2011年11月7日月曜日

掃葉

 永井荷風の日記「断腸亭日乗」を読んでいると度々「庭を掃く」という記事が出てくる。秋から冬にかけては「落葉焚く」がそれにつづく。荷風を真似たわけではないが秋になってから公園の東屋の落葉を掃くようにした。そもそもは子供たちのゴミの撒き散らかしが尋常でない時がありトングで一々拾っていられないので掃き集めるようにしたのがはじまりで、やってみるとこれが思いのほか気持ちが好く、ゴミがなくなった後、薄く堆積した砂に掃き目がつくと何とも清清しい気持ちになる。そのせいもあってか数日ゴミの量も少ない。
 
 昭和30年頃までは街のあちこちで落葉掃き―掃葉が行われていた。竹箒や熊手で掻き集め手箕(てみ)で掬って、焚き火もした。坊さんが作務衣で境内を掃く姿は冬の風物詩の趣があったし大きな御邸の主が落葉の頃の庭掃きだけは自らやっていたのが印象に残っている。

 落葉といえば白楽天の詩に「林間に酒を煖(あたた)めて紅葉を焼(た)き/石上に詩を題して青苔を掃う(「送王十八帰山寄題仙遊寺」より)の有名な一節があり、俳句には「木の葉ふりやまずいそぐないそぐなよ(加藤楸邨)降り積めば枯葉も心温もらす(鈴木真砂女)落葉掃く京の暮色をまとひつつ(清水忠彦)朴落葉落ちてひろがる山の空(森澄雄)とっぷりと後暮れゐし焚き火かな(松本たかし)」など落葉を題した俳句は枚挙に暇が無い。
 季語をみると「枯葉、落葉、柿落葉、朴落葉、銀杏落葉、冬木、寒林、枯木、枯柳、枯桑、枯蔓、冬枯、などなど」枯葉にまつわる冬の季語は20~30もあるほど我々の先祖は事の外落葉に季節を感じていた。
 かくも日本人が愛した落葉への情趣をどうして我々は蔑(ないがし)ろにしているのだろうか。道が地道からアスファルトに変わり人よりも自動車が主役になってしまったから落葉は邪魔者扱いされる存在に成り果ててしまったのだろうか。

 マンション住まいの今、落葉掃きできるほどの庭は望むべくも無いから公園を我が庭と心得て、せいぜい冬の情趣を楽しませて貰おうと思っている。

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