先のコラムで、少子化問題は経済の問題よりもむしろ道徳や倫理の問題――社会的側面の方が強く影響しているのではないかということを述べました。その指標として「婚外子比率」を取り上げ欧米先進国が40~60%の高率を示しているのに比してわが国はわずか2.4%に過ぎないことを明らかにしました。実数を見るとフランス41万人、イギリスは32万人ドイツ74万人、アメリカに至っては149万人の多きを示しており、もしわが国の婚外子比率が25%になれば20万人40%になれば30万人になり今の出生数に加えれば約90万から100万の新生児が生まれる可能性があることを示しました。
では出産にかかわる偏見や結婚観を伝統的で日本的なものを払拭して当事者の自由裁量を最大限に認めた「包摂的」な考えに改めたら出生数は本当に増えるのでしょうか。
実はわが国では毎年10万(人)以上の生命が祝福されることなく葬り去られているという事実があるのです。「人工妊娠中絶届出件数」がそれです。日常的な言葉(刑法でもそうですが)でいえば「堕胎」の数字です。これが2023年では12万6734件(前年より4009件増)にも上っているという事実を「少子化論」ではまったく論外にしているのはどうしてでしょうか。
「人工妊娠中蕝実施率(女子人口千人に対する比率)」は5.3。年齢階級別にみると「20~24歳」が10.8と最も高く次いで「25~29歳」8.9。「20歳未満」では「19歳」8.4、次いで「18歳」5.0になっています。
2023年の出生数は72万7277人ですから中絶率は17.4%になります。これは驚くべき数字ではないでしょうか。
最近泉佐野市が「赤ちゃんポスト」を設置する方針を明らかにしました。これは本来なら祝福されるはずの赤ちゃんが大人の事情で葬られるのを何とか防ごうという試みの一つです。しかしこれは最終段階での施策です、その前の段階で、さらに前の段階で子どもを生みやすくする方策はないものでしょうか。
今問題になっている「選択的夫婦別姓制度」が実施されたら、好きあった同士が同居して(別に別居でもいいのですが)共同生活を営み子どもができたら女性が届け出をする。新生児に対する公的サービス(扶助)はこれまでの婚姻制度上のものとまったく同等のものが付与されます。女性がこれまでと同じ姓を名乗るので仕事上もその他の公共サービスにもなんの変化もありません。
これに対して周りの偏見も誹謗中傷もない社会的状況が成立するのであればこれまでと比較にならない柔軟性に富んだ「子どもを持つ」社会が現出するのではないでしょうか。
これはひとつの仮定ですが「選択的夫婦別姓制度」ひとつが成立するだけで「子どもを持つ」状況は格段に改良されるでしょう。とにかく今社会が強制している結婚、出産にかかわるおとなたちの「古い価値観、倫理・道徳観」を排除して、若い人たちが「子どもを持ちたい」と思えるものに転換する。それが少子化問題解決の「入口」です。それを社会が容認する、そこからがスタートです。経済的支援も待機児童解消もまずは子どもが生まれてくれなくては話にならないのです。
これまでの「少子化対策」はまず法的に「結婚」することが前提でしかも夫婦同姓が強制されてきました。「婚外子」も「人工妊娠中絶届出件数」も正面から論じられることはありませんでした。ひたすら「経済的側面」からの支援で問題解決を果たそうとしてきたのです。結果「効果」はほとんどありませんでした。
それなら「視点」を変えるべきです。今まで「見落としていた」視点、「見ようとしなかった」視点で問題を再検討するのです。婚外子は欧米先進国の実状が、人工妊娠中絶件数は実際にわが国で発生している「出生できたかもしれない」子どもの数です。これを対策に生かさない法はありません。おとなたちが自分たちの「固定観念」、古い、伝統的と偽わられた「価値観、道徳観」の強制を改めればよいのです。
少子化問題は「若い人たちの価値観」にもとづいた政策を中心に据えるべきです。古い価値観の老いた「有識者」や成功体験にしがみついた「大企業の社長や元高級官僚」、使い古された理論や通説で政治家と官僚が作った政策では決して解決しないことはこれまでの少子化対策の歴史が物語っています。
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