2010年2月8日月曜日

失ったものと守られたもの

 2010年2月4日はひょっとしたら日本にとってターニングポイントになるかも知れない。朝青龍引退、小沢民主党幹事長不起訴、トヨタのリコール問題の3つが同時に起ったからだが、このいずれもが後から考えると日本に大きな変化を齎すきっかけになる可能性を秘めている。そこで『失ったものと守られたもの』という視点からこれらの問題を考えてみたい。


 トヨタのリコール問題で失ったものは余りに大きい。高度成長の初期の頃、今の中国と同様に「安かろう、悪かろう」が日本製品に対する世界の評価であった。半世紀近い年月をかけて「高品質高付加価値」と世界から賞讃を受けるまでに高めた、その国を挙げての努力を一瞬にして水泡に帰したトヨタの責任は重い。影響はトヨタ一社に止まらず、又自動車産業だけでなく全産業に及ぶに違いない。『驕る平家』の過ちをトヨタまでもが犯してしまったことになるが、しかしこれによって『トヨタのものづくり神話』が崩壊すれば日本を覆う閉塞感を打破するきっかけになるかもしれない。20年に及ぶ我国の低成長は企業の低収益体質が根本にあるがそれは画期的なイノベーション(例えばiPod)が生まれていないことに原因がある。「ものづくり」ではなく「もの生み」が今必要でありそれには「トヨタのものづくり神話」からの脱却も必要なステップなのだ。ものづくりを知らない若い人の発想を生かす環境の醸成が日本経済活性化に求められていることに気づくべきだ。


 小沢幹事長不起訴の守ったものは言わずもがなだ。金とカネによる数の力による支配という古い自民党体質の政治はもう要らない。


 朝青龍引退で守られたものは何だろうか。もしそれが『国技の権威と横綱の品格』だとしたら空しい。でも多分そうなのであって、だから今「後味の悪さ」を感じているのだ。何時から相撲が『国技や神事』に『権威や品格』の対象になったのだろうか。私の幼い頃―終戦直後は国技と言われていなかったように憶えているし、一説ではコピーライターが最初に「国技」という形容をしたともいわれている。一体品格とか権威という言葉の中味は何なのだろうか。今の日本が喪失したものを相撲や横綱に求めているのだとしたら外人の横綱にそれは無理だし、相撲協会が代表する大相撲にそれは無い。

 力士の呼び名の「四股名」が元々は『醜名』であったということは相撲の出自を表していないか。


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