2021年12月13日月曜日

歌のちから

  本を読んで泣くなどということはこの齢になればもうないだろうと思っていました。心の奥底に沈んで錆びついてしまっている琴線は震えることを忘れているだろうと思っていたからです。ところがこの本を読みすすむにつれて涙が何度もなんども溢れそうになるのをおさえることができなかったのです。1980年に講談社が『昭和万葉集』を刊行しました。昭和1年から半世紀に及ぶ激動の時代につくられた8万2千首の短歌を全20巻(別巻1巻)にまとめた大アンソロジーです。そのうちの秀歌を小野沢実が選び鑑賞した『昭和は愛(かな)し』(講談社)という本がそれです。少し前に『権力と出版』(魚住昭著講談社刊)を読みました。講談社を創業した野間清治とその一族の評伝と講談社の社史を扱った本ですがなかに『昭和万葉集』刊行の経緯が書いてあり興味をもって『昭和は……』に出会ったのです。残念なことに1990年発行で絶版になっていたのですが古書店で手に入れました。

 

 残さるるひとりさみしと言(こと)にいはず子呂(ころ)欲しなどと僅かに告げぬ(水島まゆみ)

※ 生きて帰って下さいとは言えず夫の胸に顔を埋め、ささやくように「子が欲しい」としか言えなかった出征前夜のつつしみ深い日本の典型的な妻の歌である。

 歓送の響(どよ)めくなかに手を握り真幸(まさき)くあらば妻よ相見む(福川徳一)

※ 妻との別れの心の乱れのすべてを整理し切って、プラットホームの歓送のどよめきに立った兵士の姿である。送ってくれる一人一人にていねいに礼をしつつ、最後にこの時代としては異例でさえある妻の手を人前で握り、「真幸くあらば……」と胸を張り思いを込めて妻の眼を見得た武人としての潔さ。

 後影(うしろかげ)つひに消ゆれば走り入り今はすべなし声あげて泣く(沼上千鶴子)

※ 最愛の人のしだいに遠ざかる姿、ついにそれが視界から消え去った瞬間。名誉の出征に涙を見せることは憚られた、だから人前では気丈に振舞った妻が人目を避けて、堰を切ったように突き上げる激情に身を投げうって声をあげて泣く。

 草ぎりてゐし老(おい)が起(た)ちて叫びたり生きて帰れとたしかに聞きぬ(大塚泰治)

※ なつかしい故郷の山河が後方へ走り去っていく車窓。夏草の間から除草作業にふけっていたにちがいない老農夫がとつぜん腰を伸ばして立ち上がり大きな声で「生きて帰って来いよぉ」と叫んだように聞こえた。決して言ってはならない心底の真情を老い先ない父なるひとがみなに代わって叫んでくれたのか。

 

 鑑賞文は字数の都合から意訳していますから原文ではありません。作者の確たる筆力による縷々とした名文を読むと歌の力と相まって涙をさそうのです。

 赤紙がくると有無を言わさず戦場に送り込まれます。戦争も末期ともなれば生きて帰れる確率はきわめてゼロに近いことを国民のすべては覚悟していました。でありながら「おめでとうございます」「ありがとうございます」「お国の為にがんばって参ります」とうわべの言葉だけが行き交う虚しさ。出征前の夫婦の閨でさえ真情を吐露できない切なさ。「生きて帰って来いよぉ」と叫んだ老農夫の叫びの歌がこの集になかったら「救い」はなかったでしょう。

 

 うつしみの人の身ながら国の仇とうつしみの人を斬りにけるかも(池尻慎一郎)

※ 初めておのれの手で人間の生命を奪った者の声。「うつしみ」をくり返すことで夢幻であってほしいという心の痛みが際立ちます。しかし現実は「国の仇」と斬らねばならなかった悔恨の思いは心の傷となって生涯ぬぐえない、生やさしいものではないのです。

 片腕は遂に見あたらぬ戦友を火葬に付して骨抱きかへる(羽生嶺草史)

※ 爆弾で吹っ飛ばされてしまった屍体の腕が見あたらない。焼いてしまえば灰になるのは同じだけれども友の体は五体揃えて葬ってやりたい。涙をこぼしながら必死に探したにちがいない、けれども「遂に」見つけることができなかった、死に報いることがかなわなかった虚しさを友を思う心が温かみをもった歌にしていて無惨さを弱めてくれています。

 

 このあと「死」「敗戦」「平和」「生還」「欠乏」「建設」「経済大国」と昭和の短歌はつづくのですが8万2千首のあまねく日本人の心の叫びを『万葉集』と同じように後世に伝えていく責任があるのではないでしょうか。それにしても詩歌の力は偉大です。これがもし散文であったら老いた心を融かすことはなかったでしょう。

 

 ところで安倍元総理が「台湾有事は日本の有事であり、日米同盟の有事でもある。この点の認識を、習近平国家主席は断じて見誤るべきではない」と発言したと報じられています。中国が台湾を暴力的に支配下に置こうと行動し米国がそれに応じた場合、日本も米国の同盟国として中国に対抗する――ということは戦争行為で中国に応じる、と安倍さんは言っているのです。彼にどうしてこんな重大な発言をする権利があるのでしょうか。自衛隊に所属する若い日本人――私や友人知人の子どもや孫の命を台湾と中国の戦争にどうして差し出さなければならないのでしょうか。

 もし岸田総理や政府の要人がこれと同じ発言をすれば大変な問題になることでしょう。しかし安倍さんは一般人ではありません。衆議院議員でありなにより元総理です。そして総理退陣後も院政(?)をしいて――自民党最大派閥の長になり権力を露にして存在感を高めています。中国とすればとても無視できる存在ではありませんし、発言の重みは「日本政府に近い」要人の発言として捉えられるのはまちがいないのです。あまりに軽率ですが、いやそれが「狙い」だというのならはっきり言っておくことがあります。

 

 安倍さんの言葉で、自分の子どもや孫、友人知人の子どもや孫を、アメリカの同盟国として戦争させることは絶対にありません。アメリカという国を信用していませんし、非戦闘員に無差別攻撃し原爆を使用した「非人道的行為」を許すことはできません。アメリカは中国の人権を問題にする前に自らの「非人道的行為」への反省と謝罪をまず行なうべきです。

 『昭和万葉集』の歌を読んでそう思いました。

 

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