2011年10月24日月曜日

涸轍(こてつ)の魚

  持ち家をもつ余裕のない貧困層に見せ掛け有利な融資条件で無理やり家を購入させ、その債権を金融工学でデリバティブ(金融派生商品)化し世界中にばらまいて甘い汁を吸い尽くし破綻した「リーマンショック」。
 統一通貨―ユーロを採用し金融政策の自由度を束縛しながら財政政策を放任し結果的に域内の強大国が弱小国を収奪することになり破綻の危機に瀕するEU(欧州連合)。
 グローバル経済の中、生き残りのために投入労働力の最小化を図り廉価で豊富な労働力を狙って新興国に生産拠点を次々に移転し続ける巨大企業。
 周回遅れで日本の後追いしているかのような中国経済は「都市による農村の収奪」によって高度成長を謳歌していたが膨張しすぎた経済はインフレによって急減速。異常な格差の拡大と相俟って成長維持が可能かどうか。
 などなど。

 李白の「擬古」という詩にこんな一節がある。『座して悲苦し、塊然として涸轍の魚のごとくなるなかれ』。車の轍にできた小さな水溜り、そんな水にすむ魚は陽が照って水が涸れればたちまち死んでしまうであろう。空しく悲苦してぽつねんとそんな浅ましい魚のような生き方を選ぶでない―と李白は詠っているのだが、上に記した世界の現状はまさに『涸轍の魚』そのものではないか。

 新興国或いは後進国を先進国の都合のいいように利用するだけ利用して、価値がなくなったらポイと捨ててしまうような『強欲』が何時まで許されるのだろうか。
 景気対策として巨額の税金を使って金融機関や大企業を救済し一応経済の建て直しはできたように上辺は見えるが、「ジョブレス・リカバリー(雇用なき回復)」で格差は拡大するばかり、こんな『強欲』が許されるのか。

 先進国新興国を問わず貧富の格差は許容範囲を超えて進行している。そればかりか1日1ドル以下で生活する飢餓人口は9億6300万人おりしかも毎年約1500万人づつ増加し4秒に1人の割合で飢餓が原因で死亡している。これらの人たちは繁栄するグローバル経済の枠外に取り残されたままである。

 グローバル化と『富者による貧者の収奪』。暴走する経済は制御不能なのだろうか。

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