2022年6月6日月曜日

顧客志向というけれど

  テレビの競馬中継がレース途中でCMに切り替わるという前代未聞の事件がありました。それもオークスという競馬の最も権威あるレースさ中のことでしたからファンの不満、批判が爆発したのはいうまでもありません。おまけに系列のキー局フジテレビはレース終了まで放送したというのですから関西テレビの不手際は責められて当然のことです。

 なぜこんな事態が発生したのか?決まり切ったことです、視聴者よりもクライアント――広告主の方が大事だからです。日頃は視聴者のため、顧客ファーストを謳っていますがそれは建て前で大事なのはクライアント、おまえらはタダで番組を見せてやっているのだという心のウラが図らずも剥き出しになってしまったという次第なのです。

 

 この種の不祥事は頻発しており最近も吉野家の「生娘をシャブ漬け」発言があったばかりです。吉野家の重役が経営者志望向けのセミナーでウケを狙ってドギツイ表現をした「ジェンダー(性差別撤廃)」と「ダイバーシティ(多様性)」の風潮に逆行したとんでもない発言だという批判を受けて件の重役は即刻辞任に追い込まれました。しかし根本は、高学歴のエリートサラリーマンが自社の商品をバカにしていて――牛丼なんてどんなに体裁つくろったところで所詮貧乏人の食う安モン商品でわれわれエリートの食べるものではない――それをハイセンスな経営戦略でトップクラスの商品にでっち上げているのだという、鼻持ちならない似非エリート意識が露呈しただけのことなのです。消費者を「単なるデータ」と捉えた傲慢なマーケティング手法であり「まやかし」の顧客志向が彼の心の底には巣食っていたのでしょう。日本の最高学府とアメリカのエリート経営学を学んだ彼の経歴は日本の、いや世界のトップクラスに位置しているエリート層の浅薄な学識――語学と狭い専門分野の蓄積だけでのし上がれる現在の経済界の病巣を浮き彫りにしました。

 

 昨今マスコミを賑わしている「阿武町誤送金」問題も顧客――町民をないがしろにした「行政の隠蔽体質」がもたらした事件に他なりません。世間では使い込んだ若者への批判ばかりですが――勿論彼に問題がないとは言いませんがそもそも誤送金がなければ起こらなかった事件であって、それを棚に上げて町長はじめ阿武町側が被害者づらしているのは怪しからんはなしです。4600万円といえば町の年間予算の1%~2%を占める大金であるにもかかわらず誤送金が明らかになったその時点で口座を閉じて現金の移動をストップさせるべきであったのに受取人と内々に事を繕おうとした姑息な態度がこれほどの事件を引き起こしたのです。失態を公にしたくない――責任を問われるから、話せば納得してくれるだろう、まさか使い込むとは……、などなど公金――税金を預かっているという行政マンとして当然の規範意識が微塵もなく、その内何とかなるだろうという無責任な態度は町政をあずかる身としてあり得ない態度です。顧客――町民に向き合った真摯な行政マンとしてまことに恥ずべき態度と言わねばなりません。

 なおこの報道でほとんどのメディアが伝えていた、不慣れな新人に大事な難しい仕事をまかせていたからこんな問題が生じたのだという論調には納得がいきません。金額は大きいですが、名簿があってそれをチェックしてデータ化するだけの作業は誰にでもできる仕事で、ダブルチェック、トリプルチェックの体制さえとっておけば何でもない仕事です。こんな仕事を難しいと言っていては役所は務まりませんし、役所だけでなくどんな企業だってこれ以下の仕事はないと言っていいほどの仕事です。いい加減なことを知ったかぶりして言うコメンテーターには困ったものです。

 

 広告がらみで不満を言えば、日曜朝の定番「サンデーモーニング(TBS10:00~)」の広告は多すぎるのではないでしょうか。15分毎くらいで挿入される5本の広告が長すぎて興味を削がれてしまいます。それで何年か前から録画して「広告飛ばし」で見るようにしました。サンモニ以上に広告が多いのが昼間の再放送のドラマです。1時間物で4回ほど広告タイムがあるのですが驚くなかれ30秒広告が6~7本も差し込まれるのです。じれったさは半端ではありません。これも「録画→広告飛ばし」で見ています。

 

 テレビが「おわコン」と言われて久しいですが、詰まるところ「顧客志向」でないからに決まっています。内容もさりながらこうした視聴者を無視した広告の問題も大いに影響しているのではないでしょうか。私のように広告飛ばししている視聴者も少なくないはずで、そうなるとクライアント――広告主の期待する効果がでるはずないわけですからクライアントのテレビ離れも進むことになって益々「おわコン」化するという悪循環に陥っています。

 

 情報化時代になってメガデータが営業戦略の重要な手段になっていくのは避けがたい現実ですが、データ化された「無個性」の「消費者像」ばかりを追求する『顧客志向』は必ず破綻するにちがいありません。供給側は何万人何千万人のうちの一人の消費者にすぎないでしょうが、買う側――消費者にとっては一つ一つが自分にとって大切な商品なのです。お金があれば別に安い牛丼でなく上等の和食なりイタ飯を食べたいのですが毎日のことで財布に相談して選ぶ「牛丼」は安くておいしい――心のこもった商品であってほしいのです。

 

「顧客志向」は正しい考え方ですが消費者に心が伝わる伝え方であってほしいのです。

 

 

 

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