ETV特集「藤井聡太と羽生善治 対談 一手先の世界(2025.11.29放送)」はAIを語るうえで非常に示唆に富む放送でした。さすが天才と感じ入った次第です。
AIは知識の整理と体系化に利用します、という藤井さんの言葉はAIに対する最も望ましい在り方を示した含蓄のあるものと感じました。
マスコミ等で報道される多くはAIの言葉(解答)をそのまま受け入れて仕事に利用したり論文にしたりという形がほとんどです。解答を導き出すための勉強――本を読んだり情報を収集したりという過程を省略して結果だけをAIに求めるという姿勢が目立ちます。いわば「AIに教えられる」――依存しているパターンです。これに対して識者は警鐘を鳴らすのですがあまり効果は無いようで大学教授は論文の独自色を見分けるのに苦労しているといいます。痛ましいのは生きる苦悩をAIに相談して「自殺」を選ぶしかなかったというケースです。
独創性を要求される棋士――それも天才と呼ばれる藤井さんの積み上げてきた万余の棋譜や知識を整理。体系化して実力のレベルアップに結びつけるという受け入れ方は「理想的」なAI利用の方法ではないかと教えられました。
AIを無批判に受け入れる弊害として、羽生さんのいう「将棋が早くなった」という傾向が相当するかも知れません(藤井さんはそうした変化はないという意見ですが)。人間は時間をかけて理解するけれど、その間(ま)を飛ばして進めるから将棋が早くなるのではと羽生さんは言います。早回しで映画を観ても分からないから面白みが理解できないのと同じだというのが羽生さんの見方です。AIの答えを鵜吞みせずにそれを吟味して過程を理解することが必要だというのです。言い換えればAIを無批判に受け入れるのは面白くないし危険だということになるかも知れません。
羽生さんの「ユラギ」と「どこで止めればいいか」問題も本質的な視点です。AIが答を出すのに時間がかかって揺らいでいるように見える時は「AIも分からないことがあるのかなぁ」と感じているといいます。このユラギの一種としてAIの出す最善手の変わることが上げられます。藤井さんが時々意表を突いた差し手をするときその手がAI評価の3位4位ということがあります。しかし後でプログラマーが「推定最善手確率」を操作して解析を繰り返すと最終的に藤井さんの手が最善手1位になるのです。一般の人が仕事や学習で答えを求める場合は最初に出てきた最善手1位を採用して終わってしまうにちがいありません。批判的にAIを受け入れることをしない利用者は最終的な最善手を知らないままに次手、3位の方策で事を進めて問題解決できないことは十分想像できます。しかし「この手は最善手ではない」と判断してもAIに「更に解析を進めろ」という指令を出せるようなプログラムは用意されているのでしょうか。それを使いこなせるようなスキルを一般利用者は獲得出来るのでしょうか。このあたりがAIにひそむ大きな「危険性」のひとつです。
さらに大きな問題は「どこで止めればいいか」問題です。AI同士の将棋は先手優位と言われていますが名人の二人は「引き分け」ではないかといいます。将棋には時間制限がありますがAIにはそれが分かりませんから限りなく勝負しつづけるというのです。それは「円周率」の答えに限りがないのと同じだと羽生さんは言います。このことはAIにすべてをまかせると「無間地獄」に陥る危険性をはらんでいることを予想させます。窮極は戦争でしょう。AIが状況に応じて次の作戦を出し続けて互いに相手が「全滅」するまで戦争がつづくとしたら恐ろしいことです。
AI将棋が成長するのを実際にふたりは体験しているようです。同じような局面に対したとき前回より旨い手を指すことがあるというのです。これは一般的にもあり得ることでディープラーニングやデータマイニングなどの手法がシステムに内蔵されていますからAIは成長するように作られているのです。
どんな将棋を指したいですかという質問に藤井さんが「面白い将棋を指したい」と答えていたのに共感しました。AIは記憶している膨大な棋譜を用いて最善手を答えるシステムです。将棋としてはそれが正解なのでしょうがそれでは生身の人間が指している面白味がありません。人間同士で会話して――データには現れない感情とか雰囲気とかを感じながらAIを超えた将棋を指す、それが面白いと藤井さんはいうのです。それは組織内の問題解決においても同様だと思います。論理的には最善の解決策をAIは提案してくれるにちがいありません。しかしそれを受け入れるのは人間ですからどんな感情的な反応が出てくるかはAIはまだ対応できないにちがいありません。そこを埋めるのが人間の仕事です。仕事に面白さを求める姿勢がAIを人間社会に生かす重要なポイントになるのではないでしょうか。
藤井さんの研究仲間である永瀬九段が「角換わり以外は木刀なんです」という発言をしたとき、羽生さんも藤井さんも苦笑いしていたのが印象的でした。永瀬さんは将棋の真髄は「真剣勝負」だということを言いたかったのでしょうが、そしてそれは「角換わり」がもっともふさわしい手なのでしょうが、いつもいつも角換わりで指せるわけではないのですからそれを「角換わり以外は木刀です」とズバリ言っちゃうのは反則だよ永瀬さん、とふたりはいいたかったにちがいありません。
羽生さん藤井さんは天才です。AIに対しても我々レベルとは比較にならない高みで体験していると思います。それだけに我々の知りえないAIの側面を把握してきたであろうことがしのばれて多くのことを学ぶことができましたが、なにより天才二人の対談の面白さは稀有な体験でした。
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