2014年4月21日月曜日

日本的賃上げ事情


 2014年春闘の経団連集計結果で7000円超という16年ぶりの賃上げ状況が示された。大企業11業種41社のものだから平均より相当高い数字だろうし中小企業への波及度合いによって景気への影響がどの程度になるか即断出来ないが久しぶりに明るいニュースである。ところが今回の賃上げは政府の介入による『官製』相場だから自由・資本主義の原則にそぐわない日本独特の『奇異』なものと批判する向きがあるがそれはどうだろうか。我が国には我が国特有の資本主義の形があっていいのであって明治維新以来の歴史を見てもそれは明らかだ。たとえば戦後経済復興のスピードは世界の『驚異』と呼ばれたがその時の経済体制は日本独自の、当時の資本主義の教科書にはなかったものだ。それが今では中国をはじめ途上国の発展モデルとしてスタンダードになっている。
 賃上げを「官製」と驚くのなら明治維新の「廃藩置県」などそれこそ「驚天動地」ではないか。何しろ「領土の召上げ」が「紙切れ一枚」で紛争ひとつなく実現されたのだから。
 
 明治政府の改革は、一切合財、紙切れ一枚の《名分の改革》に過ぎなかった、と安岡章太郎が「歴史の温もり(講談社、以下廃藩置県の引用は本書による)」で言っている。「廃藩置県」とは明治政府が版籍奉還された全国300近い各藩の領地を明治政府に統合するという大事業である。
 「倒幕は実現したが明治の朝廷には、全国各地に割拠し(略)ている各藩の勢力を統合して、その権力を中央政府に結集させるだけの実力はなかった。(略)各藩も、明治に入ってから競争で外国から武器を買い入れ、兵制を近代化して(略)戦備の拡充に大童になっていた。(略)これでは、時がたてばたつほど、相対的に政府の力は衰えるばかりである。それでやむを得ず、政府は乾坤一徹の覚悟を決めて、各藩の勢力を一掃するために廃藩置県の詔書を出した。すると、これが意外にも、各藩から何の抵抗も摩擦もなくスラスラと通ってしまったのである」。
 このようなことは欧米諸国は勿論のこと中国でも韓国でもありえないことであろう。それが我が国では実現したのである。
 「弱小の藩は財政が窮乏し、藩政が立ち行かなくなっているところも多く、そんな場合は藩主が旧禄高の十分の一の禄高を貰えば、大勢の家来を養う義務がなくなっただけ、以前よりは暮らしがラクになるのだから、よろこんで藩を投げ出した」。こんな裏事情もあったに違いないが、それ以上に『時代の大変革』を肌に感じ危機感を抱いていた「藩主をはじめとした上層部」が『新展開』を新政府に託した、という一面も大きかったのではないか。福沢諭吉は「改革に反対する保守派は勢力においては圧倒的であったが、時代を先導していた改革派の智力が保守派を凌駕していたから廃藩置県が実現した(「文明論之概略」の文意をまとめる)」といっている。
 
 『お国(政府)頼み』は今回の「消費増税」に伴う「税の物価への転嫁」も同様であった。それどころか「値上げへの尻込み」も増税を機に一挙に解消し、4月1日時点で「0.8%」税抜き価格が上昇したという報告がされている(4月18日日経・経済教室・渡辺努東大教授)。この数字は「東大物価指数」によるもので、スーパー300店舗で販売されている食料品・日用雑貨の数字だが、これを弾みに安定的な物価上昇が続けばデフレ脱却も実現性を帯びてくる。
 
 すべてがアメリカ型資本主義である必要はないがそれにしても現在の我が国の経営者・企業家はもう一度経営・経済の本質に立ち返るべきだ。「政府は世の悪を止るの具にあらず。事物の順序を保て時を省き、無益の労を少なくするがために設るのみ」「受くべからざるの私恩はこれを受けず(略)一毫をも貸さず一毫も借らず、ただ道理を目的として止まる処に止まらんことを勉むべし(「文明論之概略」)」。福沢の言うごとく「独立独歩」こそが経営の本質であり、政府は無闇に規制をせず企業活動が円滑・公正に行える環境を整備するに勉めるべきであり、ましてや『補助金』や『減税特措法』に頼るなど企業家精神にもとる所業であることを銘記ずべきである。

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