのです。これは市場の拡大と効率的な運用の結果です。そしてそれは「ヒト、モノ、カネ、情報」の移動範囲の拡大によってもたらされたのです。近現代の繁栄は「移動」の範囲拡大と高速化が達成したといっても過言ではないのです。

 

 ところが新型コロナウィルスは「移動」にストップをかけようとしています。ワクチンができれば少しは状況が好転するかもしれません。特効薬を発明することができればインフルエンザと同じように制御可能になるでしょう。しかし今のところはっきりとした「見通し」をたてることはできません。あくまでも希望でありそれによって「コロナ以前」と同様の世界に戻れるかどうかは不確定です。ひょっとしたら「ポストコロナ」はコロナ以前と「断絶」したまったく「未経験」の世界になるかもしれないのです。

 こんな時代に、令和維新とも呼ぶべき時代にわれわれ日本人は最悪の選択をしてしまったのかもしれません。およそ時代状況への対応不能な「たたき上げ」政治家をリーダーに選んでしまったのですから。

 

 ここ数十年、政治は人文科学系の学問を「不要」な学問として否定してきましたが今必要とされているのはその人文科学系の知見です。自然科学系にしても結果が早く出る分野だけを重要視してきました。判断基準は「市場」でした。すべての分野を「市場」の判断にゆだねる体制に突き進んできました。その結果、ワクチン生産能力をほとんどゼロに近い状況に追い込んでしまったのです。病院経営を企業化して利益至上主義に改変したことによって「利益を生まない」ものは無駄だという論理で医師も看護師も最小限に減少させたことによって、非常事態に敏速に対応する能力を喪失してしまいました。その結果「わずか」500人の重症コロナ患者が発生するだけで医療体制が崩壊するという「脆弱な医療体制」の国に成り果ててしまったのです。「自助、共助、公助」と弱者を排除することによって豊かな人だけがより豊かになる「分断社会」に、日本という世界に誇る歴史の国を「みすぼらしい」国に変貌させてしまったのです。

 

 今ならまだ間に合います。ここでじっくりと腰を据えて「コロナ」を「百年後の日本」を見通す契機として活かす、そんな『賢明さ』を私たちは発揮しなければならないのです。

 

 

 

2020年12月14日月曜日

ドツボにはまるバクチ狂い

  コロナ禍の一年が過ぎようとしていますが未だ終息の目途はたっていません。それどころか第三波は拡大の一途をたどっています。国民の生命と安全は「自助」で乗り越えるしかないのでしょうか。

 

 そんな2020年でしたが競馬ファンにとっては望外の喜びの一年だったのではないでしょうか。ほとんどのイベントや遊戯施設が閉鎖と中止に追い込まれたなかで競馬だけは関係者の懸命な努力によって一レースも、一日も休むことなく開催されました。無観客でも馬券はネットで買えましたからわざわざ競馬場や場外馬券売り場に出かける手間が省けてゆっくり楽しめてよかったという年寄りファンもあるのではないでしょうか。おまけに無敗の三冠馬が牡牝で一度に出るという日本近代競馬の歴史上初めての快挙があり、そのうえGⅠ最多勝の9勝をあげる大記録をアーモンドアイが達成する記念の年となったのですから競馬ファンはコロナとともに生涯記憶に残る年となったにちがいありません。

 

 競馬は紛れもなく賭け事ですがバクチは人類の歴史と同じくらい長い年月の間人間の根源的な欲望となってきました。いちどその魔力にはまりこんでしまうと脱出不可能な深みに落ち込んでしまいます。身の丈に合ったお金の範囲で遊んでいる分には最良のストレス発散効果をもたらしますが一線を越えてしまうと底なしの「ドツボ」にはまってしまう危険性があります。いい例が大王製紙会長井川意高氏のカジノ狂いでしょう。彼の資産なら4、5億円くらいの負けでサッと見切っていたらあんな悲惨な窮境に陥ることはなかったでしょうに。

 彼は本質的に博打好きだったのでしょう。何度も勝ったり負けたりを繰り返してどんどん深みにはまっていきました。「上客」と見込まれた彼はいつの間にか絶好の「カモ」としてカジノ場のターゲットにされていきます。あるとき思いがけない「大勝(おおかち)」をします。ドンドン勝ち進んで「まだ」いける!「まだ」いける!と資金を突っ込んでいきます。でもその時は「もう」潮時だったのです。サッと見切って手仕舞いしておけばよかったのです。しかしそれを「ゆるさない」のがバクチなのです。5千万円が1億円になり5億円になり10億円になって……。気がつけば106億円という途方もない負けになっていたのです。

 賭けごとの魔力に身を滅ぼされた先人たちは貴重な格言を残してくれています。

 「もう」は「まだ」、「まだ」は「もう」なり。

 見切り千両。  などなど。

 大王製紙のボンボン会長も「もう」と「まだ」を見誤りました。見切り時を喪(う)しなったのです。

 

 京都競馬場がこの11月から2年半の改修工事に入っています。前回の工事は昭和54~55年(1979~1980)に行われていますがその当時の私は競馬にのめり込んでいました。工事が完了した再開初日の朝、新館に入ってツヤツヤと白亜に輝く一本の柱に手を添えて「この柱は俺がJRAに寄付してやった」と友人に嘯いたことを昨日のことのように覚えています。再起不能の崖っぷちに何度立たされたか分かりませんがなんとか踏みとどまって今日こうして八十近い年齢まで生きていることが不思議な気がします。六十を超して年金しか収入が無くなったある年、正月から秋のGⅠ戦線のはじまるまでの約10ケ月、なぜか馬券に手を出さなかったのです。いまでもなぜそうなったのか定かな記憶がありません。それは禁煙ができた過程とまったく同じで私の人生の不思議です。その10ケ月、TVの競馬中継は欠かさず見ていましたし予想もしていました。不思議なことに予想がピタリピタリと当たるのです。ひとは欲がないからだと言いますがそうかもしれません。あとになって思い返してみると、競馬で勝つことは不可能だ、ということと、勝馬検討と馬券は別物だということに気づく時間になっていました。そんな当たり前のことと競馬を知らない人は思うでしょうが、真剣に競馬をやっている人の多くは「競馬で勝つ」と思って毎週毎週馬券を買っているのです。なぜなら多くのレースで勝馬、レース結果を的中させているからです。それでどうして馬券が当たらないのかと素人さんは言うでしょう。そこが競馬なのです。分かっていてもガチガチの本命馬券には手が出せない、取っても儲からないならレースは買わない、とか冷静になれば信じられないような思考回路をしてしまうのです。

 今では身の丈に合った資金で、儲けるのではなく勝馬を当てること、勝馬を推理する過程を楽しみ結果を確認するために馬券を買うようになりました。すると不思議なことに馬券的中率がアップして投入資金の2倍くらい儲かることが偶にあるようになったのです、大勝はしませんが。

 

 さて今日の本題です。いま政府が採っている「コロナ政策」は負けても負けてもバクチを張りつづけているバクチ好きのように見えて仕方ないのです。これだけ感染が拡大しているのに「Go Toトラベル」を止めようとしません、「Go Toイート」も。大阪も北海道も一時中止に踏み切りましたが最大の人口を抱え感染状態が最悪の東京は継続を堅持しています。そのうち「GoToを6月末まで延長」などと菅総理大臣は方針を打ち出してしまいました。言い訳は旅行代理店を含めた旅行関連業者や飲食業の方を救うためだとなっていますが、本命は「オリンピック」でしょう。世界に宣言した「オリンピック開催」をなんとしても実現する。これに固執した日本国の菅総理大臣と開催地の小池東京都知事のふたりにとってそれ以外のことは「枝葉末節」にうつっているのでしょう。そしてその本心はもし不開催になれば被ることになる「5兆円」の損害なのです。損害を出したくない、そのためなら少々年寄りが死のうが「想定内」なのです。オリンピックだけは何があろうが開催する!それがわが国の総理大臣と東京都知事の執念なのです。

 

 延々と「マクラ」を振ってきましたが言いたいことは、5兆円を取り返そうと負けても負けても馬券を買いつづけてドツボにはまっていく「バクチ狂い」が菅総理と小池知事だ、と言いたいのです。もしこのまま感染者と重症者が増えつづければその損失は5兆円では済まなくなるのは火を見るよりも明らかです。国民の多くはそれに気づいています。分かっていないのは「ふたりだけ」です。5兆円のために10兆円、いや50兆円100兆円になるかもしれない危険な勝負にでていることが彼らには見えていないのです。もちろんその陰で何千人の重症者と死者がでるであろうことなど考えてもいないのです。

 

 金の苦労だけはしてみないと分からない、と経験者は言います。バクチと政治は身を亡ぼすというのは私たちの親の世代が親からコンコン聞かされた「忠言」でした。未経験者の、若い、菅さんと小池さんには「馬の耳に念仏」なのでしょう。

 

 

 

 

 

 

 

2020年12月7日月曜日

コロナで誰が儲けているのか

  ダイヤモンド・プリンセス号で新型コロナウィルス感染症が発症して横浜港に寄港したのが2月初旬でしたからあれからもう10ケ月が過ぎたことになります。この間緊急事態宣言は出されましたが基本が「要請」ベースでしたから『同調圧力』は生半可なものではありませんでした。「マスク警察」という不愉快なことばができるほど、マスク、3密、大人数の飲み会禁止など、「息苦しい」毎日を過ごしてきました。

 こうした時期には不安定な「変化」より「現状維持」が「同調圧力」となって強力に支配します。そのひとつの表れが突然の安倍首相辞任に伴う自民党総裁選挙でした。事前の予想をはるかに超えた「菅総裁」へのなだれを打った決着は、「安倍政治の継承」という「安定」の訴えが自民党議員や党員だけでなく国民にも広く受け入れられ7割を超える高支持率を得る結果となりました。しかしその過程は紛れもない「不正選挙」で岸田、石破、菅の三者鼎立のはずが派閥領袖のあからさまな「談合」によって菅一強の「大政翼賛」が行われたのです。こうした「騒擾」時のわが国民の行動パターンは、もし戦前のような国際緊張が現出されるようなことがあれば、また同じ「愚挙」を繰り返すのではないかという「危惧」を強く抱かせます。

 「半沢直樹」「鬼滅の刃」ブームは文化面に表れた「同調圧力」からの『解放』欲求だったのではないでしょうか。「半沢」に関していえば前回放映時には「銀行の横暴」に現実味がありました。晴れているときには不要な傘をすすめるくせに、実際に傘が必要な雨降りには傘を奪い去る、そんな「あこぎ」な稼ぎで稼ぎまくっていた、そんな時代は「ゼロ金利政策」によってもろくも消え去り、利益の源泉であった「利子収入」は消滅して手数料収入や金融商品の販売でかろうじて企業維持するしか道のない銀行に成り果てた今、「半沢直樹」の「正当銀行マン」としての「勧善懲悪」はリアリティのない「電子紙芝居」でしかなかったはずなのです。にもかかわらず前回同様、いやそれ以上の視聴率を上げたのはコロナの閉塞感からの解放願望に結びついたからに他なりません。

 「鬼滅の刃」はコロナの呪縛と世間に横溢する「不寛容」からの解放という希求に合致したことによる異常人気だったのではないでしょうか。マンガ第一世代の私は六十代にマンガ離れしましたから「鬼滅の刃」を論じる立場にありません。白土三平(「カムイ伝」)、あしたのジョー、島耕作、じゃりン子チエ、まんだら屋の良太、ゴルゴ13などを「おとな」の白い眼を向こうに「日本のサブカルチャー」の位置にマンガを定着させた、おとなのコミック誌「ビッグコミック」創刊に立ち会った世代としては「鬼滅の刃」のこれほどの異常人気には少なからず「おそれ」を抱くのですが、それだけコロナの「同調圧力」が強力なのでしょう。

 

 コロナ禍で最も異常なのは「株価」です。新型コロナ感染症が世界的な脅威となって経済活動に打撃を与えだして以後、わずか1ケ月半で2万3千円台(1月31日23205円)から1万6千552円にまで急落しました(3月19日)。しかし何の好材料もないのに株価はじりじりと反転し1ケ月半で2万円台を回復(4月30日20193円)、8月末には2万3千円(231.9円)、11月初旬には2万4千円台へ(11月5日24105円)、ワクチン開発が実現性を帯びると一挙に高騰、12月1日には遂に2万6千787円というバブル後最高値をつけるに至りました。

 この高値の原因については世界的な金融緩和による「お金のだぶつき」をあげる人が多いようです。もし株価が市場の状態を映す「鏡」の存在だとしたらコロナ不況でGDPが壊滅的な状態にある現在、株価は上がるはずがありません。それがアメリカも日本も同時株高になっているのですから何らかの「株価操作」が疑われても仕方ありません。アメリカについて言えばトランプ大統領の人気維持のためにFRBに圧力をかけて恣意的操作を行っているのではないかという考えが有力です。日本でもGPIF(年金積立金管理運用独立行政法人)による大量の株式購入は以前から指摘されていますがここにきて日銀がその存在感を増しているようです。コロナ感染拡大に伴う追加の金融緩和で国債やETF(上場投資信託)の買い入れを増やした結果、日銀の9月末総資産は690兆円と過去最高を更新しました。この結果45兆円の株式を保有する日本最大の株主となり、アドバンテスト、ファーストリテイリング、TDK、日産化学、ファミリーマートなどの筆頭株主(又は大株主)になっています。日銀は私企業の経営には口出しできませんから「物言わぬ安定株主」になり経営者にとって都合のいい存在になって企業経営に悪影響が出ることも予想されます。

 こうした「株高」と「株式保有率向上」はこんな見方もできます。長らくマイナス金利がつづいてきた長期国債先物の金利がここにきて0.02%近辺にアップしています。これだけで借金漬けのわが国財政にとっては影響大ですがコロナ不況で税収の落ち込みも大きいようで20年度見込みが63兆円から50兆円前半まで減少する可能性も出ています。こうした状況下では株高を演出することでこのマイナスを帳消しにしたいという誘惑が起こっても当然です。政府・日銀にはひょっとしたらそういう思惑があるのではないかと疑う市場関係者も少なくないのです。

 

 ただここで考えてみる必要があるのは、そもそも金融緩和は安倍政権肝いりの中心政策で、デフレ脱却、成長喚起による国民の所得アップ、東北大震災など震災からの復興のためだったはずです。しかし7年9ケ月に及ぶ最長在任期間を経たにもかかわらずデフレ脱却も経済成長も実現できず国民の給料もほとんど上がっていません。逆に非正規雇用が4割近くになって生活の不安定度が増しています。中小企業の存立基盤は危うさを増しており、震災復興も道半ばです。ということは金融緩和のお金は、必要とされているところへは届かず、大企業(内部留保の拡大)、政府(年度当初予算100兆円超えが2019年から3年もつづいている)、株式市場に流れているのです。結局大企業と富裕層が潤っているのが金融緩和の実態なのです。

 

 さらに問題なのは12月1日、菅総理が国土強靭化5ケ年計画を「5年で30兆円」という指示を出したことです。どさくさ紛れ、という感が避けられない突然の政策提示ですが、ここから透けてくるのは菅政治の本質が「ソフト志向」ではなく相変わらずの「土建屋政治」だということです。携帯料金値下げ政策も家計に占める携帯料金が大きいために従来型商品への消費が低迷していることを救済しようという思惑からのものであることは明らかです。軍事予算が2021年も5兆円を超えますから6年連続になります。

 

 コロナ禍の今、求められるのは「感染症対策の充実」「立ち遅れているデジタル社会の実現」「脱炭素社会とクリーンエネルギー社会の世界標準達成」など、古い既得権社会からの脱却と社会経済のソフト化です。菅政治はまったく正反対の方向を向いています。

 わが国の政治状況は今、きわめて危ういということを強く認識する必要があります。

 

 

 

 

2020年11月30日月曜日

コロナ、ここが分からない

  コロナの第3波が予想以上の拡大をみせて国も地方行政も市民も困惑気味で落ち着きがありません。総理が3密を避けて「静かなマスク会食」を要請するなど見当ちがいの発言をして批判を浴びていますが、そんなことは官房長官か専門委員に任せておけばいいことで、重症者の急増に備えて病床と医療体制の確保――エクモやICU(集中治療室)の拡充、医療用マスクと防護服やPCR検査体制の充足などを実行するとともに医療施設への経済的支援、医療従事者への給付金の増大などマクロな施策について国民に安心を与えることが総理の仕事であって、いまだにPCR検査が円滑に実施できないとか医療用マスクと防護服が不足しているとか不安が払拭されていないのにGoToキャンペーンだけが独り歩きするなどチグハグな政権運営は、「国民の生命の安全」が最優先といっていた就任時の演説が空疎に聞こえてきます。

 

 最近気がついたのですが政府や専門家とわれわれ国民、というか素人の間がシックリいっていないのは、専門家なら当たり前すぎて説明するまでもないとされていることと、素人は今さらこんなことを聞くのが恥ずかしいと知らないままにしている、「コロナウィルスの基礎知識」が共有されていないことが原因となって、政府や行政の打ち出す施策が国民の心底からの納得を得られないままに「上滑り」しているのではないでしょうか。そこで恥をしのんで「コロナ、ここが分からない」という疑問を整理することにしました。

 

 まずここまでで分かっている「コロナの性質」を整理してみましょう。

 (1)感染は「飛沫」と「接触」が原因とされている。飛沫はしゃべっても食事をしても飛ぶ。

 (2)ウィルスの生存時間は大体2~3時間。ただし鏡面仕上げのステンレスやツルツルした合板などは7時間近く生きていることもある(最大3日間生存するというデータもある)。

 (3)同じ状況がつづけばウィルスの飛沫量は増加する(→付着したウィルス量が多いほど感染率が上がる

 (4)PCR検査の陽性率は5~7%とされている。

 (5)コロナの実効再生産数は2.0近くになっている

 残念なことに今分かっていることはこの程度です(一般市民に伝えられている範囲では)。そして何が分からないかというとコロナウィルスの「感染メカニズム」と「発症メカニズム」です。

 

  陽性率がここまで高まればちょっとした人の集まりがあれば(少なくとも10人を超えれば)その中にウィルスを持っている人(感染者だろうと発症者だろうと)が必ずいると考えるべきでしょう。それを前提とすれば公共交通機関を利用して人混みのなかを歩いてきた人のほとんどにはウィルスが付着していると考えるべきです。

 そのうえでまず「感染のメカニズム」について。飛沫が口や目、鼻の粘膜に付着します(接触した手で口や鼻を触った場合にも粘膜に付着する)。この状態ですでに「感染」しているのでしょうか。それとも粘膜を浸透して体内に取り込まれたら感染なのでしょうか。粘膜を浸透すればすぐにウィルスは再生産を開始するのでしょうか。再生産をしてはじめて「感染」というのでしょうか。粘膜に浸透したウィルスはすべて再生産するのでしょうか。このへんのことすら素人はまったく理解していません。さらに床に落ちたウィルスも靴に付着して生存するのか、土足で家に上がればそのウィルスが屋内で生存するのか、ぺットにも付着して人に移ることも考えられるのか。あれやこれや疑問があるのですが誰も教えてくれません。ですから「発症」になるとそのメカニズムは「無知」というレベルです。無症状や軽症と中高等症はどうして異なってくるかなどチンプンカンプンです。

 

 マスクの有効性は飛沫の口や鼻の粘膜への直接の付着を防護するから当然のことと思うのですがどうして海外の人たちはそれを理解できないのか不思議です。もちろん飛沫の飛散も防ぎますから二方向で有効になります。人数が増えるのに比例して飛沫量は増えますから多人数の「密集」が悪影響なのも理解できます。距離の近い「密着」も避けるべきです。換気の悪い環境ではウィルスが堆積しますから「密封」は付着、吸引を増大させる結果に繋がりますから「3密」は絶対に避けるべきだということに納得がいきます。

 多人数の会食、とりわけ飲酒を伴う夜の接待が感染に重大な影響があるだろうということも想像できます。話すだけでもウィルスは飛散しますがそれに食事が重なれば飛散量はその分増大します。飲酒して酔いが回れば声も大きくなりますし笑ったり肩を抱くことにもなります。アクリル防御板の有効性が明らかになると同時に「マスクと静かな会食」も感染だけを考えれば役立つことは分かりますが面白みがありません。換気が十分でないと長時間の飲酒を伴う会食はウィルスの堆積量が増加する意味で吸引、付着につながりますから避ける方が賢明でしょう。

 3密を避けマスクを常用し、少人数で静かな会食を2時間程度で楽しむくらいがコロナ禍の会食の原則になるのは止むを得ないと納得できます。しかし個室で換気が良好で座席の配置に工夫を凝らした、そんな投資を行っている事業者まで「時短」や「営業自粛」を求めるのは過酷過ぎるのではないでしょうか。コロナ禍の生き残りを懸命に考えて工夫し投資している努力を個別に「選別」する、そんなキメの細かい行政の対応が望まれます。

 一方で二人暮らしの老夫婦に「換気」は必要でしょうか。夫は毎早朝散歩などのトレーニングで家の外に出ますが他人との接触はほとんどなく、たまにすれ違うことがあっても黙礼するだけで言葉を交わすこともありません。妻は二日に一回近くのスーパーに買い物に出かけますが短時間で済ませてうがい、手洗いを励行しています。こんな夫婦が三時間も経過した後に換気する必要はあるのでしょうか、勿論空気の汚れを浄化するための通常の換気は必要ですが。これから寒くなってくるのにうるさく「換気」を奨励されていますが疑問に感じます。

 

 外出して人混みから帰ってくれば一応ウィルスが付着していると考えるのが正しい判断でしょう。ですからマスクを常用して手洗いとうがいを励行するのは当然の「習慣」になります。そのウィルスが粘膜を浸透して体内にどのようにして浸潤するのでしょうか。そうした人たちがどのようにして感染して発症するのか、そのメカニズムが分かりません。家庭内感染が増加しているのはそのへんが分かっていないからだと思います。そうしたメカニズムをぜひ分かり易く教えてほしいのです。そうすれば市民が納得して感染防止に積極的に取り組むでしょうし感染を押さえられると思うのです。

 

 それにしても僅か500人足らずの重症患者で医療崩壊の恐れがあるというわが国の感染症体制、これで先進国といえるのでしょうか?何とも頼りない、情けない国に成り下がったものです。

 

 

2020年11月23日月曜日

日本とドイツ

  アメリカ大統領選にようやく決着がついたようで次期大統領に決まったバイデン氏と菅総理大臣は早速電話会談をしました。日米同盟の強化で一致し、尖閣諸島が日米安全保障条約第5条の適用範囲であることを確認したと誇らし気に、若干安堵の表情を浮かべながら記者団に語っています。アメリカが尖閣への他国の侵犯、侵略、攻撃に対して防衛義務を負うことをバイデン氏が認識していることが分かったということであり、北朝鮮による拉致問題に関しても解決に向けて協力を要請したとも伝えられています。

 

 この報道に接してまず感じた違和感は「日米同盟」ということばでした。日米同盟というのは「日米軍事同盟」を表わしているのでしょう。しかしわが国は憲法で軍隊の不保持を宣言しているわけで、それにもかかわらず堂々と「軍事同盟の強化」と公言する神経は完全に『護憲』という観念が今の政治家には意識にないということを図らずも明らかにしています。戦後の政治家はこの点に関して実に用心深く少なくとも昭和の政治家は「日米安保条約」が「軍事同盟」であることをあからさまに表現することはなかった(と記憶しています)。1950年に朝鮮戦争が勃発して、それまで戦前の軍事体制の復活に極端に防護的であったアメリカが方向転換して東西冷戦の東アジアの橋頭堡として日本を設えるべく再軍備を強制したき、吉田首相をはじめ日本の政治家たちは戦後復興を最優先して軍事負担を最小限に抑えるべく抵抗しました。その後の保守政権も憲法との兼ね合いとアジア諸国への戦争責任の贖罪の意味も込めて「日米軍事同盟」という言葉の採用に関しては最大の神経を使って対応してきました。それがいつの間にか平気で、日常用語として「日米同盟」をちゅうちょなく使用するように政治家はなっているのです。

 さらに日中間の「尖閣問題」も日朝の「拉致問題」も、それぞれがわが国の外交問題であるにもかかわらず今の政治家たちは問題解決を我が手で行うという気概を忘れて、アメリカの助力、というかアメリカの後ろ盾を頼りにして解決することを当然と考えているように受け取れる言動に終始しています。確かに難問です。中国も北朝鮮も軍事力を有しないわが国を「交渉相手」として見なしていないような対応を示します。しかし少なくとも小泉首相が電撃訪朝で示した「当事者意識」は金正日に緊張感をもって認識させる効果をもたらしたはずです。それがいつの間にか六カ国協議の一員という立場に後退し、トランプ大統領時代に至って、わが国は北朝鮮からも中国からも「当事者」として認識されることさえもなくなってアメリカの「核の傘」に身をひそませた『傀儡』であるかのように「見下ろされる」存在になり果ててしまったのです。

 

 そりゃぁそうでしょう。今の日米関係をよその国から見れば『属国』と見られても仕方がない関係になり下がったまま75年が経っているのですから。

 首都の上空をわが国の飛行機が自由に飛べない屈辱に、それに疑問さえも感じずにいるのが正常な「独立国」の国民意識といえるでしょうか。首都の上空は別名「横田ラプコン」と呼ばれる「横田侵入管制区」になっており1都8県(東京都、栃木県、群馬県、埼玉県、神奈川県、新潟県、山梨県、長野県、静岡県)に及ぶ広大な空域の航空管制は横田基地で行われているのです。ということはアメリカ軍が制空権を有していることになります。従ってわが国の航空機は最短距離で成田なり羽田なりの空港に発着することはできず1都8県を避けるような航路を取らざるを得ないという屈辱、非合理を強いられていることになっているのです。

 さらに基地に駐留しているアメリカ兵らの犯罪を裁く「第一次裁判権」は米軍が有するという日米安全保障条約に関する地位協定を1960年以来わが国は唯々諾々と受容しつづけてきているのです。沖縄で繰り返される少女強姦や市民への暴行事件に関して到底受け入れ難い屈辱的な判決を強制されてきています。

 これは明らかに『不平等条約』です。戦後75年経って未だにこのような「不平等」に対して何らその『改正』に向けた実効的な政治的交渉が行われずに来ていることに、弱腰な政治家たちの姿勢に憤りを感じます。また国民も沖縄で度々起こった暴行に対する『反米闘争』を、沖縄だけの問題として当事者意識をもって対応してこなかったことに憤らずにおれません。

 

 明治の人たちは維新時、圧倒的な武力差の下、締結を強制されたアメリカなど5ケ国との不平等な通商修好条約の改正を一日も早く勝ち取ろうと臥薪嘗胆の労を重ね、苦節半世紀の明治44年(1911)改正を果たしました。彼らの不屈の改正への情熱と雪辱の心意気を慮(おもんばか)る時、頭がさがると同時に、今の我々の不甲斐なさに断腸の口惜しさを感じます。敗戦という絶望的な状況からの逸早い復興を達成しなければならないという政治情勢は維新の元勲たちの置かれた立場とまったく同じだったと言えるでしょう。ですから屈辱的な講和条約や安全保障条約をのまざるを得なかったことは十分理解できます。問題はその先です。経済復興は予想以上に早く軌道に乗り昭和31年(1956)の経済白書に「もはや『戦後』ではない」と誇らしく宣言するに至ります。そして昭和60年代から70年代の高度経済成長期を経て世界第2位の経済大国にまで昇り詰めることになるのです。明治の日本が不平等条約改正を勝ち遂げた、それと同じ敗戦の五十年後にわが国は、日清日露の戦争に勝って列強に「一流国家」として認めさせたと同じ、経済先進国として「ジャパン・アズ・ナンバーワン」と称せられるまでに世界に認められたのです。「不平等条約改正」の基盤は調(ととの)っていたのです。

 しかし戦後の日本は動きませんでした。

 

 一方の敗戦国・ドイツは「東西分裂」という過酷な「冷戦の桎梏」を乗り越え今や「ヨーロッパ融和の旗手」として世界的なリーダーシップを発揮しています。

 この差は一体どこから生まれたのでしょうか。

 

 まちがいなく言えることは、人類史上類をみない「ナチス・ドイツによるユダヤ人虐殺」という十字架を負った戦後ドイツは『痛哭(つうこく)』の「戦争責任」を経験しなければならなかったということです。ふたつの世界戦争の敗戦と仏独を中心とした歴史的相克を『昇華(しょうか)』した「持続可能な平和体制」を構築しなければならないという「歴史的贖罪感」がドイツ国民にはあったのに反して、わが日本は「戦争責任」と「贖罪」がまったく『不徹底』だったのです。いまだに先の戦争は、アジア諸国の欧米先進国からの「解放戦争」であったと『強弁』する「歴史修正主義」がまかり通っているのですから彼我の「戦争責任」に対する姿勢の差は歴然としています。

 

 来年には「核兵器禁止条約」が発効します。「唯一の戦争被爆国」の日本が世界に向かってどのような「非核化戦略」を提示するか、世界が注目しています。

 

 

 

2020年11月9日月曜日

二大政党制はもう古い

 年齢を取るとあれこれ考えるのが面倒になって、えいっ、やっ!とカンでやってしまうことが多くなってしまいます。随分乱暴な思考態度(?)ですがこれが案外うまくいって時にはものの本質をついていることもあるのですからおもしろいのです。

 

 最近のえいっ、やっ!で結論を得たのは「政治は権力闘争である」というアカの染みついた俗論です。若いころは「人を豊かにする」ことが政治の本質であるとか世界平和の実現が国連の使命であるとか考えていましたが、八十年近く生きてきた結論は政治の本質は「権力闘争」だということになってしまいました。とくに「東西冷戦」が終結して以降はこの傾向が露(あらわ)になってきたように思います。冷戦時代には「自由陣営の牙城を守る」という大きなタガが権力闘争を制限していましたから、権力や資本の野放図な暴走を許しませんでした。しかし米国一強になって、自由主義的資本主義が唯一の価値基準になってしまうとトランプ氏のようなだれはばかることのない「自己の権力拡大」だけを追求する人がでてくるようになったのです。もし今彼がしているようなことを冷戦時代にしていたら同盟国から「そんなことをしていたら東側につけ込む隙を与えてしまう」と警告されて自国の団結を強めるような政策に転換せざるを得なかったにちがいありません。わが国でもそうで、安倍一強(菅一強も?)のもと「森・加計・さくら」のように白を切る一辺倒でなんら説明責任を果たさない無責任極まりない政権運営をすれば野党のみならず自民党内部からも「国を分断するな」と抑制がかかって「国内融和」と「団結」が最優先されたはずです。少なくとも「東(西)陣営の圧力」にたいしてだけは国内(同盟国)団結してこれに当たらなければならないという「自制」が働いたのですが今はそれがないから「権力の暴走」が世界中のあらゆる国で横行しているのです。ロシアの「プーチン永久政権」も中国の「習体制終身化」も同じことです。

 

 では権力闘争とはどういうものでしょうか。既得権擁護派(保守派)と反擁護派(リベラル派)の勢力争いが最も一般的な権力闘争のかたちでしょう。既得権は富や権力の蓄積となって表れますから反擁護派は富の再分配や権力の分散を要求します。企業から個人へ、豊かな人から貧しい人への再分配が権力闘争の主戦場でした。ところがここにきて既得権の範囲が多様化してきたのです。そのひとつは「環境」でありさらに「エネルギー」も既得権の対象として浮揚してきましたし「性―LGBT]も対象とされています。

 これによってどのような変化が起こったのでしょうか。「経済=富}だけが権力の淵源であったときは「持つもの」と「持たざるもの」の対立軸だけで政党は存立可能でした。それが二大政党制です。ところが価値の多様化が進展するにしたがって既得権の対象も幅広くなってきてそのどれもこれもを二大政党に収斂することが難しくなってきたのです。経済的に豊かな層でも「環境」に関しては今すぐ「環境保護」しなければならないと考える人と環境よりもやっぱり経済を優先しようという考えの人に分かれるでしょう。エネルギーについても、石油燃料や原子力を主電源と考える層と自然エネルギーを最大化しようという自然エネルギー推進派の人とに分かれます。性に関しても堕胎容認派と断じてそれは許されないと考える立場に分裂しています。LGBTに寛容な人たちと古い道徳観に捉われてどうしても許容できない人も多く存在しています。

 二大政党制ではこの価値の多様化した時代に即応できなくなっているのです。はっきり言って二大政党制は時代遅れなのです。そのことを明確に認識してリーダーシップをとる人が現われてこないからアメリカの大統領選挙は「国民の総意」を捉えられない『不安定』な状況に陥っているのです。

 

 わが国でも同様の状況に陥っています。反自民で細川政権や民主党政権が実現しましたがまたたくうちに崩壊してしまいました。今は自民党一党独裁状況になりはてていますが、これは立憲民主党が相変わらず二大政党制に固執して「政権奪回」などと『幻想』を喚きたてているから閉塞状況から脱却できないのです。立憲民主党の支持層はいくら伸びても「国民の三分の一」以上には拡大しません。一方今の自民党――昭和の自民党のように左も、リベラルの一部も包含していた自民党でなく右傾化した自民党――も国民の半分を囲い込むだけの支持は得ていないことに気づくべきなのです。ひょっとしたら今の自民党に満足している層も「国民の三分の一」くらいかもしれないのです。自民党にも立民党にも不満を抱いている層が三割以上あるという現実をまず直視することです。そして自民党と立民党のあいだに多様な価値観を奉じた幾つかの政党が分立してそれを左右から取り込んだ「不安定なバランス」を保った政権の時代。これが今のわが国を真正に反映した政治体制ではないか、それが「えいっ、やっ!」で私の導いた考えです。

 

 「戦争」についてもこれまでの戦争観と現状を踏まえた戦争観は次元を異にしたものになるはずです。今の世界の為政者たちの「戦争観」は時代遅れなのです。そもそも現代において戦争の「必然性」はどこにあるのでしょうか。領土の拡大と労働力の暴力的増強の必然性を抱えた先進国が存在するでしょうか。

 「戦争」の必然性は主産業が「農業」であった時代には存在しました。なぜなら農業の生産性は領土の広さ(肥沃さ)と投入労働量に比例していたからです。次の「工業化」の時代にも「領土」の重要性はありました。「資源」の確保が必要だったからです。アメリカが中近東に地政学的重要性を認めていたのは「石油資源」を確保するためでした。そのために大戦後「イスラエル」という「人工国」を無理やりでっちあげて中近東の要衝に設え「石油資源確保」の「橋頭堡」としたのです。ところがシェールガス革命が起こって石油と天然ガスの「純輸出国」になった途端、トランプのアメリカは中近東から撤退を始めたのです。「世界の警察」を標榜していたアメリカが世界各国の基地の「駐留経費」の負担増額を駐留国に求めだしたのも、今やアメリカは「領土」も「エネルギー」も必要無くなったからなのです。

 

 領土もエネルギーにも不安のなくなったアメリカが「戦争」を煽るのは今や残されたたった一つの製造業である「軍需産業」を保護するためであり、そのために「戦争」という「幻想」で世界中を被いつくすのです。しかしアメリカ自体は「金融」と「情報」が主産業ですから戦争と兵器の重要性はほとんどなくなっています。トランプ大統領が自国の軍需産業と関係のない軍事費を削減するのは当然のことなのです。

 そのアメリカの軍需産業から中古(最新鋭でない)の兵器を言い値で爆買させられているわが国をアメリカは絶対に手放さないでしょう。こんな「お得意さん」は世界中にいないのですから。

 

 領土拡張の必然性がなく、しかも現在の国際情勢では領土の拡張など許されるはずもないのに、どうして「軍備保持」する必要性があるのでしょうか。軍備が無くなれば戦争の起こる可能性はゼロです。

 

 核兵器禁止条約が来年1月に発効します。これを機会に戦争について根本的に考えてほしいものです。

 

 

2020年11月2日月曜日

死闘

 向こう正面がアップになるとコントレイルが行きたがっている。こんなことは今まで一度も見せたことがない。福永が懸命になだめている。といっても引っ張り切ってケンカしたのでは馬の闘争心を暴発させてしまう、少し矯(た)め気味に馬と会話している。分かっている、キミに三千は長すぎる。いつもならここらあたりからゴーサインを出すのだが今日はもうちょっと待ってくれ!あと三百米、坂を上り切るまで。

 福永の悲痛な制御をあざ笑うようにルメールはアリストテレスをコントレイルにけしかける。1コーナー手前からピッタリと斜め横に張り付いてプレッシャーをかけつづけている。コントレイルは敏感だから間近に聞こえるアリストテレスの鼻息をズッと聞きつけて苛立っている。

 もう少しだ、あと百米待ってくれ!いつもならどんなに遅くてももうゴー!とコントレイルを解放している。しかし今日は三千米、まだなんだ!もう少し。しかしコントレイルの我慢は限界だった、もう待てない!福永は手綱をゆるめた。坂の頂上までまだ百米はある。

 菊花賞は京都競馬場三千米の外回り、二度の坂越えの長丁場。3コーナの手前二百米から高低差3メートルの坂を上って三百米で下る。この坂をユックリ上ってユックリ下る。それが鉄則だ。

 コントレイルは百米手前でスピードをあげて坂の頂上を駆け抜けた。やっとアリストテレスが1馬身半ほどうしろに下がった。このまま差を広げて4コーナーを回りながらアリストテレスの外に出す。外へ出してプレッシャーを振り切ってノビノビとコントレイルを走らせてやる。長かった三千米の最後の四百米だけはコントレイルの自由な走りにまかせてやりたい。そのためにアリストテレスを振り切りたかった。

 4コーナーだ、しかしいつの間にかルメールはコントレイルの真横にアリストテレスを張り付かせていた。外に出せない!コーナーを回って直線。福永はコントレイルを力いっぱい押し出す。すこし前に出た。しかしスグにアリストテレスが追い付く、並ぶ。また福永はコントレイルを前に出す、ルメールはくらいつく。もう少し、もう少し。あと百米、あと五十米。並んで二頭がゴールに飛び込む。とうとうコントレイルはアリストテレスに抜かせなかった。

 

 福永は何度も覚悟した。直線で外からかぶせられたらたいがいの馬はひるんでしまう、闘志が萎えて脚色が鈍る。自分も何度もそうして直線勝負で勝ってきた。少しくらい実力が上の馬でも外からかぶせれば押さえつけることができた。それがどうだ、二千米以上プレッシャーをかけつづけられながら、直線で外からかぶせられながら到頭コントレイルはアリストテレスに抜かせなかった。なんという馬だ、なんと強い馬だ!勝たせてくれた、コントレイルが勝たせてくれた。三冠のかかった菊花賞で自分は最悪のレースをしてしまった、3コーナーの坂の途中から追い出すという鉄則破りを仕出かし、直線では外からかぶせられるという最悪のレース運びをしてしまった。それなのにコントレイルは勝たせてくれた。

 

 どうしても獲れなかったダービーを二年前に勝って「一皮むけた」と評価してもらって自分自身も一段ステージが上がったような手応えを感じていた。今年は好調ですでに100勝してリーディング3位で重賞も9勝している。自信はあった。クルーも万全の仕上げをしてくれた。3冠がかかって緊張もあったが馬を信じていた、負けることは無い。そう思っていた。

 ルメールは凄い奴だ、一枚も二枚も上手だ。まだまだ彼の域には届いていない。豊(武豊)さんのレベルはずっとずっと先のことだ。俺はまだ「発展途上」だ。

 

 父子二代、無敗の三冠馬が誕生した第81回菊花賞2020は名勝負だった。五十年以上競馬を見てきた中で最高のレースだった。コントレイルはすばらしいサラブレッドだ。競馬をしていて良かった、しみじみそう思う。2月末から無観客で開催されていた中央競馬がこの開催から観客を入れるようになった。千席足らず(約800席)だがコントレイルは異常を感じたかもしれない。ファンのなかには無観客がコントレイルを勝たせるという人もいる。そうかもしれない。もしそうだとすればコロナ禍の2020が生んだ「レジェンド」としてもコントレイルは競馬ファンの記憶に残るにちがいない。

 

 コロナ禍の2020、競馬界では無敗の三冠馬が牡牝に出現するという稀有な年になった。デアリングタクトとコントレイルはその意味でもファンの記憶に残る名馬になった。長い競馬の歴史の中でGⅠ8勝馬が現われるという記念の年にもなった。アーモンドアイもすばらしいサラブレッドとして称賛しつづけられるにちがいない。巨人の菅野投手が開幕戦以来13連勝という記録を打ち立てた。将棋の藤井聡太君が18歳1ケ月という史上最年少で二冠と八段昇格を達成した。全米オープンを制覇した大坂なおみ選手は初戦から決勝まで7枚のマスクに虐殺された7人の黒人の名前を浮かび上がらせて「無言の抗議」を示した。感動的だった。オリンピックが戦争以外ではじめて延期されたという異常な年に史上稀有な記録がつぎつぎと現れたのは偶然であろうか。

 

 福永洋一という天才騎手が不慮の事故でターフを去ってから41年(落馬事故は1979年3月だった)。あとを継いだ祐一が牡馬三冠をコントレイルで達成した。辛勝だった、難産の記録達成だった。これは父からの無言の戒めだったかもしれない。祐一よ、もっと高みを目指せ、と。

 

 

 

2020年10月26日月曜日

刀狩と憲法9条

 国のゆたかさが領土の広さから解放されてまだ百五十年もたっていないのではないでしょうか。百五十年前まではまちがいなく国力(国富)は領土の広さ(と肥沃さ)に規定されていましたがそれはGDP――国の総生産の九割近くが「農業」によって占められていたからです。農業の生産力は土地の広さと投入される労働量に比例します。ロシアは広大な領土の多くを生産性の低い極寒のステップやツンドラが占めていますから歴史上早くから温暖な土地を求めて「南下政策」をとり領土的野望をあからさまにしてきました。またアメリカは広大な領土に比べて圧倒的に労働力が不足していましたからアフリカの黒人奴隷を使役するという汚点を歴史に刻まざるを得なかったのです。

 主産業が農業である発展段階において「領土の拡張」は国にとって最重要事項でありそのための『軍事力』は国土を拡大するための必須能力でした。農民(国民)にとって保有する土地の「安全」は最低限の条件であり他国からの「侵略」を『防御』する『軍事力』は国に求める第一次的機能であり『軍事力の保持と独占的行使権』は国民が国に委ねる「権能」の第一等の位置を占めざるを得ないのです。

 これを別の表現で表すと「国家とは、ある一定の領域の内部で正当な物理的暴力行使の独占を(実効的に)要求する人間共同体である(マックス・ヴェーバー著『職業としての政治』脇圭平訳岩波文庫)より」「つまり国家が暴力行使への『権利』の唯一の源泉とみなされている」ということになるのです。

 

 わが国において武力を国家が独占するようになったのは「秀吉の刀狩」を嚆矢とするのではないでしょうか。国のかたちが未完成でしたから家康の徳川幕府の成立をまって本格的な独占が達成されたのですが、「兵農分離」が権力者によって実施されたという意味で刀狩は重要な歴史の転換点だったと思います。

 群雄割拠の戦国時代に至って戦闘形態が大転換します。それまでは武将同士の一騎打ちが主たる戦闘形態だったのが鎌倉幕府によって武家政権が成立して以降、足軽の採用が急速に進み室町幕府の時代からそれが本格化、戦国時代に至って足軽を主戦闘集団とした戦法が主流になり「農=百姓の兵力化」が軍事力の主体を占めるようになります。平時は農民として生産活動に従事し戦時には武器をもって兵士となる。そんな時代が百五十年ほどつづいた末に秀吉の国家統一が完了し「武力の独占」の必要性が生じ「刀狩」を実施したのです。

 国家として実効的に「軍事力の独占」をしたのは明治政府です。しかし「国民国家」としての歴史が浅く統治システムが不完全だったために「軍事力の管理」に破綻をきたし、日清、日露、第一次・第二次世界大戦と「破滅の行程」をたどったのです。

 

 次にわが国の領土のうつり変わりを考えてみましょう。最近盛んに「わが国固有の領土」ということをいう人が多いからです

 鎌倉に幕府が置かれるまで関東以北と鹿児島など九州南部は蝦夷、熊襲(えみし、くまそ)と呼ばれて日本の領土ではありませんでした。というよりも京都の朝廷に服属する勢力がそこまで力を及ばすほどに成長していなかったと言った方が事実に即しています。その後武家政権が確立・勢力伸長するにしたがって東北も鹿児島(薩摩)も日本の国土になり、やがて北海道も琉球(沖縄)も日本に編入され大体今の日本の領土が形成されるのですが、それは明治政府の成立と軌を一にしています。ここで注意がいるのは国連の「自由権規約委員会」などがアイヌと沖縄(旧琉球人)を「先住民族」として認めるよう数回にわたって勧告をしていることです。政府はアイヌに関してはこれを受け入れアイヌ保護の方針を打ち出していますが沖縄に関しては断固拒否の姿勢を貫いています。こうした事情を考えると政治家の一部などが常套的に「日本民族は単一民族だ」との言辞を弄しますが決してそうでないことが分かります。

 日韓で問題となっている「竹島」は徳川時代、日本、朝鮮、中国、オランダが「密貿易」の中継地として共同利用していましたから日本の領土でも韓国の領土でもなかったといった方が実情に近い捉え方です。北方領土に関しては日露修好通商条約(1858年)で択捉島とウルップ島の間に国境線を引くことで同意していますから明治政府はエトロフはわが国領土と考えていたでしょう。その後日清・日露戦争や第一次世界大戦の結果、日本領土は台湾、朝鮮、満州と拡大の一途をたどります。東アジアが真っ赤に塗りつぶされた戦前の日本地図を知らない人も多くなってきましたが、結局第二次世界大戦に敗けすべてを失って今日の領土に落ち着いたのです。

 こう考えてくると「日本固有の領土」などというものはほとんど『幻想』であって、戦争という不条理な暴力行為によって獲ったり取られたりしてきたのが歴史なのだということが分かります。戦争のない平和の時代が75年つづいて、信じられないほどの兵器の発達によって全面戦争ができない時代になって、領土問題はまったく新しい段階に至っているのです。

 

 国民国家の紛れもない一面は「軍事力の独占的行使権」を保持しているということです。そしてそれは「行政の長――大統領であったり総理大臣」が保有しています。もちろん白紙委任ではなく国会の承認等の「規制」で制限が設けられていますが、それでも国家の『暴力行使の独占』という側面を政治権力の中核として認識することは重要です。そして「軍事力の管理」に失敗した敗戦を教訓として戦争を放棄した『日本国憲法第9条』があるのです。

 

 日本学術会議委員任命問題を単なる手続きや学術会議のあり方などと矮小化して考えるのではなくこうした「方向転換」が、究極的にどこを向いて誰が行おうとしているのかという「見方」を絶えず持ち続けることが重要だと思うのです。戦前「軍事力の管理」に失敗したのは国の本質を忘れて政治(の変化)の「監視」に失敗したからです。昭和58(1983)年の学術会議の委員任命に関する政府見解を菅総理は変更しようとしていますが、この一歩は決して小さな一歩ではないような「うすら寒さ」を感じるのです。

 

 『多様性への寛容』がないがしろにされだしたら「危うい!」と感じるアンテナが大事です。

 

 

 

 

 

 

 

2020年10月19日月曜日

新聞が無くなったら

 馴染みの喫茶店の女店主が「サービスで入れてもらっていたスポーツ新聞がダメになりました。コロナで新聞止めるひとが多いらしいから」。意外でした、よもやそんな影響がでているとは。今の若い人は新聞は勿論のことテレビも見ないという、ニュースもエンターテイメントもネットで間に合うらしい。そのうえ年寄りまでとらなくなったら新聞はどうなってしまうのでしょう。この事態は思っている以上に重大な変化かも知れません。

 

 数年前日経が毎週月曜日に掲載していた「景気指標」を紙面から削除、ネットに移動して「経済指標ダッシュボード」に代えてしまいました(しかも有料で)。大げさにいえばこれは世界に誇る日本文化の消滅ではないかと思いました。経営者やサラリーマンや商店主が日常的に必要とする経済指標の40項目ほどが一ページに一覧形式に収録されていて、忙しい月曜の朝に効率的に景気の動向が閲覧でき一週間の仕事の見通しが素早くできる、まさに世界に類のない「発明」だと評価していました。ネットに移ったために一項目ごとにページを開かなければならないからフル項目見るためには相当な時間が必要になり、そうなると必要な二三の項目だけの検索で済ませてしまうようになって全体的な俯瞰をする習慣ができなくなってしまいました。

 日経に何度か復活を申し入れましたが実現されませんでした。

 新聞の最高の「武器」は「閲覧性」にあるのに、その閲覧性の最も価値ある紙面が「日経・経済指標」だったのに、それを放棄して「ネット化」「有料化」したのですから私は日経の購読を止めてしまいました。

 

 新聞のすぐれたところは「閲覧性」に尽きると思います。経済、政治、社会、文化、衛生・健康、文芸と多分野のニュースを「選択」して記事を作り三十ページほどに凝縮して毎日提供してくれるから、小一時間もあれば世の中の動きを網羅的に知ることができます、しかもわが国では宅配してくれますからわざわざスタンドで買う煩わしさもない。こんな便利で効率的な「情報収集手段」は他にありません。加えて少々の偏りは新聞社によって無くもありませんが保守的な記事もリベラルな内容も案配よく提供してくれますからバイアス(偏向)なく情報に接することができます。さらに「社説」で重大と目される動きには社の考え方を交えながら解説と提言をしてくれますから、政治や経済、社会がどの方向に向かいつつあるかの大凡(おおよそ)が把握できます。

 わずか小一時間でこれだけの情報・知識操作ができるメディアはいくら技術が進歩しても今後も出現しないのではないでしょうか。

 

 今問題になっている日本学術会議任命問題を考えるとき、新聞の読者減少と関係があるというとこじつけだろうとそしりをうけるかもしれません。しかし「多様性の拒否」と「行政権の濫用」を任命問題の本質とみればあながち関係がないともいえないのです。

 この問題に関しては昭和58年、当時の中曽根総理大臣の「形だけの任命であって学会のほうから推薦された者は拒否しない」という総理府総務長官の答弁を容認し「独立性を重んじていくという政府の態度は、いささかも変わるものではない」という答弁が昭和と平成(令和)の政治家の学問に対する姿勢の変化を如実に物語っているのではないでしょうか。昭和の時代は学問や科学に対する尊厳の思いが相当深いところで根づいていて、少なくともトップクラスの学者の業績に関しては敬意を表することを当然としていました。学問の独立性を侵すことはあってはならないという姿勢が政治家は勿論、一般市民にもそなわっていました。

 しかし平成が進むにつれて政治――行政を優先する政治家の考えが鮮明になってきて学問を政治の道具とみなす姿勢があからさまになってきました。その根拠は政治は国民の審判を得て国家運営を付託された存在であるから何にも勝る存在であるという考え方であり、その形となったものが「予算執行権」であるというのです。今回の菅総理の言葉にも河野行革担当相にもみられる論理で「10億円という予算を投じているのですからその執行を監視するという意味でも総理が任命権を行使することに何らはばかることはない」と言うのです。

 中曽根さんには、日本を代表する学者の業績を価値判断する能力は自分にはないという謙虚さがあったと思います。そうした学者の団体が選任した委員の当否を判断して任命を拒否する能力は自分にはないという学問と学者に対する尊厳の念がまちがいなくあったのです。ところが今の政治家には(その部下でありブレーンと目されている人にも)行政権(予算執行権)こそ最高位の権威であり、その他のものは行政権の下に位置づけられるという「驕り(おごり)」が歴然とあります。最高裁の判決(一票の格差など)を無視し国会を平然と軽視することに罪悪感さえ感じていないように思われます。ジェンダーだ多様性だと口先ではお題目を唱えますが、本心は選挙で選ばれたことを「白紙委任」と捉えて、少数意見や反対意見を尊重するという民主主義の最低限の「倫理」にまったく気づこうとしないのです。

 

 今放送中のNHKの朝ドラ『エール』で主人公の古山裕一(モデルは古関裕而)が自分の作曲活動は「戦争協力」ではないかと苦悩します。しかし一旦祖国が戦争状態に突入してしまえば妻子や親を守るためにも祖国を守るために全力を尽くすのは当然の行為です。だから、絶対に、祖国が「戦争」に突き進むのを防がなければならないのです。そのためには政治が一方向に「収斂」するのを「制度」として防御する体制を保持しなければならないのです。それが「三権分立」であり「言論・学問の自由」なのです。ところがややもすれば「行政権の暴走」が民主主義のはらむ危険性なのであり、これを自覚していた明治の元勲たちはそれを防ぐための施策に腐心したのですが結局それは破綻して先の大戦に突き進んでしまったのです。

 この反省から戦後の政治体制は二度と戦争という暴挙に陥らないための諸種の安全装置を内蔵しました。日本学術会議もその一つです。それがアメリカから武器を言い値で買わなければならない不合理を武器の国産化をすすめることで解決しようと「軍事研究費の増額」を決めても参加する大学が少なく、一割にも満たない予算の消化しか望めない現状は、学術会議の反対声明が大きく影響していると思い込んで、今回の「任命権の濫用」に至ったのでしょうが、この暴挙は民主主義の根幹にかかわる重大な第一歩となりかねない危険性をはらんでいます。

 

 新聞を読まなくなって、インターネットで自分好みの情報ばかりに囲まれて(エコーチャンバー現象)、総合的俯瞰的な判断をできなくなった国民ばかりになってしまったら、日本はまた「戦争」という「あやまち」を繰り返してしまうかもしれません。

 新聞を読まなくなることの危険性は決して小さいものではない。この私の危惧が年寄りの「思いすごし」であることを祈らずにはいられません。

 

2020年10月12日月曜日

管見譫言/20.10

 人間八十年も生きていると世にあるすべての存在が不確かに思えてきて、若い人たちがあれだこれだと争っているのをみるとあれもこれも明日には今日とすがたを変えているかもしれないのにご苦労なことだとおかしくなってくることが少なくありません。勉強に勤しんで懸命に仕入れた知識が不動のものではなく時の移ろいとともに昨日正と信じていた理論が明日には真逆の理論に取って代わられるという経験も何度か経てきました。そんな耄碌老爺の繰り言をこれからときどき書いてみたいと思います。題して「管見譫言(かんけんせんげん)」、よし(葦)のストローからのぞいたような狭い視野の戯言(ざれごと)とでもいうような意味です。

 今日の第一回は「中国と朝鮮(韓国)について」語りたいと思います。

 

 まず中国ですが、今の中国をイギリスやわが日本のような「現代国民国家」としてみるのはまちがっているのではないか、最近そう思うようになってきました。香港に圧制を布いたり台湾の独立を抑え込もうとしたり、南沙諸島に人工島を築いて実効支配をたくらんだりと、およそ世界の常識とかけ離れた政治的行動が目立ちますがそれは中国という国を、いま中国領土とされている地域が日本の国土のようにそこに住んでいる住民が「中国国民」として納得している国土とはいえない地域を多く抱えているということを忘れて、わが日本と同じような国だと誤解しているからなのではないでしょうか。香港は別にして、台湾も新疆ウイグル自治区もチベット自治区も内蒙古自治区も中国共産党政府は中国領土と主張していますが、戦後75年経ってもまだ領土として安定していないのです。だからどの地区でも紛争が絶えないのであり、ほかにも中国には55の少数民族が住んでいますから反政府運動が絶えないのであって、数年前まで反権力闘争を含めた紛争数を公表していましたが二万件を超えたころから公表を控えるようになっています。結局中国という国はいまだに国家として確立していないのです。

 中国の歴史を振り返ってみれば漢民族と四夷――野蛮な異民族(中国からみた)との抗争の歴史であり、満州民族もモンゴル民族もかって中国を支配したことがありウィグル族、チベット族と漢民族は権力闘争を繰り返してきました。かっての中国が賢明だったのは異民族の支配を受け入れながら時間をかけて彼らを「中国化」し、奢侈と怠惰に陥るのをまって「同化」するか追放するかしていたのです。しかし中国共産党は性急にそれをなそうとしていますから紛争が頻発するのです。今のやり方では同化は成功しないでしょう。彼ら異民族にはかって中国を支配したというプライドがありますし、言語も価値観も根本的に異なりますからアイデンティティを共有することはできないのです。

 もう一つの問題点は13億人の中国を9千万人の中国共産党が独裁していることです。ここ数年習さんが粛清しましたから少しはましになっているかもしれませんが、それまでは地方の長官になれば数年で一兆円という途方もない蓄財が可能なほどの許認可権などの権力をほしいままにすることができたのです。それでも国が年10%以上の経済成長をして一般国民もそれなりに豊かになることができましたから共産党の横暴を受け入れていましたが、二三年前から成長が鈍化し1人当りの豊かさ(GDP)も年間1万ドル近くで停滞しています。世界標準では2万ドル以上が豊かな国ですから中国国民はまだ道半ばで留まったままです。極貧から脱出して世界の先進国の豊かさを知った中国国民はこの状態に満足することはできないでしょう。より豊かになることを共産党政府に要求するはずです。それを知っているからこそ習政府は南沙諸島に人工島を築いたり「一帯一路」政策で世界の資源の確保と消費を囲い込もうとしているのです。それでも13億人の国民に先進国並みの豊かさ提供することはできないでしょう。そうした「現実」を国民が知った時「共産党独裁」を中国国民が容認するでしょうか。

 中国は「未完成」な国家です。異民族を「中国化」することと漢民族に「豊かさ」を与えることができなければ「統一国家」として13億人の広大な国家を形成することはできません。そこに向かっての「運動体」が今の中国なのです。今後中国がどのように変貌していくか、ここ五六年、2025年頃までが中国の正念場になることでしょう。

 

 次は韓国について。なぜあの人たちはこんなに日本(人)を憎悪するのでしょうか。

 朝鮮半島は第二次大戦後はじめて独立国として領土をもつことができました。そして韓国は民主主義も手に入れました。しかしいまだにふたつとも――独立国として民主主義国として――有効に機能していません。

 朝鮮半島は歴史上いつも中国の属国でした。朝貢国として中国に傅(かしず)いてきました。日本も朝貢国の時代がありましたが朝鮮のように地続きでありませんから中国の脅威に直接さらされることから逃れることができました。とくに徳川時代以降は鎖国政策によって純粋な「経済関係」以外の政治的な国交はありませんでした。日清戦争(1894年~1895年)によって朝鮮に対する中国の宗主権が放棄され独立が保証されることによってようやく朝鮮は中国の支配から脱却できました。歴史上朝鮮は初めて独立国となったのです。ところが1910年に日本は朝鮮を併合し植民地化しました。結局朝鮮の独立はわずか15年足らずで終わりをつげ主権を剥奪されたのです。古代以来2000年以上中国の属国という地位に甘んじてきた歴史に終止符を打ったと思った朝鮮の人たちにとって日本の植民地になることの屈辱はわれわれ日本人の想像をはるかに超えた根深いものであるにちがいないのです。なぜなら日朝の関係は中国文化の移入においては日本より先進国であったし、武力関係においても古くは白村江の戦い(663年)でも、また秀吉の朝鮮出兵(1592年~1598年)においても日本に勝ったという自負をもっているからです。その日本に植民地として収奪された支配されたという恨みは骨髄に徹する思いなのです。ところが世の常がそうであるように「した方」は「された方」ほどにはその痛みは分からないのです。

 なぜ韓国の人たちがこれほどにわが国を憎むのか、多分こんなところなのではないでしょうか。

 

 中国の理解できない振る舞いと韓国の想像を超えるわが国への憎悪。それを理解するには「教科書歴史」や世間の常識から自由にならないと見えてこないと思います。現実に起こっていることを理解しようと自分の頭で考える、そのためには「深い読書」が欠かせないと思います。ウィキペディア全盛の今、SNSが席巻している今こそ古典を中心としたすぐれた本を読む価値が高まっていると思います。

 

 

 

 

 

 

2020年10月6日火曜日

私の競馬原論

 競馬はブラッドスポーツ(血統のスポーツ)といわれます。ダーレアラビアン(エクリスプ系)、ゴドルフィンアラビアン(マッチェム系)、バイアリーターク(ヘロド系)という三大始祖から累々と重ねられてきた血脈の進化は三百年の年月を経てサラブレッドという走ることのみに特化した競走馬として完成しました。近代競馬はイギリスを発祥の地としてヨーロッパ、アメリカを中心に発達してきましたが近年東アジアの極東の地――日本で世界に比肩する競走馬が輩出するに至っています。五十年前スピードシンボリという馬が凱旋門賞への挑戦で開いた世界の門戸は凱旋門賞こそまだ勝利していませんが、今や世界中のGⅠレースに優勝する名馬が出現するレベルにまで到達しているのです。これは1970年に開設された栗東トレセンなどの施設の改善が大きく貢献しているのはいうまでもありませんが、ヒンドスタンやサンデーサイレンスなど海外有力種牡馬の輸入がもたらした「血統の改良」が最大の要因であることはサラブレッド進化の歴史から当然のことでしょう。    

 競馬はブラッドスポーツです。牡馬は種牡馬になることが最高の名誉ですし、牝馬は繁殖牝馬となって名馬を繁殖することが名牝の証なのです。名種牡馬、有力種牝馬となるための勲章がGⅠレースの優勝です。したがって競馬の体系はGⅠレースを頂点としたGⅡ、GⅢというヒエラルキーで構成されています。競走馬の能力はどのレベルのG(グレード)レースに優勝したかで判定するのが最も基本的な考え方です。そしてGⅠレースに勝つためにはどのレースをステップとするのが最適かということが歴史を通じて確立されたのです。競走馬の能力はGレースの実績で判断するのが正道です。    

 以上が私の「競馬原論」です。原論にしたがって競走馬の能力をどう導きだしていくか、それが「勝馬検討」でありその「勝馬検討」をどのように馬券に結びつけるのかが「馬券検討」になるわけです。      

 ではGレース(特にGⅠ)の「勝馬検討」はどのようにして行うのか。  GⅢの1着2着3着は「3:1:0.5」くらいの能力差と判定すると、GⅡは「10:5:2.5」くらいになるでしょう。しかしGⅠは「50:20:12」くらいの価値があると思います。GⅠの3着とGⅡの1着はどちらに価値があるかといえばやっぱりGⅠの3着の方を上位に置くのが正しいと思うのですが、「勝つこと」がサラブレッドの価値を決めるという考え方もあり、この判定は個人の価値観によって異なっていいと思います。GⅡを2勝していてGⅠでは2着1回しかない馬と、GⅠで2着を2回している馬(GⅡでは実績がない)とどちらを上位にランクするかは非常に難しいところですがやはりG12着2回の方が上位と取る方が良いだろうと考えています。  Gレースの価値は点数をつければ上のような差があると考えるのですが単純に点数化して能力判定はしません。競走馬の能力は複雑ですから数値化するのは困難で、むしろ漠然とGⅠ勝ちを〇、GⅡ勝ちを△、GⅢ勝ちを▽と表した方が実際に近くなるのではないかと思うのです。これを基本に2着3着を考慮しながら[◎、〇、△+、△、△-、▽]にランクづけするのですが、この作業はスポーツ新聞(私は報知新聞)の予想欄にGレース別の実績(資料1)が掲載されていますからそれを参考に行います。いちどに正確な能力判定をマークすることはできませんが、実践で試行錯誤を繰り返して自分なりの「相馬観」を養うのがまさに競馬の面白さではないでしょうか。  結論すればサラブレッドの競争能力はGレースの実績に凝縮されているという考えなのです。    

 その能力がレースで実際に発揮できるのかどうかが「勝馬検討」のもうひとつのポイントです。出走馬の競争実績を判定して実力と調子を見抜く、それをスポーツ新聞の過去8~10レースの馬柱(資料2)から判定するのがこのステップでの作業です。ここでもGレースの成績に注目します。Gレースに出走する馬も条件戦(3勝クラス、2勝クラスなど)や平場のオープンレースに出走することがありますが、それらの成績は一切カウントしません。平場のオープンは特別競走として番組に組まれていますが、休養明けの馬が実戦で調整する場合や実力低位のオープン馬の賞金稼ぎするレースであったりと、いろんな事情を抱えた馬がいろんな目論見で参加するレースが平場のオープン戦ですから結果に実力がそのまま反映されているとは言い難いので無視します。3勝クラス、平場のオープン戦と連勝してきた馬は調子がいい、実力が着いてきた程度の評価に留めます。GⅠからGⅢでの1着2着3着の成績のみで近走の能力と調子を判定します。3走前にGⅠで3着して休養に入り2走前にGⅢで2着、前走GⅡで3着、こんなステップを踏んできた馬は「〇」です。GⅠで5着、前々走GⅡで4着、前走GⅡで3着したステップなら「△+」。GⅠでは着外だったが3走前GⅡ3着、前々走GⅢで着外、前走GⅢで3着、こんな実績なら「△」。こんな風にGレースの実績のみを評価の基準として能力の変化と調子の上昇具合の判定を行います。何度も失敗を重ねて訓練しながら自分流を確立するのです。そんなに時間はかからないでしょう、3、4レースも実戦を経験すれば自分流が出来るはずです。  くれぐれもGⅠからGⅢのレースだけで判断することを忘れないでください。  重要なステップレースの選定は毎週月曜日スポーツ新聞(私はスポーツニッポン)に載る翌週のGレース・過去10年の実績表(資料3)のデータで見つけてください。    

 勝馬検討の2つの作業――「能力判定」と「近走実績と調子の判定」を行ったらその2つの判定結果の「〇」「△」を総合して[AA、A、AB、B+、B、B-、C、↑]にクラス分けして最終的な勝馬検討とします(このうち「↑」はデータではなくカンで選んでいますが何度か穴を的中しています。不思議なものです)。その評点を組み合わせて購入馬券を決定するのが「馬券検討」です。AとBの組み合わせにするか、AとB、Cの組み合わせにするかは、騎手、調教、血統、コース適正、展開などで判定します。最近の傾向は「騎手優勢」ですから騎手の評価は重要ですし、クラシックは血統を重視する考え方も有力で(私はスポーツニッポン水曜日にコラムを書いている亀谷さんの血統論を参考のすることがよくあります)血統の知識も馬券検討に有効です。  勝馬検討、馬券検討にはどんな資料を利用するかが大きなウェイト占めます。私は上記の資料を用いていますが自分なりの資料を探してください。    

 いちどに理解するのは難しいでしょうから最近の実践例として分かり易かった「神戸新聞杯」の検討結果を記しておきます。②コントレイル(◎、◎、AA)、⑱ヴェルトライゼンデ(〇、〇、A)、⑪ディープボンド(△+、△+、AB)の3頭が抜けていて特に②⑱は別格に判断しました。Bには⑥⑩⑮、Cは④⑤⑰となりましたが、単騎逃げの見込める⑩、騎手重視で④⑥を選んで⑤は外しました。馬券は1着固定の馬単を5点、1着固定の3連単を購入しましたが、⑤を外したので馬単だけ的中で少々の負けですみました。    

 いよいよ秋のGⅠシーズンです。最近の競馬ジャーナルはデータ分析や調教偏重ですが、GⅠはGレース実績の「能力」重視が馬券必勝法だと私は考えています。自分流の勝馬検討でレースを楽しんでください。3、4レースに1回中穴が当たれば競馬は愉しいものです。 -

2020年9月28日月曜日

新型コロナが地球を静かにした

最初にいい話をひとつ。6歳のブリッジャー・ウォーカー君は1歳のジャーマンシェパードのミックス犬に襲われた妹を助けて90針の重傷を負いましたが父親によくやったと褒められて「もし誰かが死んでしまうなら、自分がそうなろうと思った」と答えたといいます。おばさんがこのことをインスタグラムに上げたのをみた人気のスーパーヒーロー映画「キャプテンアメリカ」(ブリッジャー君はこの映画の大ファン)に主演するクリス・エバンズさんは、主人公の持つ本物の盾をプレゼントして「君の行動はとても勇敢で献身的だった。君のような兄がいて妹さんは実に幸運だった。ご両親も君を誇りに思っていることだろう」と称賛の言葉を送ったと伝えられています。  

 さてコロナの感染状況に一応の落ち着きが出てきたと判断されて、GoToトラベルに東京が加えられたり野球やサッカーの入場者数が5000人から収容人数の50%に上限アップされたりと感染症対策が緩和されてきています。この判断はどんな指標にもとづいてなされたのでしょうか、たんに感染者数の減少傾向だけで判断されたとしたらこれから寒くなってウィルスの活動が旺盛になると第三波の襲来を防げないのではないでしょうか。  

 そうした事態に対処するには「抗体検査」が重要になってきます。  抗体とは免疫細胞がつくりだすたんぱく質のことで過去の感染歴の判定に有効です。ウィルスのどの部分にくっついてできたかによって抗体の種類や性質が異なりますが、感染防御に働くのは「中和抗体」でこれが十分でないと再感染は防げません。検査によってこの中和抗体が検出できれば感染症を正しく判定することになりますが、風邪コロナなどに反応すれば擬陽性になりますからたとえ陽性でも再感染しない証にはなりません。したがって検査の精度が重要になるのです。  抗体検査によってその地区の感染率をはじき出して再感染の可能性を判定するためには感染人口が一定数以上必要ですが、わが国の状況はそこまでPCR検査が実施されていませんので検査結果を用いて単純計算でその可能性を判定するまでには至っていません。  

 また一日も早い終息を願ってワクチン開発が前のめりで行われていますが、安全性の確保されたワクチンはこの冬には間に合わないと考えた方が現実的でしょうし特効薬の発見・開発も同様だとすれば、マスク、手洗いうがい、三密を避ける、というジャパン方式とPCR検査、抗体検査を有効に行って感染拡大を防ぐというこれまでの対策を、より賢明に実施するしかないということになります。一時の減少傾向に浮かれて野放図な経済活動を願うには時期尚早な気がして仕方がないのですがどうでしょうか。  

 コロナで外出自粛が徹底して行われたおかげで、上海の空がキレイになったりヴェネチアの運河のゴミが激減して清潔になったとか、経済活動の停滞は思わぬ環境の浄化をもたらしました。気候変動の激化が台風やハリケーン、森林火災の続発・大規模化をもたらし森林破壊が進行すると奥地に生息していた野生動物の消滅や人間居住地への移動が招来され、そうした野生動物を宿主としていたウィルスが新たに人間に感染して新型ウィルス感染症となって地球大の感染拡大となることは今回の新型ウィルス感染症で経験しました。低開発国をいまのまま際限のない森林伐採や焼き畑農業をつづけざるを得ない状況に追い込んでいけば、新型コロナウィルス感染症はつぎからつぎへと新種となって人類に襲いかかってくることになるでしょう。  

 ところで、新型コロナが地球を静かにした!といえば驚かれるにちがいありません。しかし、ロックダウンや自粛要請によって人びとの活動が抑えられたことによって世界中の地震計の「ノイズ」が減少したとベルギー王立天文台の地震学者トマス・ルコックさんらが米サイエンス誌に報告しています。世界117ケ国268観測地点の高周波振動を観測した結果がそれを示しているのです。地震計は地震だけでなく核実験を感知することもありますし人の歩行、車や電車の運行、工場などの人間活動、花火大会やサッカーの試合も検出することもあるのです。こうした地震以外の揺れの感知は地震学の観点からは小さな地震を覆いかくすじゃまものという意味でノイズ(雑音)と呼ばれているのですが、今回の新型ウィルス感染症の場合はノイズの減少が「地球の静かさ」を表す指標として有効な働きを示したというわけです。  

 最後にもうひとついい話を。アメリカ・テキサス州のネイルサロンで施術を受けていた女性が指輪を外したまま忘れてしまいました。指輪はサロンの人たちに気づかれないでゴミとして回収に出されました。指輪のなくなっているのに気づいた女性から連絡を受けたサロンの人たちは、すべてのゴミ袋を一つずつ掘り起こし処分直前に指輪を見つけ出すことに成功したのです。「『残念でしたね』で済むところを親切に探していただいてとてもうれしい」と女性は感謝しきりだったということです。  コロナは私たちに経験したことのない恐怖と苦しみを与えました。しかしそれと同時に忘れていた大切なことを思い出させてもくれました。待ったなしの環境破壊と経済のバランスをどのようにとっていくのか、人類の賢明さが試されています。

(本稿のコロナに関する多くの記事は毎日新聞・青野由利さんの『土記』を参考にしました)

2020年9月21日月曜日

ひとのフリ見て

  ベラルーシの大統領選挙をめぐる選挙不正に対する抗議活動が拡大しています。ルカシェンコ大統領の6選が決まったのですが長年つづく独裁政権に市民の抗議は収まる気配が見えません。ここ一二年の間にロシア、インドネシア、香港と選挙不正が世界的に続発しているのは見方を変えればこれまでの政治の潮流が世界的に転換点を迎えている裏返しの証と見ることもできます。

 香港の場合は被選挙人――選挙で選ばれる側の候補者として立候補する自由がないのです、特別行政区(行政長官)が立候補の可否を決定するという選挙の公正さを侵害する制度に市民が不満を抱き抗議しているのです。  

 ロシアの場合もベラルーシの場合も選挙の自由が侵害されていて上から押しつけられた候補者にしか投票できません――投票が監視されていて指定された候補者以外に投票すれば何らかの被害を蒙る制度(見えない制度)になっているのです。  

 アメリカは選挙情報が真偽入り乱れてどれが真実でどれがフェイクか判断できないような状況に陥っていて自分の意思を正確に投票に反映させることが困難な状況になっています。こうした情報操作は相手方政党によって行われることもあればロシアや中国の介入もうかがえる状況になっています。トランプ氏が大統領に選ばれた経緯を検証するとロシアの介入による影響が大きかったことが分かります。  

 自由陣営の一翼を担う民主主義国――わが日本ではこんな選挙不正は起こりえないだろう、そう思いたいのですが9月14日に行われた自民党の総裁選挙で堂々と、しかも権力を監視するはずのメディアを巻き込んであからさまに行われたのですが、一般市民はそれを「不正選挙」と認識しているでしょうか。  まず被選挙人の自由は、議員の推薦人が最低でも20人以上を要するという規制によって、誰でもが立候補できる自由が侵害されています。これまで何度も立候補してきた石破氏はこの規制によっていつも薄氷を踏む状態で立候補してきています。  

 今回の選挙に関していえば、公示前から――公示後は相当な確からしさをもってマスコミが三人の候補者の得票数の予測を面白おかしく報道しましたから、勝馬に乗って選挙後の立場を優位にしようという欲望にかられた選挙民(議員と党員)は優勢とされる菅氏への投票に急激に傾いていきました。明らかな「情報操作」といっていいでしょう。  

 これまでの自民党の選挙では「派閥の締め付け」が強力に働いて派閥の力学で総裁が選ばれてきた、といってもあながち誤ってはいないでしょう。しかしそれは水面下で行われてきましたから、田中角栄の場合も小泉純一郎の場合も予想外の結果として国民には驚きをもって迎えられました。ところが今回の総裁選挙ではこうした派閥の力学がマスコミに常時垂れ流されて、リアルタイムに候補者の勢力図が国民の目にさらされました。だから公示の三日目には菅氏が圧倒的な得票数で選ばれるであろうことはすべての国民の知るところとなりました。これは明らかに民主主義の劣化です。国民は明らかに自民党にナメラレたのです。  

 選挙で最も大事な「投票の自由」が派閥の領袖以外にはまったく保証されていなかったのが今回の自民党総裁選であったのです。もっとも情けないのは、安倍総理が蛇蝎のごとく嫌う石破氏の地方人気を削ぐために菅氏の票を岸田氏に融通したという顛末です。ここにいたって民主主義は完全に冒涜されました。  

 先にも書きましたがわが国は民主主義国家と世界に公言してきました。しかしその民主主義国家の、政権党である自民党のトップを選ぶ総裁選において、かくも堂々と「不正選挙」が行われたのです。しかもマスコミもこれに加担するという前代未聞の形で。これほどの『恥――恥辱』があるでしょうか。ひとかどの見識を誇るコメンテーターも知識人もこの不正選挙を面白がって見るだけに収まらずなんだかんだとコメントをするのですから呆れかえって言葉もでません。  

 これほどの恥を外国はどのように報道するのでしょうか、そして論評が加えられるのでしょうか。今から恥ずかしくて身の置き場もありません。情けない限りです。  

 もうひとつ、菅新総裁の「安倍政策の継承」という公約を危ぶみます。  

 まず「コロナ対策」ですが安倍体制のままではこの冬のインフルとコロナの同時進行になった場合、まったく対応できない危険性を感じます。無症状や軽症の感染者も入院になる今の感染症分類では医療崩壊を招くこと必至でしょう。さらにPCRの検査体制も公表されている1日5万件という実施能力が実際はそうでないらしいと「ココア(接触感染アプリ)」で警報を受けた人から聞いています。その人は深夜突然の警報で濃厚接触を知らされたのですが、翌日センターに電話すると、無症状なので普通に行動してよいと言われ、それでもPCR検査をしたいというと翌日保健所から連絡があり検査キットを5日後にお送りします、検査結果はキット返送後3日して通知しますが土日祝日がはさまる場合はその後届きます、という返事だったといいます。ということは無症状で「新しい生活スタイル」で生活するのですから濃厚接触する場合もないとはいえないことになり、感染させる可能性はゼロではありません。またPCR検査は唾液型なら30分ほどで結果が出ると公表されているのに、最低でもアラームから11日後、場合によっては14日かかることになります。これではPCR検査の意味がありませんし、アラームを受けた本人は結果が出る2週間近い間不安を抱えたまま過ごさねばなりません。これでインフル、コロナの同時進行に対処できるとは到底思えません。医療用のマスクや防護服、検査試薬の生産体制と備蓄は進行しているのでしょうか。すべて「安倍体制」の継続では不安なのです。抜本的に体制強化してくれなくては困るのです。  

 デフレ脱却も成長力回復も未達成です。雇用増も実体は非正規ばかりで生活の安定には程遠く、賃金も一向に上がっていません。格差は開くばかりで差別も減る気配がありません。東京一極集中は加速して地方創生は掛け声倒れで地方の疲弊は加速しています。すべての課題は安倍体制では解決しなかったのです。  

 安倍政策は検証されて新たな方向に転換しなければ日本は善くならないのです。貧しくて不健康で楽しくない子どもたちが増えるばかりなのです。もちろん大人も不幸な人が多いままです。  

 安倍体制は継続してもらっては困るのです。  

 菅さん、分かってください。  

2020年9月14日月曜日

拝啓 中信 様

 拝啓、仲秋の候、貴庫益々ご清栄の段お慶び申し上げます。
 
 とはいえ、こうした定型文の虚しさをつくづくと感じる昨今の社会情勢ではありませんか。緊急避難だったはずのゼロ金利政策が曲折を経ながらもう二十年を超え、その後の財政状態を考えるとあと十年以上はこのままの状況がつづくことを覚悟せざるを得ない中でのコロナ禍は貴庫に置かれましても一方ならぬ苦境を強いられておられるにちがいありません。
 
 そんな折ではありますが本日はお願いの儀ありこの手紙を認めました。
 磁気不良によるキャッシュカード(以下CCと略す)再発行手続きの簡素化についてです。
 先日S支店でCCの磁気不良が生じ磁気再生を申し出ました。対処してくれた女性行員さんが再生不能でカード交換しなければならない、そのためには通帳、届出印鑑、身分証明書が必要だという。驚きました。いまどき磁気不良でカード交換をしなければならないなどということは他行ではありませんし、再発行に印鑑まで提出を求めるなどこのIT化時代に信じられません。
 というのも今年になってK銀行とY銀行でCCの磁気不良にあっており、とくにY銀行など二度も発生して、そのつど磁気再生されているのですが、そのさい当該のカード以外何も提出を求められることなく、即時、その場で対処してくれました。
 
 自宅に求められたものを取りに帰り引っ返して再度手続きをしました。再交付申請書に署名捺印して再発行を待って、やっと手続きが終わった行員さんが近寄って来たのでヤレヤレと思っていたら、「二三日後に郵送されてきます」という説明です。さらにそばから別の行員さんが「他店(N支店)分ですのでもう少しかかります」と言い添えました。今すぐお金がご入用なら窓口で出金いたしますがという申し出を受けましたが「もういい!結構です!」と言い捨てて店を後にしました。
 二度目に店に行ったとき、窓口で押し問答しているのを見かねて支店長がじきじき対応してくれたのですが、想像もしていなかった事態に感情的になり声を荒げたこと、年甲斐もなく恥じ入るばかりですが、それほど貴庫の対応は常識を逸した対応と私には感じられたのです。
 
 そこで本日のお願いです。磁気不良による磁気再生あるいはカード再発行に関する手続きを、当該カードの提出のみで一切の手続き書式不要、即時、再生または再発行に改変していただきたいのです。もちろん本人確認(証)が必要ならその程度は受け入れ可能範囲です。それほどCCの磁気不良は日常化していると思います。
 
 手続きの途中で支店長に忠告したのですが、これまでもCCの磁気不良の苦情を申し出る利用者は少なくなかったはずでしょうし、他にも日常的に苦情や注文はあって当たり前で、利用者(預金者)と直接接する現場はそうした苦情、意見を情報として本部に日常的に、懸隔なく、スムースに、流通するようになっていなければおかしいのではないか。そうした利用者に寄り添った細かなサービスに徹した地域密着の金融機関が中信だったはずです。なぜなら中信は「On Your Side――あなたの身近に」 なのですから。
 
 貴庫とはK区で鉄工所を営んでいたころからのおつきあいで、二十年ほど前、居宅だけはK区に残しておきたかった私に最後まで親身になって対応していただいたN支店のKさんという若い行員さんのことは今でも懐かしく覚えています。ですから中信は私にとって一番身近な存在であり、利用者のことをもっとも親身になって考えてくれる存在なのです。その中信が、社内手続き上の問題で、磁気不良という今どき日常茶飯の事故で年寄りに(私も来年は八十歳になります)暑い中を通帳と印鑑と身分証明書を取りに帰って提出させることになんら疑問を抱かないなどということは信じられないのです。
 
 コロナ禍後の景気浮揚、企業再生に地域金融機関の果たす役割は重要です。デフレ下で景気浮揚を狙った金融緩和は正しい政策でした。しかし市民と中小企業にお金が届かない今の金融システムでは機能しません。ゼロ金利で利子(利息)収入を得られなくなった市民の逸失利益は25兆円(5年ほど前の立命館大学教授の試算)にも上るといわれています。所得が上がらないうえに金融所得が無くなったのですから消費の増えるはずもありません。企業活動を活性化させるためには地方の中小企業にお金が届くようにしなければならないのに、中央政府が旗を振って政府系金融機関(かメガバンク)が窓口になっているのでは必要としている中小企業にお金が届くはずもありません。彼らには地方の中小企業に対する与信機能もありませんし、中小企業のもっている技術や地元密着の新しいサービスの目利き力がないからです。これでは何兆円の中小企業活性化資金を用意しても中小企業にお金は届きませんし(持続化給付金詐欺は政府による金融政策の制度設計の脆弱さを露呈しました)、中小企業のもっている新技術・サービスの種子が実現することもありませんから資金需要も増えず、したがって地方創生も実現しません。
 所得増大と金融所得の復活なくして消費増大はありえず、地方金融機関の活性化なくして地方創生が実現不可能なことは誰が考えても当然のことです。
 しかし現今の財政状況ではゼロ金利解除はあと十年は不可能でしょうし、そうなれば地方金融機関活性化も今までの延長線上ではなかなか困難な課題でしょう。
 
 京都中央信用金庫は庶民に最も身近な存在としていつまでも京都の中心的金融機関として存在してほしい。そのためには現場の意見が円滑に本部(理事長)に届く組織でなければならないと思います。そのきっかけとして、CCの磁気不良の磁気再生とカード交換が、即時その場でできるような手続きに改変してほしい。そう思ってお願いの手紙を認めた次第です。
 善処を、早期に、実現されることを願っています。
 
 コロナ禍のもと厳しい経営環境が続くでしょうが、どうかお体ご自愛されまして業務に精励されますように、そして貴庫がますます繁栄されますことを祈っております。
敬具