2019年2月4日月曜日

嵐とネガティブ・ケイパビリティ

 ジャニーズ事務所のアイドルグループ、嵐の活動中止が波乱を巻き起こしている。
 2016年にスマップの解散騒動があり、そのあとTOKIO山口メンバーの不祥事がつづきそして嵐である。昨年は「タッキー&翼」のふたりがそれぞれ一線を退き滝沢秀明は「ジャニーズ・アイランド」の社長という裏方に転進した。この間安室奈美恵引退もあり軽音楽業界は大震撼がつづいている。ジャニーズ事務所としては屋台骨の二大グループが傘下から消失するのだから大打撃だろう。滝沢の制作畑への異動はこうした現状を打破しようという狙いがあってのものだろうが、いわゆる「ジャニーズ商法」はSNS時代を迎えて完全に行き詰まっている。「演歌」時代の終焉は「レコード・CD」メディアの終焉と軌を一にしているのに対して、ジャニーズ商法とAKB商法の行きづまりは「CD+地上波テレビ」というメディ・ミックスによるアイドル商法の終わりを告げているのだろう。
 嵐の活動中止宣言から来年末までの二年間の経済効果は三千億円とも四千億円ともいわれており、今もつづいている「伝説のバンド・クイーン」を描いた『ボヘミアン・ラプソディ』の100万人を超える観客動員数を考えあわせると音楽の持つ文化的・経済的インパクトは絶大であることが分かる。
 わが国軽音楽界が今後どのような方向に進んでいくのか、興味がつきない。
 
 嵐の会見での桜井翔の発言に感服した。「誰か一人の思いで嵐の将来を決めるのは難しいと思うと同時に、他の何人かの思いで誰か一人の人生を縛ることもできない」という言葉は重い。リーダーで最年長の大野君が休止希望を訴えたときはメンバー全員ビックリしたにちがいない。そりゃぁそうだろう、ジャニーズのトップに躍り出ただけでなく並居る軽音楽界の人気者を抑えて歌手・ア-ティスト人気No1を占めファンクラブ会員数も250万人を誇る、まさに「人気絶頂!」なのだから、他のメンバーには「今、止める」という選択肢は「絶無」であったことはまちがいない。
 「そんな馬鹿な!」という気におそわれただろうし、理不尽!と感じたとしても当然といえる。しかしこのメンバーの優れたところはここから先にある。感情的になって喧嘩別れするような短慮に走ることなく、こたえを拙速に出さず、みんなの思いをそれぞれに大事にしながら、なんとか収束点を求めようとした態度にある。「誰か一人の思いで嵐の将来を決めるのは難しいと思うと同時に、他の何人かの思いで誰か一人の人生を縛ることもできない」という、答えのない、宙吊りの不安定な状態に耐えながら、どう結論づけたらいいのかを五人が呻吟しつづけた。共演者たちが口ぐちにするように、その間彼らの苦悩は一切うかがえなかったというから今どき稀有な大した「肝っ玉」である。
 
 こうしたどうにも答えの出ないどうにも対処しようのない事態に耐える能力」を『ネガティブ・ケイパビリティ(Negative capability、以下NCと略す)』という。直訳すれば「負の能力」となるが「事実や理由をせっかちに求めず、不確実さや不思議さ、懐疑の中にいられる能力」である。論理を離れた、どのようにも決められない、宙ぶらりんの状態を回避せず、耐え抜く能力ともいえる。NCは拙速な理解ではなく、謎を謎として興味を抱いたまま、宙ぶらりんの、どうしようもない状態を堪えぬく力である。その先には必ず発展的な深い理解が待ち受けていると確信して、耐えていく持続力を生み出す能力である。 
 これと正反対なのがポジティブ・ケイパビリティ(positive capabirity)で、問題が生じれば、的確かつ迅速に対処する能力で、今の学校教育や職業教育が普段に追求し、目的としているのもこの能力である。こうした能力は「脳」の基本的な機能に即しており、そもそも脳は「分かりたい」と働くのが正常なのであって分かるために欠かせない「意味づけ」を求めて脳は働く。我々の脳は生来的に物事をポジティブに考えるようにできているのである。(入学)試験は、問題に対していかに早く、正確に「(すでにある)答え」を導き出すものであるから、今回の嵐のような、答えのない問題に対処するときには役に立たない。
 嵐のメンバーは「耐えた」。どうすれば皆が納得のいく答えを見出せるか、じっくりとあせらずに。その態度こそ「ネガティブ・ケイパビリティ」である。「発展的な深い理解が待ち受けていると確信して、耐えていく持続力」を発揮したのである。来年末までに彼らがどんな姿を見せてくれるのか、期待したい。
 
 翻って、現在は「答えのない」時代である。トランプのアメリカも、メイのイギリスも、マクロンのフランスも、世界中が「見えない出口」を求めて迷走をつづけている。わが国だってそうだ、成長が望めなくなって、少子高齢化で社会保障は緊急度を増しているし日米の関係は安定感を欠いている、こんな環境はこれまで誰も経験したことがない。数を頼みに「弱者切捨て」「少数意見無視」で強引にことを進めようとしても事態はますます混迷の度を深めるばかりだ。
 
 冷静に考えてみれば、ヨーロッパ・アメリカの難民騒動は二世紀に亘る植民地支配で搾取を極め疲弊させたアフリカや中近東、南米諸国の「反乱」であり、原因は「先進国」自身にあることを彼らは気づこうとしない。
 わが国は敗戦によって壊滅的な被害を受けたが、国民の総力を結集して高度成長を達成し国民を豊かにして厚い中間層を育てることで民主主義と資本主義を機能させて繁栄を齎した。しかしいつのまにか、中間層が消滅して、1%の富裕層(の企業とお金持ち)とそれ以外の豊かでない人に分断されてしまった。グローバル時代を乗り切るために企業の税金を安くして競争力を高め、企業が儲かれば個人の所得も多くなると説得されてそんな社会の実現に協力したが、結局は400兆円を超える内部留保(企業の利益)を企業は積み上げたが個人の所得は「横ばい」のままで地方は疲弊の極に至っている。
 
 答えのない不安定、不確実な状態に耐え、拙速に右か左に決めるのではなく、弱者の意見や少数者の意見も取り入れて、発展的で深い理解を獲得して、新たな「幸福のかたち」を導き出す。「ネガティブ・ケイパビリティ」が求められている時代、今はそういう時代なのだ。それを身を以て示してくれたのが『嵐』だった。
 
 「キレる年寄り」も「自国第一主義」の先進国も『嵐』に学ばねばならない。
本稿は帚木蓬生著『ネガティブ・ケイパビリティ』を参考にしています
 
 
 
 
 
 

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