2018年11月12日月曜日

ある日の京都新聞(続)

 22面の「災害時 旗で『無事です』」は心をザラつかせる記事だ。伏見・日野学区防災会が、災害時の住民の安否確認に役立てるために全戸に「無事の旗」を配布、災害時に掲示して役立てるという。問題なのは『全戸』が学区内の自治会に加入する全世帯、というところにある。自治会の組織率がどれほどであるか記事にはないが昨今の情勢からは地域住民の何割かは未加入であることが想像できる。災害時の安否は自治会員である、なしに関係なく確認されなければならないし、救助は皆同一にされるもので京都市の防災機関も伏見区の防災組織も、日野地区の防災担当も自治会員だけを救助する訳にはいかない。そうであるなら、自治会員のあるなしに関わらず全世帯に旗を配布して、全世帯が災害時に安否
を呈示できる体制をとっておかなければ救助活動が混乱するのは必至である。
 人命に自治会の加入者非加入者で違いがあるはずがない。日野地区に限らず京都市全域で同様の状態が起っている。京都市は補助金を支給しているにちがいないのだから、この「差別」は早急に解消するべきだ。
 
 この日最大の記事は一面トップの「元徴用工へ賠償確定/韓国最高裁初判断 請求権消滅認めず」だろう。1965年の日韓請求権協定で「完全かつ最終的に解決されたことを確認する」と明記。2005年にも改めて検証され、韓国政府も同じ認識を示していたから、「ありえない判断だ」という首相の反発も当然だし国民も同じ思いだろう。しかし、「国際法に照らしてありえない判断だ。日本政府として毅然と対応していく」と言っているだけではこの問題が解決しないのが悩ましいところでもある。何故なら、国際法というものには『拘束力』がないからだ。ロシアのクリミア併合にしても中国の南沙諸島海域の人工島建設――要塞化にしても、「国際法違反」は明らかなことで、にもかかわらず大国のゴリ押しに国際世論は無力さをさらしつづけているではないか。
 ではどうすればよいか?それは、日韓請求権協定が日本にとって植民地時代への痛切な反省と謝罪に基づいた誠実かつ最大限の賠償であったということを、日本国民が認識し、韓国国民に納得してもらい、国際世論にも訴えるしかない。
 一般にマスコミが訴えるのは「5億ドル――日本円にして1800億円は当時の韓国の国家予算3.5億ドルの1.5倍に相当する。個人補償も選択肢にあったが韓国政府が国の再建と個人への補償の両方を達成したいという意向を示したからわが国も同意した」というところまでだ。これでは1965年当時の日韓両国の事情を実感して、双方が心底納得感を共有できるとは思えない。
 5億ドル1800億円という数字は当時のわが国の国家予算(8兆2千億円)の約2.2%に相当し、1965年のわが国GDP32兆7千億円の約0.5%に達する額になる。これだけでも当時の日本政府が相当な誠意を示そうとしたことがうかがわれる。さらに 徴用工は22万人と言われているから1800億円を1人当たりに割り振ると82万円弱に相当する。1965年のわが国勤労者の平均年収は45万円弱であるから約2倍の金額だ。わが国と韓国の年収の差は現在大体1.5倍(日本450万円、韓国300万円として)になっているが、1965年当時日本はすでに高度経済成長の只中にあったのに比べて韓国は第二次世界大戦とその後の朝鮮戦争(1953年休戦)の復興途上にあったからこの差は数倍あったことが想像できる。加えて円とウォンの交換比率が現在約10倍であることをも考慮すると1人当り82万円という賠償額は、1965年当時のわが国の国民感情としては精一杯の賠償額であり韓国国民にとっても十分「誠意」の伝わるものであったはずである。
 
 徴用工問題に対してわが国国民は、先人たちが植民地時代への痛切な反省と誠実な対処を示してくれたことに感謝し、韓国国民に対して誠意をもって理解と納得を求めるべく説得に当たるべきだ。
 今最も必要なことは『理性』と『寛容』であることを世界中の人たちに訴える丁度いい機会だと思う。

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