2020年8月3日月曜日

公僕

 首相官邸がホームページに掲載している「三権分立の説明図」が物議をかもしています。主権在民をイメージして「国民=主権者」が中心にあって、立法、司法、行政の三権が国民を囲んでいる配置になっています。三権はそれぞれ相互に関連しており矢印が行き交って、国会は内閣総理大臣の指名などで内閣と関係、内閣は国会の召集、衆議院の解散で国会と結びついています。国会と最高裁判所は弾劾裁判→と←違憲審査で、内閣と最高裁は最高裁長官の指名など→と法令や規制の違法性審査←で相互関連する図です。問題は国民と三権の関係にあって国会には「選挙」で、最高裁には最高裁判官の国民審査権で「権力の規制・制限」を表す矢印を国民から国会、最高裁に向けられているにもかかわらず、国民と内閣の関係矢印は内閣から国民に向かっており、「行政」を内閣から国民に『さずける=与える』構図になっているのです。スマートな表現をとると「内閣が国民に行政を提供」することを意味しているのです。
 何故「内閣」だけが矢印が逆向き――国会や最高裁と同じ方向を向かないで主権者たる国民に内閣が「行政」を『ほどこす』ような方向に向いているのか。国会と最高裁には国民(主権者)の「権力の制限・規制」を意味する「選挙」「国民審査」が大きく明示されているのに、何故内閣には『国民』が「内閣の権力を制限・規制」する文言が表示されていないのか。内閣は主権者・国民の「権力の制限」を免れていると考えているのだろうか。
 
 タレントのラサール石井さんたちがSNSで問題提起、内閣批判で炎上したのを受けて野党も同調。ようやく22年ぶりに修正が加えられ、国民から内閣に「世論」という力で「制限・規制」、「行政権の監視」を表す形に改められました。22年前といえば橋本龍太郎氏か小淵恵三氏が総理大臣のころで、その後2009年から2012年には民主党政権時代もあったわけで何とも情けない話です。
 
 中央と地方の行政府の令和2年度予算はそれぞれ、102兆円と90兆円になっています。行政マン――公務員がそれぞれの職権に基づいてこの予算を執行するのですが、原資はいずれもわれわれ国民から徴収した「税金」が使われます、決して安倍さんや麻生さんのポケットマネーではないわけで、10万円の特別定額給付金も持続化給付金も年金も健康保険も各種の補助金も、すべて国民の税金を「効率よく」「公平に」配分するために「専門家」たる『公務員』にまかせて(委託して)いるのです。ところが例の「――説明図」から読みとれることは、「お上が下々に『ほどこし』をしてやっている」というふうな意図です。お金と権力を手にするとよほどの聖人君子でもこんな「勘違い」をしてしまうのでしょうか。
 「すべての公務員は、全体の奉仕者であって、一部の奉仕者ではない(憲法第15条)」と規定されていますし、よく『公僕』という言葉で職務が表現されますが、主権者たる国民の使用人として国民に奉仕する者が公僕です。しかし現在の政治家(特別職国家公務員)も官僚諸氏にも「国民の奉仕者・使用人」という意識は微塵も感じられません。
 
 なぜこんな風潮になってしまったのでしょうか。私は「内閣人事局」制度が元凶だと思っています。
 国を経営するためには政治家と官僚は不可欠です。国の方向を示すのは政治家の仕事ですし、それを実現するのは官僚のつとめです。もちろん政治家が国の進路を決定するにも官僚の力は欠かせませんから、官僚を上手に使いこなす能力が政治家に必須の「資質」といってもいいでしょう。「使いこなす」というのは「権力」でもって服従させることではありません。官僚がその能力を余すことなく発揮できる環境を整えることが重要な要素になってきます。官僚が「萎縮」して「政治家の顔色をうかがう」ようでは決してその能力を完全に使うことはできないでしょう。持てる能力を十全に発揮・活用するためには政治家と官僚の関係は「主従」の関係であってはなりません。お互いがそれぞれの能力を尊重し合う対等の関係が望ましいのですが、それが無理なら官僚は政治家を尊敬し、政治家は官僚の能力を重んじる、そんな関係が築ければわが国は良い方向に進むことができるに違いありません。
 ところが「内閣人事局」ができて、幹部職員の人事権を内閣が握るようになってからわが国の官僚制度がうまく機能しなくなってしまったように感じます。「忖度」ということばが「悪い意味」で普通に使われるようになり、財務省の役人が公文書の改ざんを命じられて自殺に追い込まれるという痛ましい事件まで起こるようになってしまいました。
 政治家の劣化は「秘書」との関係にも表れており、まるで殿様が目下を支配するかのような「言辞」を使う音声が表沙汰になったりして「働き方改革」や「ハラスメント改革」を法律化しようとしている政治家がまず最初に「改革」すべき存在になり下がっています。
 
 こんな政治家と官僚の関係に「嫌や気」がさしたのか「絶望」したのか、若手官僚の7人に1人が「数年以内に辞めたい」というアンケート調査がでて、問題になっています。内閣人事局が約4万4千人の国家公務員に行ったアンケートで「辞職意向」に関する項目で20代の男性官僚の7人に1人(全体の5.5%)が「数年以内に辞職したい」と答え上層部が危機感を募らせていると報道されています。
 私が現役のころ感じたのは、若手は国のため、国民のために熱い心で仕事に取り組んでいるのが、課長クラスになると「組織のため」に変わってしまう姿でした。それでも結果的には「国」をないがしろにするまでには至っていませんでしたが、この二十年近い間にすっかり様変わりしてしまったのでしょう。国を思い、国民の幸せを願う熱い心が、内閣府ばかりを見ている上層部の姿を目の当たりにしていると数年で冷めてしまうのでしょう。
 
 全体の奉仕者としての『公僕』。政治家も公務員もこれが『原点』のはずなのですが……。
 
 
 
 
 
 
 
 

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