2018年11月19日月曜日

エコー・チャンバー

 毎年一度は会っている友人がいる。別に一度と決めているわけではないのにこのところ一度になっている。高校からのつき合いで彼のおかあさんには随分世話になった。年前に孫娘を寄宿させるようになりその面倒を彼がしてやるようになって(細君は百才近いお父上のお世話に忙しくてあまり家にいることができなかった)、少し老い込んでいたのが急に元気が復活して喜んでいる。彼は本当の意味で「常識人」で批判精神旺盛な幅広い知識を有している人で、民主党の分裂と破綻を早い時期から見抜いていた。
 今年ももう一人加えたいつもの三人で食事をした。酒も大分進んだ終わりかけに「最近の安倍さんは嘘が多くて言葉が空しいと思わないか?」と問いかけると「特定の政治的な話は止めようや」と少々気色ばんで彼が言った。「ほかではめったにこんな話はしないんやけどこのメンバーなら気がおけないから、いいかなと思ったんやけど…」とその場を濁して話を打ち切った。
 驚きを禁じ得なかった。先にも書いたように批判精神が鋭く柔軟性に富んだ常識人と思っていたから、最近の安倍総理を初めとした政治家の言葉の軽さ、空虚さに同意してくれるだろうという思い込みを裏切られた思いだった。
 
 ここ数年の傾向だが学生時代、口角泡を飛ばして批判的な政治論議を交わしていた友人たちがおしなべて「保守化」している――逆に私は「左傾化」していると見られているのだろう。そういう事情を汲んでできるだけ呑み会の場では政治の話をしないように努めている。しかしこのメンバーならそんな気遣いは要らないだろうと気を緩めたのがうかつだった。
 彼は我々世代の中では比較的ITリテラシーのレベルが高く、毎日一、二時間はインターネットで情報を閲覧している。現役時代は経済専門紙を読んでいたが十年ほど前からは「政府寄り」の全国紙に変えている。そんな事情も考え合わせて彼の「情報環境」を推量してみると『エコ-チャンバー現象』というIT用語が思い浮かぶ。
 エコーチャンバー現象とは、自分と同じ意見があらゆる方向から返ってくるような閉じたコミュニティで、同じ意見の人々とのコミュニケーションを繰り返すことによって、自分の意見が増幅・強化される現象のことで、ここで使われている「エコーチャンバー」というのは閉じられた空間で音が残響を生じるように設計・整備された音楽録音用の残響室のことである。日常一般に使われている「グーグルGoogle」などの検索エンジンは個人の検索傾向を読み取ってその人好みの情報を集約的に提供する。これによって「バナー広告」の閲覧回数がアップしてグーグルの広告収入が増大することになる。
 エコーチャンバー現象によって自己の「思考や嗜好」がある傾向に偏った方向に収斂されていくことを防ぐのは容易ではない。よほど「身構え」て、「批判精神」を強固にして、ネットに接しないと流されてしまう。その点新聞は興味のない情報であってもヘッドラインくらいは目に入るからそうした傾向は弱まるしテレビもどちらかといえば新聞に近い。
 
 常々心配しているのは検索エンジンがアメリカの数社の巨大企業に独占されていることによって「情報操作」が安易に行われるのではないかということである。近い例ではこの前のアメリカ大統領選挙でトランプ陣営が民主党候補に不利になるような情報操作を行っていたのではないかといわれており、さらにロシアが協力していたのではないかという疑惑もある。
 またトランプ氏も重用しているツイッターなどのSNS(ソーシャル・ネットワーキング・システム)が使用文字数が極めて少なく制限されていることも問題だ(ツイッターで140字)。短文形式だから「常套句や決まり文句」を多用するようになり、その結果ステレオタイプ(類型的)の文章が流通することにならないかという懼れである。
 さらに気になるのがSNSの「いいね!」だ。自分の投稿に送られてくる「いいね!」の数の多いことが嬉しくて誇りでもあるようで、そのために「受け易い」投稿を狙う傾向がないこともないようだ。
 この「いいね!」についてはナルシシズムとの関係も注意する必要がある。ナルシシズムの危険性は単に自己への陶酔と執着に止まらず「他者を排除する」思考パターンに至ることだ。たとえばトランプ氏のツイッターでの言動は、自己の思想や価値判断に対する共感が加速度的に上昇することに陶酔するのみならず、反対意見や批判的な言動を拒絶し排除することで「岩盤人気」を保持している。これはナルシシズムの典型であり、保守傾向を増長し内向きの国粋主義やファシズムに結びつく危険性をはらんでいる。トランプ氏に止まらず世界的傾向として「トランプ的」リーダーが各国のトップを占めつつあるのは看過できない趨勢である。
 
 SNSに代表されるインターネットを通じた「言説の交通」に対する根本的な危険性は『言葉の不完全性』に対する『畏れ』がほとんど省みられていないことだ。自分の感情を表そうとして適当な言葉を思いつかない経験をしたことは誰にでもあると思う。卑近な例を持ち出すと日本人の男性は「愛してる」と恋人や伴侶に囁かないといわれていることがある。少なくともわれわれ世代の男にとって女性との関係において――特に性的関係を含む結びつきにおいて『愛する』という言葉はまったくそぐわないと感じてきた。
 日本語の言葉の中で「感情」にまつわるものに現代人がぴったりこないものが多いように思う。それは『やまと言葉』――古い日本語の言葉――が絶えてしまったことが影響しているからではないか。漢字が日本に入ってきたとき、われわれの先祖は厳密な概念を表現する言葉として『漢字・漢語』を選んで日本語化しなかった。そのかわりに感情を表現することばとして『やまと言葉』を残した。ところが『感情』は時代とともに変化する、世代的に変化が激しいから「今の若い奴は…」という慨嘆がいつの時代も繰り返されてきた、外国との接触で新しい感情(語)が移入されることも少なくなかった。
 死ね!とかキモイ!ばばぁ!、とかいう言葉は、彼や彼女が自分の感情を表現しようとしてぴったりくる言葉が無いからとりあえず「できあい」の言葉で間に合わせているのではなかろうか。
 
 もうひとつどうしても言っておきたいのが言葉の『誤用』である。SNSだけでなくマスコミも不用意に使用した言葉が独り歩きしてそれがそのまま流通しているという例が少なくない。たとえば「遺憾」という語がいい例だろう。広辞苑でひいてみると「のこりおしいこと。残念。気の毒(第二版による)」「思い通りでなく残念なこと(ネット字典)」としか書いてない。ところがテレビで報じられる政治家などの謝罪会見では「大変遺憾に思っております」だけでお詫びも謝罪(怒り)もないことがほとんどだ。彼らは「遺憾」という言葉に「私の思っていた通りの内容が伝わらずに相手に不快な思いを抱かせたことに対して、残念に思うと同時にお詫びいたします」という意味を持たせている積もりだろうがそうはなっていないことに気づいていない。言葉の誤用は意外と多い。
 
 インターネットがPC(パソコン)やスマホを介して一般化しているが、実は『不完全な文字言葉』を通じた会話であり、しかも情報プラットフォームの巨大管理会社(GAFA―グーグル、アマゾンドットコム、フェイスブック、アップル)に自分の思考・嗜好を操作されていることを知る必要がある。
 
 言葉をささえるものが論理ではなく、イメージをささえるものが思想ではなく、いずれも感性的な気分的なものである。そこに私は絶望的な日本人を感じる。(開高健)
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

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