2016年7月4日月曜日

ゆりかごから墓場まで

 英国のEU離脱の報道に接したとき「ゆりかごから墓場まで」という英国の社会保障制度を象徴することばを思った。1950年(少しズレるが昭和30年)代に青少年時代を過ごした人たちは英国の社会保障制度を国家経営の理想像として憧れたに違いない。敗戦という窮極の壊滅状態からようやく脱して「もはや戦後ではない」と経済白書(1956年)が謳いあげたように先行きに明るさを現実感をもって感じられた時期に「ゆりかごから墓場まで」という言葉の何と甘美な響きであったことか。「太陽の沈まない国」と繁栄を誇った「大英帝国」が世界中の植民地を宗主国として簒奪した有り余る財力を注入して「理想郷」を築き上げた社会保障制度が「ゆりかごから墓場まで」であった。しかし戦後10年経ち英国は既に覇権交代に追い込まれつつありアメリカの強大な工業力が世界を席巻していた。やがて理想郷を夢見た社会保障制度が足枷になって『英国病』が蔓延し英国は没落する。
 当時我々若者が理想郷とするものがもう一つあった。『キブツ』である。キブツとは1900年初頭、帝政ロシアの迫害を逃れたユダヤ人の若者がイスラエルに築いた社会主義とシオニズムを実践する自発的集産主義的共同体である。構成員の労働は無報酬であるが生活のすべてが無料で保障される。我々が夢見たのは「酪農」を中心とした新しい農業、土とともに生きる『新しい村』―「労働を貴ぶ農業共同体」の建設であった。学校、図書館、診療所、映画館、スポーツ施設などもつぎつぎに設置され生活の豊かさも現実化される報道が尚更に憧れをかきたてた。
 北朝鮮も「地上の楽園」と喧伝されていた。戦後「鉄のカーテン」と「竹のカーテン」の向うで社会主義の理想郷の建設が行われていた。カーテンに遮られていたから真実を知ることは難しかったが繁栄の成果として「軍事力」は核兵器を含めて自由主義陣営と拮抗していた。東西の武力衝突が極東の小国・朝鮮を分断しその不幸は今に至っている。朝鮮戦争後北朝鮮は社会主義の理想を実現したモデル国として「地上の楽園」を宣伝し多くの日本人が希望に胸膨らませて北に向かう姿を「ニュース映画」の画面が映し出していた。自由主義・資本主義側の成功例としていち早く復興した「日本」が華々しい繫栄を世界に発信しているなかで、社会主義体制側は北朝鮮を繁栄に導き世界にアピールすることがどうしても必要だったに違いない。ソ連邦の崩壊は北の夢を無惨にも打ち砕き北朝鮮の人民に辛酸を舐めさせることになるのだが、当時それを予見できる人は皆無だった。
 
 我国の社会保障制度はこうした世界情勢の中で築き上げられた。健康保険も年金制度も歴史は古い。しかしそれらは限られた人たちのものであって「国民皆保険・皆年金」は1961年に成立した。
 戦後の我国は敗戦という過酷な経験と、世界大戦を引き起こした原因が資本主義という制度そのものにあるのではないかという懐疑が相乗して「マルクス主義」が全盛であった。とりわけ知識人層にその傾向が顕著にみられた。そんななかで、例え連合国を代表したアメリカの占領下にあったという現実はあるにせよ、自由民主主義と資本主義を選択した政治家や官僚には大変な勇気と賢明さがあったといわねばならない。そして戦争という大きな犠牲を払って手に入れた「平和」と「繁栄」をあまねく国民が享受できる制度をつくろうとして、資本主義国の成功例である英国の「ゆりかごから墓場まで」を採りいれたのである。敗戦のどん底から力強く立ち上がった国民に『理想』を植えつけたのは当時の政治家と官僚であったと今にして強く思う。『理想』があったから『勤勉』と『節度』が機能したのだと思う。
 
 制度を創造する人とそれを維持管理する人を根本的に隔てたのは『理想』と深い学問的思索に基づく『予見性』だった。グリーンピアに代表される年金福祉事業団が流用した『国民厚生施設』や『消えた年金問題』などは根本的な制度の精神を信奉しておれば決して起きることの無かった不祥事である。そして今、存続が困難になった制度を再設計しようとしている政治家や官僚にも理想と予見力はなく、ひたすら経済的な帳尻合わせに終始している。
 戦後の経済原理は『生産性と成長』であった。しかし少子高齢化と『AI―人工知能(ロボット)』時代の到来は成長と同意語だった『雇用』を根幹に据えた制度設計を不可能にするに違いない。
 
 英国のEU離脱、難民問題、国境の溶融、格差の拡大と雇用の消失 ―― 溶解する、Gゼロの世界。
 思考停止の「現実主義」では新しい世界は創造できない。

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