2020年7月27日月曜日

「便利」と「安さ」以外のもの

 最近のいい話といえば弱冠十七歳十一ヶ月で棋聖を奪取した藤井聡太君くらいしか思い浮かびませんねぇ。世に天才といわれる人は少なからずいますが将棋の八大タイトルという明らかな称号を手にしたのですから誰も異存をさしはさむ余地のない天才が生まれたわけでまことに喜ばしい限りです。専門家の話のなかにAIを凌駕する差し手が彼の棋譜にみられるという解説がありましたが、今後我々人間はAIの後塵を拝することが多くなるに違いない中で、AIを超える展望が示されたことはご同慶の至りです。過去の厖大な棋譜の累積に関してはAIには到底かないませんが、その先の「創造性」という領域こそが人間に残された可能性ですから、それを彼のような若い人が開拓してくれたことに希望があります。今後の躍進をワクワクしながら期待しています。

 新聞を目を皿のようにして探しているとこんな記事に出会いました。「6歳の少年が犬に襲われた妹を救出して顔に大けがをした。(略)なぜ危険を恐れず妹を助けたのかの問いに『もし誰かが死ななければならないのなら、僕が死ぬべきだと思った』と答えた」と記事は結んでいます。彼は米西部ワイオミング州に住むブリッジャー・ウォーカー君で4歳の妹がジャーマンシェパードの雑種に襲われているのをみて間に飛び込んで助けたのですが90針もの手術を受けなければならない大けがを負いました。
 もちろんとっさのことで考える余裕などなかった反射的な行動だったのでしょうが、日ごろから妹を可愛がっていて、守ってやらねばならないという責任感とおとこ気を持っていたに違いなく、父親が彼にそう教えていたのでしょう。幼い彼の行為に尊敬とほほ笑ましさを感じると同時に、彼らを養育した両親を称賛せずにはいられません。

 ところが同じ新聞にこんな記事もあったのです。
 タイ産ココナツ 欧州不買/サル使い収穫 虐待?伝統?
 米動物保護団体「PETA」がタイの名産ココナツをサルを使って収穫するのは虐待だと告発したのが発端です。1匹当り1000個の実を収穫させられたり、人を襲わないように歯を抜かれたりしていると指摘。収穫時以外は鎖につながれた「奴隷」で、多くのサルが精神を病んでいるとPETAは主張しています。これに対してココナツ農家は「サルを使うのは長年の伝統。1匹の収穫量は多くて1日200個。疲れておれば休ませる。虐待は一部の悪徳業者の仕業だ」と反論、猛反発しています。
 タイは昨年123億バーツ(約420億円)のココナツミルクを輸出しており政府は対応に苦慮しています。
 ココナツミルクは今ブームの「タピオカスイーツ」の主原料で、ここ数年需要が拡大しておりわが国へも少なからぬ影響があることが予想されます。

 構図的には太地町の「イルカ追い込み漁」と酷似しています。動物愛護団体が他国の「伝統」を「非難」し、動物愛護という「同意」を得られやすい「価値」を掲げて世界的な潮流に持ち込み「伝統」を強権的に屈服させようとする。ところが、ココナツ農家は「サルは家族と一緒。虐待なんて言い掛かりだ」と言っているように、かって作業員が収穫している時期があったが転落事故が多発、足場が悪く昇降機の導入が困難な作業環境からサルを活用する伝統的な農法を見直し以前のような酷使を避けて家族同様の関係性を築いて今日に至っているのです。こうした事情を無視して「動物愛護」という観点からだけですべてを「統御」しようとしている今の世界の流れには違和感を覚えずにはいられません。

 ただ考えなければならないのは「便利さ」と「安さ」だけを追求して、その裏に存在するいろいろな問題を見ようとしてこなかったここ一世紀ばかりのわれわれの行動様式です。京都の北山は「銘木」の産地ですが50年ほど前から「輸入木材」の「安さ攻勢」におされて売り上げ減少に追い込まれ、廃業になる業者さんも少なくありません。ところが輸入木材の多くを占める「熱帯材合板」は厖大な熱帯雨林の伐採をひき起こしています。そして違法かつ破壊的な伐採に関わっていることが裏づけられている大手伐採業者からわが国建設業界は木材を調達しているのです。隈研吾設計の新国立競技場「杜のスタジアム」にも多分こうした熱帯材合板が大量に使われているはずです。我々一般市民が新しいスタジアムがそんな事情のある木材で造られているなどと「想像」することはほとんど不可能ですが、かといって責任はないと言い張っていいものかどうかは思案のしどころです。まして熱帯雨林の乱獲が異常気象と深く結びついているということになれば、令和2年7月豪雨も平成28年熊本豪雨災害も平成26年広島土砂災害もみな、異常気象のもたらしたものになるわけで、「知らない」「関係ない」と強弁することは許されないのではないでしょうか。

 目を転じるとコロナ禍でウーバーイーツなどの宅配・出前サービスを利用したりスマホを使ったキャッシュレス決済を利用していることを自慢気に吹聴する若手コメンテーターが少なくありませんが、そのウーバーが使用者責任をまったく果たしていないブラック企業であることには気づいていません。事故のときの医療費補償も労働基準法に適した雇用契約も結ばれていませんから、大企業の「優越的地位を乱用」した非近代的な雇用形態を強要しているウーバーに対して社会正義を要求しようなどという「視点」は彼らにはありません。そんな彼らがいっぱしの顔をして政治や社会問題にコメントするのですから視聴者も舐められたものです。

 便利さと安さは消費者にとって有利なものです。スーパーやコンビニや100円ショップがあったから、安い給料でも生活できたし給料が上がらなくても何とか子どもを育ててこれたのかもしれません。しかしそのことで「失ったもの」にそろそろ目を向ける時期に来ているのではないでしょうか。「強いものが勝つ」ことが正義だという考え方に疑問をもつ若者が少しですが出はじめていることにわれわれおとなは気づくべきではないでしょうか。

 コロナはいろんなことを気づかせてくれるキッカケになる可能性を秘めています。



 

 

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