2023年3月13日月曜日

勤皇の志士とナポレオン

  ナポレオン・ボナパルトは1769年に生まれ1821年に没しています。アンシャン=レジーム(旧体制)を打倒して市民のための国家を樹立するはずであったフランス革命が、ロべスピエールの圧政やテルミドール派の失政によってかえって市民に困苦を強いる結果となり、失望した市民の不満と怒りを捉えて民心を掌握し改革を実行して皇帝に上りつめたナポレンは、同じく旧体制――徳川幕府を倒して天皇制の復活のもとに新政樹立を掲げた勤皇の志士たちにとっては一世代前の先進ヨーロッパの「革命王」として尊敬と憧憬のシンボルとなっていたのです。

 

 大槻磐渓(1802~1878)は『解体新書』の翻訳で知られる大槻玄沢の次男として江戸に生まれ、昌平黌で学んだ後西洋砲術を修めて開国論を唱えます。明治2年(1869)奥州列藩同盟に加担して投獄されますが出獄後は文人として活躍しました。そんな彼のナポレオン讃歌「仏蘭王詞十二首(ふつらんおうのし十二首)その四」は次のようなものです。

半生威武編西洋(半生の威武 西洋に編し)

青史長留赫赫光(青史に長く留む 赫赫の光)

一自功名帰大帝(一たび功名の大帝に帰せし自り)

無人艶説歴山王(人の歴山王を艶説する無し)

ナポレオンの半生にわたる軍事的な威勢は西洋のすみずみにまで及んだ。その輝かしい威光はとこしえに史書に書き留められるであろう。いったん功績と名誉とがこの偉大な皇帝のものとなって以来、誰もアレキサンダー大王を褒め讃える人はいなくなった。

 天保一二年(1841)に作詞されたと思われるこの連作詩の後には、自注として次のようなナポレオンの略伝が付されています。「王、名はナポレオン、姓はボナパルト、地中海中のコルシカ島の人なり。豪邁にして大志有り。フランスの将校より起こり、功を積みて上政官に上り、遂に帝位をふむ。ほとんど欧州全州を併呑し(中略)遂にヘレナ島に流さる。我が文政三年五月をもって島中に卒す。年五十二なり。後二十年、皇帝の礼を以ってフランスに帰葬す」。(現代表記、現代文に改訂しています

 

 幕末の知識人たちにとってはナポレオンはもとよりアリキサンダーも常識であったことに驚きを覚えます。

 われわれの勤皇の志士たちのイメージは、中江藤樹の陽明学や吉田松陰や佐久間象山の開明思想、そして水戸学を中心とした国学が思想的バックボーンであったように思い込んでいますが、それだけでなく蘭学はもとより世界の歴史と政治情勢にも通暁していたことがうかがえます。

 

 ナポレオンを詩に取り上げた嚆矢は頼山陽(1781~1832)で文政五年に作詞した「仏郎王歌」です。ナポレンのロシア遠征に従軍したという長崎オランダ商館詰めの医師の話をもとに、ロシア遠征の敗北を詠んだ三十句に及ぶ七言古詩の長編ですが、これ以後、幕末・維新にかけて、ナポレオンの事跡を詠み込んだ漢詩が多く作られ、また幾つものナポレオンの伝記も翻訳・出版されています。たとえば佐久間象山の「ナポレオン像に題す」は有名ですし、吉田松陰の北山安世に宛てた書簡にある「ナポレン翁を起こしてフレーヘード(オランダ語の自由の意)を唱えねば腹悶いやしがたし」という記述はナポレオンを体制変換をなしとげた希望の星として仰いでいた当時の志士たちの心情を如実に表したものとして恰好のものと言えるでしょう。

 

 昨年、永井荷風の『下谷叢話』や中村真一郎の『頼山陽とその時代』、揖斐高編『江戸漢詩選(上・下)』(岩波文庫)と江戸漢詩を集中的に読みました。それは『万葉集』『古今和歌集』『古事記』が日本人の古層を形成しているとしたら「江戸漢詩」を読むことは明治維新を基底とした現代につづく上層意識に近づけるのではないかと考えたからです。そして江戸時代の知識人、政治家がいかに「漢詩」を文芸として重視していたか、そのネットワークの広汎さ、緊密さと重層性を思い知らされたのです。江戸時代の文化は俳句や近松門左衛門の人形浄瑠璃、井原西鶴に代表される浮世草子などの庶民文芸や浮世絵の町人文化の時代であったように認識していますが、しかしそれだけでなく、宮廷を中心に和歌は途切れなく伝承されてきましたし墨絵に代表される伝統的な絵画も決して衰えることはなく知識人や武家階級にとっては「漢詩」こそが中心的な教養知識だったのです。そういった意味では今の学校教育は相当偏向していると言わざるを得ないですしその影響は無視できないのではないでしょうか。たとえば夏目漱石でさえ「現代語訳」なしには読めない層が増えているなど。  

 

 最後に頼山陽の「仏郎王歌」から一節を記しておきます。

君不見何国蔑有貪如狼(君見ずや 何の国か 貪ること狼の如きもの有る蔑からん)

勇夫重閉貴預防(勇夫は重閉して預防を貴ぶ)

又不見禍福如縄何可常(又見ずや 禍福は縄の如し 何ぞ常とす可けん)

窮兵黷武毎自殃(兵を窮め武を黷けがすは毎に自ら殃わざわいす)

諸君は見たことがあるだろう、どこの国も狼のように貪欲だということを。だから、勇士は戸締りを厳重にし、災厄の予防を貴ぶのだ。また諸君は目にしたことがあるだろうか、禍いと幸せとは縒り合わせた縄のようなもので、いつも決まってはいないということを。したがって、武力を乱用して戦争を仕掛ける者は、常に自ら災いを招くのだ。(揖斐高編『頼山陽詩選』岩波文庫より

 

 狼のように貪欲に領土と経済圏の拡張にしのぎを削る世界の強国、そして武力を乱用して戦争を仕掛けるロシア・プーチンと北朝鮮と対抗する西側陣営。頼山陽の詠んだ200年前と世界はまったく変わっていないことに驚かざるをえません。

(この稿は『江戸漢詩選』揖斐高編・岩波文庫に多く依拠しています)

   

 

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