2016年5月16日月曜日

現実主義者は思考停止である

 一ヶ月ほど前、交通違反で取締りを受けた。一旦停止違反であった。図書館の往き帰りに利用する狭い道(片側一車線の住宅街を走る生活道路)で十字路ごとに一旦停止の標識が立っている。結構車の多い路なので以前から丁寧な運転を心がけていた。件の十字路も何故停止の標識が設けてあるのか疑問に思うほどの場所だったが『一応停止』は怠らない運転を習慣としていた。
 その日もいつも通り―いや、ひょっとしたらいつもより心もち短い停止時間だったかも知れない、それでもブレーキペダルを踏んで左右確認をして進んだ。少し進行した「死角」から警官が数人現れて停止を命じられた。
 一旦停止について、警官との認識の違いで折り合わず小一時間押し問答がつづいた。その間も車の往来は絶えることがなく何台もの車が通過したが一旦停止の形はまちまちで、少なくとも警官が主張するような車輪が完全に停止して2、3秒はその状態が保持されているような「停止」をする車は皆無だった。
 押し問答をつづけるなかで「どうすれば彼を説得できるか」「彼(現場の責任者)が部下に示しがつくようなかたちで収拾するにはどのようにすればいいか」を考えた。「3年前に友人が交通事故を起こしましてね。怪我は大したことはなかったのですが、君も気をつけろよと忠告を受けてからは安全運転を心がけてきました。私の認識とあなたのおっしゃる『一旦停止』は異なるようですが、ここ何年かの私の努力がこんな形で失敗するのは残念です」。
 私が『現実主義者』なら面倒を背負い込むより七千円の罰金を支払うほうが利巧だと考えただろう。しかしそうはしなかった、裁判をしてもよいと覚悟しつつあった。スピード違反にしろ飲酒運転でも機械化が進んで機器による客観的データにもとづいて違反の判断が行われているのに「一旦停止」が一警官の主観的判断で決しられている現状を公の場で訴えてみよう。警官との押し問答の繰り返しのなかでこんな考えを固めていた。とにかく『猶予』を設けよう。
 「分かりました、とりあえずキップは受け取りましょう。一日考えて見ます。だからあなたも考えて下さい。そして明日電話を下さい。そのうえでどうするか決めましょう」。
 翌朝警官から電話があった。一週間罰金が支払われなければもう一度納付書が送付されます。それでも振込みがない場合は催告状が送られます。これ以降は罰金に利息が付きます。督促状が発行されてそれでも応じなければ裁判になります。警官はそう告げて電話を切った。
 以来もう一ヶ月以上経っている。二度目の納付書は届いていないし督促の電話もない。彼は私の『異論』を受け入れてくれたのだろうか。一日おいたことで、彼独りの判断が下せるような環境ができたのだろうか。でもまだ安心してはいけない、最近の警察のことだから事務処理遅滞で半年経ってひょっこり督促状が届くかも知れないぞ。そう戒めている。
 
 閑話休題。もう何年も『非戦』を信条としてきた。昨年の安倍首相の集団的自衛権容認―安保改定については容認派の面々と激しく対立した。私の主張は「集団的自衛権の同盟相手がアメリカであり、アメリカという国は同盟国として全幅の信頼を置くに足るとは言い難い相手である」という一点にあった。
 原爆を投下した国である、ということが最も大きな『不信』の原因である。そのことを「戦争の早期終息には不可欠であった」と国民の多くが考えていることも不信を増幅させた。そして戦後70年、覇権国としてアメリカは特権をほしいままに行使して世界経済を蹂躙してきた。その膝下に屈している限りにおいて、アメリカ経済が順調である限りにおいて『鷹揚に』振舞うが、その均衡が崩れたときには『自己保身』に豹変するのが常であった。蛇足だが、アメリカが地上戦で単独で、一国だけで勝利していないことも危惧した。
 日米安保条約は当初「赤化の極東の防波堤」として締結された。ソ連の暴発に備える西側最前線として有効であった。東西冷戦が終結して、中国の勢力拡大とアメリカの相対的国力低下が新たな緊張を醸成、日米安保条約の質的変容を促した。
 日米安保の発足から今日に到るまで『現実主義者』はその時々の『現状』を安易に「容認」して安保の変質と我国の軍備拡張を是認してきた。今回の集団的自衛権容認も中国(と北朝鮮)の脅威を『現状』としてアメリカとの『同盟力』を補強するために不可欠と考えたものであった。
 今年のアメリカ大統領選挙の共和党候補としてトランプ氏が最有力になった。彼は「安保条約不平等論者」としてアメリカ軍駐留費用の全額負担を要求し日本の核軍備化すら強制しかねない人物である。「現実主義者」はこれを『現実』として受け入れるのだろうか。そして我が国経済の持続性が不確実な状況下で「軍事費」の飛躍的な拡大を容認するのか。
 「豪州の潜水艦受注に失敗」という記事が、誠に残念!という論調でマスコミを賑わした。潜水艦は紛れもなく『武器』である。戦後堅持してきた「武器輸出三原則」が2014年に「防衛装備移転三原則」に衣替えした。その際にはマスコミもなにかと批判めいた論陣を張って政府攻撃を加えた。それが僅か2年のうちにかくも『風化』してしまうものなのか。
 
 現実主義者には想像力が欠如している。「アメリカの歴史」を冷静に思考、分析する能力に欠けているから同盟国としての適性に『厳正な評価』を下せなっかた。きらびやかなアメリカ文化に眩惑されて政治的経済的アメリカの本質を見誤って『トランプ氏的』人物の出現を予測できなかった。中国三千年の歴史と文化を戦後教育は『軽視』してきたから10年後の「中国の姿」を相当な確実性をもって思い描くことができないで、目の前の中国政府の振舞いを過大評価して強迫観念に襲われることになる。
 現実主義者は「現状に安住」することを『怠惰』とは思わない。現状の変化に『怯懦』して愧じるところがない。
 
 「現実主義(者ではない)」と「思考停止」は同義ではない。
 

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