2026年3月31日火曜日

晩年の一茶

 一茶といえば「雀の子そこのけそこのけお馬が通る」とか「目出度さも中位なりおらが春」のような童心あふれる句や軽妙洒脱な句が人口に膾炙していますがそれだけでは捉えきれない多面性を備えた俳人だったようです。一般に、芭蕉の正格に対する奇の意識、蕪村の文人的雅語に対する日常的俗語の意識をもって語られますが晩年にはそれだけに納まらない深い句があってそうした側面から一茶を見てみたいと思います。

 

 花の影寝まじ未来が恐ろしい

 この最晩年の句などその代表的なものでしょう。句意は「花のかげでも寝るのはいやだ。うっかり寐ると、先がどうなるかわからないから。死ぬのはいやなのだ」ということになるのでしょうが未来ということばが新鮮ですし「未来が恐ろしい」という口語体に今でもリアリティがあります。桜の花に浮かれて呆けてしまったがこのまま寝てしまったら65才にもなった老身の我が身では明日にも死んでしまうかもしれないという年寄りにつきまとう「ぼんやりとした死への怯え」を感じます。84才という晩年後期にいる自分との間にあまりにも近さがあるのです。

 

 宝暦13年(1763)信濃の宿場町柏原の中農の家に生まれた一茶は何もなければこの地でそこそこ安楽な一生を過ごしたにちがいないのですが継母との折り合いが極めて悪く心配した父が15才のとき江戸に奉公に出したのです。そしてそこで出会った俳句が彼の一生を変え、業俳として全国を漂白放浪の末50才の頃柏原にふるさと帰りします。長年の複雑困難な継母、弟との遺産問題結着を得て定住、結婚もします。しかし初婚再婚はうまくいかず65才三度目に32才の「やを」との結婚でようやく成人する娘を得るのですがそれは彼の死後のこと、結婚してすぐに柏原大火にあいそのうえ脳卒中(中風)で文政10年(182765才で急死するのです。句にあらわれた軽妙さ飄逸さとは裏腹に彼の一生はあまり恵まれたものではなかったのです。

 

 そんな彼の歳を重ねるごとの感懐の句はこんな風です。

 我が春も上々吉よ梅の花 (四十九才)

 目出度さも中位なりおらが春 (五十七才)

 春立つや愚の上にまた愚にかへる (六十一才)

 六十一才の句に共感します。

 

 上にも書いたように浮草のような定着地を持たない放浪のうちに歳を重ねていくのですが、それでも俳界の評価も得て少しづつ生活も安定しそれなりの安らぎを得るようになります。

 春立つや孤もかぶらず五十年

 おのれやれ今や五十の花の春

 斯う居るも皆がい骨ぞ夕涼み

 あたら身を仏になすな花に酒

 春立つや、の句の「孤もかぶらず」は乞食になることもなくという意味で不安定な生活への不安がようやく払拭できた安心感がうかがえます。夕涼みしている輩(ともがら)にふとがい骨を見るところが冷めた一茶です。

 

 柏原は雪国です。長い冬籠りの生活は座りっぱなしですから腹に異常をきたします。屁は皆公認です。

 屁くらべや夕がお棚の下涼み

 屁くらべがまた始まるぞ冬籠

 垣外へ屁を捨てに出る夜寒哉

 垣外へ、の句は今ならタバコを外で吸うホタル族になりますかね。

 

 晩年は余裕のある句も少なくありません。

 青い田の露を肴やひとり酒

 うつくしや年暮きりて夜の星

 はつ雪を煮喰(にてくらい)けり隠居たち

 雪とけて村一ぱいの子ども哉

 

 しのびよる老いを従容として受け入れる一茶。

 老いたりないつかうしろへさす団扇

 日の長い長いとて泪かな

 くやしくも熟柿仲間の座につきぬ

 熟柿仲間、というのは歯がなくなって歯茎だけでも食べられる熟柿しか食べられない年寄り連中のことです。悲哀を笑いにもっていくところが一茶です。

 

 しかし衰えはいかんともし難く老いは確実につのります。

 死下手(しにべた)とそしらば誹れ夕炬燵

 やがて焼く身とは思えど更衣(ころもがえ)

 極楽に行かぬ果報やことし酒

 人誹る会が立つなり冬籠

 人誹る会、というのは冬籠りした老人連中が寄るといない人を誹って気晴らしする雪国にありがちな風俗を言っているのです。「死下手」は一茶の子が何人も生れてスグに死んだので体毒があると噂されていて(安ものの女郎買いをしていたので花柳病に罹っていると噂されていたのです)それもあって死に下手ということばをまとっていたのです。更衣の句に清々しさを覚えませんか。

 

 今度『小林一茶(金子兜太)』を読んで、彼は放浪したのですが彼を受け入れた俳句仲間や豪商・豪農の存在を羨ましく思いました。そして文化は余裕があってはじめて豊饒な実りをもたらすものだと痛感せずにはいられませんでした。日本は豊かな国だといわれますが、博物館に自己収入目標を押しつけ財政改善が達成できないと再編に追い込むという制度を冷然と施す、そんな国がほんとうに豊かなのでしょうか。

 (この稿は『小林一茶(金子兜太著)』)に全面的に依拠しています


 

 

2026年3月1日日曜日

長寿への意思

 『金子兜太養生訓(黒田杏子著/白水社2005)』を読みました。これが三読目です。初読が60代半ば、再読は70代後半、そして84才ですから折々に老いの転換点だったように思います。その都度元気をもらうのですから結構な本です。この度はまさに晩年後期を迎えて体力の衰えを自覚してさあこれからどうしよう、と繙くと見事に金子さんは活路を開いてくれました。この本の当時金子さんは86才ですから丁度ピッタリの年周り、追い込まれていた状況が同じですからそれも当然かもしれません。

 わたしにはこの本の外に『思い出す事など』と『病牀六尺』の二冊が晩年の応援本になっています。前著は漱石の修善寺の大喀血の前後を自身が思い出すままに記したもの、『病牀――』は子規が持病の脊椎カリエスが悪化して死期を迎える直前の約百二十日の日々を病牀でつづったものでどちらも文豪の気迫の一冊です。臨死体験をした漱石が病について、死についての体験を文字化する過程にリアリティがあってこれから老いが進行して病とのつきあいをどうしようか案じているわたしを道案内してくれます。子規のほうは死に臨んで苦痛に呻吟するなかで、なおも日常を継続しようとする気迫に圧倒されます。ジタバタするにちがいない私を見据えて、子規の姿はそのときの勇気の書です。このふたりを心の底から尊敬せずにはいられません。

 金子さんはエリートです。日銀を定年(55才)まで勤め上げるかたわら俳句界の重鎮でもあったのですから我々一般人とは格段の差があります。しかしそれを差し引いても金子さんの晩年の生き方は勇気を与えてくれます。これからの晩年をいかに生きるかについて示唆に富む「養生訓」を私なりに読み込んでみようと思います。

 私は現在、長寿への意志というものをはっきりもって生きております。どうもね、ただ成り行き任せに生きていたのでは長生きはむつかしいのではないかと思います。

 私はいま健康にいい要素を全部取り入れています。それが私の健康法のもとでもあります。

※ このふたつの言葉に私は強く共感しました。長生きの一番厄介なところはいつまで生きられるか誰にも分からいことです。今すこぶる健康でも明日自動車事故で死んでしまうかもしれない。病気がちで寝たきりの生活をしている人が存外生き永らえるということは決して珍しいことではありません。そんなことを言い訳に成り行き任せにダラダラ毎日過ごしている、ハッとしませんか。私も70才代までは死というものにリアリティを感じなかったものですから健康を幸いに勢いで生活していた側面が否めません。しかし80才を超えたあたりから体力の衰えを感じ始め去年の誕生日、84才という年齢によって「晩年後期(85才からの人生)」に切迫感を帯びるようになり、ヨシ長生きしてやろうと期したのです。

 気づくと私も健康に良いと思うことは随分取り入れています。朝トレの45分~1時間に筋トレ、内臓、眼そして歯磨きまで部位別に健康法を行なっています。

 日頃から自分の理想をもっているのといないのとでは、晩年を充実して送れるかどうかにあたって、大きな違いとなって現れます。

 趣味を趣味で終わらせてはなりません。趣味でやる限りは腹の中にたまったモヤモヤはいつまでたってもなくなりません。そのような状態で定年を迎えても、晩年は楽しくないはずです。落伍者のような気持ちを引きずって終わるだけです。そのような落伍者にならず、心底満足できる人生を送るには、趣味をプロのレベルまで引き上げることが必要です。(略)漫然と生きることが一番いけないのです。趣味だけで生きてはなりません。それでは納得できる生き方にはなりません。(以上は『二度生きる(金子兜太著1994)』から)

※ 理想なんて大げさなものでなくていいし趣味をプロレベルになんて金子さんだから言えることで、目標程度で十分ですし一年や二年ではできない趣味や習い事でいいのです。最低でも十年くらいはかかるなぁと覚悟を持って取り組まなければならない趣味か習い事はさがせばいくらもあるでしょう。一生仕事として取り組まなければならないものがあればピッタリです。

 友人に「さつき」栽培を趣味にしたのがいました。途中でゴルフをはじめて結局そっちが面白くなってさつきを止めてしまいました。さつきは奥が深くやればやるほどレベルが上がっていって一生かかってもこれで終わりということがない。やっておけば良かったと残念がっています。

 私は日本の古典を注釈書を手引きにできるだけ多く読みたいと思っています。つづけ字や漢字三体の手習いをつづけて絵巻物や展覧会の書が読めるようになりたいという目標をもっています。

 彼(一茶)のいう荒凡夫――それが私にとっては大きな座右の銘です。自由な平凡な男という意味です。私は「荒」を、乱暴、荒々しい、粗野ではなくて、自由ととっています。自由で平凡な男、偉くない男、平凡ということのなかには、一茶が言うように煩悩具足、このままで生きる、要するに我を殺したり、善人になって生きるということは考えない。自分のありのままで生きていく。ただ、人には迷惑はかけない。ここに自由ということがあると思う。そういうものが荒凡夫だと思う。

 年齢とともに健康に対して不安は出てきていますが、自分の行く道は荒凡夫、それしかないと思っています。荒凡夫で生きる、長生きをすることだけしか私の能はないと割り切っているのです。長生きをしたいのではなくて、私の生存している価値は長生きをするということだけだ。これは私にとっての価値で、他人様の価値でも何でもないんだけれど、それしかないと思っているのです。/この考えは、自分が八十歳になるんだなと自覚したときからです。(略)私もいよいよ年を取ってきたか。じゃ、ここでどうかと思った時、生きるだけが取り柄だから、がんばって生きよう。長生きを私の人生の目標にしよう。そのためにはあらゆる手段を講じて、自分を長生きさせよう。こう思った。(略)生きられるところまで生きる。ただし、条件として人に迷惑をかける状態になったらやめる。元気で長生きする。

※ つまるところ90才近くにもなれば「長生きをすることだけしか私の能はないと割り切っているのです。長生きをしたいのではなくて、私の生存している価値は長生きをするということだけだ」ということになるのではないでしょうか。その上でつづけてきたことをつづけられる限り継続していく。それだけの健康と気力が残っているように日ごろの精進を怠らない。そんな生き方がしたい。

 金子さんが示してくれる生き方は他にもいろいろあります。是非本文を一読してください。


 


 


 


 


 


 


 





2026年1月20日火曜日

84才現在地 (後)

  国内に目を転じると病院の倒産、学校の荒廃など問題山積です。バブルがはじけて高度成長時代の終焉を迎えて混乱、当時世界を席巻していたサッチャー、レンガーンが主導する新自由主義に救いを求めました。聖域なき構造改革を標榜して規制改革という名の「民営化」を強力に推進したのです。矛先は医療、教育にも及びその結果は今、病院の倒産と大学の基礎研究の衰退となって表れ、ノーベル賞の日本人受賞はあと3~5年もしないうちにゼロになって以後現れることはないであろう惨状を呈するに至っているのです。

 なぜか。新渡戸稲造は『武士道(1899年)』でかく述べています。

 あらゆる種類の仕事に対して報酬を与える現代の制度は、武士道の信奉者の間には行われなかった。金銭なく価格なくしてのみなされるる仕事のあることを、武士道は信じた。僧侶の仕事にせよ教師の仕事にせよ、霊的の勤労は金銭をもって支払わるべきでなかった。価値がないからではない、評価しえざるが故であった。この点において武士道の非算数的なる名誉の本能は近世経済学以上に真正なる教訓を教えたのである。けだし賃金および俸給はその結果が具体的になる、把握しうべき、量定しうべき種類の仕事に対してのみ支払われうる。しかるに教育においてなされる最善の仕事――すなわち霊魂の啓発(僧侶の仕事を含む)は、具体的、把握的、量定的でない。量定しえざるものであるから、価値の外見的尺度たる貨幣を用うるに適しないのである。弟子が一年中或る季節に金品を師に贈ることは慣例上認められたが、これは支払ではなくして捧げ物であった。したがって通常厳正なる性向の人として清貧を誇り、手をもって労働するにはあまりに威厳を保ち、物乞いするにはあまりに自尊心の強き師も、事実喜んでこれを受けたのである。彼等は艱苦に屈せざる高邁なる精神の厳粛なる権化であった。彼らはすべての学問の目的と考えられしものの具体化であり、かくして鍛錬中の鍛錬として普く武士に要求せられたる克己の生きたる模範であった。

 

 国民生活の基礎をなす社会インフラである教育・医療をはじめエネルギー、水道、鉄道などは競争原理に馴染まない領域に属する機能です。それを一律に民営化(あるいは民営化手法による管理体制の導入)した結果、医療・教育の崩壊、地方の疲弊を招いているのです。ここは一旦立ち止まって「公共財」という範疇を設定して「純粋な競争原理」ではない「管理基準」を定めて運営するよう方向転換するべきではないでしょうか。

 

 生成AIの活用を政府は強力に推進しようとしています。かって我々は兵器の野放図な進化、原子爆弾の開発と使用、原子力発電の廃炉、核ゴミの処理技術も確立しないままに実用化するという愚挙を行なってしまいました。現在の生成AIの活用策は再び同じ過ちを犯しかねない危険性を含んでいます。

 なぜこんな愚かな過ちを繰り返すのでしょうか。それを中谷宇吉郎はこんなふうに諭します。

 このごろ音速をはるかに超えるような立派なジェット飛行機ができている。これは今までの自然界にはなかったものである。(略)これには非常に強い空気の抵抗があるが、そういう問題を、現在の流体力学は、見事に解いて、超音速のジェット機の翼の設計をしている。(略)しかしそれならば、塵紙を一枚とって、頭の上から地面に落とした時に、それがどういう落ち方をするかといったら、これは解けないのである。超音速のジェット機の翼ができるのに、なぜ塵紙が落ちてくる問題が解けないかというところに、非常に重大な点がある。(略)「火星へ行ける時代になっても、テレビ塔の天辺から落ちる一枚の紙の行方を予言することはできない」のである。この点に、科学の強力さと、その限界とがある。(『科学の方法』1958年)

 

 科学を万能のように信奉する風潮がはびこっていますが科学が解明した部分は限られています。科学は発展しやすい方向へ進化しがちです。だから科学は謙虚でないといけないのです。中谷宇吉郎はそう言いたかったのだと思います。ところが今科学は傲慢です。暴走しています。危険極まりない状況にあります。

 

 科学もそうですが政治も混迷の極にあります。なぜこんな事態に至ったのでしょうか。晩年の読書でそれを追求してきたのですがその答えが思わぬところにありました。

 天皇制そのものに問題があるとして、これを廃止し、あたらしい国の仕組みをつくるのは、途方もない作業だよ。そのためには、自分たちの過去に向かって、これから再建する未来に向かって、ゆるぎない目標を掲げてみせること、これが必要になる。さらに、それを実現させる道筋を描いてみせなければならない。つまり基本設計だね。それを内外に宣言し、実際の行動に移すには、法律や教育を整備しなければならない。これは実施設計だ。そうした面倒なこと、忍耐力の必要なことを乗り越えようとする気構えや勇気、知恵が、政府はもちろん、国民にもなかったんじゃないのかね。天皇が、お上がいてくれたほうがひとまずは安心だというような。(『天使も踏むを畏れるところ』松家仁志著2025)

 

 『天使も――』は昨年読んだ最高に面白かった小説です。皇居の昭和新殿建設をテーマにした人間模様を描いた上下巻千頁を超える長編ですが詳細な資料に基づいて細部も疎かにしない作者の総決算的作品ですがその一節に上の章句があったのです。

 戦後80年経ってわが国の政治状況は多党化時代を迎え混迷の極に至っています。それは「そうした面倒なこと、忍耐力の必要なことを乗り越えようとする気構えや勇気、知恵が、政府はもちろん、国民にもなかったんじゃないのかね。天皇が、お上がいてくれたほうがひとまずは安心だというような」という作業を怠ったつけが今になってわれわれに降りかかってきているからではないかと思うのです。東京裁判で捕虜虐待の責任を問われたいわゆる「BC級戦犯」、命令を出した上官でなく実行した下級兵士が死刑されたという矛盾を含めて「戦争責任」――天皇も含めた――を丁寧に総括せずに今日に至っているために、シベリア抑留という紛れもない「捕虜虐待」をソ連に、従ってロシアに問えない。アメリカの日本人強制収容も原爆投下責任も、そもそも東京裁判という勝者が敗者を裁くという裁判そのものの正当性もうやむやの内に不問に付す以外にない屈辱を受容しなければならないのです。戦争犠牲者への謝罪、甚大災害の被災者の慰撫、アジア諸国への謝罪と慰霊の哀悼――このすべてを天皇にお願いして「われわれの子どもや孫にまで責任を負わせてはならない」などと言い放つ政治家さえ出てくる昨今の状況は「アジアの盟主」を誇った先人たちの矜持の欠片もありません。

 

 84才という紛れもない「晩年後期」になって、体力の衰えは隠すべくもなく生きていくことの覚束なさをひしひしと感じる今、弱者という立場を甘受しなければならないだろうことを覚悟して、それでも我が現在地を明確に認識するためにこの稿を記そうと思いました。今後の選択と決断に責任を持って行えるように意識づけしようと試みたのです。

 あとどれほど生きるかは誰にも分かりませんが先達として振舞えるよう願うばかりです。

 

 

 

2026年1月5日月曜日

84才現在地 (前)

  核を保有する軍事大国の傍若無人な振る舞いが世界を混沌に陥れ一触即発の戦争危機と到達点の見通すことのできない軍拡競争を招いています。そんな折高市総理の台湾有事に関する不用意な存立危機事態発言がわが国をのっぴきならない状況に追い込みつつあります。

 こうした事態は根本原理を認識すれば至極当然の結果であることが理解できるのですが根本原理とは何か。カントが300年前に提示した次の公理です。

 

 将来の戦争の原因を含む平和条約は、そもそも平和条約とみなしてはならない。その理由は、この条約はたんなる停戦条約にすぎず、敵対的な状態を延長しただけであり、平和をもたらすものではないからである。平和とはすべての敵意をなくすことであるから、永遠のという言葉をつけることさえ、そもそも余計なことなのである。平和条約というものは、締結の時点では当事者ですらまだ意識していない原因を含めて、将来の戦争の原因となりうる原因のすべてをまとめて排除するものである。(略)常備軍が存在するということは、いつでも戦争を始めることができるように軍備を整えておくことであり、ほかの国をたえず戦争の脅威にさらしておく行為である。また常備軍が存在すると、どの国も自国の軍備を増強し、他国よりも優位に立とうとするために、かぎりのない競争が生まれる。こうした軍拡費用のために、短期の戦争よりも平和時の方が大きな負担を強いられるほどである。そしてこの負担を軽減するために、先制攻撃がしかけられる。こうして、常備軍は戦争の原因となるのである。(『永遠平和のために――哲学的な草案』)

 何と簡単な原理でしょうか。常備軍がある限りいつでも戦争を始める用意があるのですから平和状態は次の戦争までの“停戦状態”にすぎない。軍備を持てば二位では不安で一位をめざして限りない軍備増強に走る。その負担を軽減するために先制攻撃をしかけたくなる。

 現在世界で進行中しているトランプ主導の軍拡競争。世界最貧国北朝鮮が突っ走る核武装の高度化。ここで機能不全に陥った国連を再び80年前の「理想追求の場」に再生しないならば世界は限りなく暴発へと傾斜していくにちがいありません。とりわけ北朝鮮の経済状況はもういくばくの猶予期間も残していないはずです。緊迫度がここ一両年で急速に高まっていくであろうことを肝に銘じておくべきでしょう。

 

 エーリッヒ・フロムの『自由からの逃走』を読んだのは65年前です。彼は言います。人類の歴史は「~からの解放」の歴史であった。飢餓、感染症、暴力(戦争)からの解放、自由の獲得が有史以来近代までの人類の歴史だった。ところがその自由を手にした途端人類は新たな「依存・従属」を選んだのです。ナチズムへの従属の危険性をフロムは1941年に書いたのです。

 すなわち近代人は、個人に安定をあたえると同時にかれらを束縛していた前個人的社会の絆からは自由になったが、個人的自我の実現、すなわち個人の知的な、感情的な、また感覚的な諸能力の表現という積極的な意味における自由は、まだ獲得していないということである。自由は近代人に独立と合理性とをあたえたが、一方個人を孤独におとしいれ、そのため個人を不安な無力なものにした。その孤独はたえがたいものである。かれは自由の重荷からのがれて新しい依存と従属を求めるか、あるいは人間の独自性と個性にもとづいた積極的な自由の完全な実現に向かうかの二者択一に迫られる。本書は予測よりもむしろ診断――解決よりもむしろ分析――ではあるが、その結果はわれわれの行為の進路に一つの方向をあたえている。なぜなら、全体主義がなぜ自由から逃走しようとするのかを理解することが、全体主義的な力を征服しようとするすべての行為の前提であるから。(『自由からの逃走』フロム著1941)

 アメリカの半数の国民がトランプに依存しているのは明らかです。アメリカだけでなく世界中で極右勢力が跋扈しているのは多くの国民が既得権の回復を標榜するポピュリスム極右政党に依存して一時の救済を求めようとしているからです。個人の知的な、感情的な、また感覚的な諸能力の表現という積極的な意味における自由――これまでになかった新しい価値への自由を創造しなければ人類の進歩は頓挫しまた暗黒の「前近代」へ陥落していくのは確実です。

 

 84才になっていよいよ「晩年後期」に入った我が人生の立地点を明らかにしておこう。なにやら頭脳に薄靄がかかったように感じる昨今、幾分でも頭がはっきりしている今それをしておこうとこの稿を書いています。次回はわが国の賢人からの学びで現在地を明らかにしたいと思います。        (続)