2014年4月14日月曜日

タモリと「笑っていいとも」

タモリの「笑っていいとも(1982~)」が終わった。週日のお昼休みの1時間、32年間8054回続いたフジテレビの看板番組が幕を閉じ一時代が終わった。生活の一部になっていた視聴者も多く『タモロス(タモリロス症候群)』に陥っている人が少なくないらしい。生活習慣の修正ができない「戸惑い」はあって当然で、それでなくても見たい番組の少なくなった昨今テレビ離れに拍車がかかるのではなと心配する
 
何故こんなに長く続いたのか、そもそも「笑っていいとも」とは何だったのか。あれこれ思いをめぐらしたが、お笑いタレントの格付け番組であったと考えるとスンナリと収まりがいた。少なくとも「いいとも」がお茶の間に定着しタモリに『権威』が出来てから以降はそうであったと思う。お笑いタレントが大量生産されて視聴者ばかりか制作サイドさえも整理がつかなかった混乱状態いつの間にかこの番組が格好の「格付け効果」を発揮するようになって、そして「子の部屋」が広い意味でのタレントと『旬の人』の「格付け番組」としての機能をっていたから、この二つの番組で『タレント棚卸し』が行われテレビ業界が回転してきたといっても強ち間違ってはいないだろう
大阪のタレントが東京に進出して「いいとも」にレギュラーをもって、「いいとも」を卒業して「徹子の部屋」に出演できれば「一流芸人」の地位が確固たるものになる、そんな流れでここ20年近くお笑い界が動いてきた。その一方が消えてしまった今、お笑いタレントの『液状化現象』が起こりはしないか。そうなったときテレビはどうなるのだろうか。
 
民放テレビの歴史は60年(1953~)になるがその間主導権は大きく変動した。草創期テレビ局主導でスタートしたが程なく(広告)代理店に主導権が移り、今やタレント事務所が業界を蹂躙している。独断と偏見を云えばテレビの一番面白かったのは「局主導の時代」であった。「実験」と「主張」が交錯する中で「技術」が飛躍的に進歩し「浅間山荘事件(1972年2月)」でテレビの魅力と威力が最大限に発揮された。
お笑いタレントの育成が徒弟制度から養成所に移行して毎年一定数が市場に送り出されるようになり総数が累増する中でマネージする側は市場を「お笑い」から「テレビ全般」に拡大した。そのうえ盆暮れ番組改変期連動させ「タレント総売り出し」番組で1週間テレビを乗っ取り事務所のボーナスを稼ぎ出すという厚顔無恥な振る舞いするに及んでテレビは「娯楽の首位の座」から転落を余儀なくされた。折りしも薄型テレビ、デジタル放送への切り替えが行われ、3Dテレビ4Kテレビとハードは進歩の度を高める中で「タレント事務所主導」のテレビ業界は大きな曲がり角に追い詰められている。「いいとも」はそんな時期に終を迎えた。
 
ファミコンが1983年に発売され「スーパーマリオ」が1985年に出ているから「いいとも」と「ゲーム」はほとんど同時進行していた。21世紀になって携帯電話とインターネットが接続したから「いいとも」の後半は携帯(スマホ)との共存時代になった。ということはテレビがゲームや携帯・スマホ・PCと競争する時代に「いいとも」あったわけで、それは「タレント事務所主導のテレビの時代と重なり、結果としてコンテンツとしてのテレビは質的に著しく劣化してしまった。バラエティにドラマ、子供番組やニュースショウにまでお笑いタレントが幅を利かす今のテレビ界にあって格付け機能を担っていた「いいとも」を失うことの影響の大きさにテレビ界はまだ気づいていない。世はあげて「高学歴社会」であり団塊の世代が「高齢社会」の中心を占めてくる。格付けを失った粗製乱造のお笑いタレントコンテンツの充実を図れるのだろうか。
 
テレビが売れるためにはもう一度テレビが面白く再生する必要がある

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