2024年3月11日月曜日

かんの虫

  数日前娘から電話がありました。「Hくん、ゆうべ4回も5回も起きはるねん。泣かはるから抱きしめてあげたらスグ寝やはるから良かったけど、親は睡眠不足で眠たいわぁ」。やっぱり来たかと思いました、これは「かんの虫」なのです。しゃべるのが遅くて心配していたのですが今年になると徐々に話せる単語が多くなり2月になると急激に言葉数が増え2語文も達者になって、もうすぐ2才になりますがその頃には一人前にニクマレ口もたたくかも知れません。保育園での活動が多様になり外出が増えてはじめての体験が積み重なって、言葉と体験の情報が大量になり睡眠中の情報処理がうまくいかなかったり容量オーバーして起きて泣いて、寝てスイッチを入れ直して、起きて泣いて。むかしはこれを「かんの虫」と言ったのですが今は脳神経科学的な説明をしているようです。

 ことほど左様に我々の時代と「子育て方法」が変わっているのに気づきました。それは偶然と必然と必要に迫られてのことですが結果として順調に成長してくれていますからまちがってはいないのでしょう。そこで彼らの子育てで印象に残っているいくつかを記してみようと思います。

 

 まず「ベッドからの解放」は偶然の産物です。産後の休養をわが家で過ごして帰宅して、寝室が2階にあるため家事を1階でやっていると子どもに目が届かないことに不安を覚えたのですが、かと言ってベッドを毎日上げ下ろしするのも面倒なのでリビングに蒲団を敷いて寝かせることにしました。これが良かったのです。4ケ月になる前から「寝返り」をするようになりハイハイも標準より随分早かったように覚えています。考えてみれば「ベッドで寝かす」のは親の都合です。赤ちゃんにとって〈70cm×120cm(標準サイズ)〉の囲いは相当なプレッシャーではないでしょうか。寝返りの標準は生後4~5ヶ月といわれていますがそれはベッドの与える圧迫感でそうなっているのかもしれません。わが孫は早期にベッドから解放されたおかげで幼児期の余計な「ストレス」を受けずにすんだのは良かったにちがいありません。

 

 テレビを1年をすぎるころまで見せないようにしたのは夫婦の方針です。これが「集中力」と「根気」に良い影響を与えました。耳に入ってくる言葉はすべて「自分に向けられたもの」と彼は思いこんだにちがいありません。もしテレビを習慣的につけていたらテレビの音に反応することもあるでしょうが周りのおとなは対応してくれません、そんな繰り返しは言葉(音)に対する集中力を散漫にしてしまうでしょう。集中力の継続が途切れて周りへの働きかけが弱まってしまうかもしれません。自分に向けられているとはっきり分かる言葉、与えられる言葉にしか反応しなくなるかもしれません。テレビの習慣的な「つけっぱなし」は幼児の集中力と根気の養成に悪影響を与えるのではないでしょうか。

 こうしたこともあってか自分で「遊びをつくりだす能力」が目立ちます。先日も紙風船と吹き戻しを持って行ったのですがおもちゃよりも包装袋(7cm×12cmほどの紙製)に興味が向いて袋飛ばしを始めたのです。うまくいくとくるりと回転してスーッと着地します。4、5回に1回ほどの成功が嬉しいのかこっちが音を上げるほどしつっこく繰り返していました。

 おもちゃの数はおもちゃ箱(50cm程の立方体)1杯とちょっとしかありません。本は40冊ちかくあります。おもちゃは1つのおもちゃでいくつもの遊びをします。たとえば「おじゃみ」は投げる、落とす、落ちる、隠す、重ねる、つかむなどして遊んで今は重ねる(大小各3個)と6つ全部をつかむことが楽しそうです。6個重ねるのは大小あるので難しく5、6回に1回成功する程度ですが根気よくやっています。6個を一挙に全部つかんで箱に入れて、急いでつかみ出してまたつかんで入れる。何が楽しいのか何度も何度も繰り返します。おかしかったのはつかまり立ちができるようになったころ、自分の背より少し高いところにある1.5cm程の段におじゃみを置いて滑り落ちてくるのをキャッキャ言って笑っていました。隠す、はわざと後ろに投げて「どこいったのかなぁ」といった風をよそおいます、どこいったのかなぁと言いながらおとなが探すフリをして「あった」と見つけて渡してやるとまた後ろに投げて探すフリをする。姉娘が遊びに来た時30分以上付き合わされて閉口したと言っていました。

 おもちゃ遊び以上に好きなのが本です。読み聞かせを早いうちからやったせいで本好きになり、同じ本を何度も何度も繰り返し読むので内容が記憶されているのか「いちご」が出てくると他の本のいちごを探し出して「いっしょ」と示してくれます。それが得意で楽しいようです。

 子どもは大人の想像もできない遊びを作り出す、発見する能力を持っています。それを邪魔しない、気づいてやる。子どもは遊びの天才です。

 

 1才になって、育児休暇が終了して保育園にあずけるようになったのは親の必要からでした。1才になったばかりの幼子を親の庇護から放り出して集団生活に入れることに不憫を感じました。できることなら私どもが1~2年あずかってやりたい、そう本気で考えました。「子どもは3才になるまでは母親の手で育てるべきだ」という「3歳児神話」を強く意識しました。通園し始めた頃は保育士さんに預けると泣くことが多かったので「後ろ髪を引かれる」思いで涙が出たこともあったようです。

 しかし杞憂でした。1年経って孫は驚くべき成長を遂げました。子どもは親(おとな)が思う以上にたくましいのです。親や爺ちゃん婆ちゃっが育児していたのでは到底到達できなかった「成長度」を孫は達成しました。保育士さんたちのスキルもありますが子ども同士の「学び合い」も大きいと思います。

 大体核家族で子育てを親だけで行なうようになったのはここ30年40年のことでそれ以前は大家族で育てていましたし、古代では部族や集落で何人もの子供を共同で子育てしていました。母親と云えども貴重な労働力でしたから出産してすぐに採集や農作業をするのが当然で養育は「おばあたち」の仕事でした。そう考えると親だけに子育てを押し付けている今の方が異常なのかもしれません。

 今にして保育園へ預けて正解だったと思います。

 

 80才で授かった初孫、その成長のまぶしいこと。まちがいなくこの子が私を生かしてくれています。

 

 

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