2022年9月12日月曜日

五輪汚職と電通鬼十則

  オリンピック汚職の泥沼の様相をみるにつけ私のようにかって広告業界に身を置いていた者は「電通・吉田の鬼十則」を思い出した人が多かったのではないでしょうか。「鬼十則」は1951年に当時の社長だった吉田秀雄氏が定めた「営業鉄則」で揺籃期の広告業界を独走した電通営業力の「核」となっていました。我が国広告業界で圧倒的な地位を占めていた電通は1960~70年代、業界2位の博報堂の4倍の売上高を誇っており1973年には年間取扱高で世界1位に昇りつめました。当時広告業界はまだ未成熟でメディア(主力4媒体―新聞、雑誌、TV、ラジオ)の広告を取り扱う「代理店営業」の色彩が強く「広告代理店」から「広告会社」への脱皮を図っている時期でした。「鬼十則」はそうした状況にぴったり当てはまった営業方式だったのですがその後の広告業界の驚異的な進化には追いつけず、その悪弊が2015年女子社員の過労死として表面化するに及んで2016年末に廃止に追い込まれました。しかし「鬼十則」隆盛の真っただ中で育った高橋治之(78才)容疑者らは骨の髄まで「鬼十則」が浸み込んでいて今回の汚職に突き進んだのでしょう。

 

 では「鬼十則」とはどんなものだったのでしょうか。

 (1)仕事は自ら創るべきで、与えられるべきではない。(2)仕事とは、先手先手と働き掛けて行くことで、受け身でやるものでない。(3)大きな仕事に取り組め、小さな仕事はおのれを小さくする。(4)難しい仕事を狙え、そしてこれを成し遂げるところに進歩がある。(5)取り組んだら放すな、殺されても放すな、目的完遂までは……(6)周囲を引きずり回せ、引きずると引きずられるのとでは、永い間に天地のひらきができる。(7)計画を持て、長期の計画を持っていれば、忍耐と工夫と、そして正しい努力と希望が生まれる。(8)自信を持て、自信がないから君の仕事には、迫力も粘りも、そして厚みすらない。(9)頭は常に全回転、八方に気を配って、一部の隙もあってはならぬ、サービスとはそのようなものだ。(10)摩擦を怖れるな、破擦は進歩の母、積極の肥料だ、でないと君は卑屈未練になる。

 驚くべき「精神主義」ですがこれで当時の広告業界は罷り通ったのです。高橋氏らは(5)取り組んだら放すな、死んでも放すな、(6)周囲を引きずり回せ、(2)先手先手と働き掛けて行く(3)大きな仕事に取り組め、(4)難しい仕事を狙え、とラグビー世界大会や東京五輪2020の舞台(表と裏の)で活躍したのでしょう。

 

 しかし「鬼十則」には「コンプライアンス」の条項がありません。法令順守は二の次と考えられていたのでしょう。広告の中心価値である「顧客志向」もどこにも見あたりません。顧客の利益を最大化するという広告の主価値がないがしろにされて、とにかく自己の売り上げ増大を図ることに専念する営業に継続性はありません。この取引が成立すれば良いという売上げ至上主義は「五輪が終わればすべてチャラになる」という刹那主義を生んだのでしょうか。広告の主手法である「マーケティング志向」も見えません。市場を科学的に見つめる視点が欠け市場を強引に方向づけようとするメーカー主導、消費者軽視の考え方は五輪の主役――アスリートや観客を軽視したスポンサー選定業務につながったのでしょう。

 「鬼十則」は前近代的精神主義で貫かれた「代理店時代」の広告業界でこそ威力を発揮した営業鉄則ですから廃止の憂き目に至ったのは当然のことでした。

 

 今のところ汚職に関係した企業は、AOKIホールディングス、KADOKAWA,、大広、駐車場サービス「パーク24」の4社に留まっていますがとてもそんなことで済むとは思えません。五輪スポンサーは権利の利用や関連グッズの提供などで「ワールドワイドオリンピックパートナー――OICと契約したトヨタなど14社」「ゴールドパートナー」「オフィシャルパートナー」「オフィシャルサポーター」の4種で構成されていますが、大企業中心の上位2パートナーは別にしても大・中企業の「1業種1社」の枠で電通に選定が一任された下位2つのパートナー、サポーターからは今後高橋容疑者との不明朗な関係を疑われる企業がゾクゾクと出てくる可能性が否定できません。大体なぜスポンサー選定を電通1社に一任されたのでしょうか。なぜ選定の過程や契約料も非公表の「ブラックボックス」化した組織を認めたのか理解できません。これでは不透明な資金の流れができるのは当然で、そもそも組織委員会はすべてを承知の上でこんな組織をつくり上げたのではないかという疑いさえ湧いてきます。そしてその資金の何割かがどこかへ流れたのではないか。たとえば森さんに200万円が流れたように(本人はまだ認めていませんが)。

 

 電通で隠然たる権力を誇っていた旧専務の高橋氏とその庇護のもとに地位を築き高橋氏に尊敬の念さえ抱いていた部下――子分が五輪事務局ににらみを利かしていたのであれば、事務局に出向していた電通の若い社員に不正を正せと求めることは無理かもしれません。とにかく数年前まで「電通・鬼十則」が支配していた会社なのですから。

 

 円安が危険水域を超えて進んでいます。その根本に日本企業の競争力の鈍化がいわれていますが、こんな前近代的な組織で「スポーツの祭典・オリンピック・パラリンピック」を開催しても世界に恥じるところのない国ではグローバル競争に負けても当然でしょう。

 「公正な競争」と「機会の平等」のないところに『成長』はありません。今のわが国にどれほどそれがあるでしょうか。そろそろ本気になって「新しい資本主義」をつくらないとあっと言う間に「過去の国」に成り下がってしまうことでしょう。

 

 

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