2020年11月2日月曜日

死闘

 向こう正面がアップになるとコントレイルが行きたがっている。こんなことは今まで一度も見せたことがない。福永が懸命になだめている。といっても引っ張り切ってケンカしたのでは馬の闘争心を暴発させてしまう、少し矯(た)め気味に馬と会話している。分かっている、キミに三千は長すぎる。いつもならここらあたりからゴーサインを出すのだが今日はもうちょっと待ってくれ!あと三百米、坂を上り切るまで。

 福永の悲痛な制御をあざ笑うようにルメールはアリストテレスをコントレイルにけしかける。1コーナー手前からピッタリと斜め横に張り付いてプレッシャーをかけつづけている。コントレイルは敏感だから間近に聞こえるアリストテレスの鼻息をズッと聞きつけて苛立っている。

 もう少しだ、あと百米待ってくれ!いつもならどんなに遅くてももうゴー!とコントレイルを解放している。しかし今日は三千米、まだなんだ!もう少し。しかしコントレイルの我慢は限界だった、もう待てない!福永は手綱をゆるめた。坂の頂上までまだ百米はある。

 菊花賞は京都競馬場三千米の外回り、二度の坂越えの長丁場。3コーナの手前二百米から高低差3メートルの坂を上って三百米で下る。この坂をユックリ上ってユックリ下る。それが鉄則だ。

 コントレイルは百米手前でスピードをあげて坂の頂上を駆け抜けた。やっとアリストテレスが1馬身半ほどうしろに下がった。このまま差を広げて4コーナーを回りながらアリストテレスの外に出す。外へ出してプレッシャーを振り切ってノビノビとコントレイルを走らせてやる。長かった三千米の最後の四百米だけはコントレイルの自由な走りにまかせてやりたい。そのためにアリストテレスを振り切りたかった。

 4コーナーだ、しかしいつの間にかルメールはコントレイルの真横にアリストテレスを張り付かせていた。外に出せない!コーナーを回って直線。福永はコントレイルを力いっぱい押し出す。すこし前に出た。しかしスグにアリストテレスが追い付く、並ぶ。また福永はコントレイルを前に出す、ルメールはくらいつく。もう少し、もう少し。あと百米、あと五十米。並んで二頭がゴールに飛び込む。とうとうコントレイルはアリストテレスに抜かせなかった。

 

 福永は何度も覚悟した。直線で外からかぶせられたらたいがいの馬はひるんでしまう、闘志が萎えて脚色が鈍る。自分も何度もそうして直線勝負で勝ってきた。少しくらい実力が上の馬でも外からかぶせれば押さえつけることができた。それがどうだ、二千米以上プレッシャーをかけつづけられながら、直線で外からかぶせられながら到頭コントレイルはアリストテレスに抜かせなかった。なんという馬だ、なんと強い馬だ!勝たせてくれた、コントレイルが勝たせてくれた。三冠のかかった菊花賞で自分は最悪のレースをしてしまった、3コーナーの坂の途中から追い出すという鉄則破りを仕出かし、直線では外からかぶせられるという最悪のレース運びをしてしまった。それなのにコントレイルは勝たせてくれた。

 

 どうしても獲れなかったダービーを二年前に勝って「一皮むけた」と評価してもらって自分自身も一段ステージが上がったような手応えを感じていた。今年は好調ですでに100勝してリーディング3位で重賞も9勝している。自信はあった。クルーも万全の仕上げをしてくれた。3冠がかかって緊張もあったが馬を信じていた、負けることは無い。そう思っていた。

 ルメールは凄い奴だ、一枚も二枚も上手だ。まだまだ彼の域には届いていない。豊(武豊)さんのレベルはずっとずっと先のことだ。俺はまだ「発展途上」だ。

 

 父子二代、無敗の三冠馬が誕生した第81回菊花賞2020は名勝負だった。五十年以上競馬を見てきた中で最高のレースだった。コントレイルはすばらしいサラブレッドだ。競馬をしていて良かった、しみじみそう思う。2月末から無観客で開催されていた中央競馬がこの開催から観客を入れるようになった。千席足らず(約800席)だがコントレイルは異常を感じたかもしれない。ファンのなかには無観客がコントレイルを勝たせるという人もいる。そうかもしれない。もしそうだとすればコロナ禍の2020が生んだ「レジェンド」としてもコントレイルは競馬ファンの記憶に残るにちがいない。

 

 コロナ禍の2020、競馬界では無敗の三冠馬が牡牝に出現するという稀有な年になった。デアリングタクトとコントレイルはその意味でもファンの記憶に残る名馬になった。長い競馬の歴史の中でGⅠ8勝馬が現われるという記念の年にもなった。アーモンドアイもすばらしいサラブレッドとして称賛しつづけられるにちがいない。巨人の菅野投手が開幕戦以来13連勝という記録を打ち立てた。将棋の藤井聡太君が18歳1ケ月という史上最年少で二冠と八段昇格を達成した。全米オープンを制覇した大坂なおみ選手は初戦から決勝まで7枚のマスクに虐殺された7人の黒人の名前を浮かび上がらせて「無言の抗議」を示した。感動的だった。オリンピックが戦争以外ではじめて延期されたという異常な年に史上稀有な記録がつぎつぎと現れたのは偶然であろうか。

 

 福永洋一という天才騎手が不慮の事故でターフを去ってから41年(落馬事故は1979年3月だった)。あとを継いだ祐一が牡馬三冠をコントレイルで達成した。辛勝だった、難産の記録達成だった。これは父からの無言の戒めだったかもしれない。祐一よ、もっと高みを目指せ、と。

 

 

 

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