2018年6月25日月曜日

恋愛詩のいろいろ

 ドン・ファン騒ぎの口直しに恋愛を詩的にながめてみよう。
 
 三本のマッチを一つずつ擦ってゆく夜の闇/一本目は君の顔全体を見るため/二本めは君の目を見るため/最後の一本は君の口を見るため/あとの暗がり全体はそれをそっくり思い出すため/君を抱きしめたまま。
 こんな殺し文句を詩にしたのはジャック・プレヴェールフランスの民衆詩人映画作家、童話作家。シャンソン『枯葉』の詞や映画『天井桟敷の人々』のシナリオを書いている。さすがフランス人というべきか。粋なフランス男にこんなことばを囁かれたら中高年のおばさま方はイチコロにちがいない。
 
 肉慾の働き方は恥辱の浪費であり/精神を疲れさせることでしかなくて、目的を果たすまでは、/肉慾は偽り多くて血腥くて、どんなことをやり出すか解らず、/野蛮で、極端に走り、礼儀を知らず、残忍で、/満足すればその途端にただ忌しいものになり、/理性を忘れて相手を追ひながら、それがすめば理性を忘れて/相手を憎み、食ひついた魚を狂ひ立たせる為の/鉤も同様のものなのだ。/追ってゐる時も、相手をものにした時も気遣いが染みてゐて、/追っても、追い越しても、度外れにしか行動出来ず、/先ず至上の幸福から始まって苦悶に終わり、/前は歓喜だったものが、後では夢なのだ。/そしてこれは誰でもが知ってゐて、それにも拘らず、/誰もかういふ地獄に導く天国を避けられた験しがない。
 これは「シェイクスピアのソネット百二十九番(吉田健一訳)」である。シェイクスピアだし吉田健一の訳だから一読で理解し感じることはとても無理だが、そんなときはゆっくりと二度三度読んでみる。西洋詩だから原文は行と聯が分けられていて訴え掛けが強まり感じも変わる。じっくり読んでみると実によく恋愛の機微を描いている。三度といわずじっくりじっくり味わって欲しい。
 こんなあとに「やっとすんだ、やれやれだわ(エリオット)」という台詞が置いてあるとそれはもう情熱のかけらもない、情事であり性交であっても恋愛ではない風情、狎れた男女の倦怠しか感じられなくなってしまう。
 日本人は「惚れた腫れた」の世界だが本場の西洋の恋愛は深くて濃い。
 
 我国の恋愛事情を民謡で読んでみよう。
 辛苦嶋田にけさ結うた髪を 様が乱しゃる是非もない
 咲いた桜になぜ駒繋ぐ 駒が勇めば花が散る
 明治以前の我国がセックスに開放的であったことが古民謡からもうかがえる。中世の紫式部や清少納言の時代は「通い婚」であったし江戸時代でも祭りの夜は「フリーセックス」だった。昭和30年代初めにヒットした獅子文六の『大番』では村の「青年宿(伝統的な地域社会において、一定の年齢に達した地域の青年を集め、地域の規律や生活上のルールを伝える土俗的な教育組織)」で世話役の大人が若い衆に娘と後家さん別の落とし方やセックス指南する場面が滑稽に描かれていて当時のあっけらかんとした開放的な性風俗が愉快で、映画化された作品は大ヒットした。
 「辛苦…」は嶋田に結った髪がほつれ乱された女の恨み節が痛いほど伝わってくる。「咲いた…」は桜を乙女、駒におとこを当てはめれば詩意は明らかだが、「繋ぐ」「勇む」「散る」からは処女の初体験が赤裸々に描かれているのが分かる。
 庶民の恋愛を描いた「都々逸」からは次のふたつを読んでみよう。
 浮名立ちゃそれも困るし世間の人に知らせないのも惜しい仲
 三千世界の鴉を殺し 主と朝寝がしてみたい
 「浮名…」の方は恋を楽しむ女心の微妙さを、「三千…」は高杉晋作が作者と伝わっているが、花街女の哀切さが浮き上がる。
 
 極め付きの色っぽい詩をフランソワ・ヴィヨン作矢野目源一訳で読んでみよう。
 「卒塔婆小町」さてはやさしい首すぢの/肩へ流れてすんなりと/伸びた二の腕 手の白さ/可愛い乳房と撫でられる/むっちりとした餅肌は/腰のまわりの肥り膩(じし)/床上手とは誰が眼にも/ふともも町の角屋敷/こんもり茂った植込に/弁天様が鎮座まします
 ヴィヨンは中世のフランスの詩人で正真正銘の人殺しだった。悪人ゆえのほんものの女への打ち込み方が滲み出ている。
 
 最後は我国も中世の歌名人――それも女流歌人でしめくくろう。
 黒髪のみだれもしらずうちふせばまずかきやりし人ぞ恋しき
 紫式部と同時代のナンバーワン女流歌人、和泉式部の作だが宮廷の貴人とは思われないあから様の性表現はなんとも「艶」なものではないか。
 
 古から人間は恋し愛し合って生きてきた。社会の進歩とともに「夾雑物」が増えてその「純粋さ」が濁され、それとともに「隠蔽」されるものに成り下がった。「性の再発見」はひょっとしたら今の世界を転換させる最も有効な手段かも知れない。
(この稿は池澤夏樹の『詩のなぐさめ』『詩のきらめき』に多く負っています)
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

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