2019年2月18日月曜日

荒凡夫 

 昨年12月に七十七歳になりました。病弱だった私がここまで生きられるとは、それもいたって良好な健康状態で生き永らえるとは不思議な気がします。弟たちや親戚のものたちも驚いています。おかげで年明け早々親戚の最長老が急逝したためにとうとう私がその席に座る羽目になってしまうという思いもかけない事態にさえなっているのです。しかし問題はここからです、なんとなれば男性の平均寿命は81.07歳(2017年現在)ですからあと5歳ばかりが残された私の寿命ということになるのですがどうもそんなことでは済みそうにない気がしているのです(女性の平均寿命は87.26歳、健康寿命〈介護を受けたり寝たきりになったりせずに日常生活を送れる期間、2016年現在〉は男性72.14歳、女性74.79歳になっています)。齢のせいもあって、加えて診察料の負担が1割ということに甘えて、内科、歯科、眼科、整骨に定期的にお世話になっているのですがどのせんせいも「いたって健康」と太鼓判を押してくれており、なかでも歯科は32本(28本の永久歯プラス親知らず4本)全部が虫歯なし、歯茎極めて健康と年齢からは考えられない驚くべき状態だと、受診のたびにお褒めを頂戴しているのです(現在省と日本歯科医師会8020――80歳になっても20本以上自分のを保とう」という運動推進しています)。食欲有り飯は旨い、排泄快調ですからこれまで通り普通に生活しておればあと十年ほどは健康寿命が保てそうに感じているのです。なぜそんな「不遜」な気持ちをもてるのか?
 
 何年かまえ、テレビでトライアスロンの80歳超クラスで完走したふたりの男性のインタビューがあって、そのうちのひとりの方が六十歳を過ぎてから水泳をはじめてトライアスロン挑戦が実現し今年やっと完走できたと嬉しそうに話しているのが印象に残っていまです。また日本スポーツマスターズ(シニア世代を対象とした綜合スポーツ大会)で105歳の男性が100m走に出場し42秒22で見事完走、77才の女性が円盤投げで記録を出したりする姿を見ていると、そして多くの方が七十歳近くからそれぞれの種目をはじめられているということを知ると、人間の能力に限界はないということが実感をもって教えられるのです。
 最近センテナリアン(百歳を超えた人)の方々がテレビに出演されることがよくあるのですがいずれの方もすこぶる矍鑠としておられて、現役の薬剤師であるとか商店の会計を預かっているとか、お肉が好きで週に二回は食するとか、とにかくみな、生きることを楽しんでいる様子がありありと分かるのです。
 なにか特別なコツがあるのではないか?
 
 そこで著名な長生き俳人――金子兜太さんの健康法をたずねてみようと思います(『金子兜太養生訓(黒田杏子著白水社)から引用)。 
 私は現在、長寿への意思というものをはっきりもって生きております。どうもね、ただ成り行きに任せていたのでは長生きはむずかしいのではないかと思っています。(p12
 そうなのだろう、漫然と無為に惰性的に生活をしていたのでは、精神も肉体も緩んでくるにちがいない。そうなると健康は保持できなくなってしまう。病院のお世話になり介護が必要になるのは目に見えている。
 自分(注、一茶のこと)は本能丸出しの煩悩具足の人間で、どうにもご立派な人間になれない。他人様には迷惑をかけないかたちで、このままでいくしかしようがないということで、「愚のうえに愚を重ねる」と言った。そして、そういう人間は一言で言えば「荒凡夫あらぼんぷ)」というものだと言った。「荒凡夫の愚の生活を阿弥陀如来さま、お許し下さい」という調子で書いた。
 彼の言う荒凡夫――それが私にとっては大きな座右の銘です。自由な平凡な男という意味です。私は「荒」を、(略)自由にとっています。(略)自分のありのままで生きていく。ただ、人には迷惑はかけない。ここに自由ということがあると思う。(p114)
 一茶を研究しつくした金子さんは「荒凡夫」という生き方に「長寿」の秘訣を発見したのにちがいない。 
 荒凡夫で生きる、長生きをすることだけしか私の能はないと割り切っているのです。長生きをしたいのではなくて、わたしの生存している価値は長生きをするということだけだ。これは私にとっての価値で、他人様の価値でもなんでもないんだけれど、それしかないと思っているのです。(p116)
 生きるだけが取り柄だから、がんばって生きよう長生きを私の人生の目標にしよう。そのためにはあらゆる手段を講じて、自分を長生きさせよう。こう思った。それで、あの、ひどく律儀な自己戒律を設けた。薬は必ずのむなど、そういうことを始めたということです。(略)生きられるところまで生きる。ただし、条件として人に迷惑をかける状態になったらやめる。元気で長生きする。(p117)(太字、アンダーラインは筆者
 
 最近、長生きは才能だ、と思うようになりました。健康で長生きするためには相当な工夫と努力――努力というとちょっとちがう、継続といった方がしっくりくる。金子さんの工夫はこうだ。
 なにもかも、私はすべて自分の肉体に聞きながらやっている、体でやっているということです。(略)頭に聞くのではなくて(略)たとえ、こういうふうなことだと頭ではわかっていても、どうも自分の体が納得しないということがあるでしょう。それはいっさいやらない。(略)動物的なカンだ。(p120)
 そうなのです、自分の肉体と相談しながら観察し毎日の塩梅(あんばい)を工夫していく。体重を毎日量る、これだけでもかなりの体調管理ができるのに、「体重くらい…」と馬鹿にして無暗とサプリメントや薬に頼っている人が多い。こうした人は「頭で健康を考えている」ことになるのだと思います。
 
 いつ寿命が尽きるかなんてことは知りようがない。そうであるならばいくつになっても三年なり五年なりの目標を持って愉しみを深めていく、そんな継続が意思的な「長生き」を実現してくれるのではないか。そしてこうしたスタイルには無理がないように思う。生きられるところまで生きる、ということになるのではないでしょうか。
 
 キレイ(ダンディ)で楽しそうな「ご老人」を見ていると心が和む。そんな年寄りになりたいと希っています。
 
 
 

0 件のコメント:

コメントを投稿