2021年7月19日月曜日

モネと資本主義

  朝青竜は「横綱の品格」がないと散々バッシングを受けました。白鵬を何故批判しないのでしょうか、マスコミも世間も。 

 

 先週の「モネ…」は登米の山の御神木――樹齢300年のヒバの木の伐採がメインテーマです(モネはNHK朝ドラ『おかえりモネ』)。伐採木の芯――能舞台の芯柱となる木は乾燥に50年を要するため保存を引き受ける家探しが難航します。その中で林業家の「わしも50年後林業をやっているかどうか分からんし子どもに林業の将来をきかれても答えられないからね」というセリフが気にかかりました。

 

 ここ数年考え続けているのですが、一次産業、二次産業、三次産業がなんの制限もなく同じ市場で競争しなければならない「無修正」の自由競争を前提とした資本主義をこのままにしておいていいのかという問題です。林業を例にすると植樹してから伐採まで早くて30年以上はかかるでしょうしドラマのヒバは300年という途方もない成木期間があったうえに製品化する乾燥工程に50年を要するのです。おまけに広大な「山」という資産が必須の「投下資本」です。一方で株式投資を中心業務として「株式売却益」を元手にM&Aなどで業容を拡大していく『投資銀行』や『IT業』などは土地建物や生産機械などの投下資本はほとんど不要で「貨幣」や「株式」「情報」という『無形』の商品を時間の制限をほとんど受けることなく(毎日、毎時間、毎秒)商取引できるのです。木材という「有形の商品」は「総価格」に制限がありますが貨幣や情報という無形の商品はある意味で「総価格」は無限です。このふたつの株式が同一の「株式市場」で取引されるのですから結果は明らかです。無限に近い膨張を可能とする「金融やIT」の株式と材木という有限価値の「林業」株の株式市場での「競争」は前者の勝ちに帰することは自明の理です。にもかかわらず金融やIT関連企業株式の「時価総額」を元手とした資金で「林業株」を買収する「取引」が常態として行われているのが現在の株式市場なのです。

 これが『公正な競争』と呼べるでしょうか。

 

 もうひとつ資本主義には大問題があります。資本主義の成立を何時とするかは諸説ありますが今1800年前後とすると、それ以来二百二十年の間で第二次世界大戦後の76年という『長期間の平和』を経験したことがないのです。ということは戦争の破壊によって、それまでに蓄積した『(資産)格差』が消滅してゼロから再スタートするという、「強制的」な『修正』が行なわれる「資本主義」以外に人類は資本主義を経験したことがないのです。

 1789年のフランス革命以後1914年の第一次世界大戦まで世界中に極地戦争が継続します。第一次世界大戦が人類の経験したはじめての総力戦でしたが、このことによって戦争はパラダイムシフトをおこし、一旦戦争が勃発すれば少なくとも当事国は国土と国民のすべてを注入せざるを得ない状況に追い込まれる「勝者のない戦争」を覚悟することになるのです。1919年に終結した20年後第二次世界大戦が勃発、1945年原爆投下によって人類が経験したことのない『悲惨』な被害をわが国が被ることで二回目の総力戦争が終結し今日に至っています。

 

 ふたつの世界戦争で唯一国土が戦場にならず、国民の生命と資産が毀損されずに済んだ国がアメリカでした。戦後の復興で圧倒的な生産力を誇ったのは当然無傷のアメリカで、ゼロどころかマイナスからスタートせざるを得なかった諸国に比べて、蓄積とイノベーション力の優位さで世界経済を先導したアメリカは世界第一の経済大国として君臨します。そしてその「アメリカ型資本主義」が最も優れた経済システムとして世界中が採用する趨勢となります。資源と富の配分は「市場の見えざる手」に委ねる『市場万能主義の資本主義』が最上の経済システムとしてわが国など多くの先進国で採用されるに至ります。その延長線上に「グローバル資本主義」が形成され世界が一つの市場に統合されるのです。

 ところが76年という長期の平和は「アメリカ型資本主義」にとって『試練』となって立ちはだかることになるのです。1%の富裕層と99%の恵まれない人たちという『格差』を生み、『分断』という国民国家存続の危機を露にしました。アメリカの後追いをしたわが国も程度の差はあっても格差と分断の様相はこのまま放置しておけない危機的状況を現しています。

 

 アメリカの繁栄は決して「アメリカ型資本主義」のシステムとしての「優位性」に由来するのではなく、二つの世界大戦で無傷で済んだという『僥倖』のもたらした「幸運」にすぎないかった、と言ってもあながち間違いではないのです。

 

 76年の平和という「奇跡」は「戦後処理の世界体制」にも齟齬をもたらしています。大国の「拒否権」を支柱とした「国連」は戦後処理を早期に、効果的に行うための『臨時的』措置として形成されたもので、いずれ拒否権は解消しなければならないものと予定されていたかも知れません。また平和が50年以上継続するとは予想されていなかったかもしれません。世界中に200国近い国民国家が成立し、経済が世界大で統合されるなどという事態は想定外だったにちがいありません。

 76年の平和は「戦後処理の世界体制」としての「国連」の機能不全を現出してしまいました。

 

 「アメリカ型資本主義」も「戦後処理の世界体制」としての「国連」も制度疲労を来しています。

 資本主義は他の経済システムよりも有効性の高いものでしょう。しかし「アメリカ型」は欠陥が多すぎます。何らかの『修正』を加えないと「平和のシステム」としては不適格です。戦勝大国をベースとした「国連」も「平和のシステム」としては機能不全にに陥っています。

 

 高度成長を知らない若い人たち。戦争を知らない、平和が当たり前としている若い人たち。彼ら以外に新しいシステムを創造できる人はいないのではないでしょうか。老いた今、彼らへの期待が唯一の光明です。

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