2019年7月15日月曜日

歌集 夏・二〇一〇(抜粋)

 歌人永田和宏の妻で歌人の河野裕子さんが亡くなったのは2010(平成22)年8月12日でした。この歌集は妻の死をはさむ2007年から2011年までの永田の歌を集めたものです。河野裕子の遺稿集は『歌集 (せん)(せい)』(青磁社2011.6.12初版)として発行されています。なお、河野の乳癌発病からの十年を『波(新潮社の読書新聞)』紙上に連載した永田のエッセーが『歌に私は泣くだろう』にまとめられています。
【平成十九年(2007)】
あとさきのはかなきを言ひまた言へり無人駅舎に散る夕ざくら(あとさきp13)……巻頭歌
右から左へどんどん歳をとってゆく駒落としのやうな春夏秋冬(カミツレp16)
ただ黙つて気づかふといふやさしさのまだできていない君にも我にも( 〃 p18)
 
【平成二十年(2008)】
消しやうのない傷を抱へておほかたは笑つて家族とふ時間を捗る(おとうとp74)
あなたにもわれにも時間は等分に残つてゐると疑はざりき(午後の椅子p87)
ある日ふと人は消ゆるなり追ひつけぬ時間はつひに追ひつけぬまま( 〃 p88)
 
【平成二十一年(2009)】
もうおやめきみの今夜のさびしさは脱臼してゐるそのはしやぎやう(日々p110)
不安を自分で迎えに行つてはいけないと家を出るときまたくりかえす( 〃 〃 )
空き壜を窓辺にならべすこしづつ忘れることをおぼえてゆかう(四階 p112)
狭き部屋のその狭さこそ楽しくて泣くあり走るあり本を読むあり( 〃 p113)
この顔にそろそろ慣れてゆかねばと地下鉄の窓を見るたび思ふ(猫玉p117)
歌は遺り歌に私は泣くだろういつか来る日のいつかを怖る(歌は遺り歌に私はp119)
帆をたたみ(かぜ)()てをする舟のやう じつと怒りの過ぎ行くを待つ(バイパス手術p135)
あんな老後はわたしたちにはもうないと悲しきことばは聞きながすのみ(儀与門堂荘p146)
三日ほど籠もりて何もなさざりきただきみとある無為がたいせつ(こうすぐ夏至だp147)
縁側がこんなにいいものだつたとは きみはよろこび猫は眠れる( 〃 p148)
それはきみの病気が言はせた言葉だと思へるまでの日々の幾年( 〃 p150)
覚悟などあるはずもなしなりゆきがわれの時間を奪ひゆくのみ(覚悟p166)
 
【平成二十二年(2010)】
あと五年あればとふきみのつぶやきに相槌を打ち打ち消して、打つ(天窓p178)
沸点といふがあるなら耐へ耐へて笛吹きケトルのごとく叫ぶか(沸点p181)
こののちにどれだけの死を見届けて死に馴れ死に飽き死んでゆくのか(ふたりの老後p197)
いつの間にか携帯の電池が切れてゐたそんな感じだ私が死ぬのは( 〃 p197)
あほやなあと笑ひのけぞりまた笑ふあなたの椅子にあなたがゐない(あなたの椅子p209)
こんなものではない筈いつかどつかんと来るさびしさに備へておかねば( 〃 p211)
 
【平成二十三年(2011)】
きみがゐない初めてのこの元朝に積もれる雪をひとり我が見る(二人の時間p235)…元朝(がんちょう―元旦の朝
時間が癒してくれますからと人は言ふ嫌なのだ時間がきみを遠ざくること( 〃 p237)
もうもはやさほど未練はあらざるをこの世には梅の花 白梅の花(飲まう飲まうp242)
わたくしは死んではいけないわたくしが死ぬときあなたがほんたうに死ぬ( 〃 p246)…巻末歌
 
『歌集 夏・二〇一〇』永田和宏著/青磁社/2012年7月24日初版/2,600円
 
 
 
 
 
 

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