2023年3月28日火曜日

AIに支配されメタバースで生活する社会

  2006年4月に始めたこのコラムの連載が今日で900回になります。なにぶん現在の一般的風潮とは一線を画した見解を一切のSEO(サーチエンジンオプチマイゼーション―検索エンジン最適化、要するに閲覧数を増やすために専門家に委託すること)を用いないで書いてきましたからよく閲覧者が絶えなかったものだと感謝しています。最近の傾向として深夜に閲覧数が増えることがときたまありますのでひょっとしたら海外在住の在留邦人の方にも若干の愛読者がいらっしゃるのではないかと推察しています。

 17年間温かく見守っていてくださったコアな愛読者の理解を助けるために私のものの考え方――思想といえるかもしれませんが――の形成された原体験をこの機会にお話ししようと思います。

 

 私のものの考え方を簡単に言えば「リベラル」な「批判精神」を核としています。権力、権威、常識――多くの人が良しとしているものを疑ってかかることを考えの始点としています。なぜそうなったかは「経済的側面」と「精神的側面」のふたつの「原体験」が影響しています。

 

 経済的側面から言いますと、小学5年の頃――昭和26(1951)年実家の鉄工所が「不渡り」を出してしまいます。なぜ年端もいかない私がそれを分かったかといいますと、ある日突然見もしない大人が何人かズカズカと家に上り込んできて家具にベタベタ赤紙を貼り付けて帰ったのです。「これなに」と訊くと「勝手に触ったり開けたらあかんのやで」と祖母だか叔母が教えてくれました。後年これが「差し押さえ」だったことを知ったのです。

 もうひとつの経験は高校2年の頃です。昭和30(1955)年から始まった日米繊維交渉は日本製品に圧倒されたアメリカの繊維産業保護のために日本の生産量を強制的に減産するようアメリカが求めたのです。復興途上のわが国はアメリカの援助が必須でしたから、また輸出の中心が工業製品に移行していましたから国はアメリカの要求をのんだのです。減産はドラスティックに実行され最終的には「織機の打ち壊し」まで行われたのですから織機を製造していた実家の鉄工所への打撃は壊滅的でした。大学受験を控えていた私は親がどう都合をつけてくれたのか辛うじて入学金を収めることができ今日に至っています。

 こうした経験によって「権力」は怖いものという刷り込みと共に国はいつ裏切るか知れないという「不信感」を植えつけられました。

 

 精神的側面の原体験のはじまりは学校へ上がる前におそわれた「小児結核」でした。当時は不治の病といわれていましたから親は覚悟したといいます。ところがその頃発明されたペニシリンが危機を乗り越えさせてくれたのです。しかし虚弱だった私は再び小児結核に罹りますが運が強かったのでしょう、今度はストレプトマイシンが救ってくれることになったのです。癒ったとはいえ根本的には虚弱ですから親や祖母の献身的な介護がないと命脈を保つことはできません。ぐったりと祖母の膝に身を横たえた私の身体を「おさすりさん」――今でいう小児マッサージ師がマッサージしてくれました。穴村(草津市)の「墨灸」も大津から船に乗って年に何回か通ったことを覚えています。お仏壇のお世話が私の役目とされました、ご先祖の恵みを受けるためです。お水を換えるとき昨日の水を庭に撒くのはお仏壇に祀られていない先祖の霊に差し上げるのだ教えられました。般若心経を唱えるために近所の「拝み屋さん」に通って覚えました。最近友人たちの何人かが般若心経を唱えるようになりましたが彼らは経典を読んで覚えますから耳から覚えた私の経文と違って聞こえます。小学校5年生の頃即成院の「二十五菩薩巡行」に普賢菩薩でお参りさせていただきましたがひょっとしたらそのお陰で今日まで生き永らえさせて貰っているのかも知れません。

 西洋医療以外の多くの俗信に扶けられ何の疑問も抱かずそれらに塗(まみ)れて成長した私は、「理性」や「論理性」以外に何かがあることを皮膚感覚として排除できなくなっているのです。

 

 「情報氾濫の時代」と言われて久しくなります。SNS時代になってそれが加速したように感じます。そうでありながら「危うさ」が付きまとうのはなぜでしょうか。それは個々人の自分だけの「原体験」が「自分の考え方」に結実せずSNSを通じた「今、ここ、わたし」の情報だけで「動かされている」からです。

 「今」でない先達の蓄積=「本」の読書時間が大学生で平均30分(/日)、ゼロの学生が半分近くになっています。「ここ、わたし」でない多様(政治、経済、社会、文化、健康など)で閲覧性に優れた「新聞」の購読者が減少の一途をたどっています。本も新聞も「終わコン」として若者が「拒否」しているのです。

 そんなところに「対話型AI(チャットボットなど)」なるアプリが登場してスマホやPCに話しかけるだけで解答が出てくる時代になろうとしています。しかもそれが相当質の高いものだといいます。いよいよ自分の「原体験」を「消去」した「標準化された模範解答」が「自分の考え方」となり『世論』になってしまう危険性が高まってきました。

 こうした世の中の動きを「無批判」に受けいれてしまった「究極」は『AIの支配する社会』です。

 

 「AIに支配」されて「メタバース」で生活する。そんな世の中の動きにこのコラムは断固「拒否」の姿勢を貫いて連載をつづけたいと思います。1000回を目指して。

 

 

 

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