2019年12月21日土曜日

わたしの有馬記念2019

 アーモンドアイの参戦で俄然有馬記念が盛り上がってきた。香港カップ(12月8日2000m)を微熱と体調不良で回避、急遽有馬記念の出走に切り替えてくれた。「最強馬」の出走で、勝っても負けても気持ちよく、楽しい年末競馬で新年を迎えられることは喜ばしい限りである。
 そこで競馬人生の全記憶をふり絞って「わたしの有馬記念2019」を書いてみよう。
 
 近年の有馬記念はJC(ジャパンカップ)を抜きにして語れない。ここ10年を振り返ってみても、天皇賞出走馬が2頭、エリザベス女王杯2頭、凱旋門賞2頭、金鯱賞2頭、アルゼンチン共和国杯、中日新聞杯各1頭の馬券がらみに比べて菊花賞の6頭は抜けているがJCはそんなものじゃない、圧倒的に優勢を誇っている。13頭が馬券対象になっているだけでなく、他レースが優勝馬優勢(除凱旋門賞、エリザベス女王杯)であるのにJCは優勝馬はたったの2頭で3、4着馬が多く8着11着馬も好走している。これだけの好相性を示せば「有馬はJCをはずして馬券は取れない」という鉄則が流布するのも当然だろう。
 だが今年のJCは史上「最弱」のメンバーだった。初めて外国馬の参加がなく3才クラッシク馬は1頭も出走せず春秋の天皇賞馬、宝塚記念優勝馬も不出走で唯一の今年のGⅠ勝馬がアルアイン(大阪杯)だけという低レベルのJCだった。勝ったスワーブリチャードにケチをつける気はないがそんなこともあって今年のJC出走馬の有馬参戦はわずか4頭にすぎない。今年もJC出走馬が馬券対象に食い込んでくるかの判断は悩みどころである。
 
 もうひとつ有馬記念には特徴がある。2500mという距離だ。大体競馬の競争体系は400mの倍数で構成されている。1200m、1600m、2000m、2400m、3200mという体系の中でこれをはみ出しているGⅠは菊花賞3000m、エリザベス女王杯の2200mと宝塚記念2200mと2500mの有馬記念しかない。ふたつのファン投票レースが400m倍数体系の「らち外」に設定されているのは日本中央競馬会の深慮だろうか?この2200mと2500mという距離には血統的な適性不適性があるとされているが専門知識がないので詳細は省くが、暮れの中山競馬場という事情も手伝ってこのレースには一筋縄でいかない秘密が潜んでいる。だから有馬記念は信じられない決着に終わることが少なくない。
 
 その象徴的なレースが1973年の第18回有馬記念だ。このレースには怪物ハイセイコーが出走して断然の1番人気、2番人気がタニノチカラ、3番人気はベルワイドが占め4番人気のイチフジイサミの4頭で「鉄板」と思われていた。したがって出走頭数もわずかに11頭で1977年の有馬記念、テンポイント、トウショウボーイ、グリーングラスの最強3頭で決着したときの8頭に次ぐ少頭数になった。単勝人気も上位4頭で75%を占める異常な人気の偏りで、ちなみに優勝したストロングエイトの単勝は10人気で4200円支持率1.8%だった。ハイセイコーは別格として、タニノチカラは天皇賞秋の優勝馬で翌年の有馬記念を制した名馬、ベルワイドは1972年天皇賞春の優勝馬、イチフジイサミも1975年春の天皇賞馬になっている。
 これだけの材料があれば1~4番人気で断然ムードになるのも当然で、実際実力もこの4頭がズバ抜けていたと今でも思う。ところが勝ったのは11頭立て10人気のストロングエイト、2着馬が7人気のニットウチドリになったのだ。(勝ち馬ストロングエイトはこの時点では重賞未勝利――のちに鳴尾記念勝ち、タケホープの勝った天皇賞春ではハイセイコーに先着2着に好走している――だったがニットウチドリは桜花賞優勝、オークス2着、ビクトリアカップ(現在の秋華賞)1着の名牝である。
 
 なぜハイセイコーが負けたのか?ここに「『大穴』レースの法則」が働いていた。「人気薄の逃げ馬」、これだ。人気が差し、追い込み馬に集中して逃げ、先行馬が人気薄で少頭数の場合、ノーマークになって逃げ切ってしまい人気馬が3着以下に沈んでしまう、こんなレースがどれほどあったことか!特に大レースにそれが多かった(ように記憶している)。まさにハイセイコーもこの魔術にひっかかった。先行2頭のうしろでハイセイコー、タニノチカラ、ベルワイドが互いに牽制しあい、動くに動けず膠着状態に陥り直線を向いて追い込んだが間に合わずハイセイコーは3着に沈んで大波乱――三連単のなかった時代には珍しい枠連13,300円の大穴馬券になった。
 レースは快速馬キシュウローレルの2番手で桜花賞、オークスを好走したニットウチドリが意表をついて逃げ戦法に出、ストロングエイトは勝ちパターンの2番手追走で淡々とレースが進みそのまま、という決着だった。
 
 今年の有馬記念に波乱はあるのか。アーモンドアイが一本かぶりの1番人気になるのは確実で2番人気のリスグラシューとの断然の2強対決になる可能性が高い。「大波乱」はこんなときにこそ起こる。
 このレースにはアエロリット、キセキ、クロコスミアの3頭の逃げ馬がいる。人気薄のクロコスミアが逃げて2、3番手に折り合いをつけてキセキとアエロリットが先行する。淡々とレースが進み先行集団と後続の差が10馬身ほどになる(かもしれない)。アエロリットは距離に疑問があるので勝負どころの3コーナーあたりからクロコとキセキが抜け出して4コーナーを回る。直線で後続のアーモンドアイ、リスグラシュー、ワールドプレミア、フィエールマンが追い込む展開になって、もし届かなければ波乱になる。ただ大胆騎乗の外人騎手が増えた今年の有馬記念でこれまでのような好位での「膠着状態」があるのかどうか?悩ましいところである。
 
 さてここからが「わたしの有馬記念2019」になる(したがって「予想」ではないことをお断りしておく)。今年はJC出走馬の連がらみはないと決めつける(エタリ7、シュバル9、スワーヴ1、レイデオロ11)。アーモンドは出走過程に若干の懸念がある?リスグラは春と秋に海外遠征をしたことで目に見えない疲労が残っていないか?本来なら3才牡馬最強と評価している菊花賞勝馬だが今年はここ10年で不良だったキセキ、エピファネイアのときを除いて勝ち時計が3秒以上遅く昨年のフィエールマンと同じ3分6秒台だったからレベル的に劣っていたと断定する(ヴェロックス3、ワールド1、フィエール)。
 ということは1973年の再現の可能性に賭ける価値がある、という結論になる。まだ枠順の決まっていない段階で結論を出すのは拙速だが(この10年で12番枠より外枠が馬券にからんだのは3回だけで15番から外はすべて4着以下、1、2着に限っても同じ傾向で3頭しかない)1、2着をキセキとクロコで固定、3着にアーモンド、リスグラという大胆な推理をするか、4頭ボックスにするか?キセキとクロコの単勝と複勝に妙味があるかもしれない。(他馬では中山に変わってサートゥルナーリアが恐いが……?)
 
 (追記)枠順が決まって逃げ馬で唯一内枠に入ったスティッフェリアをクロコスミア(逃げ馬に12番枠はツライ!)と入れ替えて、馬券はサートゥルナーリアを加えた5頭の3連複にする。格下だがスティッフェリアが粘っておいしい配当になることを期待しよう。
 
 以上「わたしの有馬記念2019」である、結果や如何に?
(どなた様もよいお年を)
 
  
 
 
 
 
 
 
 
 

2019年12月16日月曜日

文字、言葉、顔

 遠い親戚の三回忌の法事があった。夫を亡くした妻になる私にとって姉のようなひとの余りの変わりように胸を打たれた。葬儀からまだ二年になるかならないかなのにすっかり老いていた。足元が覚束なくなっていて軽い認知症の気配も感じられた。彼女は私の祖母の兄弟の養女で占領時代の朝鮮から引き揚げてきて戦後の何年か我が家に寄宿したことがありたまたま年齢が4才しかはなれていないこともあって姉のように可愛がってくれた。賢く控え目な彼女の結婚した男性が学校の先生で、努力して大学教授になったと聞いた時には我がことのようにうれしかった。しかし私が彼を本当に尊敬したのは晩年の彼で、著作を精力的に出版したことは羨ましかったが、テニスに打ち込んだり、もともと嫌いでなかった絵画に65才ころから本格的(油絵)に取り組んでその腕前の進歩が驚くほどはやくまたたくうちに賞を取るほどになった。具象で泰西名画的な画風が私の趣味に合っていたのかもしれないが好きな絵だった。おととしの晩秋に同人の展覧会があって久しぶりに再会して、教え子に囲まれながら談笑する彼の姿に「教師稼業」のすばらしさをみて改めて羨望を感じた。それから二ケ月もたたない、年も押し詰まった寒い日に彼の急逝を知った。
 われわれの知っている表の顔とは別に亭主関白の頑固親父だったようで家族は大変だったことが明かされたがそれでも彼に対する敬慕の気持ちはかわらなかった。それは彼女も同じで散々てこずらせた厄介な存在だったのに、その手のかかる存在が居なくなってぽっかりと心に穴が空いたようになって、しかも都心から離れた郊外の新興住宅地の家にひとり住まいになって、月に何回かは娘が世話をしに来てくれるものの足が不自由になったこともあって出歩くこともなく、姉妹兄弟のいない彼女が女性特有の日常のたわいもないおしゃべりを交わす相手に事欠いて……。
 ひとり暮らしになって、電話やメールで話すことはあっても、人の顔を見て話すことがなくなると「意味」だけが遊離して「肉体化」された「ことば」でなくなって、肉体と意識の統一体として自己の存在が「あやふや」になっていってしまうのではなかろうか……。そうでないとあれだけ賢く凛としていた彼女が短時日でこれほど老いさらばえるはずがない、たとえ足が不自由になったとしても……。
 
 流行のSNS(ソーシャル・ネットワーキング・サービスに「あやうさ」を感じるのもそこにある。SNSは「文字」によるやり取り――コミュニケーションだ(写真や動画を添付するものもあるが今はそれは言わないことにする)。人間のコミュニケーションは《文字←言葉←顔(体と身振り手振り)》の順で幅が狭まってくる。文字は人間のコミュニケーション総体の十分の一もない小さな部分しか担っていない「不確か」なツールに過ぎない。齢を取って老眼が進んで遠くのものの判別が覚束なくなっても人混みのはるか向こうにいる妻の見分けがつくのは、すがた形のぼんやりとした「たたずまい」で判断しているからだ。赤ちゃんは泣くことでしか自分の感情や欲求を訴えることができないがそれでも母親や周りのおとなが理解できるのは泣き声の大きさやトーンで空腹、オシッコ濡れの不快感などを判断できるからで、そのうちあっあっえっえっあうーおぉーなどの母音の連なりで感情と発声法を学習すると「喃語」――意味のない声で言葉のようなものに到達し、やがて親の言葉をまねて赤ちゃん言葉を覚えるようになり5歳ころには一応「言語」というものを習得する。言葉の発達は年齢とともに急速に進行し、文字の学習がはじまりレベルアップするに連れて文字から言葉を覚えるという経験もする。特に「概念」に関する言葉は文字と音声としてのことばの習得段階が逆になることもある。
 
 感情のすべてを言葉だけで表現することは少なく、身振り手振りと合わせないと相手に正確に、強く訴えることはできない。また多様な感情を表現するには習得している言語の数では間に合わないことも経験する。子供が癇癪(かんしゃく)を起こして「ダダをこねる」状態はその例の一つだし、ヒステリー状態や最近頻繁に見受けられるようになったおとなの「キレる」のも感情に言葉が追い付いていない状態と言っていいだろう。「概念操作」は習得している言葉数、活用例の多少によって、伝達しようとする「概念」にぴったり当てはまる言葉を見つけられるかどうかが左右されるしどうしても既存の言葉で「概念」が表現できないという場合は「新語」を作ることになる。
 感情も意思も概念も言葉だけで表現することは相当困難な作業であり、ましてそれを「文字」で表すことは至難の技である。ベタな例だがラブレターを書いて翌日見直して恥ずかしい経験をした人はゴマンといるはずだ。卒論を書こうとして、論点のまとめを計画してそれを表現する言葉の選択に四苦八苦した経験は鮮明に残っている。
 感情も意思も概念もそれを言葉にすることさえ困難な作業であるのだから、それを文字化することの困難なことは冷静に考えてみれば誰でも納得できるはずだ。
 そんな不完全な「つぶやき」に「いいね!」を平気で打つことの無責任さをだれも言い出さないことに不安と危うさを感じていたが、最近その「いいね!」の数を把握できないようにする動きが出てきた。書き込みをする人は閲覧回数と「いいね!」の数を指標に自分の評価を確認し投稿の方向性を操作してアフィリエイト(ネット上の広告収入)を期待している。今や「ユーチューバー」なるものが「職業」として若者のあこがれの職業になっているらしいが放置しておいていいのか。
 コミュニケーションのほんの僅かな機能を担うだけの不完全な「文字」という記号で成立しているSNSをなんの「社会的干渉」もなく「野放し」にしておくことに危険を感じている。
 
 フィクションとノンフィクションという言葉の成り立ちをどう考えるか。フィクション――つくりごとがまずあってノンフィクション――史実や記録に基づいた事実がつづいたにちがいない。ということは文字で書かれたものではなく言葉で言い伝えられてきたもの――言葉というあやふやなものの方が文字で書かれた「事実」よりも最初にあったし「文字」よりも真実に近い――多くの情報量を含んでいるから多様な判断を下す「可能性」がある、ということではないのか。
 
 原子力発電が人類最大の失敗であったようにSNS21世紀のそう遠くないうちに人類に最大の災厄をもたらした「過誤」として後悔する日が来るのではないかとおそれている
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

2019年12月9日月曜日

令和の大変革

 と言っても、日本国であったり世界のそれではなく「私ごと」の「大変化」のことである。ちょうど喜寿(12月2日が誕生日)の年に当たった令和元年――2019年は、振り返ってみれば生活の多方面にわたって信じられないほどの変化があった。
  
 来年早々にwindows7がサポート終了になるから10に切り替える必要があり、また携帯が耐用期限に達したようでコンデンサの保ちがいちじるしく短くなってきたのでスマホに乗り換えようと考えていて、そのふたつの時期がたまたま10月末から11月に重なって、消費税が10月から10%に増税になってキャッシュレス決済のポイント還元制度に対応するためにこれまでほとんど使ったことのなかったクレジットカードを盛んに利用するようになってそのカードがAU系のカードだったので他社のスマホに乗り換えたせいでそれまで請求額が自動的に携帯に通知されていたのがこなくなって、AUに問い合わせると仮IDナンバーとパスワードで専用サイトにログインして請求額と明細を確認しなければならないことが分かり……。80才手前で電子メディア環境が一挙に変化してどれもこれも不慣れでなかなか習熟できず混乱を極めているなかで、カードの請求書まで専用サイトで確認しなければならず簡単にログインできるかどうか「不安」になって、生活基盤が一挙に不安定な状況に追い込まれたように感じて、異常な不安な感情に全身が固まってしまって「パニック」に陥ってしまった。妻には気取られぬように振舞っていた積りが何でもないつまらないことで「これどうしましょう」と訊ねられて思わず「自分でやってくれよ!」とわめいてしまった。妻はけげんな顔をして去っていったが残された自分に、なんと無様な…、と自己嫌悪におそわれた。
 70才代のスマホ普及率がガラケーを超えたとはいえまだ50%以下であり、PCのwindows10への切り替えはスマホが普及するのに伴ってPCばなれが多くなり、高齢者のPCは10年以上古いタイプが多く10に対応するにはメモリー不足になって切り替えがスムースにゆかないことがしばしばだということもあって専門店にまかせた。もちろんスマホははじめてだから携帯とはまるっきり勝手が違い1ケ月ほどたってようやくおさまりがつくようになってきて何とか環境に馴染める可能性を感じるようになった。
 今の社会で電子メディアがいかに生活に組み込まれているか、年寄りには厳しい状況だ。
 
 もうひとつの大変化は娘の結婚だった。今年はじめ友人の紹介で交際を始めたのがウマが合ったのか六月末には両家の紹介までになり十月末に結婚する急展開だった。四十才を前にしてまったくその気配がなかったからひょっとしたら……と気持ちを固めていたほどだったからまさにあれよあれよという成り行きだった。それだけに嬉しさと安心感は格別で、まわりから「花嫁の父」感を盛んにあおられたがまったくそれはなくひたすら祝福するだけだった。だいたいがそうしう性情なようで、大学の追い出しコンパで他の同期の連中が涙顔で別れを惜しんでいた中で私ひとりがニコニコ嬉しさにはちきれて、「市村さん、わたしらと別れることさみしないの!」と女性後輩たちのヒンシュクを買った。社会人になること、それも東京で広告会社に入ってコピーライターになることが嬉しくて――実際はコピーライターでなく管理部門に配属されたのだが――希望に満ちていたから別れの寂しさを喜びが凌駕していたというのが実情で。娘の結婚も娘の幸せばかりが喜こばしくて、夫さんも小柄だけれども健康そうで相手を思いやる気持ちが感じられてふたりでいい家庭を作ってくれそうなので心配するところがほとんどなく、娘はわたしとちがって堅実な生活感覚を持っているから安心していられるから彼と仲良く賢く生きていってくれるにちがいないと思っているから……、心配することがほとんどなくそれに今はスマホもPCもあって、LINEになれればいつでも会話できるわけで、いわゆる「別離感」は薄く、新居も阪急で十分ほどのところだしいつでも行き来できるから……。私も妻も子どもべったりというところがなかったのも幸いしたのかもしれない。
 
 それより妻との二人暮らしの方が「変化感」十分だった。娘が使っていた洋間への移りを妻も娘も頑強に薦めるので仕方なく同意して布団からベッドに変えて、五十年以上使い込んだ座り机を廃棄して洋机とこれも五十年以上愛用のロッキングチェアで書斎を設えた。小型テレビと年代物のラジカセ以外には本箱しかない殺風景な書斎はドアで仕切られているので独立性が保たれておまけに集合住宅の昼間は隣近所の住人は不在なのでラジカセの音量をビンビンに高めても苦情が来ないことを知ってCDで音楽を堪能している。最近股関節に不調を覚えていたのが椅子に変わってそれも解決、朝昼三時間づつ読書が楽しめて俄然「知的好奇心」が高揚してきた。フィジカル面のケアを怠らなければあと五年や十年は生活をエンジョイできそうだ。ただドアを閉ざして個人的生活を満喫しているので妻の相手をしてやれないので申し訳ないと思っていたら同年配の女性に、奥さんも自分の生活が確保できるからかえっていいのじゃないといわれて、そういえば天皇陛下と皇后陛下が京都に来られた時にひとりで駅までお見送りに行って日の丸を持って帰ってきて満足気であったから、バスに乗ってイオンモールへバーゲンをひやかしに行ったり、なるほど生活をエンジョしているふうだからウインウインなのかもしれない。ふたりとも今のところ健康に不安はないから子どもたちに面倒をかけないで後期高齢期を満喫できそうだ。
 
 喜寿のお祝いに娘たちと家族旅行も楽しめて――そのころは結婚のケの字もなかったから家族の紐帯を感じられたしそろそろ娘たちも社会人として一本立ちできた時期だったからおとな同士の関係を意識しながらの旅だったから今から思うと貴重な時間だった。
 
 多事多難の喜寿の年の締めくくりは「免許返納」になった。運転技術は今が一番旨いように感じているが雨模様の夕方にゴルフ練習場の側溝に雨ガッパ姿の黒っぽい恰好の作業員を発見できずにスレスレに通り過ぎてから気づいてヒヤッとしたなど結構ヤバイことを繰り返していたから、とにかく咄嗟の非通常事態への反応にパニクルことが多かったから「しおどき」だと思う。確かに「一時代の終焉」を圧しつけられるようにも感じるけれども時間だけはいくらでもあるのだからゆっくり公共交通で移動することに慣れるようにしよう。
 
 いよいよ「隠居生活」だ、しかし今どきの『隠居』ってどんな振る舞いをすればいいのだろう。
 
 
 
 
 
 
 
 

2019年12月2日月曜日

競馬必勝法

 「競馬は人生の縮図だ」などということを書こうとしているわけではない。五十何年競馬をやってきてやっと勝てないという諦念に至って、そのせいか競馬が少し分かったつもりになって「法則」めいたものが幾つか発見できた、それを書いてみたい。
 その一、「勝つ奴(馬)と勝てない奴(馬)がいる」。
 その二、「一流と二流の差」。 
 その三、「GⅠを連勝することはむつかしい」。
 その四、「ステップ・レースの重要性」。
 
 必勝法その一。今年の菊花賞は皐月賞馬サートゥルナーリア天皇賞(秋)へ日本ダービー馬ロジャーバローズは故障により引退と、春のクラシックホースが不在になって1番人気に支持されたのは皐月賞2着・日本ダービー3着と惜敗に終わったヴェロックスだった。単勝2.2倍は2人気ニシノデイジーの6.0倍に比べて圧倒的な人気になっている。皐月賞(2000米)はアタマ差、ダービー(2400米)は2馬身半差で神戸新聞杯(2400米)もサートゥルナーリアの3馬身差の2着に終わっている。2000米でアタマ差だったのが2400米のダービーと神戸新聞杯では2馬身半、3馬身差と完敗しているのに負けた2頭が抜けたからといって3000米の菊花賞で優勝できるほど競馬は簡単なものではない。
 勝負事は「勝つ奴」と「勝てない奴」の差は決定的だ。この1番人気は危うい!、ヴェロックスは勝てない奴(馬)ではないのか?直観だった。
 結果は武豊騎乗のワールドプレミアが勝って平成の菊花賞男が令和でも戴冠した。ヴェロックスは辛うじて3着で面目を保った。しかし勝てなかった、やっぱり「勝てない奴」だったのか?
 
 その二。2019ジャパンカップの出走予定馬を見て「史上最弱のジャパンカップ!」と思った。外国産馬が一頭も出走しないだけでなく天皇賞馬フィーエールマン(春)、アーモンドアイ(秋)、宝塚記念のリスグラシューもダービー馬も出走しない、要するに今年の最強馬と目される馬が一頭も出走しないのだからドングリの背比べのジャパンカップという印象が強く残った。これなら絶好の1枠に入った3歳牝馬カレンブーケドールで十分に勝負になる、そう確信した。とにかく3歳牝馬は負担重量が53kgで4キロ恩恵があることもあって4歳牝馬(55kg)ともどもジャパンカップでは牝馬の活躍が顕著なレースなのだ。問題は優勝できるかどうかだ。1枠1番はこのところ3年連続優勝馬が出ているラッキー枠。力関係からも枠順からも1枠1番3歳牝馬カレンブーケドールの優勝確率は限りなく100%に近い。しかしどうしても強気になれない、それは騎手の津村明秀にある。1986年生まれ、15年目の中堅だがいまだにGⅢクラス―ーそれも地方場所の重賞レースの勝鞍がほとんどだ、今年は世界中の超一流騎手7名と国内の名だたる騎手が騎乗している、余りにも見劣りする。
 レースは予想通りインの経済コースの4、5番手をじっと我慢して津村はレースを進めている。このまま、このまま。4コーナーを回って直線を向く、「あっ!?」、なんでや?なんで外へ行く!津村は先頭を走るダイワギャクニーの外にカレンを導いた。その瞬間、じっとカレンをマークしていたスワーヴリチャードのマーフィーが内に潜り込んだ。戦前のリポートで最内1頭分は芝の具合がいいと報告していた。直線を向いてあと300m、徐々に進出したリチャードはあと100mの地点で力強く抜け出しカレンに4分の3馬身差をつけていた。
 なぜ内を開けたのか、内らちギリギリに潜り込むのは勇気のいる決断だ、しかしその勇気の有る、無しの差が「一流と二流の差」、マーフィーと津村の差だ。しかしこの差は絶望的に隔たっている。 
 
 その三。GⅠレースは年間26レース組まれていてそのうち障害とダートのレースがそれぞれ2レース、2歳3歳限定レースが10レース、3歳以上牝馬限定が2レースあるから古馬牡馬(4歳以上の牡馬)が出走できるレースは10レースに限られている。短距離と中長距離で分類すると春・秋冬とも短距離(1200m、1600m)レースが2レースづつあるから中長距離のGⅠレースは春・秋冬とも3レースづつ、春は大阪杯2000m、天皇賞(春)3200m、宝塚記念2200m、秋冬は天皇賞(秋)2000m、ジャパンカップ2400m、有馬記念2500mというラインアップになっている。このうち春の大阪杯は2017年創設でまだ3年目と歴史が浅く、しかも3月最終週という早い時期に設定されたことによって従来なら4月末の天皇賞と6月3週目の宝塚記念を目標としていたローテーションに微妙な影響を与えている。馬券を買う側としては大阪杯、天皇賞と連勝してきた馬には「最強」というイメージを抱いてしまうがこれが「落とし穴」になる。大阪杯ができてから春のGⅠを連勝した馬はキタサンブラックだけでそのキタサンも3連勝を狙った宝塚記念では1.4倍の断然人気を裏切って信じられない9着に沈んでしまった。秋の天皇賞と同じ位置づけを企図したに違いない2000mの大阪杯の出現は春の古馬牡馬GⅠレースの展望に一大変革をもたらした。
 今年はアーモンドアイという超絶の一流馬がいるがこれは十年に一度の特殊な例で、血統、調教方法など育成術の進化によって競走馬のレベルアップと実力の平準化がすすんだ現在、GⅠレースの連勝は至難の業となってきたことを認識すべきだ。
 
 その四。先にも述べたように今年のジャパンカップは実力伯仲でどの馬にもチャンスがあった。予想を立てていると頭がこんぐらがって結論をどう導いていいか決め手がなかった。そんなときふと過去十年のレース結果をみていて歴然とした傾向があることに気づいた。勝馬と馬券圏内の馬は天皇賞(秋)に出走しているのだ。次に目立つのは秋華賞の上位馬、それに京都大賞典の出走馬を加えればほとんど100%がカバーできる。これほど顕著にステップレースの傾向が表れているレースは珍しい。迷っていた勝馬検討が一挙に決断に至った。
 GⅠレースはホースマンの究極の悲願だから、永い歴史の中で試行錯誤が繰り返されて最適のステップレースが選ばれている。だから各GⅠレースのステップレースを順調にこなしてきた馬は勝利の最短距離にいることになる。しかしジャパンカップほどそれが顕著な例は珍しい。これからも馬券必勝のキーポイントになるかもしれない。
 
 競馬は馬という畜生(サラブレッドごめんなさい)に他人の騎手が乗って勝ち負けが決まる、きわめて「不確定要素」の多い「賭け事」だ。だから勝つことは―ー年間通じてプラスを勝ち取ることなど『至難』至極であるにもかかわらずロマンを感じるのはなぜだろうか?昔、虫明亜呂無という競馬評論家がいた、彼はどんなレースも複勝200円馬券一枚で競馬を楽しんだと伝わっている。
 彼ほどの境地は凡人には至り難いが、競馬は負けるものと観念して「楽しみに徹する」競馬をめざしたいと願っている今日この頃である。