2018年7月23日月曜日

西日本豪雨を考える


 西日本豪雨被害の激甚さは想像を絶する。何故こんな事態に至ったのであろうか。
 
 自動車旅行で山間部を走っていると、こんなところに人が住んでいるんだと驚かされることがある。その集落を挟んで手前の村とも先の町とも数キロも離れてポツンとあるこの村は何故ここにあるのだろうか。
 
 徳川幕府は日本国を300余に分割して大名に経営・統治させた。当時は農業経済だったから主たる産物「米」を統治指標として幕藩体制を築いた。即ち「石高制」である。石高制の原則は農業の最も基本的な生産手段である耕地を、田・畑・屋敷の三地目に分類して検地帳に登録し、米生産量(実際に米を生産しない畑・屋敷も含めて)、をもって評価して、一村一ヵ年分の村内総生産物量を「石高」として算定。領内各村の生産石高の総計として各藩の石高が定められた。
 各藩の経済力(戦力に直結する)は米生産力に比例するから各藩は「新田」開発に注力した。その結果我国の耕地面積は、中世の室町時代中期を一とすれば、江戸時代初頭の徳川幕府成立時には一・七、中期の享保期では三という飛躍的な拡大を遂げた。ところがこうした各藩のムリな開発はいわゆる「乱開発」となり、十七世紀後半には全国各地で大洪水が続出、水田の荒廃化がすすむ。新田開発の対象となった土地は山林原野・湖沼河海などであり、材木の伐出は山林の保水能力を弱め、水源涵養林としての役割を果せなくなったからである。そこで寛文六年(1666)に「山川掟三カ条」が定められ乱開発防止と治山治水が重要視されるようになる。「山川掟三カ条」には河川上流部への植樹の義務化、草木の根を掘ることの禁止、河川敷の耕地化の禁止などが定められていた。
 治山治水に関しては「入会」で里山管理を周到に行った。入会は村内の田畑以外の山林原野を村民相互で共同利用する村中入会と同一地域内の他村と競合する外山について村々相互で共同利用する村々入会があり、草肥・飼料・燃料・食材をはじめ、用水土木工事の用材、家屋の建築用材、屋根葺きの萱、木製農具に及ぶ広汎な利用で農民の生産と生活に深い関わりあいをもっていた。
 
 このように国民経済の中心産業であった農業生産の生産性を高めるために我国国勢のギリギリまで耕地の拡大を進め、乱開発を戒めて治山治水につとめた結果、明治初年における全国物産生産総価額三億七千万円余の三分の二を米を中心とした農業生産などの第一次産品が占めていた。この傾向は第二次世界大戦期までつづくが、戦後製造業が日本経済の中心産業となり「高度経済成長」を実現して世界第二位の経済大国に押し上げることになる。
 しかしこうした産業構造の転換は「都市化」を必然たらしめ、そのためには都市住民の住宅確保が必須の条件になる。これに対して国は「持ち家政策」で対応した。即ち、戦後復興を最も効率的に行う政策として「裾野」の広い「住宅建設」を採用したのだ。建築、家具・什器、金融など広い産業を刺戟する「持ち家政策」は政治の目論み通り景気拡大をもたらした。
 問題は「宅地」の拡大にあった。先にもみたように徳川時代の「耕地拡大」のために地勢の限界まで開発した我国に、本来宅地開発の余地は残されていないと考えるのが妥当だろう。したがって農地の宅地転換が都市近郊で大規模に行われたがそれだけではまかないきれず、山を削り海を埋め立てて新規開拓された。数年前から毎年のように自然災害被害を受けている、広島市北部の安佐北区や安佐南区はその顕著な例で地勢の限界を超えた「乱開発」と呼ばれても仕方のない無理な開発は全国各地に散らばっている。
 更に問題なのは今回の西日本豪雨でも見られる「治山治水」の『破綻』だ。「里山」を農民が入会で周到に丁寧に管理・維持してきたが、「農法」の改革によって里山の採集物需要が消滅し里山が手入れされないで放置されて荒廃している。そのため流木や大岩石が流出し小河川の氾濫をまねきそれが今回の豪雨被害を甚大なものにした。
 もうひとつ、我々の認識を根本的に改めなければならないのは、我国の河川が他国のそれとはまったく様相を異にしていることだ。明治時代、オランダの技術者が日本の北陸地方の川を視察して、「これは川ではない。川は水が流れるものであるが、日本の川は水が流れているのではなく、水が落ちている滝である」と表現したというエピソードが物語っているように、我国の「治山治水」は西欧諸国の知見をそのまま適用できない独特の「地勢」をしているという事情をかんがみ、我国独自の河川管理手法を開発すべきなのだ。
 
 少子高齢化の急激な進展とIT産業を含めた「第三次産業化」の亢進を前提とすると、今後ますます「都市化」はつづくに違いない。何年か前から「限界集落」ということばがある種の危機感を持って使われるようになってきたが、今回の西日本豪雨では「孤立可能性集落」という概念も用いられた。こうしたことばや概念は今の政治経済の制度を前提として語られておりこのまま「発想転換」なしに放置しておけば、十年もしないうちに全国各地に住むひとのいない「消滅集落」が日本地図を「虫食い」状態にしているにちがいない。住民不在となれば「治山治水」は今以上に悪化して少しの雨や台風で自然災害が多発することは明らかだ。さらに、こうした地区を「外国資本」に買い占められると「国土保全」が危機的な状態になる可能性もある。
 
 都市化と国土保全を同時に、効果的に、行える体制を本腰を入れて考える時期に至っている。そのマスタープランを国民に提示するのは政治家の責任だ。
 それにしては現今の政治状況はあまりな『惨状』である。
 
 

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