2020年10月26日月曜日

刀狩と憲法9条

 国のゆたかさが領土の広さから解放されてまだ百五十年もたっていないのではないでしょうか。百五十年前まではまちがいなく国力(国富)は領土の広さ(と肥沃さ)に規定されていましたがそれはGDP――国の総生産の九割近くが「農業」によって占められていたからです。農業の生産力は土地の広さと投入される労働量に比例します。ロシアは広大な領土の多くを生産性の低い極寒のステップやツンドラが占めていますから歴史上早くから温暖な土地を求めて「南下政策」をとり領土的野望をあからさまにしてきました。またアメリカは広大な領土に比べて圧倒的に労働力が不足していましたからアフリカの黒人奴隷を使役するという汚点を歴史に刻まざるを得なかったのです。

 主産業が農業である発展段階において「領土の拡張」は国にとって最重要事項でありそのための『軍事力』は国土を拡大するための必須能力でした。農民(国民)にとって保有する土地の「安全」は最低限の条件であり他国からの「侵略」を『防御』する『軍事力』は国に求める第一次的機能であり『軍事力の保持と独占的行使権』は国民が国に委ねる「権能」の第一等の位置を占めざるを得ないのです。

 これを別の表現で表すと「国家とは、ある一定の領域の内部で正当な物理的暴力行使の独占を(実効的に)要求する人間共同体である(マックス・ヴェーバー著『職業としての政治』脇圭平訳岩波文庫)より」「つまり国家が暴力行使への『権利』の唯一の源泉とみなされている」ということになるのです。

 

 わが国において武力を国家が独占するようになったのは「秀吉の刀狩」を嚆矢とするのではないでしょうか。国のかたちが未完成でしたから家康の徳川幕府の成立をまって本格的な独占が達成されたのですが、「兵農分離」が権力者によって実施されたという意味で刀狩は重要な歴史の転換点だったと思います。

 群雄割拠の戦国時代に至って戦闘形態が大転換します。それまでは武将同士の一騎打ちが主たる戦闘形態だったのが鎌倉幕府によって武家政権が成立して以降、足軽の採用が急速に進み室町幕府の時代からそれが本格化、戦国時代に至って足軽を主戦闘集団とした戦法が主流になり「農=百姓の兵力化」が軍事力の主体を占めるようになります。平時は農民として生産活動に従事し戦時には武器をもって兵士となる。そんな時代が百五十年ほどつづいた末に秀吉の国家統一が完了し「武力の独占」の必要性が生じ「刀狩」を実施したのです。

 国家として実効的に「軍事力の独占」をしたのは明治政府です。しかし「国民国家」としての歴史が浅く統治システムが不完全だったために「軍事力の管理」に破綻をきたし、日清、日露、第一次・第二次世界大戦と「破滅の行程」をたどったのです。

 

 次にわが国の領土のうつり変わりを考えてみましょう。最近盛んに「わが国固有の領土」ということをいう人が多いからです

 鎌倉に幕府が置かれるまで関東以北と鹿児島など九州南部は蝦夷、熊襲(えみし、くまそ)と呼ばれて日本の領土ではありませんでした。というよりも京都の朝廷に服属する勢力がそこまで力を及ばすほどに成長していなかったと言った方が事実に即しています。その後武家政権が確立・勢力伸長するにしたがって東北も鹿児島(薩摩)も日本の国土になり、やがて北海道も琉球(沖縄)も日本に編入され大体今の日本の領土が形成されるのですが、それは明治政府の成立と軌を一にしています。ここで注意がいるのは国連の「自由権規約委員会」などがアイヌと沖縄(旧琉球人)を「先住民族」として認めるよう数回にわたって勧告をしていることです。政府はアイヌに関してはこれを受け入れアイヌ保護の方針を打ち出していますが沖縄に関しては断固拒否の姿勢を貫いています。こうした事情を考えると政治家の一部などが常套的に「日本民族は単一民族だ」との言辞を弄しますが決してそうでないことが分かります。

 日韓で問題となっている「竹島」は徳川時代、日本、朝鮮、中国、オランダが「密貿易」の中継地として共同利用していましたから日本の領土でも韓国の領土でもなかったといった方が実情に近い捉え方です。北方領土に関しては日露修好通商条約(1858年)で択捉島とウルップ島の間に国境線を引くことで同意していますから明治政府はエトロフはわが国領土と考えていたでしょう。その後日清・日露戦争や第一次世界大戦の結果、日本領土は台湾、朝鮮、満州と拡大の一途をたどります。東アジアが真っ赤に塗りつぶされた戦前の日本地図を知らない人も多くなってきましたが、結局第二次世界大戦に敗けすべてを失って今日の領土に落ち着いたのです。

 こう考えてくると「日本固有の領土」などというものはほとんど『幻想』であって、戦争という不条理な暴力行為によって獲ったり取られたりしてきたのが歴史なのだということが分かります。戦争のない平和の時代が75年つづいて、信じられないほどの兵器の発達によって全面戦争ができない時代になって、領土問題はまったく新しい段階に至っているのです。

 

 国民国家の紛れもない一面は「軍事力の独占的行使権」を保持しているということです。そしてそれは「行政の長――大統領であったり総理大臣」が保有しています。もちろん白紙委任ではなく国会の承認等の「規制」で制限が設けられていますが、それでも国家の『暴力行使の独占』という側面を政治権力の中核として認識することは重要です。そして「軍事力の管理」に失敗した敗戦を教訓として戦争を放棄した『日本国憲法第9条』があるのです。

 

 日本学術会議委員任命問題を単なる手続きや学術会議のあり方などと矮小化して考えるのではなくこうした「方向転換」が、究極的にどこを向いて誰が行おうとしているのかという「見方」を絶えず持ち続けることが重要だと思うのです。戦前「軍事力の管理」に失敗したのは国の本質を忘れて政治(の変化)の「監視」に失敗したからです。昭和58(1983)年の学術会議の委員任命に関する政府見解を菅総理は変更しようとしていますが、この一歩は決して小さな一歩ではないような「うすら寒さ」を感じるのです。

 

 『多様性への寛容』がないがしろにされだしたら「危うい!」と感じるアンテナが大事です。

 

 

 

 

 

 

 

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