2019年12月9日月曜日

令和の大変革

 と言っても、日本国であったり世界のそれではなく「私ごと」の「大変化」のことである。ちょうど喜寿(12月2日が誕生日)の年に当たった令和元年――2019年は、振り返ってみれば生活の多方面にわたって信じられないほどの変化があった。
  
 来年早々にwindows7がサポート終了になるから10に切り替える必要があり、また携帯が耐用期限に達したようでコンデンサの保ちがいちじるしく短くなってきたのでスマホに乗り換えようと考えていて、そのふたつの時期がたまたま10月末から11月に重なって、消費税が10月から10%に増税になってキャッシュレス決済のポイント還元制度に対応するためにこれまでほとんど使ったことのなかったクレジットカードを盛んに利用するようになってそのカードがAU系のカードだったので他社のスマホに乗り換えたせいでそれまで請求額が自動的に携帯に通知されていたのがこなくなって、AUに問い合わせると仮IDナンバーとパスワードで専用サイトにログインして請求額と明細を確認しなければならないことが分かり……。80才手前で電子メディア環境が一挙に変化してどれもこれも不慣れでなかなか習熟できず混乱を極めているなかで、カードの請求書まで専用サイトで確認しなければならず簡単にログインできるかどうか「不安」になって、生活基盤が一挙に不安定な状況に追い込まれたように感じて、異常な不安な感情に全身が固まってしまって「パニック」に陥ってしまった。妻には気取られぬように振舞っていた積りが何でもないつまらないことで「これどうしましょう」と訊ねられて思わず「自分でやってくれよ!」とわめいてしまった。妻はけげんな顔をして去っていったが残された自分に、なんと無様な…、と自己嫌悪におそわれた。
 70才代のスマホ普及率がガラケーを超えたとはいえまだ50%以下であり、PCのwindows10への切り替えはスマホが普及するのに伴ってPCばなれが多くなり、高齢者のPCは10年以上古いタイプが多く10に対応するにはメモリー不足になって切り替えがスムースにゆかないことがしばしばだということもあって専門店にまかせた。もちろんスマホははじめてだから携帯とはまるっきり勝手が違い1ケ月ほどたってようやくおさまりがつくようになってきて何とか環境に馴染める可能性を感じるようになった。
 今の社会で電子メディアがいかに生活に組み込まれているか、年寄りには厳しい状況だ。
 
 もうひとつの大変化は娘の結婚だった。今年はじめ友人の紹介で交際を始めたのがウマが合ったのか六月末には両家の紹介までになり十月末に結婚する急展開だった。四十才を前にしてまったくその気配がなかったからひょっとしたら……と気持ちを固めていたほどだったからまさにあれよあれよという成り行きだった。それだけに嬉しさと安心感は格別で、まわりから「花嫁の父」感を盛んにあおられたがまったくそれはなくひたすら祝福するだけだった。だいたいがそうしう性情なようで、大学の追い出しコンパで他の同期の連中が涙顔で別れを惜しんでいた中で私ひとりがニコニコ嬉しさにはちきれて、「市村さん、わたしらと別れることさみしないの!」と女性後輩たちのヒンシュクを買った。社会人になること、それも東京で広告会社に入ってコピーライターになることが嬉しくて――実際はコピーライターでなく管理部門に配属されたのだが――希望に満ちていたから別れの寂しさを喜びが凌駕していたというのが実情で。娘の結婚も娘の幸せばかりが喜こばしくて、夫さんも小柄だけれども健康そうで相手を思いやる気持ちが感じられてふたりでいい家庭を作ってくれそうなので心配するところがほとんどなく、娘はわたしとちがって堅実な生活感覚を持っているから安心していられるから彼と仲良く賢く生きていってくれるにちがいないと思っているから……、心配することがほとんどなくそれに今はスマホもPCもあって、LINEになれればいつでも会話できるわけで、いわゆる「別離感」は薄く、新居も阪急で十分ほどのところだしいつでも行き来できるから……。私も妻も子どもべったりというところがなかったのも幸いしたのかもしれない。
 
 それより妻との二人暮らしの方が「変化感」十分だった。娘が使っていた洋間への移りを妻も娘も頑強に薦めるので仕方なく同意して布団からベッドに変えて、五十年以上使い込んだ座り机を廃棄して洋机とこれも五十年以上愛用のロッキングチェアで書斎を設えた。小型テレビと年代物のラジカセ以外には本箱しかない殺風景な書斎はドアで仕切られているので独立性が保たれておまけに集合住宅の昼間は隣近所の住人は不在なのでラジカセの音量をビンビンに高めても苦情が来ないことを知ってCDで音楽を堪能している。最近股関節に不調を覚えていたのが椅子に変わってそれも解決、朝昼三時間づつ読書が楽しめて俄然「知的好奇心」が高揚してきた。フィジカル面のケアを怠らなければあと五年や十年は生活をエンジョイできそうだ。ただドアを閉ざして個人的生活を満喫しているので妻の相手をしてやれないので申し訳ないと思っていたら同年配の女性に、奥さんも自分の生活が確保できるからかえっていいのじゃないといわれて、そういえば天皇陛下と皇后陛下が京都に来られた時にひとりで駅までお見送りに行って日の丸を持って帰ってきて満足気であったから、バスに乗ってイオンモールへバーゲンをひやかしに行ったり、なるほど生活をエンジョしているふうだからウインウインなのかもしれない。ふたりとも今のところ健康に不安はないから子どもたちに面倒をかけないで後期高齢期を満喫できそうだ。
 
 喜寿のお祝いに娘たちと家族旅行も楽しめて――そのころは結婚のケの字もなかったから家族の紐帯を感じられたしそろそろ娘たちも社会人として一本立ちできた時期だったからおとな同士の関係を意識しながらの旅だったから今から思うと貴重な時間だった。
 
 多事多難の喜寿の年の締めくくりは「免許返納」になった。運転技術は今が一番旨いように感じているが雨模様の夕方にゴルフ練習場の側溝に雨ガッパ姿の黒っぽい恰好の作業員を発見できずにスレスレに通り過ぎてから気づいてヒヤッとしたなど結構ヤバイことを繰り返していたから、とにかく咄嗟の非通常事態への反応にパニクルことが多かったから「しおどき」だと思う。確かに「一時代の終焉」を圧しつけられるようにも感じるけれども時間だけはいくらでもあるのだからゆっくり公共交通で移動することに慣れるようにしよう。
 
 いよいよ「隠居生活」だ、しかし今どきの『隠居』ってどんな振る舞いをすればいいのだろう。
 
 
 
 
 
 
 
 

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