2019年6月3日月曜日

アジアと日本

 平成は「失われた30年」と言われた。ならば令和は新しい時代の模索とスタートの時代にせねばならない。それにしては価値観の多様化と情報の過多で「混沌」を極めていて一朝に方向性を見出すことはなかなか難しい。こんな時は一旦踏み止まって先賢に学ぶのも知恵というものだろう。そこで竹内好の『方法としてのアジア(竹内好全集第5巻)』をいてみた。(この論文集は1951年から75年の論文をあつめたものである
 
 この論文集で最も印象的だったのは次の一節である。
 日露戦争のとき孫文はヨーロッパにおりましたが、戦争のあと、中国へ帰った。その途中、船がスエズに寄港すると、荷役のアラビア人が(略)――日本が日露戦争に勝った。白人だけが優秀であると自分たちは諦めていた。(略)ところが、日本人が白人を戦争で破ったということを聞いて非常に嬉しい。解放の希望がもてた、ということを言ったそうです。孫文自身が語っております。ですから、日本の近代国家の建設というものは、戦争によって有効性が証明されたわけで、それが植民地解放にとって非常に大きな力になっているらしい。
 ヨーロッパの自己拡張の動きは、数世紀前から、航海術の発達とともにはじまっている。産業革命がそれに拍車を加えた。やがて非ヨーロッパ地域の大半が、日本だけを残して、植民地化された。このような運動の過程でつくられたアジア観が、侵略の対象としてのアジアということである。
 
 アジアという言葉は確たる概念内容があるものではなく上にもあるように「非ヨーロッパ」という「ヨーロッパ中心主義」的なもので、帝国主義時代には「侵略の対象」と彼らは考えていたにちがいない。そして日本以外ではタイが辛うじて植民地化を免れたがアジア、アフリカ、南アメリカのほとんどが植民地化されるか属領として辛苦を舐めさせられた。そんななかで日本がいち早く近代化(西洋化)に成功しなおかつ西洋列強の一翼――ロシアに勝利を収めたことが「非ヨーロッパ」の諸国民にどんなに大きな衝撃を与えたかは現在の我々の想像をはるかに超えるものであったに違いない。日露戦争の勝利は中国や朝鮮の若者にとりわけ影響を及ぼし日本への「留学生」が急激に増加した。そんななかに孫文もいたわけで、その孫文が辛亥革命を指導し1912年に中華民国が誕生するに至るのである。
 ここ数年インバウンド(海外からの観光客)が急増し昨年は3000万人を突破した。2020年のオリンピックまではこの趨勢は止まらないだろうがオリンピック後の落ち込みを危惧する向きが少なくない。しかし冷静に考えてみて、日本以上に安全な国はないのではないか。清潔な国があるだろうか。食の安心は今のところ保証してよいだろうし文化の蓄積は世界でも有数で保全体制も整っている。物つくりの水準は世界トップクラスである。高齢化の進行も世界有数でそれへの社会保障は相当高水準である。これだけの『資源』を有した国があるだろうか。インバウンドの相手国の所得水準は今後ますますアップしていくことが見通せる今、これだけの条件が整っていて、アジア諸国を中心としたインバウンドが減少に転ずるはずがない。
 明治大正期にアジアの若者が「日本に学べ」と留学したように、令和のわが国は「観光」と「成熟国のモデル国」としてアジア諸国民の『あこがれの国』に転換していく「道」が大きく拓けているのではなかろうか。
 
 中国人の日本観。これはいろいろに言えますが、日本人が軍隊ばかりでなく、一般市民が軍隊をタテにして行って乱暴を働いたということに、深い憎悪をもっていると思う。(略)日本の人民には罪はありませんと言っても、心の底ではやっぱり日本人を怨んでいると思う。その怨みは十年や二十年で消えないと思います。一世代かかって消せるかどうかむずかしい。百年かかるかもしれない。いわんや今のような国交の状態では、ますます憎悪感が強まるかもしれない。日本人一人が悪いことをすれば、被害を受けた人は日本人全体を怨むのは当然でしょう。(略)朝鮮に対しては特にそうですね。韓国との国交がうまくいかんのは、李承晩大統領はものがわからん男かもしれないが、あれだけ虐められていたら無理もない。十年、二十年じゃむつかしいかもしれない。けれども、努力なしなければならない。そうでなければ恥知らずです。民族が恥知らずになったのでは、世界に立てない。
 韓国の慰安婦問題や徴用工問題あるいは中国の反日抗日の執拗さはわれわれ日本人の常識を超えているが竹内の1960年の見方は「百年の償い」の覚悟を促している。現在の大方の論調は1965年の「日韓請求権協定」で解決済みだとしているがそれはあくまでも日本人の見方であって、南京虐殺など戦時の日本陸軍が大陸で行った残虐行為は、われわれがほとんど教育されず入手できるデータも限られている状況とは大きく異なって、小学校から歴史教育の中心として教え込まれた中国人民とは根本的に歴史認識がちがうのだということを改めて知る必要があるのだ。
 
 すから国民党と共産党が戦って共産党が勝ったといった見方はまちがっています。そうではないのです。民衆がどちらについたか、あるいはどちらの党が民衆を味方にしたかによって勝負がついたのです。したがって国家というものは防衛対象ではないし、防衛力の源泉でもない。行政組織も自衛組織も抵抗の必要から自分の力で作り出したものです。中共は最初からこういう考え方をとっている。既成の組織に頼るのはダメなんで、たえず中からそれを作り変える必要がある。
 共産党独裁の元に習近平の権力拡大が止まることがないようにマスコミは報じているが、この竹内の見解は中国国内での「静かなる反習近平」が少なからざることを教えている。とすれば、二期目に入ってからのあからさまの習近平独裁体制の強化はその裏で中国人民の体制離反がわれわれの想像を超えて進行していることの裏返しかも知れない。中国三千年の歴史をみるとき、王朝の度々の転換のなかでしぶとく生き通してきた中国人民の勁悍さは中国共産党の暴走がつづけば、その終焉は意外と突然に想像以上に早く訪れるかも知れない。
 
 竹内好の1960年代のアジア観の一端をみて、令和の我国の「道」を考えてみた。彼の影響を素直に受けいれれば、北朝鮮を含めたアジア諸国に犯した戦争責任はこれからも、少なくとも2050年くらいまでは引きずっていかなければならない覚悟を促している。そして中国人民の「体制選択」は共産党独裁が今後永久不変に続くという可能性をあやしくする。そのうえで「安全・安心・清潔」「ぼう大な歴史の蓄積」「少子高齢化先進国」という『資源』をいかに活用するかを中心に据えて「国家経営」を行うのが最も望ましい方向づけのように思われる。
 
 欧米中心主義、特に戦後のアメリカ中心主義は令和の時代そして21世紀の「国家経営の主方針」とすることには相当な危険性をはらんでいるを知るべきで、もういちど、アジアの中の日本、という視点を見直すべき時期を迎えているように思う。
 
 
 
 

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