2016年7月25日月曜日

テレビはどこへ行くのか

 テレビの全盛期を演出した大橋巨泉氏の訃報が報じられたその日(2016年7月21日)、テレビに残された数少ない牙城、スポーツ―サッカーJ1の放映権が英国のインターネット事業者・パフォームグループと契約されることが発表になった。なんとも皮肉なめぐり合わせというべきか。テレビのこれからが危ぶまれる。
 
 巨泉氏についてはいろいろ論じられているから重複を避けてわたしの巨泉像を述べてみたい。最近も行きつけの喫茶店で年輩の女性が「最近のテレビは見るものがない」と愚痴っていたが、巨泉氏はテレビをおとなの見るものにしてくれた人であったと思う。厳密に言えば『おとなの男』をありのままにテレビにさらけ出してくれたと言った方が正しいかも知れない。テレビが俗悪化したと非難されPTAや教育委員会の目の敵にされて窮屈になり草創期の面白さが陰りだした頃、それに挑戦するかのように「麻雀、競馬、ゴルフ、お色気」というおとなの男が普通に楽しんでいる世界(趣味)を堂々とテレビに『解放』したのが巨泉氏であった。「11PM」で朝丘雪路の巨乳を「ボインちゃん」などと陽気に茶化して、それまで大っぴらにし難かった性的なものをオープンに、『健康的なお色気(こんな表現は彼は嫌うだろうが)』として以後の「テレビ基準」に変革をもたらしたのは彼であった。サラリーマンが日常的に楽しんでいた「麻雀、競馬」の必勝法や楽しみ方を独断と偏見で『講釈』して、世間から「うしろ指」されていた『賭け事』に市民権を持たせたのも彼の功績と言えよう。今でもスポーツ番組の一つの柱である「テレビゴルフ」も彼の「解放」が無ければ人気番組になるまでに相当な遅れがでたに違いない。
 関西の大物タレント―島田紳助、上岡龍太郎、たかじんなどが亡くなったり引退したりしているが今田耕司や東野幸治など吉本の若手芸人がそつなくその穴を埋めているのに比べて、巨泉氏の後裔はいまだに現れていない。「余人を以て変え難い」存在というべきか、惜しい人を亡くした。彼の訃報の直前に永六輔氏が亡くなっている、テレビの一時代を画した人たちが完全に消えていった。
 
 Jリーグが英パフォームグループと年平均200億円で放映権を契約したのは、衛星放送の普及が思うように進まない我が国でスマホの普及率が高い現状からサッカー界がリーグの繁栄戦略として下した厳然たる選択である。世界のサッカーリーグで放映権をインターネット事業者に全面的に委ねたのは世界初であるだけに今後の進展が注目される。
 Jリーグの現在の放映権料はスカパーとの5年間30億円(推定)だから大幅な収入増になりJ2を含めてリーグ運営に好結果をもたらすに違いないし、ファンも現在の衛星放送受信料の月3000円から1000円以下になる模様で結構なことに違いない。
 配信がスマホ、タブレット、ゲーム機になるから、いつでもどこでも、何度でも視聴できるようになる。試合開始時間もテレビの放送開始時間に縛られることがないからクラブの都合に合わせられる。動画の配信が公式サイトで自由にできるから「ストーリー性」の充実と広がりに期待できるからクラブ運営の自由度が高まる。加えて露出の拡大が図れるからJリーグの狙うアジア進出に弾みがつく可能性がある。などなど、いいことずくめだが果たして皮算用通りにことが運ぶか興味が持たれる。
 
 テレビの「速報性」は完全にスマホ(PC)に敗れた。エンターテイメントも若い人にとっては動画サイトの面白さが勝っているかもしれない。スポーツだけが画面の大きさも手伝ってテレビが優位だったのが今回のサッカー中継のスマホ移動でどうなるかわからない。これでプロジェクターが手ごろな値段で普及すれば、また注目カード(たとえばオリンピックやサッカーワールドカップなど)のパブリックビューイング増えれば若い人たちの嗜好として皆でワイワイ楽しむ方が好きな傾向があるから、家で独りでテレビを見るよりそっちの方を好むかも知れない。となればテレビはいよいよ若い人たちから見放される傾向に拍車がかかる。
 このコラムで何度も述べてきたが、テレビが「局主導から代理店主導を経てタレント事務所主導」に変わって番組が本当につまらなくなってしまった。特に関西ではお笑いタレントがどのチャンネル、どの番組にも「跳梁」していてうんざりする。彼らが悪いといっているのではない、彼らに合わせて番組が製作されるから、どの番組も同じような印象を持ってしまうのだ。聞くところによるとドラマも事務所との力関係から、まず主たる出演者が決まってから番組作りがスターとするらしい、これでは面白いもののできるはずがない。
 
 テレビはどこへ行くのだろうか。テレビマンの奮起に期待する。

2016年7月18日月曜日

働き方改革と十字軍

 参院選は自民党の圧勝に終ったがこれで山積する我国の諸問題が解決される保証はどこにもない。
 一方で英国のEU離脱、米国大統領選での「トランプ現象」。英国は民主主義の発祥の国であり米国は民主主義と資本主義の実験場でそれらを最も原理的に先鋭に発現した国である。ともに二大政党政治を標榜した先進諸国のリーダー的存在である両国が「あるべき形」とは呼べない選択を示したということは、二大政党の本流政治家や著名ジャーナリストの信奉する民主主義とは異なった地殻変動が両国で起こっていることを示しているのではないか。
 先進国での資本主義のあり様を見てみると、EUのドイツ独り勝ちとその他の国の低成長と分裂指向、日本のデフレの長期化、米国は堅調とはいえ高度成長とは言い難い2%前後の経済成長と、戦後70年を経て安定成長を前提とした経済運営は中長期的に展望不能な段階に至っている。加えて『難民問題』は逃れ難い現実としてEUとヨーロッパに突きつけられこれからの数10年避けて通れない根本問題として取組んでいかざるを得ない状況になっている。
 
 我国は明治以来、近代化を目指して富国強兵を突き進み第二次世界大戦を経て資本主義と民主主義のある程度の『完成型』を達成し、アジア唯一の欧米型の先進国としてアジア諸国やその他の後進国の『モデル国』として目される存在となった。ということは米国、英国やEU諸国が今ある『低成長』を前提としてこれまでの成功体験とは異なる「国家運営」を行わざるを得ない状況に我国があることを覚悟する必要がある。
 では従来の我国の「国のかたち」とはどんなものだったのだろうか。
 一つの典型は「男性の就労第一主義」であろう。成人男子は結婚して家庭を構えるのが常識であり、結婚後の家計は夫が担うのが当然で、女性は「ハウスキーピング」と「ケアワーク」を夫から丸投げされて家庭に引きこもる、という生活スタイルである。見方を変えれば、男性は仕事第一主義で家庭(妻)から仕事(の場)に収奪された社会的存在であって、仕事と家庭が分裂し仕事の場が家庭とは全く分離した生き方を強いられたということができる。
 明治以前を考えてみると、武士階級を除いてほとんどの国民は職場と家庭を両立させ夫婦(子供)が『協同』して生活していた。農業も商業も、工業さえもそうであったかもしれない。ところが明治になってお役人(公務員)を中心として『雇人(古い統計用語で今の雇用者にあたる)』階級が発生し、当初は労働人口の7%程度に過ぎなかったものがやがて農家の二三男の地方から都市への流出が顕著になり一挙に『雇人』が増加した。そして現在(2016年)では就業者数6446万人のうち雇用者数は5718万人実に9割近くが『雇人』になっている。
 この『雇人』階級の男性の働き方が『就労第一主義』なのであり現在喫緊の課題となっている『男女や高齢を差別しない平等な働き方』を邪魔しているのだ。各種の調査で女性を積極的に活用している企業や高齢者の能力を上手に生かしている企業の生産性が高いことが証明されている。にもかかわらず「平等な働き方」ができないでいるから労働生産性が経済協力開発機構(ORCD)加盟国中の先進主要7カ国の中で最も低い状態に至らしめているのだ
 『男性の就労第一主義』の働き方の典型が『長時間労働』と『無限定の職務範囲と勤務地』である。日本企業の男性正規社員の長時間労働が生産性を阻害しひいてはROE(自己資本利益率)の低迷を招いている最大要因なのだが一向に改善の気配がない。
 
 すべての元凶といってもいいこの『長時間労働』をどうすれば是正できるのか。『公務員の長時間労働規制』を『強制的』に実施すればよい。我国の経済の仕組みは役人との交渉や接触が大きな比重を占めているから役人がまったく『残業』をしなくなれば遠からず民間企業にもその影響が及ぶのは目に見えている。そもそも役人の仕事は明治になって新たにできた仕事がほとんどでありゼロから教える必要があったし役人に転勤はつき物だった。勿論労働組合もなかったから役人は長時間働いてでも一日も早く仕事を習得したかったから平気で『残業』したであろう。役所仕事は会計年度で区切りがつくから『学卒一括定期採用』が可能であり効率的でもあったからこれが制度として定着した。こうして「日本型雇用慣行」の多くは役所―公務員の雇用・働き方として生まれ定着した部分が多く今日に至っているのでありこの役人の働き方が私企業に浸潤していったとみても間違いない。
 だから『公務員の働き方改革』を実行すれば日本全体の働き方改革が実現できる可能性は極めて高いのである。こんなことを言えば、毎年の予算編成や政治家(国地方を問わず)の議会答弁の資料作成をどうすればいいのだという反論があるだろうが、これこそ今流行りの『ビッグ・データーとAI(人工知能)の活用』で今よりずっと短時間にできること請け合いである。役人の資料作りの作業は法律とデータの検索・適用が主要部分を占めるから、そしてそれに莫大な時間を要するから、短期長時間労働になって徹夜徹夜の激務になるのだから、『ビッグ・データーとAI(人工知能)の活用』を実現すれば役人の仕事の効率アップに絶大な効果があるのは確実である。そしてこうした仕事は『ビッグ・データーとAI(人工知能)の活用』のもっとも得意な仕事だから実用化も相当早くなるに違いない(仕事が減って人員削減につながるから役人の抵抗は当然強いものになるだろうが)。
 
 そもそも『仕事と家庭』とどっちが大事なのだろうか。それについては面白い史実がある。十字軍が11世紀末に聖地エルサレム奪回のためにローマ法王から派兵を要請されたとき、兵士は十字軍参加の為に『妻の同意』が必要かどうかが重大な争点となった。そしてウルバヌス法王は「妻の同意は必要」とはっきりと判断を下したのである。結婚は神の前での男女の同意の上で成り立っている以上、妻にも女性としての権利があり、それを戦争だということで権利放棄を強制されることはないというのだ。この間の事情を下世話に解釈すると、カトリックでは離婚は認められていない、その分浮気には寛容な風土がある、従って十字軍遠征中の彼の地での亭主の浮気が心配という妻側の言い分には十分な説得力がある。だから両人の理解と納得が必要だったのだ。逆に夫側の不安が世に悪名高い『貞操帯』を発明・普及させたのである。
 
 我国では「単身赴任」が当然の如く行われている。そして「戦争参加の義務というものを、なにものにも―ほとんど盲目的に、とさえ言いたいほどに―優先するとする近代国家なるものが、果たして人間に対して妥当性を持つものかどうかさえ疑われて来るのであった(堀田善衛著『天上大風・歴史への逃避』より)」。
 
 「天皇陛下 生前退位のご意向」が明らかになった。これは「高齢化」の象徴的お考えである。少子高齢化が我国の基本体制さえも根本的に考え直さざるを得ない時期に至っていることを天皇自らが示されたと考えるべきなのである。
 

2016年7月11日月曜日

二者択一

 よくある話題に「最初に好きな物から食べるか、好きな物は最後まで残しておくか?」というのがある。最初に好きなものを食べて美味しいと最後まで気分良く食事ができる、最後まで残しておく方は楽しみが残っているから食事している間中が楽しい、などと解釈してその人の性格を占ったりする。しかし、例えば寿司の盛り合せを食べる場合を考えてみると、どちらかといえば好きなエビに先ず手をつけ次に鮪の赤身それから一番好物の「うに」をというのが私の流儀である、という人もあるのではないか。そして、この三者が大体同じ割合でいると考える方が現実的なように思う。
 二者択一は分かりやすいが往々にして誤解を招くことがある。
 
 いま放送されているNHK朝ドラ「とと姉ちゃん」も後半に入っていよいよ雑誌の発行に踏み出す展開になってきたが、その前に戦争中の空襲の場面があって戦争の不条理を強く訴えていた。「連合婦人会」幹部の権力を笠に着た威丈高なゴリ押しや町内会長の権柄ずくの理不尽な圧力に怒りを感じ苛められる主人公たちに同情を誘うドラマづくりは常套的だがついつい牽きこまれてしまう。そして「戦争は二度とくり返すまい」という気持ちを新たにする。
 恥ずかしいことだが空襲は戦争だから仕方がないと思っていた。しかし最近になって『非戦闘員の無差別爆撃は戦争犯罪である』ということを知った。「戦時国際法」ではっきりと違法とされ禁止されているのだ。第二次世界大戦でアメリカが行った空襲という無差別攻撃は「軍事産業の下請工場を攻撃した」という理屈づけで「正当化」されているがとんでもない屁理屈である。まして広島と長崎への原爆の投下は地区に有力軍需工場があったとはいえ、半径50~80km以上が攻撃範囲になり30万人以上の地区の国民が死亡することが十分に予想され、そのほとんどが非戦闘員であることは分かっていたのだから、これほど理不尽な犯罪行為は無い。
 第二次世界大戦中のこうした「戦争犯罪」がキチンと裁かれなかったから、その後の70年の「局地戦」で行われた数々の「非戦闘員の無差別攻撃」もまったく『犯罪行為』と認識されることなく今日に至っている。なかでも「湾岸戦争」での『空爆』は兵器精度の向上はあっても「非戦闘員」を爆撃したことは間違いのない事実であり、厳しく裁かれなければならないにもかかわらず今日まで『不問』に付されている。ISとの戦争も同様である。
 戦争は「悪であるか、そうでないか」というような大雑把な二者択一の論議で済ましていると「本当の大悪」を見逃してしまう。
 
 永世中立国といえば、国際紛争とは一線を画し決して戦争に参加しない『清廉』なイメージを抱く。戦後連合国との平和条約が締結され(1951年)我国が独立国家として踏み出したとき、まず最初に私の希望した国の形は「中立国」であった。
 スイスが永世中立国であることは皆が知っている。ところが1996年の秋英国が、ナチス・ドイツからスイスの銀行に売り渡された金塊のうち70億ドル分がまだ保管されていると発表した。この金塊はヒトラーが占領下の各国から没収して来たものやユダヤ人の金歯や指輪を溶かしたものだ。また1997年今度はアメリカ政府が、スイスの銀行がナチス・ドイツの「マネー・ロンダリング」を行っていたという調査結果を発表した。すなわち、ナチス・ドイツの通貨はドイツ国内以外では通用しないため、没収あるいは略奪した金塊をスイスの銀行に売り、その代金として国際通貨のスイス・フランを受け取りこれを戦費として使ったというのだ。更に、スイス国防省の文書によって、スイスの1940年から44年までの武器販売は9億スイス・フランに達していて、この売り上げのうちの三分の二はドイツに、1億五千万スイス・フラン相当分は枢軸国イタリアに売られたということが明らかになった。
 中立国イコール戦争しない国、という思い込みは見事に裏切られたのだ。
 
 小泉政権以来「わかりやすい政治―ワンフレーズ・ポリティックス」が大衆に受け入れられ、いわく「郵政民営化、是か非か」「アベノミクス是か非か」、そして今回の英国EU離脱も「残留か離脱か」の二者択一で民意が問われた。しかし政治は「二者択一」の対極にあるものだ、いや対極に無ければならないものだ。
 多様化する国民のニーズを集約して調整し、国民的コンセンサスを醸成するのが政治である。英国の保守党と労働党、米国の共和党と民主党の二大政党政治は、多様な国民のニーズをとりあえず左右両極に暫定的に集約しておいて、個別の案件について左右が歩み寄って合意形成を容易にする政治の『知恵』が生み出したシステムである。その民主主義の先進国、英国で、一国の運命を左右するような重大事項を二者択一に懸けるという『愚挙』に出たのはキャメロンの無能以外の何物でもない。
 我国でも安倍政権に至って多数を恃みに二者択一を濫用し、「少数意見」を排除して弱者や少数者を斬り捨てる乱暴な政治が横行している。その際たるものが「辺野古埋め立て工事中止」に対して国が沖縄県を訴訟に訴えたことで、これは我国政治体制の頂点にある政権が「政治を放棄」して調整を司法に委ねた愚策に他ならない。
 
 民主主義の根本は少数意見を排除しない『寛容さ』にある。だからジリジリするほどまだるっこしい『調整―譲歩の累積』(二者択一の対極にある)が『政治』には求められるのだ。
 
 最後に『東京一極集中』こそ『二者択一』の最悪の結果であることを付け加えておきたい。
文中のスイスに関する記事は堀田善衛著『天上大風』による

2016年7月4日月曜日

ゆりかごから墓場まで

 英国のEU離脱の報道に接したとき「ゆりかごから墓場まで」という英国の社会保障制度を象徴することばを思った。1950年(少しズレるが昭和30年)代に青少年時代を過ごした人たちは英国の社会保障制度を国家経営の理想像として憧れたに違いない。敗戦という窮極の壊滅状態からようやく脱して「もはや戦後ではない」と経済白書(1956年)が謳いあげたように先行きに明るさを現実感をもって感じられた時期に「ゆりかごから墓場まで」という言葉の何と甘美な響きであったことか。「太陽の沈まない国」と繁栄を誇った「大英帝国」が世界中の植民地を宗主国として簒奪した有り余る財力を注入して「理想郷」を築き上げた社会保障制度が「ゆりかごから墓場まで」であった。しかし戦後10年経ち英国は既に覇権交代に追い込まれつつありアメリカの強大な工業力が世界を席巻していた。やがて理想郷を夢見た社会保障制度が足枷になって『英国病』が蔓延し英国は没落する。
 当時我々若者が理想郷とするものがもう一つあった。『キブツ』である。キブツとは1900年初頭、帝政ロシアの迫害を逃れたユダヤ人の若者がイスラエルに築いた社会主義とシオニズムを実践する自発的集産主義的共同体である。構成員の労働は無報酬であるが生活のすべてが無料で保障される。我々が夢見たのは「酪農」を中心とした新しい農業、土とともに生きる『新しい村』―「労働を貴ぶ農業共同体」の建設であった。学校、図書館、診療所、映画館、スポーツ施設などもつぎつぎに設置され生活の豊かさも現実化される報道が尚更に憧れをかきたてた。
 北朝鮮も「地上の楽園」と喧伝されていた。戦後「鉄のカーテン」と「竹のカーテン」の向うで社会主義の理想郷の建設が行われていた。カーテンに遮られていたから真実を知ることは難しかったが繁栄の成果として「軍事力」は核兵器を含めて自由主義陣営と拮抗していた。東西の武力衝突が極東の小国・朝鮮を分断しその不幸は今に至っている。朝鮮戦争後北朝鮮は社会主義の理想を実現したモデル国として「地上の楽園」を宣伝し多くの日本人が希望に胸膨らませて北に向かう姿を「ニュース映画」の画面が映し出していた。自由主義・資本主義側の成功例としていち早く復興した「日本」が華々しい繫栄を世界に発信しているなかで、社会主義体制側は北朝鮮を繁栄に導き世界にアピールすることがどうしても必要だったに違いない。ソ連邦の崩壊は北の夢を無惨にも打ち砕き北朝鮮の人民に辛酸を舐めさせることになるのだが、当時それを予見できる人は皆無だった。
 
 我国の社会保障制度はこうした世界情勢の中で築き上げられた。健康保険も年金制度も歴史は古い。しかしそれらは限られた人たちのものであって「国民皆保険・皆年金」は1961年に成立した。
 戦後の我国は敗戦という過酷な経験と、世界大戦を引き起こした原因が資本主義という制度そのものにあるのではないかという懐疑が相乗して「マルクス主義」が全盛であった。とりわけ知識人層にその傾向が顕著にみられた。そんななかで、例え連合国を代表したアメリカの占領下にあったという現実はあるにせよ、自由民主主義と資本主義を選択した政治家や官僚には大変な勇気と賢明さがあったといわねばならない。そして戦争という大きな犠牲を払って手に入れた「平和」と「繁栄」をあまねく国民が享受できる制度をつくろうとして、資本主義国の成功例である英国の「ゆりかごから墓場まで」を採りいれたのである。敗戦のどん底から力強く立ち上がった国民に『理想』を植えつけたのは当時の政治家と官僚であったと今にして強く思う。『理想』があったから『勤勉』と『節度』が機能したのだと思う。
 
 制度を創造する人とそれを維持管理する人を根本的に隔てたのは『理想』と深い学問的思索に基づく『予見性』だった。グリーンピアに代表される年金福祉事業団が流用した『国民厚生施設』や『消えた年金問題』などは根本的な制度の精神を信奉しておれば決して起きることの無かった不祥事である。そして今、存続が困難になった制度を再設計しようとしている政治家や官僚にも理想と予見力はなく、ひたすら経済的な帳尻合わせに終始している。
 戦後の経済原理は『生産性と成長』であった。しかし少子高齢化と『AI―人工知能(ロボット)』時代の到来は成長と同意語だった『雇用』を根幹に据えた制度設計を不可能にするに違いない。
 
 英国のEU離脱、難民問題、国境の溶融、格差の拡大と雇用の消失 ―― 溶解する、Gゼロの世界。
 思考停止の「現実主義」では新しい世界は創造できない。