2020年8月17日月曜日

わたしは1年生の道徳落第です

 最近読んだ『教育は何を評価してきたのか(本田由紀著岩波新書)』のなかにあった小学校第1学年及び第2学年の「特別の教科 道徳」の指導の観点》を見て困惑と憤りを感じました。これは文部科学省『小学校学習指導要領(平成29年告示)解説 特別の教科 道徳編』からの抜粋で、他に小学校第3学年及び第4学年、小学校第5学年及び第6学年、中学校分もありますが今日は第1学年第2学年分に限って検討を加えてみたいと思います。
 
 観点は大きく、A.主として自分自身に関すること、B.主として人との関わりに関すること、C.主として集団や社会との関わりに関すること、D.主として生命や自然、崇高なものとの関わりに関すること、の4つに分かれておりそれぞれについて「徳目」が設定され解説されています。
 Aは「(1)善悪の判断、自律、自由と責任」「(2)正直、誠実」「(3)節度、節制」「(4)個性の伸長」「(5)希望と勇気、努力と強い意志」が徳目になっています。以下Bは「(1)親切、思いやり」「(2)感謝」「(3)礼儀」「(4)友情、信頼」、Cは「(1)規則の尊重」「(2)公正、公平、社会正義」「(3)勤労、公共の精神」「(4)家族愛、家庭生活の充実」「(5)よりよい学校生活、集団生活の充実」「(6)伝統と文化の尊重、国や郷土を愛する態度」「(7)国際理解、国際親善」、Dは、「(1)生命の尊さ」「(2)自然愛護」「(3)感動、畏敬の念」が徳目として挙げられています。(徳目の前のカッコと数字は便宜的に付け加えました
 これほどの「量」の徳目を、小学1年生と2年生に教え込もうとする「教える側」の思惑の『たが(箍)』の「強固さ」と「毛一筋の逸脱」も許さない「陰湿な周到さ」を感じると同時に、これほどのものを詰め込まれる1年生2年生に哀れを催さずにはおれません。それと同時に教えている先生がどんな顔をしているのだろうかという意地の悪い興味もわいてきます。
 
 解説については特に検討を加える必要があると感じたものに限って引用することにします。
 (A-1)よいことと悪いことの区別をし…〉(A-2)〈…素直に伸び伸びと生活すること〉(A-3)〈…わがままをしないで、規則正しい生活をすること〉(A-4)〈自分の特徴に気付くこと〉(A-5)〈自分のやるべき勉強や仕事しっかり行うこと〉(B-1)〈身近にいる人に温かい心で接し、親切にすること〉(B-2)〈家族など日頃世話になっている人々に感謝すること〉(B-3)〈気持ちの良い挨拶(略)明るく接すること〉(B-4)〈友達と仲よくし、助け合うこと〉(C-1)〈約束やきまりを守り…〉(C-2)〈自分の好き嫌いにとらわれないで接すること〉(C-3)〈働くことの良さを知り、みんなのために働くこと〉(C-4)〈父母、祖父母を敬愛し…〉(C-5)〈先生を敬愛し、学校の人々に親しんで、学級や学校の生活を楽しくすること〉(C-6)〈わが国や郷土の文化と生活に親しみ、愛着を持つこと〉(C-7)〈他国の人々や文化に親しむこと〉(D-1)〈生きることのすばらしさを知り、生命を大切にすること〉(D-2)〈身近な自然に親しみ、動植物に優しい心で接すること〉(D-3)〈美しいものに触れ、すがすがしい心をもつこと〉(太字と下線は便宜的に付け加えました
 
 さておとなのみなさん、自信を無くしませんか。とてもこれだけのことは守れていないのではありませんか。それを頑是(がんぜ)ない1年坊主や2年むすめに覚えなさい、守りなさいとはいい辛くないですか。ここまで読んだだけでも『特別な教科 道徳』に違和感を覚えずにはいられません。
 
 第一の問題点は年間34時間(2年以上は35時間)という授業時間に比して内容が過重です。しかも1年から6年まで同じ徳目を見方を変えて教えるという方法も考え直すべきではないでしょうか(「真理の探究」「相互理解、寛容」「よりよく生きる喜び」の三項目は1年生2年生分から除かれています)。19徳目の内から1、2年生にふさわしい徳目を選び出して、分かり易く、自分で考えさせながら、教科に慣れるように仕向ける方が効果的なのではないでしょうか。
 第二の問題点は『あいまいさ』です。それは「形容詞のあいまいさ」と「言葉の内容のあいまいさ」に起因しています。
 まず形容詞をみてみましょう。素直に伸び伸び、規則正しい、しっかり、温かい心、気持ちの良い、明るく、自分の好き嫌い、敬愛し、親しんで(親しみ)、楽しく、すばらし、優しい、美しい、すがすがしいなどがちりばめられています。素直にしても、しっかりにしても、温かいにしても、美しいにしても人それぞれで内容もレベルも異なる「心の持ちよう」を結果として一律に「圧しつける」ことになる可能性と危険性を秘めています。言葉についても、よいことと悪いこと、わがまま、自分の特徴、自分のやるべき勉強や仕事、約束やきまり、働くこと、伝統と文化、等の言葉の内容はなかなか決めにくい、範囲の広いものですがそれをどのように教え、考えさせるのか。たとえば「伝統」はどのような内容を「抽出」するかによって「右にも左にも」導くことができますがそれを上から押しつけてしまうと子どもたちの独創性をきずつけてしまうことになりはしないでしょうか。
 
 最も大きな問題点は、この教科書を作った人たち――文部科学省の役人や教科書会社の人たちの頭の中に「東京」の「親子4人の標準的な家庭(専業主婦型の)」で「大(中)企業の正規社員」がモデルとしてありはしないか、ということです。
 今ほど東京(首都圏)と地方の格差の拡大した時代はありません。でありながら文化的には「東京化」が若者を中心に進展しています。郷土愛に大変化が起こっていると同時に「伝統」の「地方の特徴」が守りにくくなっています。そうした変化が道徳にも影響を与えていることは否定できません。「ひとり親」家庭も百万世帯を大きく超え、母子世帯でさえ120万世帯に達しています。非正規雇用が三分の一を遥かに超えている現在において、道徳で教えようとしている「徳目」が一律に通用するのでしょうか。地方によって、所得によって、家庭環境によって、同じ徳目でも受け取り方が異なっているはずです。「自分の好き嫌い」「わがまま」を言えない子どもも少なくありません。
 
 グローバル化、情報化・AI化が急激に進展する中で、未知の課題に対処できる思考力、判断力、表現力を錬磨しなければならない時代の要請にいかに応えるかが教育に問われている状況を考えると、結果として「空気を読んで、みなと仲良く協調し、目上の者を敬愛」する『予定調和』を圧しつける『道徳』はそうした風潮に逆行しているように感ぜずにはいられないのです。
 
 「教える側」の長たる安倍首相が今年の広島と長崎の平和式典で、地名や一部の文を除いてほとんど同じ内容のあいさつ文を読み上げました。被爆者から「ばかにしている」と怒りの声が上がったといいます。
 
 安倍さん、小学一年の道徳の教科書、読んでいますか?
 
 
 
 
 
 

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