2018年10月22日月曜日

読書のちから

 六月も終わり七月になって、今年ももう半分が過ぎてしまったかとその早さに少々うすら寒さを覚えながらフト、五十冊を超えているのでは…と「読書履歴」を見てみると六月末で丁度五十冊になっていた。今年の読書傾向は例年より小説を多く読んでいて、それも全集の中の一編を読んでも一冊に勘定していたことも手伝って毎年のほとんど倍のペースになっていた。よし、今年は百冊を読もう!そんな「野望」が湧き上がった。「喜寿で百冊!」に挑戦だ、ととんでもない「愚挙」を思い立った。
 
 五年前から「読書履歴」をつけはじめた。2006年(平成18年)からコラムの連載を始めて、書くためには読むことが必須だと気づいて一挙に読書量が増えた。毎年六十冊前後がペースになって、小説三分の一、文庫・新書と専門書もそれぞれ三分の一が平均的な構成になっている。そのうち、読んだ本を忘れて重複することが何度かあったので「読書履歴」をつけることにした。読了日、書名、作者、出版社と20字程度の読後感を表にまとめている。同じ頃「読書ノート」もはじめた。図書館で借りる本が多くなって、いい本だと内容や書中の気に入った文章や語彙を記録する必要を感じたからでそのせいもあって「読みっぱなし」の悪弊を改めることができて読書が蓄積になっている、と自惚れている。
 
 本選びに「はずれ」がないのは『書評』のお蔭だ。特に毎日新聞の書評(日曜日掲載)を頼りにしている。なかでも「今週の本棚」は当時の編集長が「とにかく朝日にないものを、朝日を超えるものを」と丸谷才一に全幅の信頼で任せきってはじめたもので期待に違わず出色の「書評」として評価されている。その後池澤夏樹が後を継いで今日に至っているが、2012年に『愉快な本と立派な本―毎日新聞「今週の本棚20年名作選(1992~1997)』として出版され読書人の良き手引きとなっている。
 新刊の小説をほとんど読まない私が今年『光の犬』(松家仁之著新潮社)と『平城京』(安倍龍太郎著角川書店)というおもしろい本に出会ったのも書評の恩恵だ。前書は年代記物の傑作で『楡家の人々(北杜夫)』以来の感動を受けたし、後書は平城京の造営を壬申の乱と百済対新羅・唐連合軍の確執を絡ませた壮大な構想の娯楽小説で二冊とも今年の収獲となった。
 ネットの「松岡正剛の千夜千冊」も書評としてハイレベルなもので重宝している。相当詳細な論評が加えてあるから読む前のガイドとして用いてもいいし、読後の評価基準として参考にするにも適している。
 書評本の傑作は丸谷才一の『快楽としての読書(海外編)』『快楽としての読書(日本編)』『快楽としてのミステリー』(いずれも「ちくま文庫」2012)の三部作が出色だろう。なにを読もうか思案するとき、いつも良い助言を与えてくれるから助かっている。丸谷才一と池澤夏樹は読書の名人だと思う(池澤夏樹は福永武彦を父として池澤夏樹個人編集の世界文学全集と日本文学全集を発刊するという超人読書人である)。
 丸谷の『快楽――』が古典や評価の定まった本のガイドとすれば、『愉快な――』は今の、新しい本の選択を手助けしてくれる指導書として位置づけることができよう。
 もうひとつ読書の手がかりとして有効なものに「脚注と参考文献」がある。脚注は引用文の出典として本文の中に(註)として呈示されている書物であり、参考文献は巻末に挙げられている理解を深めるために作者が読者の便を図ったものと理解しているが、要するに今読んでいる本と関連の深い書物であり著者が評価したものだから悪かろうはずがない。
 書評で見つけた一冊から脚注や参考文献にある本に導かれて一つのテーマを深め広げていく、こんな読み方がひとつの典型としてあることは確かだし読書の醍醐味と云っていいだろう。最近特にそう思うようになった。
(つづく)

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