2024年4月22日月曜日

大病院に眼科がない

  本題に入る前に岸田総理のアメリカ議会での演説について一言。「私が日本の国会ではこれほど素敵な拍手を受けることはまずありません」と言って拍手喝采を受けたようですが当然のことで、国会でこれまで拍手に値する政策の提案も素敵な演説もしてこなかったからです。重大な責任を負っていますからその場限りのいい加減なことは言えません、だから原稿を必死で読む以外にないわけですが、外国議会での演説にも責任は伴うということを彼は自覚しているのでしょうか。アメリカ議会での演説内容は決して軽々しいものではありません。とにかく得意満面のナルシズム剥き出しの顔つきには日本国民の付託を背負っているという重みは微塵も感じられませんでした。

 

 閑話休題。先だってショッキングな報らせを受けました。私が中学校のPTA会長をやったとき副会長をしてくれた女性が強度の認知症を患っているというのです。40年近く前でしたからまだ学卒の女性は多くなく、また彼女のスタイルとして理知的な振る舞いを前面に押し出していたこともあって他の女性委員さんからは一目置かれる存在でした。その彼女が認知症で苦しむなど想像もしていませんでした。二年前から年賀状が途切れ昨年のPTAの同窓会にも出席していなかったので心配はしていたのですが……。悲しく辛い思いからなかなか抜け出せません。会って慰めることもできずもどかしい限りです。

 

 もうひとつショッキングなことがありました。朝トレ仲間でもう20年以上早朝の公園で親しくしている「野球上手」のおっちゃんが顔面に強打を受けて左目がつぶれるほどの重症になったというのです。今年83才の私より1才年上なのですが20m近い壁投げをスナップスローだけで軽々とこなす能力を保持していて今でも監督兼任で3塁を守る現役続行中の彼が1月ほど前の試合で事故にあったのです。いつもは70才以上のチームとの試合なのですがその日は60才以上の相手チームに一人目立った選手が混じっていたそうです。その彼の三塁強襲の猛打球が彼を襲ったのです。予感があって一応備えていたのですが真正面の打球で遠近感が定まらずおまけに想像以上の打球速度で飛んできたのでグラブを出すのが間に合わず左目を直撃しました。救急車で病院へ運ばれたのですが顔面半分以上を覆いつくす巨大な腫れに対応不能な病院は第一日赤へ転送しました。ところが日赤も手術のできる眼科医がいないので応急処置として目を冷やしてその後の処置を彼の家近くの個人の眼科病院と対応可能な総合病院を紹介するに留めたのです。翌朝先ず以前罹ったことのある個人病院へ電話するととりあえず診てみましょうという返事。早速診察を受けると骨に異常はないので手術しなくても治療は可能かもしれないと言ってくれました。治療を受けて三週間ほどすると青黒く内出血して腫れあがっていた顔面から腫れが退いて視力も徐々にですが回復してきました。

 三週間ぶりに公園に現れた彼から声をかけられ、そう言えば暫く顔見なかったなぁという挨拶からこれまでの経緯(いきさつ)を知ったというわけです。聞いてみると彼の罹った眼科医というのが京都で一番という有名な眼科医だったことが分かりその幸運を喜ぶと同時に、大きな病院に重い眼科の症状に対応できる医師が存在していないことに驚くと同時に憤りを隠せませんでした。

 

 幸運といえば昨年の私の肺炎を思い出さずにはいられません。丁度連休前の4月28日に37.8度という私としては高熱が出て咳と洟が相当ひどかったので行きつけのクリニックに行くと「検査してみましょう」と肺炎の検査を受けました。すると肺炎という結果が出てすぐ抗生物質の点滴を打って施薬を受け安静を命じられました。2日と6日がカレンダー通り開院していたお陰でその都度点滴を受け指導通り服薬をして安静に努めて10日もするとほとんど治っていました。数日服薬と安静をつづけて無事快癒したのですが本当に幸運でした。肺炎の検査キット(簡易型)を備えている個人病院は3割くらいしかなく、加えて私が日頃から体重と検温を記録して定期的な受診(軽度の高血圧で2ヶ月に1回)をしていたので私の平生の体調を医師が把握してくれていたので即肺炎を疑い検査をしてくれたのが良かったのです。日頃からの良好な医師との関係がなかったら簡単な風邪と見て風邪薬の調剤だけで済まされていたかも知れません。連休でしたから肺炎が進行して重症化していた可能性は極めて高かったのです。

 

 数年前友人が一種の医療事故で亡くなったのですが彼の主治医は腎臓の重大な異常を発見できず気づいた時には手遅れであっけなく逝ってしまいました。長年の付き合いのクリニックでいわば「かかりつけ医」のような存在でしたから私たちの他の医者への診察の薦めにも耳をかさず、まかせきっていた友人の信頼に応えられなかった医師からは遺族への謝罪もありませんでした。

 

 老いるに伴って病院との付き合いは増えてきます。医者と患者の関係はなかなか難しいもので上下関係が出来ることもあります。そうなると医師からの一方的な指示だけになりがちで患者からの情報不足が思わぬ破綻を生むこともあります。友人の場合は多分そうだったのでしょう。治療を受けたらその変化、効果をできるだけ具体的に詳細に医師に伝えることが重要で、検温、体重変化、血圧の定期的な測定の提供だけでも医師と患者の関係は緊密になって対等な関係に近づきます。治療は相互的なものであるべきです。それを踏まえたうえで「医者と患者は運次第」と思うのです。野球上手の彼も私も幸運だったのです。

 

 それにしても医師の偏在と総合病院の脆弱性は危機的状況です。老いると内科的な臓器異常だけでなく全身に不快な器官が増えてきます。眼科や皮膚科的な部位以外にも歯科もそうです。そうした観点で現在の医療体制を見直すと都市部の総合病院でも手薄な診療科は多く地方になるほどその不備は拡がります。産科医の不足も深刻で地方の惨状は「少子化対策」をしているようで上っ面のバラマキ施策ばかりで実際は成り行き任せの根本的体制変革は手づかずのままです。市場原理に任せた公共医療体制の脆弱化はこのまま放置できない状況に至っています。

 幸運まかせではおちおち長生きもしていられません。

 

 

 

 

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