2018年11月5日月曜日

 ある日の京都新聞

 毎朝4時半には新聞が届けられる。有り難いことだ。老人の常で寝覚めが早く起床前の新聞は心身の覚醒にとって最良のツールとなって一日の始まりを快調に開いてくれている。
 
 この日(2018.10.31)の紙面で一番目を引いたのは8面の「退位まで半年/両陛下精力的に活動」という記事だった。記事の中身ではなく春の園遊会を両陛下と皇太子・秋篠宮のご一家が写っている写真に目を惹かれた。にこやかに歩まれる美しいカラー写真の両陛下の穏やかに寛がれた姿からは、譲位が決まった安堵感がほのかに伝わってくる。そしてその横に堂々と寄り添っておられる皇太子は、これまでとは比較にならない自信と落ち着きを漂わせておられて一変のご様子である。58歳という一般社会であればそろそろ停年になろうかというこの時期まで、次期天皇という不確かな位に留まっておられた皇太子にはっきりと先行きが開け、まさに確たる一歩を踏み出そうとされている「溌溂さ」が手にとるように伝わってくる。天皇家がそろって新たな歴史を拓こうとされている素敵なショットにこちらまで心豊かにされるようで嬉しく感じた。ただ危惧するのは、これまで真摯に、ご誠実に公務に邁進されてこられた天皇が気をゆるめられて、いちどにお疲れが出て病に伏せられないかということである。国民の多くはそれを最も懼れているに違いない。のんびりとご健康に美智子皇后と余生をお楽しみされることを願うばかりである。
 
 29面の「東電原発公判 謝罪も過失否定」はなんとも腹立たしい。当時の会長と原発担当の二人の副社長は直接の責任は現場にあるとして三人共責任を認めなかった。14メートルの津波を予測した事前情報は「懐疑的」で重要視しなかった、という論理がもし通用するなら被害にあわれた人たちはどこにその怒りの矛先を向ければいいのか。企業不祥事の頻発する現在、法人としての企業責任を「人的」に問えるような「法体系」を一日も早く整えなければ「倫理」崩壊を来たしている経営者の無責任体制は改まらないだろう。

 1面と3面に組まれた特集〈学びアップデート 加熱する「人材」教育〉は大転換期を迎えようとしている教育現場の現状を深ぼりしようとする試みだ。これは地元の有力企業、モーターメーカーの日本電産社長永守氏が私財を投じて京都学園大学を改革して「京都先端科学大学」に来春改組するということも影響して、地元紙京都新聞として取り組まなければという事情もあったに違いない。永守氏の持論は「京大や東大の出身者が必ずしもいい仕事をしていない。人材育成の面で、大学と企業の間でミスマッチが大きくなっている」というもので、「実学重視」という昨今の世情と軌を一にした考え方だ。
 こうした永守氏らの対極にあるのがほんの半月前にノーベル賞を受けられた本庶佑さんの「基礎研究にお金を…」という志向だろう。受賞後の首相らへの挨拶やメディアのインタビューのたびに同様の意見―お願いを口にされていた。それだけ本庶さんたちの現場での危機感が強い表れわれだろう。受賞の一週間前に本庶さんをはじめとしたトップクラスの学者6人の講演を聞く機会(KUIAS京都大学高等研究院シンポジューム)があったが彼らは等しく、失敗の繰り返しの中から今日の成果が生まれた、と繰り返していた。こうした発言は短期の成果を期待した「実学重視」の高等教育からは「イノベーション」をもたらすような画期的な発見や発明は決して生まれないことを示唆している。そして今――AI時代を迎えた大転換期に人間に求められているのはAIやロボットでは及び得ない「イノベーションを生み出す創造性」である。
 「実学重視」に偏った「教育改革」は「時代逆行」ではないのか。社員教育の代行を求めるようなミミッチイ精神で大学教育が行われないことを祈るばかりである。
(つづく)
 

0 件のコメント:

コメントを投稿