2024年5月27日月曜日

老化の科学

  私も今年83才、立派な高齢者です。昨年の11月から今年の3月まで寒さにかまけて朝トレをサボっていたせいで4月になって再開して余りの体力の衰えに愕然としました。老いを実感させられました。そしてこれまで老いについてほとんどまとまった知識を学んでこなかったことにも愕然としたのです。そんな折5月18日の毎日新聞に医師で作家の鎌田實さんがまことに分かり易い「老いの科学」を書いていらっしゃったのでここにそれをまとめてみました(2024.5.18毎日新聞「くらしナビ――老化を遅らせるには」)。

 

 老いの大きな要因は細胞の「コゲ」と「サビ」にあります。コゲは細胞の「糖化」で糖質を含むもの(ジュースや甘味料など)を取ると、余分な糖質が体内のタンパク質と結びついて細胞を糖化させ老化が進みます。サビは細胞の「酸化」のことで体内に取り込んだ酸素のうち一部が活性酸素に変わるのですが、活性酸素が増えすぎると正常な細胞が酸化され、老化現象(シワ、シミや白髪など)が起きるのです。サビは慢性炎症も起こします。慢性炎症は高血圧、高血糖、ストレスなどが起こりやすくなり動脈硬化を進めてしまいます。その結果脳梗塞や心筋梗塞などの血管の病気の原因となるのです。慢性炎症が脳で起こると、認知症の原因になると言われています。

 

 コゲやサビはどうすれば抑えることができるのでしょうか。

 コゲは血糖値が急上昇したときに起こりやすいので、血糖値の急上昇を抑えることが大事です。白米や甘いものなどの糖質の多いものを食べるときにはネバネバしたもの(オクラ、モロヘイヤ、納豆など)を一緒に食べるといいでしょう。サビは酸化を防ぐ――「抗酸化」が大事ですがそのためには野菜が重要です。野菜には抗酸化力のある色素やビタミンが含まれていますので1日350mg以上取るといいでしょう。特にブロッコリーは抗酸化の他にも多種の老化防止にいい成分が含まれていますのでおすすめです。

 

 老化を防ぐためには「オートファジー」「サーチュイン遺伝子」「マイオカイン」「オキシトシン」などに気を配る必要があります。

 オートファジーは「自食作用」と呼ばれる老化を抑える仕組みのことで、老化した細胞を壊し新しい細胞に合成し直します。サーチュイン遺伝子は「抗老化遺伝子」のことです。オートファジーとサーチュイン遺伝子は軽い飢餓状態によって働きだすと考えられています。1日最後の食事から翌朝の朝食まで何も食べない時間を16時間取ると良いと言われています。16時間が無理なら最低でも9時間以上の絶食時間を確保するようにしましょう。絶食時間が9時間以上になると、たまった脂肪がエネルギーとして使われるようになるからです。絶食効果は夕食から朝食までの間の絶食が有効ですので夕食が終わったらしっかりと絶食することが大事です。まちがっても小腹がすいたからと言って夜食を取ったり甘いものを食べたりするのは厳禁です。仕事の関係で週中は無理だという人は休日を利用するのがいいでしょう。「NMN(ニコチンアミドモノヌクレオチド)」はビタミンB3の中に含まれる成分でサーチュイン遺伝子を働かせる機能をもっていて、枝豆、ブロッコリー、アポカドなどに含まれておりサプリメントも発売されています。

 マイオカインは生理活性物質で全身を若返らせます。運動で筋肉を刺激すると体内に発生します。おすすめの筋トレはスクワットでかかと落しを併せてやると効果的で「テストステロン(チャレジングホルモン)」が分泌しやすくなります。

 オキシトシンは「絆ホルモン」とも呼ばれていて人に親切にすると発生する不思議なホルモンです。抗酸化力を高めるという論文が発表されています。

 

 ブロッコリーは老化にとって最強の野菜です。抗酸化力がありしかも野菜の中では断トツにタンパク質が多く、100gのブロッコリーには5.4gのタンパク質が含まれています。記憶力に影響を与えると言われているビタミンK、血流を改善する葉酸も多く含まれており、細胞の新陳代謝をすすめてくれるる亜鉛も豊富。血圧を下げる作用や、赤血球を作る作用を増強してくれます。まさに、若返りのスーパーフードと言えるでしょう。筋肉を意識しているスポーツ選手やボディービルダーなどは、ブロッコリーを意識して食べている人が多いですが、フレイル(虚弱)が気になるシニアにもブロッコリーはおすすめです。

 

 「老化」は病気だという考え方をする学者がいます。原因が特定されて治療法が確立すれば「疾病」の範囲に入れてもおかしくないわけで、そうした学者や医師の努力が上述した成果を生み出したのです。まだまだ発展途上ですから今後ますます「老化」の予防可能性は拡大してくるにちがいありません。

 

 「笑う門には福来る」とは言い古された古諺ですが上に書いたオキシトシンは別名「愛情ホルモン」とも「信頼ホルモン」とも呼ばれているように、人にやさしく笑顔で接することの大切さが分かります。役所やコンビニ、飲食店で大声を上げて「カスハラ」している年寄りを多く見ます。額に皺寄せてむつかしい顔をした人も多いようですがそれでは自分から寿命を縮めているようなものです。おおらかにのんびりと、楽しく老後を過ごそうではありませんか、ご同輩の皆さん。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

2024年5月20日月曜日

コンチネンス

  今年の目標は睡眠と排泄を良好に行うことです。初孫の成長に置いてきぼりにされないように良い睡眠と毎日の規則正しい排泄で健康維持に努めることにしたのです。飲酒が睡眠の質を害うことは医学的に証明されていますし私自身の経験に照らしても実感していますので、週に最低でも二回、できれば4回休肝日にしようと目標を立てたのですが今のところ週二が精一杯です。ここ二三年酒がそれほど旨いと思わなくなって半分は惰性で呑んでいたところもあったのでタイミング的には丁度良かったのです。呑まなかった日の寝覚めの頭はすっきりで快いのでもうあと一日は不呑日を増やすべく努力中です。

 

 排尿排便の不都合を初めて経験したのは二十年ほど前でした。お漏らししたのです。尿意を催してトイレに行って便器の前に立った、チャックを開く前にチョロっと洩らしてしまったのです。慌てて前を開いて排尿したのですが結構濡れていました。帰宅して自分で洗おうと思ったのですが、これからもこんなことは度々起こるにちがいない。その度に洗うのか?そう自問して結局洗い物の中に忍ばせることにしました。妻は何も言いませんでした。洗う前に乾いていたのかも知れませんしそうでなかったかもしれません。そのまま何事もなかったように過ぎました。お漏らしはそれ以後まったく起こらないまま何年も過ぎて二年ほど前から急に、それも頻繁に起こりだしたのです。いわゆる「頻尿」気味になって、特に出かけたときにその傾向が強いのです。出がけに済ましたはずなのに駅につくともう尿意が起る。電車で行先に着くとまた……。こんなことが毎回起きて、間に合わないことも何度かあって。排尿に関してはとにかく慎重の上にも慎重を期して、前もって前もって対処するしかないと覚悟しています。

 何年か前老人会の世話役をしている知人が、年一回のハイキングの企画をするとき頭を悩ますのは行程にトイレがあることの確認だと言っていたのを思い出しました。そうか、こういうことなのだと今になって納得です。この種の苦労は他人事と思っていたのですがとうとう自分も仲間入りしたようです。

 

 12日の毎日新聞に「コンチネンス」の記事がありました(滝野隆浩の「掃苔記――「排せつ」の話をしよう」)。「コンチネンス」というのは「排泄がうまくいっていること」で「禁制」という日本語が当てられます。ですから反対語は「失禁」です。この記事の抜粋を以下に記します。

 「高齢社会をよくする女性の会」の4月例会が(略)NPO法人「日本コンチネンス協会」の小島みさお副会長が「もっと話そう排せつのことを!」という講演をした。(略)まずは「尿の基礎」を学ぶ。腎臓でつくられる尿の量は1日で1~1.8㍑だという。また1回で出る量は0.2~0.5㍑。健康な人は日中4~8回、夜間0~2回トイレに行く。1回の時間は約30秒(略)さらに尿意を催してから1時間は我慢でき、尿意がなくても出せる――のが正常だという。/協会の窓口には「せきやくしゃみのときに尿が漏れる」「行きたくなったときには間に合わない」などの声が多く寄せられる。「トイレのことが心配で、友人から誘われてても旅行にいけない」という悩みは切実だ。家にこもりがちになれば、孤立や認知症の問題につながっていく。/男女差がある。尿道が短い女性は「漏れやすい」し、長い男性は「尿が出にくく」なりやすいという。(略)尊敬する大学名誉教授と10年ほど前、視察旅行をしたときのことを思い出す。1日の視察を終えてホテルに着き、一緒に温泉へ。浴衣に着替えるとき先生はぱっとズボンを脱いだのだが下はオムツだった。でも、堂々としていた。先生は「老い」というものをそのまま受け入れている。そう感じた。/小島さんは予防のため、骨盤底筋の筋トレを推奨している。椅子に座り校門を「早く」締めたり緩めたりを10回繰り返す。続けて3~5秒間、、締めたままにする「ゆっくり」を5回。「急・緩」の筋トレを1日3セットやる。「これ、どこでもこっそりやれますから!」

 

 尿の量と排尿の回数という基礎知識さえ知らなかったことを恥じます。夜中にトイレに行くことを悩んでいた人は多いでしょうが2回は普通だといわれて安心です。健康診断で尿意がなくても検尿のために紙コップに採尿させられるのを理不尽と思っていましたが健康であれば出せて当たり前なのですね。骨盤底筋の筋トレは今日からでもやってみよう。

 大学の先生の振る舞いはいずれその時は来るでしょうから見習いたいものです。(しかしオムツは介護の方から禁句――紙パンツと言ってほしいと教えられました)。

 不満は「排便」についてまったく触れられていないことです。高齢になるにつれて規則正しい排便が出来てない人は圧倒的に多いはずです。是非「便の基礎知識」を教えてほしいものです。

 

 それにしても「夜間頻尿」「尿失禁」やら「便秘」や「睡眠不良」だかの広告の何と多いことでしょうか。年寄りの弱みにつけ込んだ、しかも効果の疑わしい健康食品や機能性表示食品がほとんどです。なぜ野放しのままなのでしょうか。最近小林製薬の「紅麴」製品が問題になっていますが健康障害が起こってからのことです。

 

 健康保険で医療費を1割負担という優遇を受けておきながら効果のあやしい健康食品に3千円も5千円も費やす今の「国民(高齢者)の健康意識」に疑問を感じます。

 

 

 

 

2024年5月13日月曜日

読書について

  最近私の周りで「本が読めなくなった」「本読むの止めた」という人が多くなってきました。目があかん、根気が続かんようになったというのがほとんどです。

 誤解があるようですが老眼鏡は消耗品です。急に、徐々にの差はあっても老眼度は進行しますから眼鏡が合わなくなって読みにくくなって止めてしまう場合が意外と多いのです。見にくいから根気が続かないことにもつながるわけで60才を超えたら眼科の定期検診は高齢者の心得です。根気と体力は相関関係にありますから高齢に伴う体力の減退を放置しておけば根気が低下するのは当然です。最後に読む環境――書斎です。別に書斎でなくてもいいのですが、椅子に座って姿勢を正して読むことは集中力を高めますし疲労も抑制していい読書につながります。我々世代になれば部屋の一つや二つは空いているでしょうから書斎に設えることをお薦めします。自分好みに模様を変えて絵のひとつも掲げれば一挙に「書斎感」が醸されて読書意欲高まること請け合いです。高齢期の読書力は体力的にも精神的にも準備を怠れば減退して当然なのです。

 

 もうひとつ「日本語」の読書を深めるためには「漢文」と「古文(古典)」の素養が必要なことが忘れられています。日本語は「漢字かな混じり文」で書かれているからです。文字をもたなかった日本人は漢字を自家薬籠中のものにして「やまと言葉」を漢字表記するという離れ業をやってのけました。さらに漢字から「かな文字」を発明して中国語にはない助詞、助動詞を表現できるようにして日本語の文字表記を完成しました。漢字の輸入は「漢文」を通じて行われましたから「漢詩」「漢文」の知識がないと漢字の理解が浅くなってしまいます。かな文字表記されたやまと言葉で古典文学が書かれたのですから古文を理解するとしないではことばの操作性に巧拙が生じます。こうした事情を考えると日本語の読書のために漢文と古文の素養が必要なことが分かると思います。例えば漱石――私が漢文を勉強しようと一念発起したのは『草枕』が理解できなかったからです――鴎外はもちろんのこと荷風も谷崎でも漢文と古文の知識があるとないでは面白さが格段に違ってきます。晩年の読書の醍醐味は若いころ読んだ本がそのころとは違った読み方ができる、理解できなかったところが理解できる、そんな高齢期の読書を満喫するためには漢文古文の知識が必要なのです。

 

 読書はいくつかに分類できます。

 最も一般的なのは「エンターテイメント」としての読書です。わざわざ苦労しなくても楽しめるエンタメはいくつもありますから苦痛を感じるようになれば読書が避けられても仕方ありません。小説好きに早く読書離れする人が多い原因でしょう。それに新刊の小説は溢れ返っていますから選択が難しいのも本離れの原因かもしれません。

 次は「もの知り(博士)」のための読書です。世はクイズ全盛時代ですから断片的な知識量を誇りたい輩は老若男女を問わず読書に励みます。また蘊蓄自慢のおじさん、おじいちゃんもどこの居酒屋にもゴロゴロいます。この種の本好きは年を取れば自然淘汰されて消滅していきます。記憶力の減退は致命的ですから年寄りのこのタイプの読書はつらいでしょう。

 つめ――これが一番多いタイプです、「勉強」のための読書です。「学校の勉強」のための読書は誰でも通過するタイプですし初期の「知識欲」「知的好奇心」に根ざしていますから本格的な読書の入り口になります。ただ最近の傾向として漱石や芥川でさえ教科書から除外されるようになってきていますから学校の勉強が文学へのいざないになるかどうか不安な状況に至っています。

 「仕事」のための勉強、これもだれでも経験する読書です。このタイプは二つあって、とりあえず当面の仕事に即応できればよいというのと、入口は仕事だったがそこから専門的に深めていって一生つづく読書になることもあります。即応タイプは仕事を離れれば自然消滅しますから晩年の読書にはなりません。後者は環境が整えば生涯学習につながりますし本を出版する人も少なくありません。学校の先生にこのタイプは多く本の贈呈を受けたことも少なくありません。仕事ではないけれど何かの利益を得るための読書もあります。趣味のための読書がこれになりますし株などのズバリおカネを儲けるための読書もあります。碁・将棋やガーデニングなどの読書は少々目が衰えても必要に迫られていくつになっても続いていくにちがいありません。

 ここまでに上げた読書は高齢になって条件が悪化すれば本離れするタイプです。あんなに勉強ができていい大学を出て、すごいキャリアを経てきた人でも本離れするのは多分こんな読書生活を過ごしてきた人です。

 

 ショーペンハウアーが読書についてこんなことを書いています。「読書することは、自分でものを考えずに、代わりに他人に考えてもらうことだ。(略)本を読んでも、自分の血となり肉となることができるのは、反芻し、じっくり考えることだけだ。(略)思想体系がないと、何事に対しても公正な関心を寄せることができず、そのため本を読んでも、なにも身につかない。なにひとつ記憶にとどめておけないのだ。(『読書について』ヨリ)

 齢を重ねて読書量は人並み以上と思っていたのに「自分なりの思想体系」ができていないことに気づくのは多くの人の経験することです。自分の頭で考えずに本を読んでそれで自分の考えが出来たように勘違いしてきたからです。一方で晩年になってかって読んだ本を読み返す、以前気づかなかった発見があったり反対の意味を読み取ったり。それは自分の頭で考えて本を読んでいるのです。

 思想体系とは何でしょうか。「自分」だと思います。結局本を読むという行為は「自分とは何者か」ということの探求なのではないでしょうか。晩年の読書で新しい本に出会った時のよろこびは新たな自分を発見できた嬉しさなのです。

 

 晩年になっても読書を続ける喜びは自分の発見であり、思想体系の確立にあります。自分の頭で考えながら読む楽しさです。読書という「知的遊戯」は晩年に残された最大の「快楽」です。

 

2024年5月6日月曜日

曲学阿世

  今年のGWは急激な円安で海外組は意気が上がらないことおびただしい感がありました。折角の海外なのに節約節約のけちけち旅行ではそれも致し方ないのですが責任の一端は日銀総裁の植田さんにありました。26日の金融政策決定会合後の「現時点ではいまの円安が基調的な物価上昇率に大きな影響を与えているわけではない」という発言はいただけません。専門家の考え方としては、円安の影響は一応吸収した現状の物価状況であると見ているのでしょうが、それはそうなのでしょうが、しかしこの発言後一挙に円安が加速して一時160円を窺う状況に至ったのは総裁の不用意な発言のせいだと言われても反論できないのではないでしょうか。日銀は「物価の番人」といわれますが、それは一面「円の価値を守る番人」でもあるはずです。今年年初の140円台から150円に円安が進み150円台半ばで上下していた円安がここにきて急に下落、ついに160円まで落ちるという状況は市民にとっては「安過ぎ」と感じて当然です。海外旅行だけでなくこの円安が6月に又3500種以上の商品が値上げされる状況にもなっています。専門家に向かって釈迦に説法でしょうが、物価の番人であると共に円の価値の番人でもあってほして欲しい、学者の良心がそれを許さないのならせめてしているフリをしてほしい、そう思うのが市民感情なのです。

 

 こちらは「確信犯」です。24日に発表された「人口戦略会議」の「消滅可能性都市744自治体(全体の40%)」の衝撃は増田寛也副議長の思惑通りでしょう。2020年~50年の30年間で子どもを産む中心世代の20才~39才女性が半数以下になる、という根拠でさも「本当らしく」述べられると普通の市民は深刻に受け止めてしまいます。おまけに京都では宮津市など2市6町1村が消滅可能性自治体として具体的に名指しされたのではされた方はたまったものではありません。都道府県別にみると秋田で96%、青森88%、山形80%の市区町村が消滅するとさえ発表しているのです。(反対に沖縄は0%、東京3%そして滋賀は11%の消滅で止まっています)。

 増田さんは以前(2014年)「日本創成会議」の座長として「増田レポート」で「このままでは全国896の地方自治体が消滅する可能性がある」と述べ「2010年~2040年出生率向上のカギを握る2039歳女性人口が5割以下に減少する」ことを根拠としているのは今回と同じです。

 増田さんは自身の著作として2014年8月に『地方消滅―東京一極集中が招く人口急減(中公新書)』も上梓しています。

 

 消滅都市として名を上げられている都市(市区町村)に住んでいる人たちは別に増田さんに言われるまでもなくずっと前から「不安」を感じながら住み続けているのです。それでも地方の力だけでは過疎化も高齢化も防ぎようがないのです。若者を引き留める雇用を保証する工場もありませんし地元産業にそこまでの雇用力も将来性もありません。「東京一極集中」が根こそぎ日本の産業と雇用を奪っていることが分かっていてもそれを政府は野放しにしたままで解決を図ろうともしません。晩婚化非婚化と少子化を何とかしないといけないのですが政府は無策無能で成果は上がっていないではありませんか。それをまるで地方行政とそこに住む市民の責任でもあるような「告発」は腹立たしいばかりです。

 「消滅」の烙印を圧しつけられた者の身になってみたことがあるのですか、増田さん。

 

 増田さん、あなたの提言くらいなら私でもできますよ、そんな突っ込みをする人があっちにもこっちにもいるに違いありません。それは「国立社会保障・人口問題研究所」が推計人口を発表しているからです。 

 平成24年(2012)1月/2048年に1億人を割って9913万人程度になり、2060年には8674万人程度になると発表。

 令和5年(2023年)4月26日/2020年の国勢調査の結果を基に、2100年にはおよそ6300万人に半減するという推計をまとめる。

 2012年発表の2048年に9913万人になるという発表は現在人口の1億2500万人から約2500万人の人口が減る勘定になります。高齢化と過疎化を考慮すれば人口2~3万人の地方の村や町が消滅するであろうことは容易に想像できます。2023年の6300万人に減少するという発表は6200万人の減少になりますから人口10万人程度の地方都市が消滅しなければ勘定が合いません。こんな素人でも想像できる表面的な現象をさももっともらしく、政府機関や民間研究所という「権威」を笠に着て国民に衝撃を与えて何を訴え、何を得ようとしているのですか。あなたが訴えるべきは政府であり政治家であり大企業の経営者ではないのですか。

 

 徳川時代の「幕藩体制」は農業国家の国家経営システムとしては世界に冠たるものです。ここまで国土を効率的に利用して生産性を高めたシステムは他に無いでしょうししかも循環型社会(今風にいえばSDGs)としても完成度が高くその上識字率で見れば世界最高の教育水準を達成した非常に秀れた政治制度だったのです。経済の構造的変化が一次産業から二次産業――工業社会へ変化し更に三次産業へと転換するにしたがって、農業から工業へ――都市へと大量に人口移動が行われ金融化情報化がさらにそれを増幅して人口の都市集中が極限に達して今があります。そしてここにきてロボット化AI化という新しい産業革命が日本社会を大変化させようとしています。

 指導者は、為政者はこうした社会変化に国土経営システムをいかに適用させるかを国民に提案すべきなのにそれをせずに放置して今日に至っているのです。

 

 ロボット化AI化で生産性は高まりますからGDPはむしろこれから増大するかも知れません。しかし今の職業の半分以上が消滅しますから雇用(職業)は半減します。そうなれば「雇用(職業)に基づいた賃金(利益)を稼ぎ生活資料を獲得する」という今の経済システムは破綻します。国土は経済社会地区として住民が居住する地区と国土保全と美観のための居住者の無い――極めて少ない地区に機能分離せざるを得ない時期が必ず来ます。そうなると土地の私有財産制度は破綻するでしょう。

 人口減をセンセーショナルに放言するのではなく、国を歴史的経済的社会的に深く思料して国民を啓蒙する、そんな指導者になって下さい、増田寛也さん。

 

 「曲学阿世」曲学を以って世間におもねり、人気に投ずる言説をなすこと。「曲学」真理をまげた不正の学問。(広辞苑)