2024年10月28日月曜日

トクリュウと年功序列

  テレビのワイドショーは連日「トクリュウの強盗事件」を特集しています。専門家がアレヤコレヤと分析して反社の組織の手先にされているとか捜査のあり方がどうとか「専門的見解」を開陳していますが肝心要の「根本的原因」や解決方法についてはなんとも頼りない限りです。しかし大人は――特に年寄りは原因をはっきり知っています、「今の若いもんはシンボウが足らんなぁ」と。

 

 誰が考えても一日5万円も10万円も稼げる仕事などあるわけがないのです。あればヤバイに決まっています。本人たちも分かっているのです。それでもフラフラと誘いに乗ってしまうのは他に選択肢がないからです。いや、やるしかない、と思うまで追い詰められているのです。地道にコツコツやったところで所詮知れている、学歴も技術もない19や20才の自分の将来にいい生活などあるはずがない、という無力感に陥っているのです。

 年寄りは言うでしょう、我々の時代だって若いうちは安月給で我慢したもんだと。しかしそれは、今は給料は安いけど辛抱すれば年とともに僅かづつでも給料は上がっていく、40才を超えればそこそこの生活はできるし50才にもなれば家の頭金ぐらいはできているからローンが受かれば持ち家も夢ではない。そんな未来が約束されていたではありませんか。「年功序列」という制度で。

 

 今や「年功序列制度」は成長を阻害する「元凶」の如く毛嫌いされていますが本当にそうでしょうか。

 

 1989年(平成元年)12月3万8915円のピークをつけた株価は急落、わずか9ヶ月余りで半値まで落ち込みました。地価も1992年初頭をピークに暴落します。バブルの崩壊です。「失われた30年」のはじまりです。以降デフレがつづいて未だに脱却できず今回の選挙でもそれが争点になっていました。

 2001年発足した小泉政権は、低成長の原因はこれまで自民党政権がとってきた経済政策が誤っていたからだと「自民党をぶっ壊す」の大号令のもと「民営化」と「企業の国際競争力向上」を強力に推進しました。デフレ脱却を需要サイドではなく供給サイドを重点的に強化することで解決する策をとったのです。そして生産性の低迷をデフレの根本原因に据えました。デフレ脱却には生産性の向上が肝で、、そのためには「投資」の拡大が必須であり更に不景気に耐える企業体質――景気変動に対する「機動的な対応力」を企業に与えることを政策の中心にしたのです。具体的には第一に投資のための「資金力の向上」を、機動力を高めるためには重しになっている「固定費の軽減」を、固定費の最大構成要素である「人件費の軽減」を第二の策としたのです。

 

 生産性の悪い「役所仕事(や公企業)」の「民営化」は郵政民営化を皮切りに聖域なく「断行」されました。成果は著しいものがありました、特に野放図に膨脹していた第三セクターによる民間企業と競合する分野の切り捨てや民間移行は全国規模で無駄を省く効果がありました。しかし今から見ると医療機関、大学、幼児教育などは「やり過ぎ」になった部分もありコロナ対応のまずさや研究成果の劣化、待機児童の増加を引き起こしました。

 

 「法人税率の軽減」で資金力の向上を図る、この政策は見事に成功しました。最高時43.3%あった法人税率は2023年23.2%まで低下しました。その結果2023年の内部留保の総額は600兆円を超えています。しかし本来の目的であった生産性向上のための投資には余剰資金は回らず、主に投資家への利益分配に使われるばかりで人材への投資である賃上げも放置され2000年以後ほとんど給料は横ばいでしたが、今年「人手不足」が深刻化したため大企業はようやく5.58%(中小企業は4.01%)の賃上げを行ないました。しかし本丸の投資を誘うイノベーションを起こすことはできず結果として余剰利益が積み上がりとうとう600兆円を超す内部留保を企業は抱えることになったのです。

 

 固定費の軽減のために人件費の「流動費化」が激烈にすすめられました。「年功序列制度」を「成果主義制度」に転換するとともに社員の「非正規雇用社員」への入れ替えを急速に行いました。2005年1634万であった非正規雇用者は2023年2124万人(就業者割合37%)になっています。急激な人手不足になっていますからこの傾向は今後沈静化していくと考えられますが経営者に「年功序列・終身雇用」へ回帰する度胸があるでしょうか。

 

 失われた30年――この間に何が変わったかを考えてみると、大きく変わったのは多分野で民営化がすすめられたことと年功序列・終身雇用を成果主義と有期雇用化(短期契約主流で長くて5年前後)を拡大したことに集約できるのではないでしょうか。

 ではこの30年でどんな悪いことが起ったでしょうか。経済面では「イノベーション」を起こすことができなかったことが一番でしょう。経済成長は先進国最悪の低成長(ゼロ近辺)がつづきました。勿論給料は横ばいでした。大学の世界ランキングで中国が急伸するなか大幅な地盤低下しました。少子化・晩婚化無婚化が進行しています。などなど。

 

 年功序列(終身雇用)制度はわが国独自のものです(韓国やドイツなどでも一部でありますが解雇権は企業側が保有しています)。だから年功序列制度とそうでない制度(成果主義など)のどちらが優れているかの検証は行われていないのです。丁度時期的に重なった「新自由主義」の風潮に便乗して――アメリカから押しつけられて年功序列制度を「悪いもの」として廃止したのです。しかし結果をみると――この30年の社会実験の結果は、少なくともわが国では新自由主義的制度は適していなかったと言えるのではないでしょうか。

 イノベーションについて考えてみましょう。インターネットやAIのような社会変革をもたらすような大発明、あるいはノーベル賞を受賞するような発明発見は「短期成果主義」の組織からは決して生れません。10年20年の基礎研究の積み重ねを経て創出される、こともあるものです。今のわが国の大学では有期雇用という不安定な環境に置かれた研究者が5割近いのです(無期雇用者割合が51.2%に過ぎません)。私企業では短期利益重視ですから長期の無駄飯を食う研究が継続できるはずがありません。

 耐久消費財や持ち家などの高価な買い物は今の給料と同時に将来収入を併せて考慮して決断されます。今の若者の自動車離れ、旅行をSNSやVRですますのも将来見通しが立たないからではないでしょうか。結婚もそうした一面があります。「ひとり口は食えなくても二人口は食える」と言えたのも年功序列だったからかもしれません。

 優秀な若い人をスカウトして上級管理職(研究者)に据えて業績アップした企業があるかもしれません。しかし彼がこの先10年も20年も優秀さを維持できるでしょうか。

 

 年功序列制度はわが国独自の制度です。成果主義や有期雇用契約制度との比較は実際に行われたことがありません。失われた30年はその貴重な社会実験であったと思います。

2024年10月21日月曜日

ことばの歳時記

  『ことばの歳時記(新潮文庫)』を読み終えました。国語学者の金田一春彦さんが1年365日を1日ごとにその日にふさわしい言葉や事がらを取り上げて文庫本1頁の短文にまとめ上げたこの本を毎日見開き2頁をベッドに入ったあとのピロ―ブックとして読んだので大体半年で読むことができました。大体というのは1頁も読まないうちに睡魔におそわれることがあったからです。「ピロ―ブック」というのは英語の「ピロートーク」を捩(もじ)った造語で催眠導入のために読む本と意味して作りました。今までで最も良かったピロ―ブックは大岡信さんの『百人百句(講談社)』で『寺田寅彦セレクション(随筆集/講談社学術文庫)』も効果抜群でした。要するに肩の凝らない短文の、それでいてこころよいリズムのある名文がいいのです。セレクトが良ければ1週間もつづけると1~2頁読んでいるうちに眠気が催してきて目をつぶると知らないうちに眠ってしまいます。さて次は何を選ぼうかな。

 

 国語学者だけにどの日の蘊蓄も面白いのですがもっとも驚いたのは「働」という字が『国字』だということでした(11.月23日)。「日本にあって中国にないもの、となると既成の漢字では間に合わない。そこで苦肉の策として国字が生まれ、ことに木ヘンや魚ヘンなどには変わった字がたくさんできた。(略)そういう国字の中で最もよく使われるものは、人ヘンに動く、つまり「働く」という字であるとは、日本人の勤勉さをよく表しているではないか」。いわれてみると人ヘンに動くなどという構成はいかにも国字らしいのですが、しかし人間生活の基本中の基本である「労働」を表す字が本場の漢字にないというのは驚きでした。「労(ろう)」は勿論漢字ですが「疲る、勤める、心を痛める、しごと、ねぎらう」などの意味があります。「勤(つとむ)」は「つとむ、はたらく、力を尽くす、心を労する、つとめ、ねんごろ」と漢和辞典にあります。働くに近い言葉として思いつく「労働」「勤務」以外では「仕事」がありますが「仕」は「つかう、官につく、つかへ、宮づかえ、まなぶ」などとなっていて、以上の3字からは「肉体を使って労働する」という意味にぴったりと当てはまる字ではないようです。思うに漢字は中国の官僚や軍人が使ったものですから農民のような下層民の労働は関係なかったから文字化しなかったのかもしれません。上の3字に共通するのは官僚として仕える、勤めるという意味ですからさすが「科挙」の国です。

 

 もうひとつ教えられたのは「ご賞味下さい(7月14日)」です。日本では人にお中元のようなおくり物をする時のあいさつに「どうぞご笑納下さい」というが、これは文字通り「笑ってお納め下さい」ということばで、これまた日本的な表現だ。近ごろこういう時に「ご賞味下さい」と書く人があるが、これでは「おいしいと思ってお上がりください」という日本的でない言い方になる。見坊豪紀氏の意見では、これは、「ご笑味下さい」と書くべきものを同じ発音であるところから、うっかりまちがって書いたのにはじまる言葉であろうという。 

 

 「毛皮(12月2日)」は日本が農業国であって牧畜がほとんど行なわれなかった事情を浮かび上がらせています。毛皮を英語ではfurといい、なめした皮はleather、なめす前のそのままのものはskinという。その他、木の皮はbark、くだものの皮はpeelというふうで、皮に関する限り英語の語彙はまことに豊富である。(略)中国では…カワと読む字として「皮」という字のほかに「革」という字がある…「韋(イ)」という字の方はなめしたカワだと教えられ、漢文の時間にその区別をおぼえるにに苦労したものだった。

 「お中元(7月3日)」はお中元の歴史を知ることができます。「中元」はもともと盂蘭盆の行事で、正月十五日を上元、十月十五日を下元として祝うのに対し、七月十五日を中元の佳節として半年生存の無事を祝ったのがおこりであるが、今は上元・下元の方は影がうすれ、中元だけが夏の贈り物の代名詞として、サラリーマンの頭を悩ますものの名となった。/日本では贈り物の呼び名が多く、正月はお年玉、年末はお歳暮、病人にはお見舞い、別れる人にはお餞別、帰ってくるときはおみやげなど、かぞえあげたらキリがない。以前は、人にあげるものはおくりもの、もらったものは到来物といって区別した。

 「七五三(11月15日)」。数え年で三歳と五歳の男の子、三歳と七歳の女の子のお祝いをする日である。この祝い、もともとは幼児が無事に成長して一つの段階を経過したことを喜び、このことを公表して縁者とともに祝う儀式だった。/男女とも三歳になるとはじめて髪をのばし、その祝いを「髪置(かみおき)」といった。五歳になる男児は、はじめて袴をつけて正装した。「袴着(はかまぎ)」である。七歳の女児は紐つきの着物をやめて帯を締める式をして「帯解(おびとき)」の式といった。

 

 以上面白そうなものを選りすぐって取り上げましたがその他にも興味をひかれるものは枚挙にいとまがありません。たとえば漱石が造語の名人であったことは意外と知られていないのではないでしょうか(「漱石忌」12月9日)。――「牛耳をとる」を、「牛耳る」とつめ、「野次をとばす」ことを「野次る」と言ったりするのは、漱石がはじまりらしい。――牛耳をとる、という元の表現を知らなかったのは汗顔の至りです。「タンポポ(4月4日)」は花のかたちが鼓に似ていることから鼓の音を昔の人はタン、ポン、タン、ポンと聞きなしたところから、子どもたちがタンポポと呼んだのが語源であるとか、電話を「モシモシ」とかけるのは「申します、申します」といったのが略されたものだそうで(「電話のはじめ」12月11日)、金持ちにもランクがあり(「金持ちのランク」2月6日)分限、長者、さらにその上に「よい衆」があって「代々家職もなく、名物の道具を伝へて、雪に茶の湯、花に歌学、朝夕世の業(なりわい)を知らぬ」という、まことに羨ましい身分を言ったそうです。東京で「金持ち」というのは長者・分限者の下でこれは成り金のことで大分見劣りがすると金田一さんは嘆いています。

 

 SNS全盛でテンプレートの定型文で事足りる現今ですがこのままでは日本語の多様性が失われるのも時間の問題でしょう。ことばの豊かさが人と人のつながりを潤滑にしてきたわが国の歴史を鑑みるとき、このまま放置することはあまりに悲しいと思うのは私だけでしょうか。

 

 

2024年10月14日月曜日

身近なグローバル化

  先日NHK・Eテレで「中満泉さん」のインタビュー番組を見ました。日本女性初の国連事務次長を務める今年61才のチャーミングな方ですが、若いころの写真にみるキュートでたおやかな女性が紛争当事国の現場でむくつけき男性兵士の中に立ち交じってにこやかに調停に携わっているシーンはまるで映画を見ているような現実離れした可憐さを漂わせています。緒方貞子さんに憧れて早稲田を卒業後ジョージタウン大学修士課程を経て国連難民高等弁務官事務所(UNHCR)を皮切りに国連の要職を歴任、現在軍縮担当上級代表にあります。スウェーデン外交官マグヌス・レナートソン氏と結婚、二女の母でもあります。ロシアのウクライナ侵攻、イスラエルとハマスのガザ紛争など国連の機能不全が喧伝される中で黙々と任務を遂行している彼女の口から「核兵器禁止条約を発効にこぎつけたのは確かな一歩です」という言葉を聞くと「世界平和」実現のために40年にわたって現場で努力してきた人だけがもつ「不屈の意志」を感じずにはいられません。世界で唯一の被爆国であるという「常套句」を口にしながらアメリカの核の傘の下に惰眠を貪るわが国の政治家に対して彼女がどれほど口惜しさを抱いているかは想像に難くありませんが番組中一度もそんな素振りを見せなかった彼女の凛々しさに尊敬の念を抱かずにいられませんでした。(今年のノーベル平和賞が日本原水爆被害者団体協議会に決まったことは彼女らの黙々とした地道な信念の継続に一つの光明が差したようで喜ばずにはいられません。)

 彼女以外にもテレビでよく見る中林美恵子さんも米国ワシントン州立大学修士課程を経て日本人として初めてアメリカの連邦議会・上院予算委員会補佐官(公務員)として採用され約10年にわたって米国家予算編成に携わった経歴の持ち主です。ほかにもタレントのREINA(レイナ)さんは日系アメリカ人のもとに生れブラウン大学卒業後ビル・クリントン事務所にインターンとして勤めたのちCIA(中央情報局)の内定をもらったが辞退したという変わり種です。

 

 ここまで書いてきて妻の姪が外交官をしているのを思い出しました。オーストラリア、スイスなど外地勤務が多かったのですが今年父が無くなって母が独り住まいになったのを機会に帰国して内地勤務になりました。私の甥もJICA(海外協力隊)勤務でコロンビア駐在中に現地美人と結婚して二児をもうけ、彼の娘はGoogle日本支社勤務です。友人の娘さんは自動車部品製造会社勤務の彼と結婚、アメリカ法人勤務となってもう10年以上あちらに居住しています。近所の喫茶店の女主人の娘さんは結婚して夫婦で渡豪、現地のオーストラリアで日本料理店を経営しています。もう一軒の喫茶店のママは店を息子に譲ってカナダに移住、ときたま帰ってきて海外生活をエンジョイしている元気な姿をみせてくれています。今改めてみて身近にこんなに海外交流があることは驚きです。

 

 海外交流のひとつの指標として国連にどれほどの日本人が勤務しているかを調べてみました。2021年末で国連に関連する国際機関で勤務する職員は956人となり過去最高を記録したとNHKが伝えています。2023年には国連本部、WHO(世界保健機関)、WTO(世界貿易機関)などに勤務する女性が604人に増加し61%を占めるに至っています。国は2025年には1000人に増員したいとしています。

 朝日新聞が伝える所では日本人の海外流出が静かに進んでいるとしています(2023.1.23)。外務省の海外在留邦人数調査統計によると、2022年10月1日現在で永住者は過去最高の55万7千人になった。前年比約2万人増で、よりよい生活や仕事を海外に求める傾向が強まっているのではと分析しています。

 

 スイスの「世界経済フォーラム」の発表する「ジェンダー・ギャップ指数(GGI)2024」によるとわが国は世界120ヶ国中118位(0.663)という悲惨な結果になっています。教育と健康は世界トップクラスですが政治参画は(0.118)、経済参画は(0.568)となっており韓国(94位)中国(106位)より下位にあるという事実は、わが国低迷の根本的な要因がこのあたりにあることを示唆していないでしょうか。それを裏づける研究が明らかになっています。女性の社会進出が進んでいる国ほど合計特殊出生率が高い傾向にあるというのです。

 実質賃金の国際比較をみてみますと(1991年100)、わが国は103.1(2020年)とこの30年ほとんど伸びていません。一方アメリカは146.7、イギリス144.4、フランス129.6、ドイツ133.7となっておりこの30年に最低でも3割は増加しているなかでわが国の低調さは際立っています。

 

 政治の世界の男性優位は明らかでそれも高齢者が威張っています。先日の自民党総裁選挙でも小泉さんは43才、小林鷹之さんは49才で「経験不足の若手」ということで落選しました。フランスのマクロンは45才、カナダのトルドーは51才であるのに反して。経済面のジェンダー・ギャップを管理職の女性比率で見ると大企業では7.6%、中小企業11.5%になっています。

 先に見たように教育(識字率や高学歴率など)では世界最高レベルにあるにもかかわらず社会進出がこれほど「男性優位」に偏っているのでは女性がわが国に失望するのは当然です。若くて有能な女性ならなおさらでしょう。自国の女性に見捨てられた日本がアジアの、そして世界の人びとを惹き付ける魅力ある国として存在することは極めて難しいのではないでしょうか。国の将来推計人口では40年超後には日本の10人に1人が外国人になると予測しています。そのことで最低生産人口を確保するという目論見なのでしょうが果たして可能でしょうか。

 

 気がつけば身近なところでグローバル化が進んでいます。魅力ある国づくりを真剣に考えないと気がつけば意欲ある女性がほとんど周りにいなくなっているという事態になっていないとも限りません。

 威張っているじいさんおっさんたち、本気で女性と若手を評価しないと日本は世界から取り残された弱小国に成り下がってしまいますよ。

 

 

 

 

2024年10月7日月曜日

自民党のしたたかさ

  実に絶妙な総裁選挙でした。1回目は過半数に達する候補者はなく決選投票となって首位であった高市さんを逆転して石破さんが自民党総裁に決定しました。安倍さんの後継を標榜し、より「右傾化」をよそおって盤石基盤の自民支持層の右半分を全部かっさらえば勝てると踏んだ高市さんは案に相違したのです。「選挙至上主義」の今どきの代議士は「皮膚感覚」で「あやうさ」をキャッチし極右の高市さんでは選挙に勝てないと判断して石破さんに寝返った、わずか21票という微妙な差で。絶妙です。ここに自民党の「したたかさ」を見ました。

 

 高市さんは「勘違い」したのです、支援は「自分」に対するものと思い込んでいたのでしょうがそうではないのです、「擬似安倍」としての高市さんに投票されたのです。崩れ逝く「安倍なるもの」への郷愁が劣勢を伝えられた(告示当初は3位予想でした)高市さんを1位に押し上げたのですがそれが現実になりそうになって、ハタと気づいたのです。選挙に勝つためには「安倍なるもの」が前面に浮かび上がったのでは今回は勝てない。少なくとも「刷新感」を国民に感じさせる体をよそおわなければ国民は赦さない、と。

 高市さんは傲慢でした。安倍さんでさえ「靖国参拝」は慎重に対処していたのに、総理大臣として記名して参拝するなどというのはたとえ「ポーズ」としても思い上がりです、普通の外交センスがあれば総裁選だけのポーズとしても控えるべきでした。「擬似」が「本もの」を超えようとするのは愚かです。加えて決選投票を争った自分は安倍さんと「同格」の幹事長に「当然」遇されるべきだ、などというのは思い上がりもはなはだしい限りです。

 

 「安倍なるもの」は今回の衆議院選挙では『削除』しなければなりません。裏金問題は「清算」の体をよそおわねばなりませんしアベノミクスも「賞味期限切れ」です。いくら高市さんが強がっても裏金議員の三分の一、ひょっとしたら二分の一は落選するでしょう。裏金2千万円以上の9人は危ないし1千万以上の15人も相当危ういでしょう、86人中25人以外にも地方の実情もあって落選半数は決して無理筋の予想ではないとすれば旧安倍派99人のうち約半数が減る可能性があるのですから石破体制になれば高市さんの勢いはここまで(総裁選まで)なのです。それに気づかないで「無役」の虚勢を張れば高市さんは一挙に落ちぶれることでしょう。ここは耐え忍んで政調会長でも総務会長でも受けて臥薪嘗胆を期すのが賢明だったのですが。惜しい哉!

 付け加えるなら総裁選に早々と名乗りを上げて「清新さ」を訴えた小林鷹之さんは前評判とは裏腹に最も「古い自民党的」体質の人でした、残念です。金子恵美さんや宮崎謙介氏の評判が至って良かったので若手(?)のホープと目していたのですが旧派閥の縛りから一歩も抜け出ることのできない振る舞いは失望の極みでした。

 

 自民党の「したたかさ」はこればかりではありません。今回の「裏金議員選挙」では「党内野党」を貫いた石破さんを矢面に押し立てて選挙戦を戦うのですが勝算はやってみなければ分からないのが本当でしょう。石破体制で「刷新感」が演出できて過半数割れをしのげれば万々歳ですが、たとえ目算が狂ったとしても「石破体制」は「使い捨て内閣」で済ませばいいのです。「自民党本体」にとってはいくらでも代わりはあるのですから。と、高をくくっているにちがいありません。たとえ過半数を割ってもマイナス10くらいで収まれば一旦政権を譲ったところでどうせ反自民連立内閣は早晩閣内不一致で崩壊するだろうから再奪還は可能だと「自民党本体(?)」は思っているにちがいありません。(そううまく行くかどうかは保証の限りではありませんが)

 

 いずれにしろ次の衆議院選挙は国民の「本性」の問われる選挙です。裏金議員をなんとなく許してしまうような結果になれば、投票率が相変わらずの60%を下まわって55%やそこらで終わるようならわが国の民主主義は危機的状況に陥ってしまうことでしょう。わたしの一つの指標は「萩生田光一」さんが推薦されるかどうか、ましてや当選するようなことがあれば自民党は終わりです。そう考えています。

 

 雅操を堅持すれば好爵自ずから縻す(がそうをけんじすればこうしゃくおのずからびす)という言葉があります(『千字文』より)。人が正しい節操を堅持すれば自然と高い官位や俸給はついてくるという意味です。今の政治家にこんな志があるでしょうか。