80才を過ぎてから急にガタが来ました。これまで軽度の高血圧以外にこれといった持病のなかったのが奇跡みたいなものでここにきて肉体の衰弊が一挙に表面化してきたようで一昨年(81才)5月の連休前に肺炎、昨年(82才)は夏に左膝を痛め今年(83才)は早々に痔核(イボ痔)に罹るに及んでさすがの楽観輩も老いを自覚せざるを得なくなりました。幸い肺炎はかかりつけ医の好診断で十日で完治、膝は最低でも一年はかかるといわれていたのが年末にはほぼ旧に復し痔核も三月中には平常に戻りそうです。重篤な症状に至らなかったのは「早期発見早期治療」のお陰でその因は「健康日誌」にあると思います。
三十年ほど前に高血圧を告げられ以来降圧剤の服用を続けていますが症状は安定していて二ヶ月に一度の受診は施薬を受けつつ定期健康診断の意味もあって今では生活の一部になっています。25年ほど前にPCを使うようになって「血圧測定表」を作り、その際血圧だけでなく体重(体脂肪率共)、体温も項目に加えました。備考欄を設け体調の変化に気づいた時には記入するように努めました。どの項目も当たり前すぎるものですが意外と体調の異常を伝えることに気づきました。体重は簡単に1kgほどは変化するもので食事を注意することで1kgの範囲内に制御すれば正常といえます。体温は個人差があることを知り36度を境に3分程度の高低は気にする必要はなく風邪を罹いたときの高熱も私の場合は37度台で留まることを把握していました。それが肺炎の時は38度を超えたので医師に相談したらスグに検査してくれて早々に肺炎と診断、施薬、点滴と安静で短期に快癒することができました。痔核も便通の僅かな違和感を日誌に書いて、1週間経ってもそれが消えないので医師に大腸がんの検査の相談をしたところ肛門科の受診をすすめられ指示に従った結果痔核と診断されたのです。
高齢を累ねれば身体に衰えが現れるのは生理の当然で、それを感じ正しい対処をするのが「百年時代」の「健康年齢維持」の要諦です。感じるためには「計測値」があれば自覚的に感じられ数字に表せない体調の変化を書くことで微妙な異常を摘出することにつながります。「書く」ことは重要で、面倒くさい計測を無理なく行えるようになり体調の変化に敏感になって身体と会話ができるようになります。「自分の身体のことは自分がいちばん分かっている」とよく言いますがその通りなのですが、「気づき」をほったらかしにせず「書く」ことで情報化しておけば違和感や異常を感じたときに論理的に判断がつき、医師にも系統立てて情報を伝えることができますから診断が精確になるはずです。
60才を超えて、幼少時に小児結核を患い幸運にも抗生物質の出現に救われ生年(しょうねん)を重ねることができましたが健康には根本的に自信がなく老年を迎えて細心の注意でもって当たろうと考えました。内科は高血圧の定期検診でまかなえるとして眼科と歯科の定期検診を受けることにしました。お陰で今でも自前の歯で食事を味わえていますし目が健康ですから根気よく読書もできています。また年とともに全身がカサカサになり不快感がつのるようになりましたので皮膚科も受診しています。体力は最低レベルでしたからテニスをはじめることにしそのための肉体改造を試みました。鍛錬というものに人生初めて挑戦し、毎朝太陽とともに起床、ストレッチとインターバル速歩などで1時間ほどの運動に努めました。決まった時間に食事を摂り晩酌を控えるようにし休肝日を月3日もうけることを目標にしました。禁煙は意外と簡単に64才で達成できました。
成り行き任せで生きてきましたが晩年を迎えるにあたって「健康」という目標を立ててから約20年、曲がりなりにも継続できて今日の健康に繋がったと思います。虚弱な私を支えてきてくれた妻に、経済的に報いることはできませんでしたからせめて晩年はそんな不安から解放して仲の良い五姉妹の交流が楽しめるようにしてあげたいという思いがあったからつづけられたと思います。
健康を考えるとき「喫茶店」は私にとって欠かすことのできない習慣でした。22才で社会人になって東京の神田に勤めるようになって近くの「サボール」という喫茶店に通うようになって以来の習慣ですからもう60年になり生活の一部です(いつだったか歌手の谷村新司が若いころ馴染みの喫茶店がサボールだったと言っているのを聞いて驚いたことがあります)。晩年になって喫茶店で過ごす毎日1、2時間のとりとめのないおしゃべりは恰好の気散じです。なにより60才を手前に西陣から桂に転居してなんの屈託もなく地域に溶け込めたのは喫茶店のおかげでした。その喫茶店も三年前に店じまいすることになりどうなることかと案じましたが初孫を授かるという僥倖に会いこれまで経験したことのない生きがいを得ることになったのは何という幸運でしょうか。
年に1、2回会って酒を酌み交わし馬鹿話をする友人が何人かいます。年に数回の交歓は若いころそのままの話題が齢を忘れさせてくれて日の高いうちに呑み始めて夜の9時10時に及ぶこともあって楽しみな年中行事です。
毎朝のトレーニングの最後は近所の公園でラジオ体操をしますが20年以上顔を合わすメンバーがいます。深いつき合いはありませんが二言三言交わす言葉で互いの健康を喜び合う毎日です。この公園のゴミ拾いと野球場の管理も20年近くつづいていますがこうした「つとめ」があるから少々の体の変調があっても朝トレを休まずつづけられているのです。
精神的な健康を考えるとき毎朝お仏壇に向かって般若心経を誦唱する習慣は重要です。病弱だった私に祖母が仏さんのお世話と般若心経を唱えさせたのが今に至っているのですが、晩年になって先祖と向き合う五分ほどの時間は心を「空」にする貴重な時間になりました。瞑想に近い数秒の精神状態が身体にもたらす影響は私の健康に少なからず恵みを与えてくれていると思います。
「百年時代」になって自身も「晩年前期」から「晩年後期」に至らんとする時期になってみて、健康年齢が維持できているこれまでを振り返って見ると、「測る」「書く」「話す」がうまく機能してきたことに気づき、これからは自覚的にこれを継続していけば「満願上がり」できるかも知れないと思った次第です。
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