2016年5月23日月曜日

支那浪人

 子どもの頃、「支那浪人」「大陸浪人」という言葉がまだ流通していた。何を意味するのか、一体どんな浪人なのかは分からなかったが「…一旗上げる」という文句と一緒に語られることが多かったから「中国へひとりで金儲けに行った野心的な人」ではないかと、おぼろげに考えていた。
 昨今のぎくしゃくした日中関係を修復する『核心』あるいは『キーワード』は案外この辺りに潜んでいるかも知れない、と最近考えることがあった。
 現在の円満ならざる日中関係を当然視している両国の市民―人民は、日本は明治維新から日支事変、満州事変、大東亜戦争へと、国をあげてまっしぐらに軍国主義に突進したと思っているかも知れない。しかし両国が戦争をはじめる相当前、利益のための中国侵略ではなく、ほんとうに心からの大東亜を願い、白人の植民地と化した中国の開放を私欲ぬきで考えていた幾人かの右翼思想家、中国革命を援助し孫文などをもかくまったりした支那浪人たちがいたことを、もう一度思い起こすために一冊の小説をひも解いてみたい。
 それは高見順が「文学界」に昭和35年1月号から昭和38年5月号まで35回にわたって連載した『いやな感じ』である。(原文は旧漢字、旧仮名遣いであるがすべて現代仮名遣い、新体漢字で表記している。なお引用は勁草書房刊『高見順全集第六巻』による
 
 「悲堂先生の話を聞くと、現在の右翼の大物のほとんどは支那革命の援助者だ。面白いもんだな」「面白い…?」「自由民権論者が国家主義者になっている。日本とはそういう国なんだ。今に見てろ、今度は社会主義者が国家主義者になる」(略)「悲堂先生は自由民権運動に挫折して、支那革命に身を投じた。自分の主義主張を支那革命のなかに生かそうとしたんだ。その支那革命が成就して、やっと今日のような形になったと思うと、やれ排日だ、打倒日本帝国主義…」「そのため、せっかくの支那革命の援助者たちを国家主義者にしてしまった?大アジア主義の志士を右翼の国家主義者に追いこんだのは支那のせいだと言うわけか」(p306)
 「この排満興漢とは、もとは満人の専制にたいする民族自治の要求だった。」(略)「東洋の平和を今は支那のほうで乱しているのではないでしょうか。なぜなら、日本に対する態度など、排日どころか、正に侮日です」「侮日に対しては武力を用いねばならぬ?国内問題とちがって、対支問題の場合、侵略と見られるような武力を用いるのは、わしは賛成できん」(略)「昔は純粋な情熱から支那を愛していた者が、今は利権漁りに狂奔して、昨日の支那の友は今日、支那の敵になっている。支那革命の援助者が今は、支那側から言わせれば売国計画の中心人物になりはてている。いわゆる支那浪人の徒輩だ。これがまた、支那の言う蚕食、日本の侵略の手先となっている。今、加柴君の言った矢萩大蔵などがそれだ。ああいう支那浪人がいるために、排日抗日をどのくらい煽り立てることになったか分からない。」(p400)
 維新政府に排除された憂国の志士が、その情熱を植民地化した中国の解放に転換し成就した途端、無目的化し金儲けに盲進し現地人の反感をかって「排日・侮日」の憂き目にあう。 
 
 「排日が支那全土の運動になった、そのきっかけを作った済南事変、たとえばあれを見ても、日本側の報道だとこうなっている。済南の在留邦人が略奪に合っているというしらせで、日本軍が出動した。邦人保護で出て行くと、支那側からいきなり発砲してきたので、日本軍もやむなく応戦した。それで戦争開始となって、事が大きくなって、日本軍の済南城占領というところまで行った。日本側の発表はこうなっているが、支那のほうでは、日本側が日支の衝突を挑発したのだと見ている。日本の謀略だとみている。残念ながらそれは事実のようだ」(p400)
 (こうした叙述は、現地邦人や同盟国の船舶に同乗した邦人の救出を集団的自衛権容認の論理的背景として例示した、現政権の企図にひそむ危うさを浮かび上がらせる。)
 それでも三千年の歴史の過程で征服者の残虐と過酷な搾取を通り抜けてきた中国一般人民はすぐには戦争に加担しなかった。
 上海の中国人は、今度の戦争を中国人と日本人の間の戦争というより、日本の軍部と中国の蒋介石政権との戦争だと見ている。一般の民衆には関係ない戦争だと見ている。/大体が戦争、政争といったものに対しては、/「――阿拉勿闕アラブクエ」/知らん顔というのが中国人の伝統で、/「民衆同士、人間同士は仲良くやっていこうというわけですよ」/と老上海ラオシャンハイの雑貨商は言った。(p437)
 しかし圧倒的な軍事力を過信する軍部はやみくもに開戦に突入していく。
 「支那本土へ日本軍がはいって行くのは考えもんだな。矢萩大蔵は欣喜雀躍かもしれんが、わしは不賛成、反対だ。あの大陸へ手を出したら、泥沼にずるずるとひきこまれるようなもんじゃ」/相手は一応、抗戦してくるだろうが、きっと退却戦法をとるにちがいない。日本軍は進撃、勝利がつづいて大喜びだろうが、その実、占領地域がふえて大変な負担だ。向うはそれを狙っているのだ。日本の武力や財力をそうして消耗させる寸法なんだ。ずるいというか、利口というか。/「それに英米がかならず出てくる。出てくるように支那はしむける。そうなると、せっかく満州をおさへたのに、元も子もなくなってしまう恐れがある」(p398)
 「それだけでもないさ。どえらい戦争をはじめたら、きっと日本は、しまいには敗けるにきまってる。どえらい敗け方をするにちがいない。だっていまの軍部の内情では、戦争の途中で、こりゃ敗けそうだと分かっても、利口な手のひき方をすることができない。派閥争い、功名争いで、トコトンまで戦争をやるにきまっている。そうした軍部をおさへて、利口な手のひき方をさせるような政治家が日本にはいない。海軍がその場合、戦争をやめさせようと陸軍をおさへられれば別問題だが、海軍と陸軍の対立はこれがまたひどいもんだから、陸軍を説得することなんか海軍にはできない。逸る陸軍を天皇だっておさへることはできない。こう見てくると、戦争の結果は、どえらい敗戦にきまっている。そのとき、日本には革命が来る」(p413)
 
 西欧諸国の搾取と迫害に耐える隣国・中国を救済しようとその解放を願った「隣人愛」が、『侵略』に変貌した、その不幸な歴史過程が未だに両国を『隔絶』している。しかし中国革命成功の幾ばくかの力として支那浪人―日本人の援助があったことを、両国の共通認識として共有することは膠着した日中関係打開の一石になるに違いない。そのきっかけとして埋もれた日本の小説が意外と有効になるのではないか。
 
 荒川洋治がいう「文学は実学である」という言葉が生きてくる。
 
 

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