2021年11月29日月曜日

差別と区別

  溜まりにたまっていたのでしょう。八十才を超したお爺四人が気がつけば七時間くだらない話をしまくって、まだ飽きたらない余韻を残しながら再会を約して別れました。きょうびのことですから二時間ではしごを三軒しながらどれほど呑んだでしょうか。齢は食ってもみな健啖さに衰えはなく安心しました。

 

 そのなかの話題のひとつ。「俺もそろそろおむつのお世話になりそうだ」、これにみなが喰いつきました。この前女房と久し振りに半日散歩をしたんだけど、一時間ごとにトイレに走ったからあきれられたよ。辛抱がきかなくなって、チャックを下ろして子せがれを引っ張り出そうとするんだけど間に合わずに零してしまって情けなくなってしまう、などなど。一応話がおさまりかけたとき「おむつってアウトなんだよ」と一人がつぶやきました。知り合いに奥さんの若年性認知症に苦労した人がいて彼に言われたんだけど、紙おむつって言葉は大変な「屈辱」だそうで最近は「紙ぱんつ」と言い換えるのが一般化していると注意されたという。そうなんだ、なるほどと納得しました。

 もうひとつ。「五体満足」。八十才近くなって初孫をえた友人がいて、とにかく母子ともにつつがなく「五体満足」であればいいと念じていたという。ところが赤ちゃんに軽い障がいがあったそうで、生まれてきた孫にすまないと痛切にあやまったという。どんなかたちであれ、生まれてきたいのちのありがたみに変りはないのだから感謝するばかりだった、かわいいねえ孫はという彼の表情に一点の曇りもなかったといいます。

 

 「京都新聞の連載いいね」「ああ渡来人なぁ」「えっ、君も読んでるの?」「トシ食ったら地元紙だよ、生活情報満載だからね」。彼は経済系全国紙勤務だったのですが……。

 今年の4月から京都新聞で始まった「渡りくる人びと」は元日文研所長・京都資料館長で京都産大名誉教授の井上満郎氏による京都を中心とした朝鮮半島などからの渡来人についてのコラムで一日僅か二百字ですが深く教えに富む内容で毎日楽しみに拝読しています。二週間に一回のまとめ、これがまたいいのです。

 

 連載の中からいくつかを紹介します。

 「高野新笠(たかののにいがさ)と桓武天皇(4月6日)」…高野新笠は桓武天皇の母で、(略)新笠の祖先の百済の始祖(略)母が渡来人であることを強く意識して(略)

 「渡来人と渡来文化の広がり(4月23日)…平安遷都してすぐくらい、嵐山あたりの班田図があります。(略)ほぼ7割までが渡来人、それも秦氏なのです。(略)西日本の古墳時代人は縄文系、つまり純粋な日本列島人がわずかに2または1にすぎず、渡来系が8または9、という割合での混血だというのです。

 「カモ上下神社と秦氏(11月23日)」…賀茂祭は本来秦氏の奉祭だったが、秦氏の女婿となった賀茂氏にこれを譲った、と書いています。(略)渡来と在来の人がともに一つの祭礼を奉仕したことが知れれて興味深いです。

 「藤原貴族と秦氏のつながり①(11月24日」)…長岡京建設の資金を母の実家である秦氏に頼ったという説がでるのです(略)

 

 在日に対するヘイトクライムが一向に終息しません。反中も同じです。外務大臣が外交の席で「無礼です」などという常識では考えられない発言をしたり、外交交渉を地下の倉庫のような部屋でホワイトボードと体育館の折り畳みの椅子と机で行うのですから知識も常識もない一般庶民がいわれのない差別と憎悪のヘイトスピーチをするのも無理のないことかもしれません。それに引き換え上皇様ご夫婦の思慮深く慎みに満ちたお振る舞いと話しぶりには深い知性が感じられて尊敬の念に堪えません。

 桓武天皇にとどまらず上古の天皇家に渡来人の血が濃く混ざっていることは少し歴史を学んだものなら常識です。日本の古墳時代は4世紀ころになりますから聖徳太子のちょっと前、200年もならないころの日本人は、純粋の日本人と渡来人がまじりあってほとんどが「混血人」であったといってもまちがいではないのです。日本の歴史を2700年と考えてもその半分以上は日本人と渡来人の共同作業によって国づくりが行なわれてきたのです。

 京都で最も歴史のある格調高い祭礼として誇っている「葵祭」が秦氏の祭りであったということを知ってみれば、わが国文化の多くの淵源に渡来人の影響があることも想像できます。

 私は現在西京区(京都の右京の西)に住まいしていますが、このあたりは葛野地区と呼ばれていて元々は秦氏の地盤でしたから嵐山の地権者の7割りが秦氏であったことも納得できます。

 

 歴史に無知な人たちが「万世一系」をいいつのりますが、渡来人のことはさておいても「南北朝」とその顛末にどう折り合いをつけるのでしょうか。「無敗の神国」という神がかりは白村江の惨敗や秀吉の朝鮮征伐の失敗を知らないのでしょうか。

 

 『憎悪』は「無知」と「恐怖」から生まれる『差別』の表現です。人類の長い歴史のなかで「西欧の衝撃」から僅か300年の「西欧優位」を盲信して2000年以上の自国や非西欧国の歴史と文化に唾棄した人たちが批判的に西欧文化を評価できるようになるのを祈るばかりです。

 

 

 

 

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