2018年7月2日月曜日

自主防災を考える

 本論に入る前にサッカーについて一言。サッカー・ワールドカップ(W杯)ロシア大会1次リーグの最終戦、対ポーランド戦の後半終了前約10分に日本がとった「パス回し戦法」に対する賛否が喧しいが私の見方はこうだ。この戦法の伏線はこの試合の先発メンバーにある。西野監督は6人メンバーを入れ替えた。下馬評では3戦全敗を予想された日本チームがコロンビアに勝ちセネガルに引き分けた。ポーランドに勝つか引き分けたら決勝トーナメント出場が決まるこのゲームで勝ち運に乗っているこれまでのメンバーを変えることは冒険―無謀と言っても過言ではない。それを敢えて西野監督がメンバーを変えたのはこの先を見据えてのことと考える以外にない。これまで我国は二回ベスト16に進んでいるが、しかしそこまでで終わっている。今回のメンバーは決勝トーナメントで勝てる可能性を十分備えている、西野監督はそう信じている。しかしこのままだとまた決勝トーナメント緒戦で敗れてしまう、そうならないためにはメンバーのレベルアップが不可欠になるが、その最適の方法はまだ先発で戦ったことのないメンバーに先発経験させることだ。西野監督はそう考えたに違いない。加えてこれまで戦ってきたメンバーは比較的年齢層が高いから疲労が蓄積している、それを休養させる効果もある。どんな戦法をとってでも決勝トーナメントに進んでベスト8、ベスト4、そしてその先へ。西野監督の頭にはそれしかない。そのためのメンバーの大幅チェンジであり「パス回し戦法」だったのだ、私はそう思う。そしてベスト8、あわよくば決勝進出して優勝を目指して欲しい。今回のメンバーとチームの団結力なら決して夢ではないし今回の大会の流れならあり得ないことではない。
 
 本題に移ろう。6月18日の大阪府北部地震は怖かった。ドンときた揺れは阪神淡路のそれより大きかった。当時は西陣の古い家に住んでいたから今のコンクリート造りの集合住宅より揺れは強かったはずだがまちがいなく今回の方が余震を含めて怖かった。いわれるまでもなく「歳のせい」もあるわけで、それだけ精神が弱くなっていることも影響しているかも知れないのだが…。
 今週「次の日曜日に自主防災の訓練がありますのでご参加下さい」という案内を組長さんからいただいた。しかしわたしはお断りした。主催する「KH自主防災会」という組織を信用していないのだ。
 もう二年近くなると思うが、ある日郵便受けに「無事」と印刷されたカードが入れてあった。13㌢×18㌢角の黄色の紙に大きく無事と印刷されたカードには「自治会員の皆様に」という説明書が添えてあった。災害時の安否確認を効率的に行うために配布するもので、地震や水害などの災害時に玄関に吊り下げて使用して欲しい、そんな内容になっている。やっとわが学区でもこんな取り組みが行われるようになったかと喜んだのだが、問題はその配布先にあった。説明書きにあったように「自治会員」に限定されていたのだ。昨今の住民意識から類推できるように自治会の組織率は低い。特にわが家のような集合住宅では50パーセントに満たないことも珍しくなく、特に高齢者の参加は極めて少ない。というもの学童のいる家庭は学校の連絡や、とくに地蔵盆があるせいで参加意欲が強いが高齢者には自治会の意義を認めないひともいて自治会に入らない人も多くなる。しかしそれはそれで、災害時の安否確認は全くの別物であろう。自治会という組織が役所とどんな関係にあるのか定かには知らないが、いずれは行政の地域コミュニティ活性化組織の下部組織となっているにちがいない。行政の防災組織の一翼を担っているとしたら災害時の安否確認は自治会の参加不参加に関わらず地域が全体として果さなければならない責務のはずである。それが如何なる事情があるにせよ月額400円の負担如何によってその組織から抜け落ちるとしたら緊急時のリスクになりかねない。このカードがどれほどの効果を発揮するかは予想できないが、カード不配布のもたらす「混乱」は決して小さくないであろうことは想像に難くない。
 更にこの自主防災会の避難計画には重大な欠陥がある。災害時の第一次避難場所がU児童公園で二次避難場所がKH小学校の二階になっていることだ。児童公園は桂川の堤防のすぐ隣にある。桂川は「天井川」で児童公園は堤防より3メートルほど下に位置している。もし桂川が氾濫したとしたら児童公園は最も危険なところにあることは自明である。勿論災害は水害ばかりではないからすべての時に桂川の氾濫を想定する必要はないが、しかしこの地区で最も可能性の高い災害は桂川の氾濫であることは全住民の共通認識である。この避難計画は根本的に誤っている。
 この公園には「災害時緊急トイレ」が設置してある。2011年東日本大震災の特別予算を流用して作られた「いわく付き」の施設である。ところがこのトイレの使用に関しては行政の上下水道部の直接管理下にあって公園の隣にある消防分団も自主防災会もまったく関与していない。緊急時どんな経路で使用可能になるのか住民にも一切説明がなされていないし、自主防災会はそもそも興味すら示したことがない。
 
 また大阪府北部地震の際には京都市の「帰宅困難者ガイドマップ」が機能していなかったことも明らかになっている。ガイドマップでは災害時、JR京都駅など交通機関は外国人観光客に向けて日・英・中・韓国語で情報をアナウンスしたり、JR京都駅近くのキャンパスプラザ京都や京都アバンティが休憩所を設置する協定を結んでいたにもかかわらず職員不足を理由に要請を拒否したり打診のメールに気づいていなかったりと、防災体制が機能していなかったと京都新聞が報じている(2018.6.27「取材ノートから」報道部竹下大輔記者)。
 
 自主防災を考えるとき、自衛隊の「シビリアン・コントロール(文民統制)」を思う。どちらも言葉と組織は「紙の上」では出来上がっているようだが、実際時に機能するのか、効果に現実性があるのか。極めて「危うい」ものを感じるのだ。
 そして原発事故は自主防災に含まれているのだろうか。 
 
 お役人や自主防災会の役員さんの「晴れ舞台」で終わるだけの「訓練」であってはならない。
 
 

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