2024年8月19日月曜日

国の柱

 広瀬めぐみ議員の不祥事をみて、この人は一体何のために政治家になったのだろうと呆れ果ててしまいます。もはや「怒り」の対象にもなりません。この二年間(2022年7月初当選)でやったことといえば「不倫」と「不正蓄財」では最低の極みです。秘書給与の詐取による不正蓄財は強制捜査を受けましたから場合によっては「逮捕」に及ぶかもしれませんが、政治資金パーティーの売上げを裏金として不正蓄財した可能性のある85人~120人の自民党議員は「お咎めなし」で済みそうですから何とも不明朗な話です(岸田総理が引責辞任を申し出ましたが遅きに失した感があります)。腐り果てた自民党長期政権ですが、なぜこうした不正がまかり通るかを考えてみると「当選回数の多い壮・老年男性議員」による独占的な党運営が行なわれているからです。

 アメリカの政治システムが立派なものとは決して思いません、バイデン、トランプという高齢者が大統領候補として選出されるに至った民主党共和党の二大政党体制は破綻寸前のシステムに劣化しています。しかしバイデンの撤退によって民主党の大統領候補に選出されたカマラ・ハリス副大統領は僅か9年の上院議員という政治経験の59才のアジア系黒人女性であるというところにわが国政治体制と根本的に異なる流動性と柔軟性が備わっています。アメリカ政治のダイナミズムの淵源はこんなところにあるのでしょう。

 

 19世紀は大動乱の世紀でした。数ヵ国の西欧先進国が世界中の非ヨーロッパ系諸国を暴力的に植民地化した時代に、極東の一島嶼国がその暴力を躱(かわ)し政治体制を変革し(1868年明治維新)僅か40年(1905年日露戦争)で彼らに比肩しうる国家に変貌したのですから日本という国は大した国です。超大国清国でさえアヘン戦争という理不尽な暴力によってイギリスに滅ぼされたのですから。

 なぜわが国はこの国難を乗り越えることができたのかを考えてみますと明治維新以前の260年余に及ぶ「徳川幕藩体制」が「西欧化」を可能にする「下準備」を行なっていたからです。経済的には産業構造の前資本主義化が完成していましたし商品経済・金融経済も西欧先進国並みに発達していました。地方分権が200以上の藩で政治的経済的に成熟していましたからそれを束ねて中央集権化する「権力」が成立すれば先進国との競争に耐えうる体制への移行可能性は相当高まっていたのです。なにより「教育水準」は世界一のレベルにありました(幕末全国に1万5千以上の寺子屋があり成人男子の識字率は70~80%に達していました)。現在開発途上国がグローバル化に耐えうる政治経済体制へスムースに移行できず困難に直面しているのはわが国ような準備期間がなかったからです(しかしそれも大方は西欧先進国の植民地支配の負の遺産のせいですが)。

 

 パクス・ロマーノは別として近世以降の国家で260年余平和国家が存続した「徳川幕藩体制」は世界的にも稀有な存在です(清国は270年余継続しました)。鎖国政策をとっていましたが国の経済的規模は世界4位の経済大国でGDPは154億ドル、英国を凌駕していました(1701年英国GDP107億ドル、オランダ40億ドル、スペイン75億ドル、ポルトガル16億ドル、移民直後のアメリカは6億ドル――OECD「世界経済の歴史的統計」の推計から)。中国、インド、フランスは別格ですが1820年には207億ドルに経済成長しています(英国は362億ドル)。現今の混迷する世界情勢の中で日本がどんな政策をとるかの選択に際して「江戸時代の日本」のあり方はもっと見直されるべきです。

 

 敗戦という代償を払わざるを得なかった戦前のわが国政治経済体制の淵源として近年、明治維新の負の側面が評価されがちですが、上に見たように僅か40年で先進国の仲間入りを果たした明治政府の「威勢」は終戦後の経済復興の目ざましさと共に「国家運営のあり方」として再評価されて然るべきで、デフレ、低成長、少子高齢化と今後の見通しが芳しくない現在、何がどう変わって、かく来ったのかの検討が必要なのではないでしょうか。

 

 「政治家・官僚・教師」に有為の人材が登用された、明治維新と戦後日本の共通点はこの「国家の三本柱」にあるのではないか、そう考えます。明治維新も戦後も「国難」の時代でした。欧米先進国の植民地化が緊迫感をもって維新政府に共通認識されていました、なにしろ超大国中国が英国に滅亡されたのですから。敗戦国日本は連合国に占領され、折りしもアメリカとソ連という二大国が対立を深める状況でどちらかの勢力圏下に組み込まれ、独立への道が閉ざされかねない情勢にありました。この二つの時代に優秀な「官僚」が能力を発揮して国難を乗り越えました。政治目標が明確でしたから政治家は熱意をもって国家運営にあたりました。そして何れの時代も「教育は国家百年の大計」と位置づけられて充実が図られました。

 

 今この三本柱が「危急存亡のとき」を迎えています。政治家の劣化は誰の目にも明らかです。

 人事院発表によると、国家公務員試験の一般職の申込者が前年度比7.9%減の2万4240人で、現行試験制度が始まった12年度以降で最少を更新しました。

 公立学校教員の2024年度採用試験の志願者は全国で12万7855人で前年度から6061人(4.5%)減少したことが各地の教育委員会への取材で明らかになりました。

 

 公務員も教員も労働環境が劣悪で給与水準も民間と比較して決して恵まれていません。改善は必須ですがそれと併せて「使命感」「やりがい」といった「国を背負っているんだ」という精神的充実感もなおざりにできない要素です。いやむしろこっちの方が大事かもしれません。

 政治家の質的向上は「職業化した」『二世議員』を排除することが改革の第一歩です。

 

 言葉だけが独り歩きして「国難」が手垢にまみれた言葉に成り下がっていますが間違いなく今は「国難」を迎えています。今までの延長上に解決策はないでしょう。何かを「捨てる」覚悟が必要なのですがそこまで性根を据えて政治に取り組んでいる政治家はいません。自民党の総裁選と民主党の代表選が行なわれます。すばらしいリーダーの出現を『切望』しています。

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